日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【日本古代史】古代の天皇は誰が実在で誰が架空か/姓(カバネ)とは何か

2016-09-21 23:50:41 | 歴史コラム:古代
 先日、東国を歩く会およびクラツーで府中市の大國魂神社をご案内しました。



 その際には、大國魂神社の創建は景行天皇41年(西暦111年)というのが神社の公式の見解であることを話しましたね。

 景行天皇というのは天皇家の系図では第12代目にあたる天皇で、かの有名な日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のお父さんです。

 さて、この「景行天皇」というネーミングですが、そもそも「天皇」という称号ができたのは天武天皇の在位(7世紀後半)頃と考えるのが妥当で、「景行」とか「天武」などの名前は漢風諡号(かんぷうしごう)と言って、8世紀後半頃付けられました。

 今は便宜的に「○×天皇」と呼んでいますが、景行天皇は、「オオタラシヒコオシロワケ」という本名が『日本書紀』に記されています。

 ただ、その本名には「オオタラシヒコ」と「オシロワケ」という2人分の名前が合成されており、「オオタラシヒコ」というのは6世紀以降に流行った名前で、『日本書紀』を編さんした時点で付けられた名前かも知れず、一方の「オシロワケ」というのは、5世紀以前の地方の有力者(王)に付けられる称号である「ワケ」が付いていることから、実際にそういう名前の有力者がいたと考えてよいでしょう。

 このように、景行天皇は実在のヤマトの有力者をモデルにして作られた可能性があるわけですが、そもそも現在見られる天皇家の系図のうち、一体誰が実在で誰が架空なのでしょうか。

 これは私も昔から非常に興味があり、ずーっと調べているのですが、なかなか複雑な問題です。

 これを探究するには、まずは『日本書紀』が書かれた時代の歴史的背景や政治情勢などを理解したうえで『日本書紀』を熟読し、1センテンスごと事実かどうか、事実でないとしてもわざわざ書いた意図は何か?などを考察しつつ、慎重に進めていくことになります。

 この作業には何年かかるか分かりませんが、私は8年やったお陰で最近は少しずつ分かってきました。

 偉い学者さんの研究成果は大いに参考にしますが、それを鵜呑みにせず、最終的には自分の頭で考えたことを結論とするのです。

 実在したかどうかは、天皇の名前を鍵として考察する方法もあり、井上光貞さんが『日本の歴史1 神話から歴史へ』で分かりやすく解説しています。

日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫)
井上 光貞
中央公論新社


 それを参考にしつつ私も考察しており、その一例を紹介します。

 初代神武天皇の本名は「カムヤマトイワレヒコ」ですが、神武天皇のみ特に諱(いみな)として「ヒコホホデミ」とあります。

 2代目の綏靖天皇の本名は「カムヌナカワミミ」、3代目安寧天皇は「シキツヒコタマテミ」です。

 この3名の名前を解剖し美称などを取り除きコアとなる部分をえぐり出すと、

 神武 ・・・ ホホデミ
 綏靖 ・・・ ヌナカワミミ
 安寧 ・・・ タマテミ

 となります。

 ところが、これらの最後についている、「ミ」や「ミミ」というのも美称であり高貴な人の名前につくもので、後世になって漢字をあてる際には「美」や「御」が当てられます。

 だいぶ後の6世紀になっても、例えば国造(くにの「み」やつこ)にも付いていますね。

 美称「ミ」が付いていることから、この3名は2から3世紀に実在した人物と考えていいと思いますが、その後の天皇家の人物との系譜関係については本当のところは分かりません。

 さらに、13代の成務天皇の「ワカタラシヒコ」には、まったく本名が含まれておらず、14代の仲哀天皇の「タラシナカツヒコ」も本名がありません。

 称号を取り除くと何も残らないスカスカな名前なのです。

 ですから、この2名は実在しない人物でしょう。

 では、その実在しない人物の事跡がなぜ『日本書紀』に長々と書かれているのでしょうか。

 そういうことを考えるのもまた楽しいですね。

 天皇が実在したかどうかは上記のような方法を含めて多角的に考察していくわけですが、古代史をやうる上で必ず出てくる「姓(カバネ)」というものについて少し考えてみます。

