「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

「守ってあげたい」

2005-08-31 13:24:03 | その他
 早いもので、もう8月も終わり。
 9月の遠野祭りに向けて市内各地では、太鼓の音を響かせ郷土芸能の練習が始まっているようでもある。
 我家の子供達も駒木しし踊りに参加、毎晩練習に行き始めている。

 さて、柄に合わないことでまことに恐縮で恥ずかしい限りであるが、もう弐拾数年も前のこと・・・8月31日は人生にとって忘れがたい思い出の日でもあった。
 あの頃は若かった・・・特に同年代の女性と男性では考え方の相違もあるが女性の方が大人びて、考えもしっかりしていたように思える。
 某年8月31日、とある場所に車を止めて彼女から大事な話があると告げられた・・「もうこれで終わりにしましょう・・」まさに晴天の霹靂・・何が何だかわからない状況ながら、直ぐに別れ話しであると気が付いた。
 要するに良く言えば失恋、見方を変えれば、ふられた・・・そう8月31日は振られた日でなのです。
 後に未練がましい日々も送った記憶があるが、それでも8月31日は、あっさりとというか格好つけて聞き分けのよい男を演じたとも記憶している。
 自宅前に送って彼女が車から降りると、無性に切ない悲しい思いが込み上げてくる、気晴らしにカーラジオのスイッチをいれると松任谷由実の新曲「守ってあげたい」がタイミングよく流れた・・・

You don't have to worry, worry,
  守ってあげたい
  あなたを苦しめる全てのことから

  初めて言葉を 交わした日の
  その瞳を 忘れないで
  いいかげんだった 私のこと
  包むように 輝いてた

  遠い夏 息をころし トンボを捕った
  もう一度 あんな気持ちで
  夢をつかまえてね
 
  So, you don't have to worry, worry.
  守ってあげたい
  あなたを苦しめる全てのことから
  'Cause I love you, 'Cause I love you

 後にこの曲は大ヒット・・まさに辛い切ない思い出を思い起こさせるなんともいえない曲となってしまった。
 
 あれから数十年・・数年前にようやくあの頃が良き思い出であり、若かった自分の青春の1ページであったと笑いながら「守ってあげたい」をまともに聞ける歳になったと自覚できるところに辿りついたという感じ・・・。
 今はいい親父となり、若いネエチャンにおじさんと言われても平気である自分がそこにおります・・・笑
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋・・・

2005-08-28 21:06:33 | その他
本日は早朝より遠野市総合防災訓練、婦人消防の担当である私は今朝3時起床、4時前には炊き出し訓練下準備の為、福祉センターへ出向く。
婦人消防協力隊の皆様には早朝から本当にご苦労さまでした。また参加された各関係機関の方々、消防団の方々、住民の皆様もご苦労様でした。

夕方からは福泉寺にて水神様をお祀りするお堂の落慶式・・・過ぎ行く夏を惜しむように、祝賀会はアウトドアにて開催・・・宮古湾直送の水揚げされたばかりの秋刀魚がメインディッシュ・・・総勢25名

さらに遠野馬の里にて研修に来ている麻布大学の女子大生3名も参加、本日はその研修も最終日とのことで、駒木(海上)にて馬を多数飼育のTさんの牧場で後半は研修とのことで、そのTさんが三人をお連れした次第です。
その中の一人・・壇さん・・・壇さんという名前で有名人がおりますが・・・誰のことでしょう・・・女優さんです・・タレントさんかな・・・

私の年代では割と親しみのある女優さん・・・・

「壇ふみ」さんの姪御さんなそうです・・・・ということでこの落慶式の模様は後日、本編サイトにてアップ予定です。無論お三方のお姿もご披露いたします。

画像は・・・秋の味覚・・・三陸直送の「秋刀魚」
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八戸氏家臣団縁の地・・予告

