「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

大晦日07

2007-12-31 17:03:42 | その他
 未明からの降雪が本格的に積りだし、今冬一番の積雪となった2007年大晦日。
 
 まずは菩提寺法門山福泉寺の様子(15時過ぎ)

庫裏


お不動さま


参道から本堂



 積雪は10センチ程度、それでも今朝と午後と二度雪掻きをしております。
 時折、雪は止むも突風交じりで雪が吹き付けるプチ吹雪乱舞もみられますが、昨年大晦日の春のような雰囲気とは違って、この時期に相応しいといえばそのとおりで、大晦日、お正月らしい雰囲気ではあります。


氏神様、愛宕大権現


 氏神様である愛宕神社にお供えをあげて、まずは今年一年の感謝を込めて手をあわせる。

 福泉寺に初詣の際は、この愛宕神社にもお参りください。
 鐘楼の脇にございますので・・・・笑


鐘楼


 除夜の鐘が今年も響きわたります。
 百八つ・・・先着順となりますので、お早めにお越しになられ鐘衝を体験されてください。
 

本堂






 初詣の準備は万端、暗い参道ながらも全山に画像の電球が取り付けられております。

 初詣は福泉寺にも是非にお立ち寄りください。




 今年は、仕事的には後半にミス等があったり、楽しいことよりも少し悪いイメージが先行していたと感じております。

 しかしながら、ネットで繋がった仲間との新たな出会いやら、その絆がさらに深まったこと、これは疑いのないものと確信した年でもありました。
 職業も年齢も生まれ育った環境もそれぞれ違う人間が何故か出逢って、新たな仲間として友として共に時間を共有すること、こんな不思議な現象ながらも、本心から嬉しく楽しいと感じております。

 今年を個人的に文字で表すと・・・・「魔」ですかね。
 ちょっと別世界といいますか、怖い印象もありますが、「魔」を呑み込んだ、そんな思いでもあります。

 「魔界への誘い」「睡魔君」・・・この二つが印象に残りますが、最後の最後も・・・・・笑



 高級芋焼酎で銘酒である「魔王」は高価で手が出ませんが、魔王の上を行く「大魔王」・・・汗・・・名前だけは負けていません・・・笑

 でも割と高いんですよね、大晦日は愚娘も帰省しており、少しだけ贅沢をしたいと思ってます。

 
 最後になりますが、この一年間、大変お世話になりました。
 一般受けしない郷土史をはじめ、遠野を打ち出している割には他方面にわたる拙ブログをご覧いただき、またコメント等もいただいたり、感謝しております。
 ありがとうございました。
 
 良いお年をお迎えください。



 そして、来年はまずは災害のない明るい2008年でありますように・・・・下の画像の車両がなるべく出番の少ない年でありますようご祈念いたします。

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綾織山口にて

2007-12-29 15:45:49 | 遠野
 昨年のこの時期も雨模様でしたが、今年の年末も雨に祟られた雰囲気。

 本日は中学校地区行事としての福泉寺清掃奉仕活動が予定されておりましたが、昨年同様、雨模様のため中止となりました。

 例年は清掃というよりも雪掻き等が多かったのですが、2年連続での雨天中止、地球温暖化とか叫ばれる現代、やはり年々少しずつ暖かくなっているのだろうか?

 

 画像は12月24日午前中・・・綾織町山口にて

千葉家南部曲屋



 以下、画像はセピア色にて・・・・

 どこか十数年前の風景を彷彿させる画像として観ていただければ幸いです。


山谷川に架かる木橋





ばあさま



 2007年もあと僅か、原風景の現風景がまだまだ残される遠野ではありますが、それでも少しずつ、その風景も変わりつつあります。

 「原風景にみる現風景」・・・これをテーマに遠野ブロガーによる画像展を開催しましたが、この原風景を今後も伝え、守りたり・・・この気持ちは遠野ぶれんど仲間皆さんの気持ちでもあると私は思っておりますし、無論、私もその気持ちでもあります。

 今年は、画像展を通じて今一度、遠野の風景等を再認識という場面が多くありましたが、是非に来年も遠野の風景も含めて遠野という郷をブログを通じてではありますが、ご紹介できたら・・・と思っております。

 勿論、郷土史、民俗的分野含めてとなります。


 今年を振り返って、新年への思いは大晦日にエントリーしたいと考えております。
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小友宿&だっこ猫