 引き続き、天皇の名前を見てみましょう。

 15代の応神天皇は「ホムダワケ」で、17代の履中天皇は「イザホワケ」、さらに18代の反正天皇は「タジヒノミズハワケ」で、先の12代景行天皇の「オシロワケ」と同様、この時代、つまり4世紀から5世紀の有力者は「ワケ」という称号を名乗っており、まだ列島各地の有力者の力は横並びに近かったのです。

 埼玉県行田市にあるさきたま古墳群に属する稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣には以下の銘文が刻されています。

 【表】

 辛亥年七月中記、乎獲居臣、上祖名意富比垝、其児多加利足尼、其児名弖已加利獲居、其児名、其児名多沙鬼獲居、其児名半弖比

 【裏】

 其児名加差披余、其児名乎獲居臣、世々為杖刀人首、奉事来至今、獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時、吾左治天下、令作此百練利刀、記吾奉事根原也



 どんなことが刻されているのかというと、辛亥年の7月に記すとして、乎獲居(ヲワケ)臣という人の系譜を代々述べた後、ヲワケが代々「杖刀人首」(じょうとうにんのおびと)、つまり守衛の隊長として「獲加多支鹵大王」(ワカタケル大王:雄略天皇というのが定説)が「斯鬼宮」(しきのみや)に住んでいた時、天下を佐治した(大王をサポートした)という経歴が書かれているのです。

 辛亥年は471年というのが定説なので、それを信じるとすると、乎獲居(ヲワケ)臣は5世紀後半の人物で、そこから人物名を遡っていくと、

 ・加差披余(カサハヨ)
 ・半弖比(ハテヒ)
 ・多沙鬼獲居(タサキワケ)
 ・多加披次獲居(タカハシワケ)
 ・弖已加利獲居(テヨカリワケ)
 ・多加利足尼(タカリノスクネ)

 となり、先祖は意富比垝(オホヒコ)で、オホヒコは第8代孝元天皇の子とされる人物で、金錯銘鉄剣が造られたころはすでに列島で頂点に君臨する家系に各地の有力者が系図を繋げようとする系譜意識があったということになります。

 オホヒコを含めた上記7人が本当にヲワケの先祖かどうかは分かりませんが、「ワケ」を称する人物が3名おり、「スクネ」が1名いますね。

 このように4世紀から5世紀の頃は「ワケ」や「スクネ」などが列島各地の有力者の称号で、この当時の日本人にはまだ姓(カバネ)はありませんでした。

 また、以上挙げた、ミ(御・美)やワケ(別)、スクネ(足尼)以外にも、ネ(根)・ヒ(日)、ヒコ(彦)などの称号があり、これらは「姓(カバネ)」が作られる前の段階ということで、「プレカバネ」と呼ばれます。

 ところが、5世紀後半にはヤマトにいた列島の最有力者、つまり天皇家の人物が中国から「倭」というカバネをもらい、また、列島各地の有力者の中から一人だけ突出して「大王(オオキミ)」を称することになります。

 そして列島各地の有力者は、ヤマトの「倭」姓の大王から姓を授けられるようになり立場が相対的に低くなって行くのです。

 ついで、7世紀後半に「天皇」の称号ができてからは、天皇家は姓を持たなくなり、姓をもつ国民とは一線を画するようになり現在に続いています。

 以上、思い付きで古代史の話題を少し述べてみましたが、私は天皇家が万世一系となったのは40代目の天武天皇からと考えており、それ以前の天皇(大王)は世襲ではなく、その時々の政治情勢に応じて柔軟にトップの人間が選ばれたと考えています。

 ですから、聖徳太子が活躍したとされている時代に蘇我氏が日本のトップにいたという考えも全然おかしくないと思います。

 『日本書紀』は非常に価値の高い史料なので、それを熟読しつつ批判しながら活用することにより日本の古代を明らかにする作業はとても楽しいですよ。
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【日本史大戦略】エミシの歴史について再度まとめてみました【東北の古代史】

2016-09-19 13:11:50 | 八王子・東京・西関東の歴史
 私が古代史の勉強を始めたのは実はそれほど昔ではなく、2008年の暮れからです。

 なのでまだ8年くらいなんですね。

 それ以前は城を中心として関東や東北の中世史を勉強していました。

 2008年の暮れに古代史を始めた時に一番関心を持ったのが蝦夷(エミシ)です。

 その後、少しずつ調べて、ある程度まとまった段階でこのブログに「エミシの群像」というコーナーを作り、エミシの歴史について新書版の本の半分くらいの分量を公開していました。

 そしてエミシへの思いが溢れ出して、アテルイのテーマ曲を作ってYouTubeにアップしたのが2012年2月のことです。



 至って私的な動画ですがお陰さまで6000回以上再生されています。

 このようにして地味にエミシを考え続けていたのですが、今年の4月にクラブツーリズムさんと講師契約をした際に、私はエミシの講座を開きたいと思い企画を提出し、無事に3回に渡ってエミシについて沢山の方々の前で話すことができました。

 7月30日(土)「歴旅やじきた楽校」の講座「みちのくの古代史 第1回 古代東北の統治拠点・多賀城の魅力」
 8月7日(日)「古代史Day」の全5講座の中の一つ「律令国家の北進とエミシ ~北東北の古代史~」
 8月27日(土)「歴旅やじきた楽校」の講座「みちのくの古代史 第2回 古代東北の民・蝦夷(エミシ)の謎」

 上記3回の講座で延べ61名の方に聴いてたいただけて、もちろん聴講者全員を楽しませることはできなかったのは私の力量不足で反省しておりますが、一部の方々から好評をいただけたことは大変ありがたく、また東北の古代史(特にエミシ)についてこれだけ多くの方々が関心を持っていることに驚き、未来への展望が明るくなりました。

 勉強を開始したときは、まさか将来、人様に対して発表できるなんて思ってもいませんでしたが、それを実現させていただけたクラツーさんと、命の次に大切な時間を使って聴きに来てくださった皆さんにはとても感謝しております。

 ということで、少し仕事の落ち着いたこのタイミングで一度エミシについてまとめてみようと思い、「日本史大戦略」に以前からアップを再開している「エミシの群像」の原稿を改訂するとともに、新たな原稿をいくつかアップしました。

 ⇒「第1回 はじめに」はこちら

 ⇒「第2回 エミシとは誰か」はこちら

 ⇒「第3回 北東北の古代史」はこちら

 ⇒「第4回 「エミシ」という発音に悪意はあるか」はこちら

 ⇒「第5回 東北差別の根源」はこちら

 ⇒「第6回 上毛野君田道の東北経略」はこちら

 予定では20回は軽く超えると思いますが、ひとまずはここまでです。

 上述の講座にいらした方も復習の意味で読んでみてくださいね。



 私は歴史に対しての興味が多岐に渡っており、一部の人の目には完全にイッちゃってるように見えるようですが、どちらかというと来ちゃってる方で、日本の国家の成り立ちに異様に興味があって、天皇家がどうやって発生して、どのようにして列島支配を達成したのかということを特に気にして勉強しています。

 国家が列島支配を達成させる過程で、最終段階に取りこまれたのが北海道および琉球諸島なのですが、その前段階で東北地方の支配を完了させています。

 ただし、一口に東北地方と言っても、例えば太平洋側に関しては現在の宮城県南部の阿武隈川河口付近から南側は7世紀半ばに日本が律令国家を始動させるより前に朝廷の支配がかなり進んでいました。

 ところがそこより北、つまり今の仙台市辺りより北側は、7世紀後半から少しずつ日本の領内に取りこまれて、岩手県南部で勢力を張っていた豪族の阿弖流為(アテルイ)が降伏した9世紀初頭の時点でようやく岩手県中部までの支配が終わったのです。

 ただこれを知ると驚かれる方も多いのですが、その後岩手県域はまた日本の支配から離れてしまうのです。

 つまり国境が後退してしまったわけです。

 それが12世紀末に鎌倉幕府を創設した源頼朝の手により回復が行われ、鎌倉時代に多くの関東武士たちが東北地方に領地をもらって赴任し、それでようやく青森県までが完全に日本の領内に取りこまれました。

 さて、このような感じのことをずっと調べているわけですが、こういうことをもっと詳しく知りたい方がいらっしゃいましたら、ぜひ来年(2017年)のクラブツーリズムの講座(新宿開催)を楽しみにしていてください。

 まだ公表段階ではないので詳しいことは言えませんが、上述した東北地方の古代史について沢山の講座を開く予定です。

 詳しくはもう少し後の発表になると思いますが、もし気になる方はぜひ、ひとまず「日本史大戦略」の「エミシの群像」を読んでみてくださいね。

 ⇒「第1回 はじめに」はこちら

 ⇒「第2回 エミシとは誰か」はこちら

 ⇒「第3回 北東北の古代史」はこちら

 ⇒「第4回 「エミシ」という発音に悪意はあるか」はこちら

 ⇒「第5回 東北差別の根源」はこちら

 ⇒「第6回 上毛野君田道の東北経略」はこちら

 さて、続きをしよう!









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【クラブツーリズム】「古代の武蔵に思いを馳せる 律令武蔵国の中心地を歩く」を無事に催行しました【歴史ツアー】

2016-09-17 21:48:04 | 八王子・東京・西関東の歴史
 今日はクラブツーリズムが主催した歴史ツアーである「古代の武蔵に思いを馳せる 律令武蔵国の中心地を歩く」のガイドをやってきました。

 これはクラツーさんに一番初めに提出した企画です。

 企画を出したのは4月だったので、5ヶ月経ってようやく催行の日を迎えたわけですね。

 ここのところ秋の長雨が続いており、今日も天気予報では雨だったのですが、曇りときどき晴れといったところで一時的には暑いくらいの天気となりました。

 お天道様に感謝です。

 今日は女性が6名、男性が7名の、合計13名も集まっていただき、ヤマセミさんも駆けつけてくださいました。

 参加者はみなさんおひとり様参加だったようですが、歩いているうちに参加者同士で友達のようになっているのを見て私もとても嬉しかったです。

 私の想像以上に遺跡や博物館の展示に対して皆さんが喜んでくださり、正直これだけのリアクションがあることに驚くとともに案内妙理に尽きると思いました。

 皆さんが楽しそうにしているのを見るのはとても幸せなのですが、あまり満足されていなさそうな方もいたような気がしますので、その辺は反省します。

 国分寺文化財資料展示室の近くでは今日もお友達のメアリーがいたのですが、今日はなんだか素っ気なく、すぐに行ってしまったため撮影を逸しました。





 ↑5月8日に会った時のメアリー

 なにしろ自分が先頭に立って歩き、しかもガイディングレシーバーを使って歩いている最中も何かしら喋っているため、写真を撮る暇が無く、結局撮った写真はお昼に食べた「紅ラーメン」だけです!



 そして終了後はヤマセミさんとたかお食堂で打上げ!



 いやー、でも今日は皆さんと歩くことができてとても楽しかったです!

 参加してくださった皆さん、いつものクラツーのツアーより少し多めに歩かせてしまったようでお疲れのことでしょう。

 今夜はゆっくりお休みください。

 というわけで、今日は一日ありがとうございました!

 さて、今週の火曜日は近ツー八王子で喋り、翌日はリゲインのCMのように24時間戦って、夕べは資料作りのために3時間しか寝れていないこともあり、家に帰って来た途端、気が抜けたというか、どーっと疲れおよび眠気がやってきました。

 あー、でもやり遂げたという充実感・・・

 明日は完全休養日にしようと思います。

 久しぶりに休もう。
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【東国を歩く会】溜まっているものをぶちまけます【第6回歩く日 武蔵府中】

2016-09-15 21:08:25 | 八王子・東京・西関東の歴史
 本日は、少し前にエアコン掃除に行ったお客さんからまたエアコン掃除の依頼があり行ってきました。

 そのお宅には幼稚園に通うおしゃまなお嬢ちゃんがいて、その子がまた良く喋る人懐っこい子なんです。

 作業をしているそばに寄ってきては話しかけてくるので、そのたびにお母さんに怒られるのですが、全然めげない感じです。

 今日訪問したときも、車から降りるとその子が窓から手を振っていました。

 待ってました!という風情ですね。

 そしてお家にお邪魔して、お客さんに「この度もありがとうございます。今日はどちらのお部屋ですか?」と尋ねると「今日は2階の」と言いかけたところで、お嬢ちゃんが「私が教えてあげる!」と言って先頭きって階段を昇っていきました。

 部屋に案内され、養生する前にエアコンの直下の壁にかかっている写真を外していると、「ハワイに行ったの!」と言ってきたので、写真を見てみるとそれらしき場所で撮ったものがあり、そういえば自分の娘も幼稚園のころはこんな表情をして写真に写っていたなあと思い出してしまいました。

 というわけで、お店に帰ってきてからI井さんに「そのお嬢ちゃんが可愛くてねえ」と話したところ、「ダメよー、今度は幼児に行っちゃー」と予想外の返しがあったので、「俺にはそんな趣味ないですよ!しかも”今度は”って、まるで前回もあったみたいじゃないですか!!」と憤慨して退社しました。

 なんか私のことを変態だと勘違いしていませんか?

 プンプン。

 バス停近くの公園にはお友達のマーガレットがいました。



 先日は嵐が丘支店の駐車場にたまに姿を見せるマーティンを紹介しましたが、マーティンもマーガレットも勝手に私がそう呼んでいるだけです。

 もちろん心が通い合っているのでそう呼ぶことができているのです。

 しかし、だいたいいつもこの公園を通るときはバスに乗り遅れないように急いでいるので、マーガレットの写真は撮ったことがありませんでした。



 でもやっぱり、昼間に撮影したいものですね。

 そして昨日は昨日で、朝の2時に起床して、掃除の仕事が終わったのは25時という、往年のリゲインのコピーみたいな一日でした。

 「24時間戦えますか?」



 なんか、戦っている自分が好きなの。

 そんなわけで、最後の現場に行く時は意識が朦朧としていたので、”彼女”を助手席に乗せて何とかモチベーションを保ったわけです。










 今日は”アニキ”じゃないですよ。









 この子です。













 昨日からお付き合いを始めたOLさんです。






 そういえば最近はこのブログの更新がだいぶ滞っていましたね。

 なのでみなさんにお話ししたいことはたくさんあるのですが、さらにあと2点お話しします。

 一つ目。

 一昨日の火曜日は、近畿日本ツーリスト八王子営業所が主催した「八王子の原点を知ろう ~八王子の古代・中世~」という連載講座の第1回である「なぜ縄文人は八王子を愛したのか? ~地形の成り立ちから多磨郡の誕生まで~」を喋ってきました。



 微妙な天気のなか、会場へ足を運んでくださいました方々には改めてお礼申し上げます!

 11名も集まっていただきとても幸せでした。

 皆さん、楽しんでいただけたでしょうか。

 コンテンツは人類誕生の700万年前から西暦700年代までというとんでもない長い時間で、それを1時間半に凝縮したため、テーマは大きく3つに絞ったものの、やはり駆け足気味で一部ちょっと薄くなったところもあったと思います。

 私はわざと質疑応答の時間を設けないので、何か疑問などがありましたらメールでもリアルでもどうぞお声掛けください。

 ちなみに近ツーの八王子営業所では、歴史講座をはじめとして様々な講座を開催しています。

 でもこのこと自体、まだあまり多くの方々に知られていないようですね。

 なので、もしJR八王子駅から京王八王子駅へ向かう、「放射線Iロード」沿いにある近畿日本ツーリスト八王子営業所の前を通りかかったときは、お気軽に寄っていただいて店内のチラシをお手に取ってみてください。

 って、「お店の人じゃないのに”お気軽に寄って”とか言うなっ!」とか怒られそうですが、怒られてもそれくらいで怯む私ではありません。

 次回の第2回は中世編として「中世武士が八王子の残したものとは? ~八王子をめぐる中世武士の興亡史~」というタイトルで喋ります。

 日時は、

 ・10月4日(火)

 ・14:00~15:30

 で、受講料は1300円です。

 興味のある方は私に直接でもいいですし、近畿日本ツーリスト八王子営業所内のクラブツーリズム専用カウンター

 042-656-5852

 までお問い合わせください。

 そして最後にもう一点。

 話はさらに遡ります。

 というか、これが本題です。

 先日の日曜日(9月11日)は、私たち「東国を歩く会」の「第6回歩く日 武蔵府中」を催行しました。

 天気予報では雨だったのにも関わらず、最後まで天気が持ったことは、私たちが天候をもコントロールできるエスパー集団であることの証左であるかと思います。

 その能力はすでに清田少年はおろか、ユリ・ゲラーをも超越しているようです。

 簡単で恐縮ですが、今日もザッと歩いた場所を復習したいと思います。

 8時半、京王線の東府中駅に集合!


 【1.国府八幡宮】


 最初は国府八幡宮へ。

 左側の古風な門は鳩林荘(きゅうりんそう)という某企業の所有地で、右手に見える細い路地が八幡道と呼ばれる古道です。



 そこを歩いて行くと右手に国府八幡宮の社地が現れます。




 ⇒「日本史大戦略」の国府八幡宮について詳しく書かれているページはこちら!


 私が各地にある八幡神社の勧請元がすべて宇佐八幡というわけではないということを話すと、さくみやさんの今日の名言が飛び出ました!

 「嘘八幡」。

 ついで鳩林荘の門まで戻り、ハケを下り、鳩林荘の庭園を伺いつつ東京競馬場の前を歩きます。



 お馬さんを祀っているんですね。



 天神坂からまたハケの上に向かいます。



 日吉神社。



 そして坂の名前の元になっている天神社。



 天神というと菅公さんが祭神として祀られていることが多いですが、ここは式内社の大麻止乃豆乃天神社の論社の一つで、祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)というバリバリのヤマトの神です。

 ちなみにこれから行く大國魂神社や御嶽山神社なども論社です。

 はい、京所道(きょうずみち)に出てきました。




 【2.武蔵国府跡】


 向かう先には大國魂神社の鳥居が見えていますが、その前に武蔵国府跡へ。



 ミニ展示室を見学。




 ⇒「日本史大戦略」の武蔵国府跡について詳しく書かれているページはこちら!


 展示室を出ます。

 お、これは良いイヴェントだね!



 こっちも!




 【3.馬場大門のケヤキ並木】


 天然記念物の馬場大門のケヤキ並木。



 いえーい、八幡太郎!




 ⇒「日本史大戦略」の馬場大門のケヤキ並木について詳しく書かれているページはこちら!


 【4.大國魂神社&ふるさと府中歴史館】


 そしてようやく大國魂神社に。



 古木が素敵なの。



 この地の古代史の鍵を握っている気がする大國魂神社の摂社・宮之咩(みやのめ)神社。



 随神門をくぐる前に、府中ふるさと歴史館を見学します。



 CGで国府を歩けるこの装置は面白いよ!

 

 アニメーションを見ていたら酔いそうだという感想も・・・

 府中ふるさと歴史館は前回訪れた時よりも展示がパワーアップされて、思っていたよりも見応えのある施設になっていました。  


 ⇒「日本史大戦略」のにふるさと府中歴史館について詳しく書かれているページはこちら!


 大國魂神社境内に戻ります。



 みなさん、本当に好きね!



 さらにそれを助長する摂社の松尾神社。



 お酒の神様なんです!




 ⇒「日本史大戦略」の大國魂神社について詳しく書かれているページはこちら!


 【5.武蔵国司館跡および徳川家康御殿跡】


 参拝客で賑わう大國魂神社を出て、武蔵国司館跡および徳川家康御殿跡を見学(あ、写真撮るの忘れた!)


 ⇒「日本史大戦略」の武蔵国司館跡および徳川家康御殿跡について詳しく書かれているページはこちら!


 あーあ、なんてこったい。

 とても残念な感じのコピー。



 競馬をやった後は今度はパチンコですか?

 他にやることはないのかなあ?

 まあそんな他人のことはどうでも良く、ここからしばらく歩いて12時少し過ぎに府中市郷土の森博物館に到着。


 【6.府中市郷土の森博物館】


 まずは腹ごしらえということで、館内喫茶店チームやお庭でお弁当チームなどに分かれます。

 私とヒラさんは「ラーメン」という幟につられて休憩施設の1階にあるラーメン屋へ。

 そうしたら、本日初参加のこやまさんもいらして、3人でラーメン!



 シンプルな醤油ラーメンは500円です。

 でもスープにコクがあってなかなか美味いよー。

 国衙だけに「コクが」・・・

 ヒラさんはスープを飲み干します。

 昼食後集合して、まずは皆で博物館の常設展を見学します。

 でかい太鼓!