2005-08-25 21:05:14 | 歴史・民俗
過ぎ去る夏・・・毎年、短い夏に思いを馳せながら、Tシャツは、短パンは・・そして半袖はいつまで着れるだろうか?、ついこの間まで半袖だったのにと・・秋になりつい思ってしまう自分が居ります。
夏への思いを断ち切るように、ブログでの背景画「花火」から新しいものへと変えました・・・。

さて、7月中頃に八戸市を訪問、遠野八戸氏(遠野南部氏)家臣団縁の舘、史跡を探訪してきましたが、その内容を近々「奥州虎猫舘・遠野南部氏物語」にて紹介予定です。
八戸、そして近辺には遠野にある苗字が地名として残されており、八戸から遠野にやって来た人々の末裔であるという現実が存在しております。

画像は青森県階上町の「鳥屋部舘・とやべたて」遠野では「とりやべ」と言うが、現地では「とやべ」・・しかし、新田氏「にった」を八戸では「にいだ」と言うように、遠野に来てから年月を経て変化していったものと解釈されます。
また八戸市街地には「鳥屋部町」もあります。

サイトへのアップは9月中にはしたいと思います。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武田忠一郎先生

2005-08-20 09:50:40 | 歴史・民俗
遠野郷の偉人、縁の人物・第二弾・・・東北民謡の父、武田忠一郎先生

武田忠一郎先生(1892~1970)
明治25(1892)年5月、遠野に生まれ、父祖二代が教育者という厳格な家庭に育った。県立遠野中学校(現在の遠野高等学校)に進み、明治43(1910)年に岩手師範学校(現在の岩手大学教育学部)を卒業後、釜石高等小学校を振り出しに県下各地で教員生活を送るが、大正5(1916)年、少年時代から興味をもっていた民謡とわらべ唄の本格的な研究のために東洋音楽学校(現在の東洋音楽大学)に通い、同7(1918)年に卒業。岩手に帰り、大槌女子職業学校をはじめ方々の女学校で教鞭をとるかたわら、東北各地を訪ねて採譜の仕事を続けた。

 この間に同僚の教員・石垣きんと結婚し四人の子に恵まれるが、昭和8(1933)年に妻・きんが死去。のちに弟子の大西玉子(民謡歌手)と昭和14(1939)年に再婚。

 昭和16(1941)年にNHK仙台中央放送局に嘱託として迎えられ、"民謡採譜編集業務"を担当し、戦時下の物資不足の中で昭和17(1942)年から『東北の民謡第一篇~岩手県の巻』の発刊を開始し、昭和37(1962)年までに『東北民謡集全8巻』を完成させた。また昭和30(1955)年には仙台市に我が国初の「東北民謡学校」を開設し、校長に就任した。

 作曲家としても知られ、母校・遠野中学校の校歌をはじめ、展勝地小唄や松尾鉱山小唄など県内外の民謡を作曲、「外山節」を編曲してヒットさせた。また昭和30年作曲の「県南バスの歌」は、本県初のコマーシャルソングとして多くの人々に親しまれた。また「南部牛追唄」など岩手の民謡を合唱曲に編曲したり、民謡にオーケストラの伴奏をつけたりするなど民謡界に新風を吹き込み、高く評価された。

昭和45(1970)年12月、仙台にて82歳で生涯を終えた。

 また武田忠一郎先生はヴァイオリンの名手としても高名である。
・・・一部岩手日報記事より抜粋引用・・・

ということで、知る人ぞ知る武田先生、近年の東北民謡の父と呼ばれ、東北の民謡の多くを全国へ紹介した人物であるが、実は私はホームページを開設するまでは知りませんでした。まだまだ勉強不足であります。