2007-12-27 15:02:06 | 
 遠野小友宿



 遠野には古き良き時代の風情を残す宿場町がある。
 各地には宿という名が付けられ、繁栄していた雰囲気を残す町並みが残るも、ここ遠野市小友の町並もそのひとつである。



 金山開発で隆盛を極めたという歴史でもありますが、まさに小友地域は金山跡とされる場所が結構残されております。


 間違い探し・・・・
 小生も誤字脱字のオンパレード、他人の事は言えませんが・・・汗




 小友の町並みを画像取材中の藤九郎さんが何やら見つけたらしい・・・・。
 その先には・・・・



 「ミャー~・・・何か喰わせてくれ~」・・・と何やら藤九郎氏におねだりしている雰囲気・・・。




 「藤九郎の旦那、カメラはいいから何か喰わせてくれニャ~・・・」


 この後、小生も傍に近づき喉元をコチョコチョすると喜んで膝に前足を乗せる。
 どうやら抱っこをねだっている雰囲気・・・ベージュ系の薄い色のズボンを履いておりましたが、泥足でズボンが汚くなったので、思わずその場から後ずさり・・・・。

 そうしますと今度は藤九郎さんに・・・・・。



 もうちょっと登って抱っこされたい雰囲気ながら・・・・笑

 まっ、微笑ましい風景ではありますが・・・・笑


 何もくれないとみると・・・・



 「ニャンだ、何もくれんのかと」・・・とふてぶてしい顔・・・・笑


 我々から離れようとしなかった態度が、今度は我々が追いかける立場となって、町裏に消えて行きました。

 実際は黒猫も居て、こちらは我々と距離を置いておりました。



 こちらは我家の飼猫ネネ





 玄関を開けると真っ先に外へ飛び出すも、散歩に出ようか思案中のようでもあります。
 うちのネネは雄、小友宿の猫は雌のようでしたが、ネネの方が遙かに身体が大きいですが、ニューハーフのせいなのかおとなし目の顔付きである。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
 
 おまけ・・・・今年最後の忘年会


 近所で極めて親しい家同士で恒例の忘年会を開催。



 先月中頃から始めた城館探訪での山野徘徊、10日間程で2キロ体重が落ちたのですが、今月に入って忘年会やクリスマスで「ごっつぉ(ご馳走)」を食べれる機会が多かったもので、おかげ様で体重が2キロ戻ってさらに2キロの増・・・汗

 これは正月が過ぎてから少し身体を気遣うことになりそうです・・・汗、・・しかし、新年会もありそうですしね、どうなることやら・・・・汗









 調子の上がってきたところでカラオケ大会となって、夜遅くまで楽しみました。

 自分的には今年最後の忘年会、そして宴会といったところで、残すところの今年は大掃除やらお正月を迎える準備となる予定です。
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麺親父

2007-12-26 14:51:08 | 遠野
 今冬一番の冷え込み、氷点下8度に迫る冷え込み、無論遠野の在郷は氷点下8度を超えていた。


早池峰と薬師





 朝はかなり冷え込みましたが、日中は終日晴天な日でした。


 
 水は冷たそうですが、どこか春のせせらぎのような雰囲気・・・小烏瀬川(松崎町)


 さて、先月の循環器検診にてC判定項目があって、その再検査と診察を受けるようにとのお達しあり。
 
 ということで、市内某医院にて問診と血液検査等を実施、結果は後日ということになりますが、そんなことはお構いなし的な食生活、八戸の藤九郎さんをお迎えしての遠野郷館跡めぐり冬の陣では二日間の食事は例年の如く麺中心でありました。


初日の昼




 某バイパスのお店・・・・遠野ジンギスカンと味噌ラーメン

 しばらく、そう2ヶ月はジンギスカンを食べていなかったので、無性にジンギスカンが食べたかった。
 ついでに、このお店が上組町にあった頃、よく出前を利用しましたが、その際は決まって味噌ラーメン、これが結構美味しくて忘れられない味でもありました。

 久しぶりに味噌ラーメンを食べてみましたが、当時よりは進化している印象、野菜たっぷりで美味しくいただきました。


 初日の夜は、忘年会の意味合いも含めて某居酒屋で豆腐料理を主に懇親を深めまして、2次会はしんみりと遠野ぶれんど行きつけのお店へ・・・・その後、手打ちラーメンをいただく・・・。



 ビールのつまみにチョイスしたチャーシューを器に移して、急ごしらえのチャーシュー麺に変身・・・汗・・・・。


 翌日は、午前中遠野を楽しんでいただき、午後新花巻駅まで送っていきましたが、昼食は冷麺・・・・。




 ここも懐かしい味、かつて遠野にお店はあって独身時代はよく利用しておりました。
 常連だったというほどではなかったけど、それでも最後の締めは、ユッケビビンパか冷麺をいただいて代行で帰ったものです。

 そういえば、えんで会長さんが若い頃、かつての遠野のお店で私に気合を入れられたと仰せですが、私は全く記憶はないっ、でもえんで会長とは夜遅くにお店で遇っていたかもしれません・・・。

 花巻に店が移ってしまいましたが、結構繁盛している雰囲気、陰ながら応援しております。
 冷麺、たいへん美味しかったです。


 
 メタポな数々、今回も麺に始まって麺に終る、イケメン親父とは決して言い難い二人でしたが、次回もよろしくお願いします。




 おまけ

 遠野でみる鳥類では大型といったものでは白鳥とサギの仲間くらいか?・・・曲屋周辺を風に乗って浮いている大型の鳥を発見・・・・おそらくサギの仲間かと思いますが、結構大きかった・・・。





 忘年会との位置づけの宴は今夜が最後、ご近所のお宅で知り合い等も招いての忘年会となります。
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くりすますイヴ

2007-12-24 19:03:10 | その他
 キリスト教徒ではないですが、メリークリスマスだす。

イオン盛岡のツリー



 我家では嫁さんが4家分、6個のクリスマス手作りケーキで朝から奮闘中、そのラインナップです。



我家の分




さて、この時期恒例の遠野郷城館跡めぐり冬の陣、八戸の藤九郎さんをお迎えして二日間にわたって行いましたが、最終日は陽は差すも雨が降ったり止んだりと中途半端な天候、午前中勝負ということで一箇所程館跡探訪を考えていたが、足元が悪いということで、急遽中止として、遠野の風景やら宿場町の雰囲気を残す地域の画像取材に切り替えといたしました。

 数年前は二日間に10箇所近い館跡探訪の実績もありますが、今はじっくり見たり、その場で考えたりとペースは遅い分、充実はしてきていると実感しているところです。

 来春も5年目となりますが、春の陣として開催したいと思っております。

 藤九郎さん、ご苦労様でした。


 ちょっと食べすぎのイブでした・・・汗
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銭湯「亀の湯」

2007-12-23 16:42:19 | 遠野
 4年目となる遠野郷城館跡めぐり、八戸の藤九郎さんの来遠をいただき、今年も冬の陣を開催しております。

 生憎の雨模様、さらに先日降った雪が館跡の遺溝等を見え難くしておりますが、それでも支障のない範囲、初日23日は3箇所の館跡を探訪しております。


中沢館


 拙ブログで以前呼びかけしておりましたが、興味ある方々のご同行も受け付けますとしておりましたが、笛吹童子氏が途中合流、なんとも心強いといいますか、充実した館跡探訪となりました。
 やはりヘルメットは必需品ですね・・・笑
(ヘルメット姿の笛吹童子氏と藤九郎氏のお二人)



 中沢館探訪のみご同行の笛吹童子氏と別れて我々は宮代館跡を探訪して、冷え切った身体を温めるため「亀の湯」へ・・・・。




 貧乏な田舎の農家ではありましたが、家に風呂はあって街中の銭湯というものを知らない少年時代、ただ広いお風呂に入りたいはひとつの願望ではありました。

 今は風呂好き親父となって、健康ランドやら都会の駅前サウナ、温泉と楽しんでおりますが、銭湯に関しては未体験に近かった。
 しかも地元遠野の銭湯というものは大人になって仲町の銭湯に一度だけ入ったことがあったのみ・・・・・今回、同じく風呂好きの藤九郎さんとワクワクしながら亀の湯に・・・・笑



 思った以上にこじんまりとしている、古き良き時代の銭湯というべきか、湯船も予想に反して小さめ・・・・富士山は・・・松島は・・・・思い描く銭湯という雰囲気とは違ってはいたが、湯加減も良く、アットホームな感じで違う意味では好感が持てましたし、何よりも遠野に残った最後の銭湯、これに尽きるものと思います。

 先客は二人、女風呂はわかりませんが・・・汗・・・少しだけ安堵しました。

 たまには、銭湯も良いものと実感いたしました。


 がんばれ遠野の銭湯!遠野亀の湯!

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白銀の朝

2007-12-21 17:37:29 | 遠野
 昨日から雪降り、これは今冬一番の積雪となり翌朝は本格的な雪掻きがいよいよと思ってましたが、勤務時間であった午前3時には数センチ程度の積雪で、雪掻きの必要性は無しと安心して仮眠に付くも起きてビックリ、雪掻きが一応必要と思われる積雪となっていた。

 5センチ~10センチという範囲ながらも、寝た後3時間の内に降ったらしい・・・今冬一番の積雪でもある。


 家路に着くと・・・・。


 既に家の雪掻きは終了していたが、私の住む地域の方が街場よりは少なめであった。


 陽も差してきたので、カメラを持ち出して菩提寺福泉寺へ・・・・。










 後10日で大晦日、福泉寺も例年通り初詣の人達で賑わうものと思います。
 今年も勤務の関係でなんとか大晦日と元日は休みに当り、お正月気分が少し味わえそうでもあります。
 音信不通に近く、パッパラパーで「ほんでなす」の部類の長女も年末には帰ってくるコールがあったり、今年は家族全員で年越しが出来そうな雰囲気でもあります。


 五重塔




 おまけ

 ZUIKO DIGITAL ED 18-180mm f3.5-6.3




山野徘徊や何気ない景色を撮る際に、ある程度の領域をカバーし交換しなくても済むレンズが欲しかった。
 山野徘徊ではカモシカや小動物、鳥との遭遇もあって、とっさの場合に寄れないレンズであった為、なんとか我家の財務大臣にお願いして購入いたしました。

 ポケデジの少しいいものが買える値段ですが、こちらを選んでしまった・・・・汗。

 遠野郷土史界の今後の発展の為、遠野ブログ界の充実の為・・・家族には少しだけご迷惑をおかけしましたが、たまにはきれいな家族写真も当然撮るつもりですので、よろしくお願いします・・・笑
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07後期・館跡探訪

2007-12-19 21:31:26 | 遠野
 先月の17日より遠野郷の城館跡の探訪調査をしておりますが、約1ヶ月間で・・・


 青笹町・・・中沢館・臼館(再)
 附馬牛町・・根岸館・蝦夷塚森
 綾織町・・・鴨館・万蔵坊館
 松崎町・・・宮代館・宮代蝦夷屋敷跡・真立館
 土淵町・・・大楢館・柏崎館・宮沢館
 上郷町・・・太田館・駒込館(瓜ヶ森)
 小友町・・・鮎貝館(再)
 釜石市・・・狐崎館

 再訪も含めて16箇所、自分的には割りと数が伸びたのではと考えております。

 特に期待度が高かった中沢館と根岸館は想像以上で、館跡探訪を始めた辺りに遠野でも有名処から攻めていたので、だんだん見所の多い館は無くなるのではと考えてましたが、さにあらず・・・・むしろ、新しい発見やら視点が徐々に変わっている点に気付きはじめ、なかなか充実したと考えております。


中沢館・・・空掘跡と土塁


中沢館・・・堀切

遠野型規格に相応しい3重堀



根岸館・・・帯郭




 整然と斜面に配置されている根岸館の帯郭、しかも遠野郷内では大型である。






 まだ館跡探訪は今シーズン出来そうな雰囲気でもあり、もう少し継続予定でもあります。
 年が明けて積雪等で山野に入れない場合は、三陸沿岸地域の遠野の歴史に関係ありそうな城館跡若干の探訪調査も視野に入れております。


 160余りの遠野市内の館跡、なんとか70箇所に迫ると所まで来ておりますが、まだまだ先は遠いですね・・・。

 いずれまだ熊公も山野を徘徊しているとの情報もあって、気をつけたいと思っております。



 ※ 遠野郷館跡探訪冬の陣07

 今年も八戸の藤九郎さんを迎えての遠野市内の館跡探訪を予定しております。
 積雪や天候にもよりますが、中沢館も探訪箇所に組み入れております。

 12月23日、午後1時半頃に中沢館跡の探訪開始予定ですが、山頂の稲荷社含め共に探訪したいという方がございましたら、ご同行願います。

 それと夕方から懇親会の予定でもありますから、参加しても良いという方はご一報ください。

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one night jazz live 2007

2007-12-18 20:25:41 | 遠野
 ニューヨークジャズクラブの熱気と感動をそのまま・・


 ワンドリンク付き、トニック&ウォッカをお土産に・・・。
 

 12月16日(日) あえりあ遠野

 ジャズピアノ界の逸材・・・椎名 豊
 世界的なドラマー・・・・・マーク・ティーラー
 ベースには成長著しい若手・本川 悠平

 ジャズの世界では有名らしいが、一人ライブに行って来た嫁様には、ほとんど知らない世界、無論小生も知らない・・・・。

 が、ジャズを知らなくても御馴染みのナンバーが奏でられると、「おっ」と、その世界に引き込まれたとか、長渕剛とはまた違った大人の雰囲気、ちょっぴりニューヨークを感じてきたようです。








 本来は開店休業中の「気まぐれなパンづくり」にエントリーの予定が、蒲公英さんのPCが調子が悪く、かわって小生がその雰囲気のみを伝えることになりました。

 蒲公英さん曰く、「皆ご夫婦か友達同士で来ていた、女一人は自分だけだったかも」・・・とか・・・汗

 そう、嫁さんひとりで出かけておりました。
 その日は大河ドラマ「風林火山」の最終回、ジャズどころではなかったのですが、当日券でも誰かから譲られるとか小生も行くべきだったのか・・・と・・・少しだけ反省・・・汗

 でもジャズという分野が身近に感じられるライブで楽しんだということで、勘弁願いました。


 画像の白龍号の親分さん、お心遣い感謝しております。



 ありがとうございました・・・
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狐崎館(釜石アラモ砦)

2007-12-16 20:06:00 | 歴史・民俗
 少し風が冷たいが天気も上々、本日はかなり以前から気になっていた釜石市の館跡、狐崎館跡を探訪して参りました。


釜石湾から


 遠野の歴史はおろか、大槌、南部氏、伊達氏にも関連ある歴史伝承がある狐崎館、その中でも遠野との関わりが強く、かなり興味が湧き上がる館の存在でもありますが、その場所の特定も事績も早くから知っていたにも関らず、未だ現地探訪は実施していなかったこと、また先月、小友の鮎貝館探訪で偶然に出会った同好の士、盛岡のT氏がこの夏から何度となく探訪調査を繰り返しているとかで、その内容を聞くと早期に小生もまずは探訪しなければ・・・・と思っておりました。


 狐崎館跡概要

 午前10時前、自宅を出発、現地には10時30分頃に到着。
 館の大手は海側の浜町とのことらしいが、駐車スペース等を考慮して国道45号脇の元釜石税務署(現市役所分庁舎)に駐車し、寶樹寺の鐘楼、山の急傾斜に張り付く墓地を通って、搦手側となると思いますが、急斜面を登って行く・・・。


 墓地南端、上部の帯郭


 墓地の南端斜面には4段程の帯郭が飛び飛びに配置されていたが、さらに上部にはみえず、そのまま急斜面を登っていくと、山頂部に続く尾根に出た。
 東斜面には小さめの帯郭も確認できるが、その先は峰が海側に大きく突き出した形状があって、どうやら浜町や最近釣りに興じた新浜町のT字防波堤からみえる崖崩れ防止の処置が施された斜面の上方らしい・・・・。

 眼下には浜町や釜石湾がきれいに見渡せる。



 一度、戻ってさらに上方に進むと本丸と思われる平場に行き着いた。
 遠野では標準サイズの2~3段の帯郭が配置されており、さらに高い位置には、テレビか電気か、何かの中継塔らしき工作物があった。

 主郭部分(山頂)



 北側である背部は一重の堀切で尾根を断ち切っている、遠野型であれば、2重、3重の堀切がみられますが、尾根沿いを次ぎの山頂まで行くも確認できず、どうやら一重の堀のみらしい。

 堀切




 主郭部の東側にも峰が延びており、こちらも南斜面には4段程度の帯郭が配置されているが、平場も小さめである。

 西側(国道沿い)は急傾斜地で帯郭が所々に2~3段程度配置されているのが確認できる。

 全体的には北から南へ傾斜する平場、東西に数段の帯郭を配置、西、南、東は急斜面といった山城で、東側に少しせり出た2箇所の小さな郭を持つ形状とみました。

 西側斜面の帯郭


 
 その昔、激戦が繰り広げられた館跡でもあり、魔除けの瓢箪と共に菩提寺の御守を身につけて探訪いたしました・・・汗

 考えてみると、館跡山野の下にトンネル(国道45)が通っているんですよね。




○狐崎館の歴史・・・阿鼻叫喚、権力者に葬られた歴史

 館主を阿曾沼家臣、狐崎玄蕃と伝えられ、後に附馬牛に移されたとあるも、狐崎氏に関る内容は不明である。

 さて、狐崎館のもうひとつの伝承には、大きな戦いで館は落城したと語られるも南部氏側では館主を新谷肥後(荒谷)と伝えるのみで、その事績に関する記述はない。

 伊達氏関連で確認できるその事績とは・・・・。


 慶長6年(1601)7月、釜石狐崎館の新谷肥後は、葛西旧臣の鹿折信濃(本吉郡鹿折村忍城主・現気仙沼市浪枝)とその配下、金堀衆、その他葛西氏に縁ある武士達を狐崎館に集め、伊達政宗に対して武装蜂起をしたというものであった。

 伊達政宗は気仙郡代官、中島大蔵信貞に狐崎館攻めを命じ、その旗下には磐井郡東山の大肝入、白石豊後、大原の大肝入熊谷元重、気仙の大肝入臼井因獄他野武士、足軽、総勢3百人余をかき集め、さらに政宗の旗本たる岩出山の直臣達も加わって、海路と陸路にて釜石へ進撃したと伝えられる。

 対する狐崎篭城軍は160名余といわれ、壮絶な戦いが繰り広げられるも、海路から上陸した伊達勢が攻撃に加わると、狐崎館側は敗色濃厚となり、160名余のほとんどが討ち取られたり、捕縛されて首を刎ねられたと伝えられる。

 館跡の東側には首切沢という地名が残され、さらになんとか逃れた葛西氏の旧臣葛西六郎は水海海岸辺りまで逃げたが、共に逃れた自らの郎党によって毒殺されたと伝えられる。

 伊達勢の敗者に対する措置は凄惨を極め、打首はもとより全員の鼻を削いで塩漬けにして江戸表へ移送したとか・・・・。

 (貞山公尊伝・巻21・慶長6年條)一部参照


 さながら大軍相手に砦と命運を共にしたアラモ砦みたいな雰囲気ですが、この後、遠野奪還の戦いを挑んだ阿曾沼広長(慶長5年、遠野を追放された遠野領主、伊達政宗の後援のもと、気仙勢を借受けて3度遠野へ迫る)は、三度の遠野奪還戦を挑むも遂に夢は叶わず、この戦いに与力するため遠野へ進駐していた南部勢によって狐崎館は、奪還される。


 南部氏支配の釜石へ他領の伊達氏が一揆鎮撫に軍勢を動かすのも何処か不自然でもあり、これを伊達政宗による関ヶ原の戦いの混乱に乗じた北侵の野望によるものとの見解や、実は一揆を扇動していたのは政宗その人で対南部氏の為に利用されたのは新谷肥後や鹿折信濃だった、味方であった伊達勢に突如攻められ、口封じをされたとの見解も存在する。

 いずれ釜石狐崎館の戦いは史実であったろうと思いますし、常道として考えれば、狐崎館は南部利直、遠野謀反軍の鱒沢広勝等によって派遣され守っていたものと思います。

 伊達政宗による北侵の野望といったことだったのではないでしょうかね。

 結局、釜石は南部氏の支配地として確定し、後に謀反側で名を残した平清水駿河の知行地となっている。



 館主である新谷氏は本姓を菊池氏と伝えられ、新谷氏は平清水氏と同族、或いは平清水駿河の近親者といった見解も存在しますが、確定には至らず・・・。



 いずれ、鉄の歴史を伝えてきた釜石、鉄の町釜石、これが一番でもありますが、その昔、中世の頃は遠野郷の一部とも語られ、阿曾沼氏や大槌氏が大きく関っていた時代があったものと考えております。






 
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