 でもここでの一番の目玉はやっぱり国府のジオラマだと思うのです。



 最初はみなさんで固まって見ていましたが、そのうちバラケ始め、ついに私は展示解説員の方と話しこんでしまいました。

 そこにS源寺さんも加わり、かなり長い間話していると、ヤマセミさんが「そろそ時間だよ」とやってきて、部屋の外に出ると待ちくたびれたみなさんがソファーに座ってうなだれていました。

 うわーっ、ガイドが自分勝手な行動をしたーっ!

 皆さんスミマセン!

 私は企画展をまだ見ていなかったので、お庭を散策する皆さんはヤマセミさんに任せ、企画展を見た後皆さんを追いかけます。

 しかし見つからない。

 はぐれました・・・

 まいまいず井戸!




 ⇒本ブログに府中市郷土の森博物館のレポートがあります!


 そしてようやく皆さんと合流、今度は府中駅方面へ向かって歩き出します。


 【7.三千人塚】


 三千人塚。


  ⇒「日本史大戦略」の三千人塚について詳しく書かれているページはこちら!


 【8.国鉄下河原線廃線跡】


 国鉄下河原線の廃線跡を歩きます。




 ⇒「日本史大戦略」の国鉄下河原線廃線跡について詳しく書かれているページはこちら!


 【9.坪の宮】


 そして大國魂神社の境外摂社である坪の宮に到着。




 ⇒「日本史大戦略」の坪の宮について詳しく書かれているページはこちら!


 【10.高安寺】


 古刹高安寺!

 私はお寺の建物の中で好きなのは本堂よりかは薬師堂とか観音堂です。

 こちらは観音堂。



 そしてそれにも勝るとも劣らないくらい好きなのは門!



 素晴らしい山門。

 私は「門マニア」なんです。

 アニキもいますよ!

 「阿」アニキ。



 「吽」アニキは、先日車の助手席に乗せてドライブしました。



 (あとで、いとうさんから「高安寺のはアニキは色白でしたね」と感想が来ました。)

 山門にはこんな彫刻も。



 山門を内側から見ます。




 ⇒「日本史大戦略」の高安寺について詳しく書かれているページはこちら!


 【11.高札場】


 そして本日最後の高札場。



 中は大國魂神社のお祭りの時に神様が休憩する御旅所になるよ。



 はい、これで本日の府中歩きは終了!

 本日の参加者(五十音順)。

 ・いとうさん
 ・いなもち
 ・S源寺さん
 ・おおもりさん
 ・きしもとさん
 ・こばやしさん
 ・こやまさん
 ・さくみやさん
 ・スーさん
 ・ヒラさん
 ・ふみこさん
 ・makotoさん
 ・ヤマセミさん

 以上、13名!

 こやまさんは記念すべき初参加で、S源寺さん・さくみやさん・makotoさんは今のところ「歩く日」皆勤賞です!


 【打上げ】


 そして打上げはこちらの「番場屋」です。



 17時から予約を取っていたのですが、計ったように17時ピッタリにスタートできました!

 「番場屋」は、いとうさんお薦めの店で、街道沿いのお宿の雰囲気バッチリのとても居心地の良いお店ですよ!



 寿司とか天ぷらとか茶碗蒸しとか・・・

 私にとっては大変なご馳走でとても美味しい~。

 (トイレがなかなかユニークだったのですが、どんな風だかは実際に行ってみてください!)

 打上げ参加者!

 ・いとうさん
 ・いなもち
 ・S源寺さん
 ・きしもとさん
 ・さくみやさん
 ・スーさん
 ・ヒラさん
 ・ふみこさん
 ・makotoさん
 ・ヤマセミさん

 以上、10名!

 この打上げ参加率の高さが「東国を歩く会」の特徴でもあり、暑い日は昼から缶ビールを片手に歩ける会ですので、必然的に飲むのが好きな方が集まってしまいました。

 何しろ、沢山歩いた後のビールは最高ですからね!