画像は・・武田忠一郎先生の碑・・・裁判所前
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震

2005-08-17 18:03:07 | ファイヤー
 花火大会の余韻に浸る翌日の昼近く、当番勤務で車庫の辺りに居た私は、突然の「ゴォー」という地鳴りと共に大きな横揺れ、直ぐに車庫内の緊急車両を表に出そうとするも、ちょうど靴の履き替えをしていた最中で、片方は編上げの安全靴、片方はサンダルというなんともチグハグな格好、それでも揺れは激しさを増し、同僚達も次々と車庫に走ってきている現実にて、直ぐにまずは近くにあった救急車に飛び乗り、表に移動、2年前、2003年5月発生の三陸南地震を彷彿させる揺れで、車は横揺れの状態で表に移動完了、他の車両も同僚達により無事車庫外に移動済、間もなく揺れは収まった。
震度4、すぐさま市の災害警戒本部が設置され、指示、命令が飛ぶ、職員達も自主参集が相次ぐも大きな被害情報、報告もなくひとまず安堵しておりましたが、初期段階における混乱の中、脳裏を霞めたのは、自宅の子供達、家には大人は居らず、中学生の長男と小学生の二女だけなはず、昼近くということでガスなんかも使っている可能性は高い、子供達のことを気に留めながらも、任に就くというなんともいえない立場・・・・ようやく午後2時近く、一区切りついた時点で携帯で連絡するもつながらない、連絡が付いたのは午後3時頃、なんとか二人とも元気で家には被害はないという・・・(茶碗二つ落下破損)
いずれ三陸南地震から宮城県北部地震、今回と東北太平洋側の地震も周期が短く発生、しかも結構大きいのが続いている。
幸いにして甚大な被害に至ってないのは不幸中の幸いながら、近年中に発生予測される宮城県沖の地震、99パーセント発生という予測でもあり、今後益々注意が必要でもあり、日頃の心構え、準備、防災への更なる感心が必要なものと思われます。

画像は、前日(16日)の西空の様子・・・きれいな夕焼けでしたが、どこか暗さも目立っており、少し違和感があった。これが地震の前兆とはいわないが、今となっては何かしら関連があるものなのか・・・地震予知能力があるわけでもなし、こういった学問を学んだわけでもないので、流してください。
画像がボケてますが御容赦願います。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の夜話・おまけ

2005-08-16 06:32:50 | 遠野
 お盆もあっという間に過ぎ去ったという感じ、間もなく遠野盆地では秋風が吹き、遠野祭り、さらには稲刈り、そして紅葉・・・葉が落ちればグーンと冷え込みが厳しくなり初雪、なんだかんだ言っているうちに忘年会、クリスマス、そして正月・・・一年はあっという間、特に中年の仲間入りしてからは特に早く感じる・・。
 
 さて、3年程前から本格的に地域や周辺の史跡めぐり、それも舘跡と称される箇所の探訪が主な内容となっている。
 基本的には仲間がいないので単独で探訪しているが、サイトで親しく交流がある管理人さん達へは何度か遠野の舘もご案内済でもある。
 しかし、ご案内するにも下調べが必要で、こちらは単独にて一度は現地調査をしてはいますが、やはり古に曰く付きの場所だったり、言い伝えが残されている地だったりとあまり気持ちのいいものではない。
 無論舘跡探訪は日中の明るい時しかいきませんが、それでも誰も居ない山中、こちらの思いもあるのか、誰かに見られている感じは常にあります。また不思議な体験こそございませんが、舘跡を示す石碑を画像にしましたが、この石碑に赤い何かが映り込んでおりました。結局、自分の姿が石碑に映っていたものでしたが、しかし、なんで赤いのか、この日、私は黄色の上着を着ていたのです・・・画像は「遠野松崎じぇんご弐」コンテンツ阿曽沼氏・遠野郷舘と舘主・綾織町の舘(谷地舘)を参照願います。

 さらに同日に撮影したのですが、アップしています画像右上に白い帯状のものが写っております。
 以前サイトでこれは何かとその道に詳しい方々に聞いたのですが、一反もんめとか、数字の6を表す何かとか、可能性の高いのは残雪というのもございましたが、確かに撮影したのは4月の中頃、桜開花まで10日という場面でもありました。
 しかし、この山の感じでは残雪はなかったような記憶でもありますが、いわれればそうかな・・・なんていうところでもあります。
皆様これはなんですかね・・・。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢花火

2005-08-15 22:35:27 | 遠野
 天候が危ぶまれたが、午後には雨もあがり、8月15日毎年恒例の遠野納涼花火が開催された。
 今年で15回目とか、市民をはじめ各企業、団体の御厚意で今年も開催できたということで、遠野市民はもちろん、帰省された方々、観光に訪れた皆様、遠野の夏を飾るイベント、花火大会でそれぞれの夏に思いをはせたものと思います。
 今年は、例年よりは魅せる花火が多かったような気もしますし、何よりも遠野という盆地での花火大会、他の花火大会もすばらしいのですが、盆地特有といいますか、山々に響きわたる大音響、これもまたすばらしいと毎年感じております。
 熊も鹿も狸・・・も驚いて奥山に引っ込んだものと思われます・・・笑

 さて、私は4年続けての警備の任務、通産8回は花火大会に関わっておりますが、他の方々のように焼鳥を口に、ビール片手に・・或いはジンギスカンを囲んで花火見物がしたい・・・これが望みなのですが、それでも特等席ならぬ間近で花火が観られる、これもまた捨てがたいですね。
 ただし、降り注ぐ火の粉、破片・・・これらの行方にも注視しながらです。
 翌日は遠野中学校の生徒さんが、その破片等の清掃にボランティア活動、私の息子も参加いたしますが、こうした影に隠れた活動、仕事にて華やかな行事が支えられていること、消防は時間がくれば任が解かれますが、最後まで残っての後片付け、交通整理の仕事をされているスタッフの方々にも頭が下がる思いでもあります。
 とにかく来年も夢ある遠野花火、是非に続けていただきたいと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間もなく一周年

2005-08-10 16:33:48 | 思いで
 早いもので、職場の後輩であるうめぼし君が開設していたブログなるものを教えられ、即自分もブログを立ち上げて間もなく一周年となろうとしている。
 最初は日記的な意味合いで、あくまでもホームページの補助的役割を・・と考えていたが、これが結構更新追加が億劫になるというか、話題探しに難儀するする場面もしばしば、さらにマイペースを打ち出し、3日に一回ペースを目標にするも途中で、休養宣言したり、諸般の事情で書き込み停止の状態を作ったりと決して楽な一年ではございませんでした。
 なんとか続けてこれたのも時折コメント等反応をいただいたことがあってのこと、単なる日記的なこと以上のことを求めてしまった結果でもありますが、誰かが読んでくれている、これが一番の励みでもあります。
 ようやく一年にして今後の方向性も見えてきました。本来の郷土史関連の補助的なことに加え、遠野といいますか松崎町の話題、風景等も時折交え、今後も続けて行きたいと考えております。
 今後ともどうぞよろしくお願いします。

 さて、先月とその一週間後執り行われました夏の伝承行事の模様を本サイトに追加いたしました。
 よかったらご覧ください。
 こちらから
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の夜話・第四話「同じ場所の怪」

2005-08-09 10:26:47 | 遠野
 私は霊感が強い方ではないと思っている。しかし、小学低学年の頃と成人前後に集中して、なんともいえない体験やら目撃をした経緯が確かに存在している。
 第四話は成人となった20歳前後、2年続けて同場所、同時期に遭遇した内容をご紹介いたします。