 ちなみに皆さんの万歩計を見ると、だいたい1万7千歩くらいでしたので、ちょうどいい散歩という感じですね(私ひとりだと4万歩以上歩くことがあります)。

 さらにこの後、

 ・いなもち
 ・S源寺さん
 ・きしもとさん
 ・ヤマセミさん

 の4名でいつものごとくたかお食堂に行きましたが、私とヤマセミさんは寝ちゃってましたね。

 S源寺さんときしもとさん、元気ですねえ。


 【次回予告!】


 というわけで、次回の歩く日は10月9日(日)にやります。

 内容は拝島スタートでゴール未定の玉川上水歩きです。

 すでに何名かの方からは参加表明をいただいていますが、今回も限定10名ですのでお早めに参加表明をください。

 もちろん、今まで参加されたことが無い方も大歓迎ですので、上のレポートを読んで私たちと歩いてみたいと思った方はどうぞご連絡ください。

 さて、明後日の土曜日はクラツーで国分寺&府中ツアーをガイドするので、これからその準備に入ります。

 しかし今回もまた準備は一夜漬けになりそうな予感。
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「日本史大戦略」内にある府中市内の歴史スポットの記事を更新しちゃったの

2016-09-09 06:27:45 | 八王子・東京・西関東の歴史
 最近は音楽関係の投稿が連続しているので、「稲用さんは歴史を廃業したのかなあ」と心配されると思いますが、いや、誰もそんなことは思わないと思いますが、今日は歴史ネタです。

 今度の日曜日は、東国を歩く会主催「第6回歩く日 武蔵府中」が開催されることもあり、私が制作している「日本史大戦略」というホームページ内の関連するページをチョロッと更新しました。

 ■馬場大門のケヤキ並木 ・・・ 江戸時代の街路樹の面影を残す佇まい



 ⇒「日本史大戦略」内「馬場大門のケヤキ並木」のページはこちら


 ■多磨寺跡 ・・・ 古代多磨郡の有力者が建立した郡寺



 ⇒「日本史大戦略」内「多磨寺跡」のページはこちら


 ■大國魂神社 ・・・ 都内でも最古級の伝統を誇る武蔵国の総社



 ⇒「日本史大戦略」内「大國魂神社」のページはこちら


 ■武蔵国府八幡宮 ・・・ 国府を守護する神



 ⇒「日本史大戦略」内「武蔵国府八幡宮」のページはこちら


 ■武蔵国府跡 ・・・ 律令国家の武蔵国における統治拠点



 ⇒「日本史大戦略」内「武蔵国府跡」のページはこちら


 ■ふるさと府中歴史館 ・・・ 武蔵国府について知りたければまずはここへ!



 ⇒「日本史大戦略」内「ふるさと府中歴史館」のページはこちら


 ■称名寺 ・・・ 「平将門の乱」時の武蔵介・源経基の居館跡と伝わる寺



 ⇒「日本史大戦略」内「源経基館および称名寺」のページはこちら


 ■高安寺および高安寺塁 ・・・ 鎌倉公方代々の大本営



 ⇒「日本史大戦略」内「高安寺および高安寺塁」のページはこちら


 ■国鉄下河原線廃線跡 ・・・ 東京競馬場へのアクセス手段として活躍した国鉄下河原線




 ⇒「日本史大戦略」内「国鉄下河原線廃線跡」のページはこちら


 ■坪の宮 ・・・ 出雲系の无邪志国造を祀る古社・坪の宮



 ⇒「日本史大戦略」内「坪の宮」のページはこちら


 ■三千人塚 ・・・ 分倍河原の合戦で討死した3000人を葬ったというのは事実か?



 ⇒「日本史大戦略」内「三千人塚」のページはこちら


 ■分倍河原古戦場跡 ・・・ 鎌倉幕府滅亡!



 ⇒「日本史大戦略」内「分倍河原古戦場跡」のページはこちら


 以上の歴史スポットについては、ほとんどが日曜日に訪れる予定です。

 なので、当日参加される方は、上のページをご覧になって予習するのも良いと思いますが、HPを読んだからもう行った気になって当日来ないとかそういうことは無しですよ!

 逆に全く予備知識が無い状態で歩くのも楽しいので、そっち派の人は予習せずにいらっしゃってください。

 また、まだ参加表明をしていないけど参加したくなった方は今からでも間に合うのでご連絡くださいね。

 もちろん今まで「東国を歩く会」に参加されたことが無い方でもウェルカムです。

 それでは支度して掃除に行ってきます。

 今日は午前と午後、それぞれエアコン1台ずつなので超楽です♪

 帰ってきたらまた歴史をします!


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