 20歳になった晩秋の頃、既に紅葉も終わっていた頃と記憶している。
 一応、車の助手席を暖めてくれる存在の彼女がいましたが、その彼女と花巻方面に遊びに行っていた帰り道、今はホームセンター、タイヤ専門店、食堂、パチンコ店もあって当時よりは少し賑やかな感じではありますが、その頃は石材店と農機具屋さんのみで、直線道路をしばらく走るとその外れには自動車整備工場があっただけで、民家も途中の林の中に1~2軒があるだけの少し寂しいところでもありました。
 夜の11時頃、花巻から遠野へ向かう国道、○町、道路の両サイドは田んぼ、少し行くと遠野方向に向かって右に林がありましたが、その林の手前、50メートル位のところですかね、車のライトに映し出された黒い人影が二つを道路の右肩に視認しております。
 いよいよその人影を過ぎようとした時、ふたつの人影のはずが私にはひとつしか見えませんでした。
 次の瞬間、背筋も凍るといいますか、背中、首筋がザワーとすると身体全体の毛が逆立つような感覚となりました。私の目に映った光景は、着物を着た幼女、日本人形でおかっぱ頭で毬つきをしているものがありますが、それとほぼ同じ姿の幼女でした。小学校に入っているか入っていないかの年頃と思いますが、その横顔だけがやけに白くて、またその着物姿にも違和感があったのです。
 こんな寒くなりかけた時季になんで着物なのか、そして時間帯、それらが脳裏を霞めるととにかく恐怖心が一気に吹き出たのです。
 一方、助手席の彼女は・・・彼女も顔面蒼白、私は「今のなんだあ」と聞くと、彼女は、異常に背が高い、着物姿の男性を見たというのです。
 私は子供しか見なかったのですが、彼女は子供は確認しておらず、男性のみ・・・とにかくスピードを上げてしばらく走り続けました。
 宮守辺りに差し掛かりますと、街灯も多く、道路脇にも民家が多く点在していたのか、少し落ち着いてきたので、改めて先ほどの話をしたのですが、とにかく不思議だ、見たものも違うけど、共通しているのは和服姿であったこと、帰道での話の中では七五三の季節でもあるので、その関係か?なんていう話にもなったので、見た角度の違いもあって親子に違いない、とにかく無理やり何かをこじつけて納得させる考えでもありました。怖いには怖かったけど、まさか・・の気持ちもあってその後はそれほど気にもしておりませんでした。


 それから一年後、関東方面からUターンした同級生が北上の企業に就職し、寮住まいをしておりましたが、休みの日は遠野の実家に帰ってきては私を含む同級生と遊び、夜、車で北上まで送って行くこともしばしばございました。
 その日も、北上の寮に友人を送っていきましたが、午後の11時過ぎ、一年前に変なものを見た場所を通りかかったのです。
 やはり時期は11月の中頃か、冷たい雨が降っておりましたが、例の場所近くに差し掛かりますと、遠くから対向車が確認できました。私の車のライトと対向車のライトの狭間に何か青っぽい人影が歩いているのが見えておりました。こんな雨降りにしかも夜遅くに・・・だんだん近づいてきたその人影らしきもの、いよいよ通り過ぎようとした瞬間、私の目には白っぽいワイシャツ姿の初老といいますか、中年の後半の男性が歩いている光景でした。しかも雪にでもなりそうな冷たい雨の日、傘もささずにしかもワイシャツ姿、全体的に青白く見えてもおりました。そして通り過ぎた瞬間、風と雨が少し強くフロントガラスを叩き付けたようにも感じられましたが、恐怖心はそれほど強くはありませんでした。それは対向車がいたということ、ただそれだけでしたが、次の瞬間、後方にテールランブが赤く点滅したと思うと、今度はバックしている対向車が見えました。私も車を静かに停車させますと、バックする車は私のところまで来まして、窓から男性が顔を出して、「何かとぶつかったんじゃないの」と言うのです。「いいえ、人とすれ違っただけですよ」と答えますと、「火の玉があんたの車の上を越えていきましたよ・・」というと急にその男性も怖くなったのか、急発進して花巻方面に走り出しました。私も怖くなり、猛スピードで家路を急ぎましたが、後部座席に何か居るんではないかと気になりながら帰ってきた記憶がございます。
 まさに一年前に見た場所とほとんど同じ場所でしたし、時期的にもほとんど一緒でもありました。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2005-08-08 20:19:21 | 
お土産のドラゴンボールと飼猫ネネ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする