日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【相模古代史紀行 その5】相模国内で最大規模の前方後方墳・塚越古墳【平塚市】

2017-04-30 22:56:55 | 八王子・東京・西関東の歴史
 昨日横浜を出港したお船は、今日は終日航海をして明日の早朝に高知港に着く予定です。

 洋上にいるとスマホが繋がらないので、今日は一度も妻の声を聴くことができませんでした。

 そんなわけで今日はお掃除から帰ってきた後、ひたすらブログの記事を書いていましたよ。

 この記事で4本目です。

 一日に記事を4本もアップするのは珍しいですよ。

 明日もお掃除だし、そろそろヴェリーと寝ようかな。

*     *     *


 平塚市博物館を見終えた時点で、時刻はすでに14時半。

 当初はこの次は大磯の相模国総社を見てから秦野市の桜土手古墳を見て、最後に海老名市内の国分寺と国分尼寺、さらに秋葉山古墳群を探訪する予定でした。

 でも今日はこれ全部は無理だなあ・・・

 しかも、さきほど平塚市内の塚越古墳の展示を見てしまったので、実物を見てみたくなりました。

 ということで、大磯町と秦野市は今日は諦めて、塚越古墳を見て海老名市内を探訪して帰ることにします。

 カーナヴィに塚越古墳の大体の住所をセットして出発。

 同じ平塚市内ですが、今いる中心地からやや遠いようです。

 途中、大山がよく見えるミニストップでおやつを買って、15時10分に塚越古墳に到着。

 意外と遠かった。

 おっと、ここは駐車場が無いね。

 そんなわけで何とか止めれる場所を見つけ、さっそく古墳探訪だ。

 この上ですね。



 あ、こういう案内板は素敵。



 バス停の名前も「塚越古墳」だーっ!



 テンションが上がってきたよー。

 俗に言う「古墳に興奮」状態。

 階段を上がるとありました!



 後方部の裾から前方部を見ます。



 説明板がありました。



 さきほど訪れた平塚市博物館の解説もご覧ください。



 前方後方墳ですよー。

 大好きな初期の古墳です。

 前方部の方へまわり、前方部の裾から後方部を見て「くびれ」を確認。



 古墳で最もセクシーな箇所である「くびれ」は今一かな。

 でも、そもそも前方後円墳の方が「くびれ」が綺麗なんですよね。

 前方部の墳丘に上がり後方部を見ます。



 実はこのアングルも古墳によってはかなりセクシーなんですが、塚越古墳は大人の色っぽさはあまりないですね。

 つづいて後方部の墳頂へ上がると、五輪塔とか石仏とかそのようなものが散乱していました。



 後方部から前方部を見下します。



 平塚市博物館の解説にも書いてある通り、塚越古墳は古墳時代前期に築造された全長48mの前方後方墳です。

 関東地方の場合は、古墳を築造する有力者のグループによっては当初、前方後方墳のデザインを採るケースが結構多いです。

 ただ、例えば栃木県の那須地方など、一部の地域を除いてそれ以降は前方後円墳に変更になっているので、前方後方墳はだいたい古墳群のなかに1基だけだったりします。

 塚越古墳は古墳群を形成していたのかなあ?

 博物館のジオラマをもう一度見てみます。



 このジオラマでも古墳からの眺望が優れていることが想像できますが、実際はこんな感じです。

 と言っても、もちろん現在の風景なのですが、まずは信仰の山・大山方面。



 ここから時計回りに少しずつ方角を変えて見てみます。











 という感じで一周しました。

 塚越古墳の存在は博物館で初めて知ったのですが、来てよかったです。

 素晴らしい雰囲気の古墳ですね。

 ここでお弁当食べるのもよさそうです。

 おっと、もう15時20分だ。

 海老名市内へ急ごう。
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【相模古代史紀行 その4】古代史好きや「岩石」好きには堪らない平塚市博物館

2017-04-30 20:44:26 | 八王子・東京・西関東の歴史
 相模国府跡の有力推定地の説明板を撮影してほくそ笑んだあとは、平塚市博物館を目指します。

 説明板の場所からは車で10分ほどで到着です。



 国府関連の展示があるようなので楽しみだよー。

 入館は無料ですね、素晴らしい。

 3階館の建物で、3階にはプラネタリウムがあります。

 歴史系と天文系を合体させている博物館は結構見かけますよ。

 まずは1階の常設展示から見ましょう。

 平塚市博物館は「相模川流域の自然と文化」がテーマなのですが、壁面には相模川流域の図が。



 私が馴染みのあるのはこの地域♪



 フロア中央にはジオラマが!



 いいねえ。

 こういうの大好き。

 私が住んでいる地域はこの辺。



 こういうジオラマってずーっと見ていられるんですよね。

 でも今日は程ほどにします。

 今度は縄文人の暮らし。



 天井から吊るしてある鮭の燻製、うまそー。

 縄文人って結構豊かな食生活を送っていたんですよ。

 冷えたビールはありませんが、酒はすでにあったのではないかと思っています。

 今度は塚越古墳とその周辺のジオラマ。



 古墳時代になると低地には水田が発達していますね。

 私はなんとなく、高台にある古墳は麓に住んでいる民が常に仰ぎ見ているものだと思っていました。

 でも、考えてみれば山の斜面の木々はこのジオラマのように伐採しないと思うので、そうすると普段は麓から古墳は見えないんですね。

 そうすると、何かの祭りのときに山を登って古墳へ行った際、「木々を抜けて登り切るとそこに巨大な墳墓が突如として出現する」というストーリーになるわけです。

 これはこれで、住民にとっても非日常的な体験で、権力者への畏敬の念が高まったのではないかと思いました。

 おっと今度は近世の古民家が。



 建物の中に建物を移築しちゃったわけですね。

 こんな感じで1階の展示は非常にヴィジュアルに訴えかける俊逸なものばかりです。

 上で紹介したもの以外にも例えば平塚宿の展示などもあり、なかなか楽しい博物館ですよ。

 1階をグルッと回ってきて気付いたのですが、ここにはボランティアガイドの方が常駐されています。

 時間があればゆっくりとマンツーマンで教えていただきたいのですが・・・、うーん、残念ですが今度にしよう!

 1階には特別展示室もありますが、2階へ上がります。

 1階はさきほど言った通り、比較的大きなジオラマなど、見た目的にインパクトがあって楽しい展示が並んでいましたが、2階は考古遺物などを並べるオーソドックスな造りです。

 大好きな古道!



 考古遺物の展示はいくつかのコーナーに分かれています。

 相模国府!



 さきほど見てきたとおり、平塚市に国府があったことはほぼ確定と言っていいでしょう。

 ただし、国府は二遷か三遷しています。

 縄文時代!





 そして、祭祀の展示では縄文時代と古墳時代の祭祀遺物を展示してあります。



 平塚駅西口で見つかった、約2000年前にその時点で樹齢300年ほどだったタブノキが展示してあります。





 これはこれで貴重ですし、海岸線の変遷も解明できて楽しいですね。

 古代東海道の展示もあり、この説明はとくに重要だと思うので写真を載せちゃいますよ。



 2階では活断層や地盤の解説も充実しています。

 ところで、私は興味は薄いのですが、2階の一番の目玉は実は「石」じゃないかと思いました。



 このディスプレイは綺麗ですよー。



 黄色い石があるんですね。



 これ以外にも石が沢山展示してあるので、こういうのが好きな方は楽しめるんじゃないでしょうか。

 ぜひ足を運んでみてください。

 床に貼られたこういう地図も好き。



 というわけで、なかなか充実した内容でした。

 平塚市博物館は嬉しいことに写真撮影OKなのですが、さすがにこれ以上写真を載せるのはこれから来訪する方の楽しみを殺いでしまうかなと思うのでこの辺でやめにしておきます。

 上で紹介した以外にもまだまだ展示があり、ここはとってもオススメできる博物館ですよ!

 ヤバい、もう14時半だ。

 まだ見たい場所は沢山あるんだ。

 急ごう。

 ⇒このつづきはこちら
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【相模古代史紀行 その3】相模国府はどこにあったのか?

2017-04-30 18:25:46 | 八王子・東京・西関東の歴史
 妻が家にいない寂しさを紛らわすために軽度のアル中人間が取る行動は、やはり酒です。



 日中、掃除をしていると義母から携帯にメールがあって、私が「寂しい」と返信すると、義母は「寂しさの後には楽しみがあるよ」と励ましてくれました。

 優しいお義母さんです。

 ちなみにこの一番搾りは私がビール好きだということを知っている義母から頂いた物ですよ。

 早く妻と酒を飲みたいなあ、と思いつつ、昨日の相模古代史紀行の続きをお伝えします。

*     *     *


 図らずも遭遇した前鳥神社に少し時間を使ってしまいましたが、相模国府の有力候補地に設置してある説明板を見つけに雷電號を巡航させます。

 その場所には地表面で確認できる遺構や復元された物などは一切なく、説明板だけが建っているようなので、その写真を撮ることができれば満足するでしょう。

 大体の場所は事前にWebで調べてあります。

 ただ、大きな通りなので説明板の前に路駐は無理ですね。

 目的地に近付いてきたので、近くに止めるところは無いかなあ?と留意しながら操縦していると、ちょうど良くヘブンがありました。

 ・・・そういえば昼ご飯食べていないなあ。

 ついでに昼を食べよう。

 昔は城跡探訪のために地方へ行くと昼飯もできる限りこだわって、例えば海沿いだったらウニ丼を食べたりしていましたが、今は今日みたいに一人で行動する場合はコンビニで全然構わなくなりました。

 ゆっくり食べている時間があるのなら一つでも多くの史跡を見たいですし、また豪勢なものを食べるお金がない!

 なので、今日みたいに歴史めぐりでちょっと遠くへ来ていても、いつも掃除の仕事で多摩地域を回っているときに食べているものと同じようなものを食べるわけです。

 それでも、コンビニには美味しいものが沢山ありますから、好きなものを食べられるだけで幸せですね。

 お腹一杯になった後は、徒歩で現地へ向かいます。

 説明板のあるのはこの先の交差点のはずだが・・・



 事前の調べでは、「高林寺入口」という交差点の近くに立っているようです。

 近接してみると、それらしいものが見えました。

 横断歩道を渡り確認すると、ありました!

 見たかったのはこれです!



 説明板が立っている場所はこんなロケーション。



 645年の乙巳の変(いっしのへん)から続く一連の政治改革のことを「大化改新(たいかのかいしん)」と呼ぶのですが、大化改新は日本の歴史の中でも明治維新と並ぶほどの極めて重要な画期と位置づけられます。

 とくに私たちの住む東国はこれ以降、かなり社会が変わりました。

 蘇我政権に代わって新しく発足した孝徳政権は、地方の統治を今までになく強めるように施策し、とくに今までほとんど野放しに近かった東国の支配を格段に推し進めようとしたのです。

 孝徳政権は中国の律令(りつりょう)という法律を元に日本流にアレンジしたものを基本として新たな国づくりを始めました。

 なので、これ以降の古代日本を「律令国家」と呼びます。

 律令国家は列島中を60余の「国(くに)」という行政区画に分けたのですが、その中心地、すわなち今で言う県庁所在地のことを国府(こくふ)と呼んでいます。

 私が今探訪している神奈川県の大部分(川崎市と横浜市の大部分を除く)は、相模国(さがみのくに)と呼ばれていたのですが、その国府がどこにあったのかは、まだ決定的な遺跡が見つかっていないので確定が難しいのです。

 国府擬定地に関しては、

 ・国分寺があった海老名市内
 ・総社があった大磯町
 ・上の説明板の通り、「国厨」の墨書土器が見つかった平塚市のここ

 という3箇所が有力とされており、最初は平塚市にあったのがその後大磯町に移ったという意見が多いような感触を持っていますが、私はまだ相模国府の研究は始めたばかりで知識は薄弱なものの、「海老名→平塚→大磯」の三遷説が魅力的に感じます。

 もちろん今後の研究によって手のひらを返すことがあるかもしれませんが、現状の浅い知識の上ではこのように考えています。



 そういえば以前は、「国厨」と書かれた土器が見つかったからここに国の厨(厨房)があった、というような考えはおかしいと思っていました。

 例えば、私が自分の部屋で「消防署」と食器に書いたとして、それが100年後見つかったとしてもここには消防署はありませんでしたよね。

 なんてふうに考えて、「信用ならない」と思ったこともあったのですが、日本各地の国府や郡衙(国の下の郡の役所)から発見される遺物をたくさん知った結果、上述のような考えは屁理屈だということが分かりました。

 もちろん土器は移動するので、「国厨」と書かれた土器が見つかったからと言って、そこに国府があったと単純に決めつけるのは危ないですが、それ以外に見つかる土器やその他の証拠を考えて、学者の方々がそう言っているのですから信じてもいいかなと思います。

 さて、次は平塚市博物館へ行きますよ!

 ⇒このつづきはこちら
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【相模古代史紀行 その2】相模国大住郡に鎮座まします式内社・前鳥神社

2017-04-30 14:41:56 | 八王子・東京・西関東の歴史
 妻をこの家に迎え入れてから早いものでもう3ヶ月くらいになりますが、この間、私が歴史の仕事をほぼ徹夜状態でするときと、ケンカをしたあとに一緒に寝るのが気まずいとき以外は妻とヴェリーと私の3人(あ、ヴェリーは人じゃないので「3体」とします)で寝ているわけですが、昨晩は同居してから初めて妻がいない夜だったので、ヴェリーと「寂しいねー、一週間我慢しようねー」と話しながら2体でセミダブルのベッドを広々と使って寝ました。

 3体のなかでいつも一番堂々とスペースを確保して寝るのはヴェリーで、私も妻も身動きができない状態なのですが、ベッドのマットの質が良いためか、その原因は分からないものの、自分の部屋に敷いてある布団に一人で寝るよりも良く眠れるし疲れも取れます。

 さてそんなわけで、一夜あけて私は5時半に自然に起床。

 ヴェリーは私が起きたのにも気づかず、ベッドを独占してまだスヤスヤと寝ています。



 ヴェリーはお寝坊さんなので7時20分くらいまで寝ていましたが、起きると今度は私の部屋にやってきて、朝から歴史の仕事をしている私の後ろでまた寝ちゃいました。


 
 それでは昨日のレポートの続きです。

*     *     *


 大さん橋で妻を見送ったあとは、平塚市博物館をカーナヴィにセットして巡航、まったく未知の場所なのでどこを走っているか分かりません。

 そうしているうちに大きな川を渡りました。



 相模川ですね。

 私は川を眺めるのが好きなのですが、相模川もなかなか良い雰囲気ですね。

 右手前方には大山が見えます。



 この橋は神川橋という名前でした。

 橋を渡って寒川町から平塚市に入ったようです。

 ナヴィには博物館をセットしていますが、実はその前に相模国府の有力推定地に立つ説明板の写真を収めようと考えています。

 だいたいの場所は分かっているのでそれを目指して走っていると、不意に「相模国四之宮」と書かれた看板が目に飛び込んできました。

 しかも「式内社」とも書かれています。

 式内社と聞いたら黙って通り過ぎるわけには行かないですね。

 現場へ急行します。

 看板が指し示す方向に雷電號を進ませていくと、前鳥(さきとり)神社の境内が見えてきました。

 駐車場があるのでそこに駐車。

 さっそく探訪してみましょう。

 境内に入るとすぐに説明板がありました。



 古代で「鳥」というと私はすぐにヤマトタケルを連想するのですが、前鳥神社の祭神にもいらっしゃいますね。

 さきほど訪れた寒川神社はお宮参りの参拝客も多く賑やかしい雰囲気でしたが、こちらは静かな感じでこれはこれでいいです。

 まずはメインの鳥居を見てみます。



 あ、でもこの鳥居は一の鳥居で、参道の先にはもう一つ鳥居が見えていますね。



 おー、良い木です。



 カメラに収まりきれませんが、樹齢300年の欅(ケヤキ)です。



 神社の雰囲気を決めるポイントはいくつかあると思いますが、私的には古木や大樹があるのは絶対条件です。

 こっちにはもっと詳しい由緒書きがあります。



 社殿。



 額はありませんでした。

 境内神社を見てみましょう。

 まずは祖霊社。



 つぎに奨学神社。



 その名の通り学問の神様です。

 そして神戸(ごうど)神社。



 「神戸」というのは気になる名前です。

 有名な地名で兵庫県には神戸(こうべ)がありますね。

 歴史用語としては神戸と書いて「かんべ」と読み、神社を援助するために神社の所有物として認定された人びとのことをいいます。

 ただ、同じ字を書いても「ごうど」と「かんべ」の2種類の読み方があるのはなぜでしょうか。

 「ごうど」の場合は「強戸」と表記する場所もありますが、これらの関係についてまとめてみたいです。

 さて、境内には参詣者は私を含めて3名ほどしかおらず、あとは何かイヴェントごとの準備のためか、近所の方々らしき集団がいるだけです。



 なお、鳥居は駐車場側の道にも立っており、その先の直線道路も非常に気になります。



 あー、もう13時になる、まずい。



 そういえば昼飯も食べてないなあ。

 とりあえず、次へ行きます。

 ⇒このつづきはこちら


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【ダイヤモンド・プリンセス】おふねもじんじゃもおっきかったの【相模国一宮寒川神社】

2017-04-29 23:06:40 | 八王子・東京・西関東の歴史
 本日4月29日、ついに妻は大きなお船に乗って旅立ってしまいました。

 大きなお船に乗る妻を送るため、7時過ぎには雷電號のトランクにスーツケースを積んで横浜の大さん橋へ向かったのです。



 我が家から横浜へ行くには車の場合は下道も高速もそれほど良い道は無く、10時までに行けばいいということだったので下道を使って行きます。

 大さん橋にほど近いところには、昨年の12月24日に一緒に行ったシルク博物館があります。



 ↑シルク博物館(2016年12月24日撮影)



 ↑シルク博物館で富岡製糸場のジオラマを見る妻(2016年12月24日撮影)

 そして大さん橋に着いたのはちょうど9時です。

 まだ待ち合わせ時間まで少しあるので、駐車場に雷電號をとめて、二人でちょっとプラプラしてみます。

 駐車場からターミナルへのゲート。



 薄暗いターミナル。



 あ、この吊るしてあるお船が妻が8日間お仕事をする船だね。

 ターミナルの入口はこんなふう。



 さっき駐車場に入るときにお船が停泊しているのが見えたので、それを見に行こう。

 うわー、でかー。



 ヤバイっすね、このお船。



 Princess Princessの往年のヒット曲とは関係ありません。



 なんか、いろいろなところで見かける風景があるよ。



 おっと、ターミナルの屋根には芝生が張ってあるみたい。



 ところで、この歩く部分はこのように木の板が張ってあるのですが、これが問題なのです。



 ヒールだと隙間に挟まる!

 2度も挟まってしまったのできっとまたやるだろうと虎視眈々と撮影の機会をうかがっていたのですが、思った通りまたもや挟まり、まんまと撮影に成功しました。



 平均台の上を歩くように注意深く歩かないとダメですね。

 という感じでプラプラしていると、妻の同僚のMさんご家族と会いました。

 Mさん自身は乗船しないのですが、ご家族がお客さんとして乗船するということでお見送りに来たそうです。

 そのMさん家族が記念写真を撮ろうとしたところ、妻がすかさず「私がお撮りしましょうか?」と声を掛け、お船をバックにMさん家族の写真を撮ってあげました。

 妻は写真撮影ツアーの部署にもいたことがあり、私なんかよりカメラに詳しく、一緒に出掛けると妻は知らない人にでも声を掛けて撮影をしてあげるシーンをよく見ます。

 自身から買って出る人なんか稀ですから、人助けになって偉いなあと思います。

 まあ、そんなことを思いつつ、私は写真を撮っている妻を撮って喜んでます。


 あれ、何の話でしたっけ?

 そうそう、私はお船に乗る妻を見送りに来たんでしたね。

 ※今日から一週間くらい妻と会えないために寂しさの余りたくさん妻の写真を張り付けてしまった私は本当に心の弱いダメな男です。

 さて、9時45分になり、妻はそろそろ集合場所へ行くということで私は涙を流しながら(イメージ)見送りました。

 そんなわけで、船出する妻に陸に置いて行かれた私は、今日は雷電號を駆って一日歴史めぐりをしようと思っています。

 せっかく横浜まで来たわけですから、相模国方面の歴史めぐりをしますよ。

 と言っても、横浜市の大部分は武蔵国ですけどね。

 さてそれでは、本日の一発目として、相模国の一の宮である寒川町の寒川神社へ向かいます。

 今度も下道で行きますよ。

 走り出してほどなく、信号で止まると左前方に説明板のようなものが見えました。



 何だあれ!?

 本陣だと!



 横がコインパだったので一瞬車を止めようか考えましたが、今日は素通りにします。

 今日は土曜日ということもあり、道路は結構混んでいて、なおかつ雷電號に搭載しているマツダの純正ナヴィは無難な大きい道を示して、近道とかを教えてくれないのです。

 ですから、地図を見て自力で探そうとするのですが、変に冒険して引っかかってしまっても嫌なので、大人しくナヴィの指示に従って走ります。

 結局、大さん橋から1時間45分もかかって、11時半に寒川神社に到着。

 しかも結構参拝客が多いようで、第1と第2の駐車場に入れず、第3駐車場へ誘われました。

 では、探訪開始!

 駐車場を出て横っちょから境内に入ると、いきなりでかい建物が現れました。



 でもこれは社務所なんですね。

 さっきのダイヤモンド・プリンセスもでかかったけど、寒川神社の社務所もでかい。

 左をみると門がありました。



 門をくぐると拝殿です。



 おー、広々としていますねー。

 一旦戻ります。

 門から参道を見ると遠くの方に鳥居が見えます。



 実は寒川神社の下調べはまったくしてきていないので、予備知識はゼロに近いのですが、この神社の参道は長そうな予感がします。

 あ、それはそうと、由緒書きを探そう。

 あった。



 相模国の一宮ですよ。

 と、それも重要ですが、祭神をご確認ください。

 祭神となっている寒川比古命と寒川比女命は、もしかするとヤマトの勢力がこの地に完全に定着する前に相模川流域を治めていた王とその妃かもしれませんよ。

 「さむかわ」と「さがみがわ」は何となく音が似ていて、「さがみ」は「さがむ」と呼んだかも知れず、そうすると、「さむかわ」というのは「さがむかわ」のことかなあなんて思います。

 ところで、古代国家の国司は赴任してくるとまっさきにその地域の神様にご挨拶をして回ります。

 私も今後相模国の歴史調査を本格的に実施するに当たり、一宮に詣でたのは至極自然なことなのです。

 おや、道路を挟んだ向こうには小さな神社がありますね。



 寒川神社の末社である宮山神社です。



 元々この辺りに合った神社を合祀したようですね。



 ではもう一度寒川神社の境内へ戻ります。

 鳥居まで来ました。



 まだまだ参道は続いていますね。



 もう少し境内を散策。









 気が済んだので次へ行きましょう。

 駐車場へ戻ると、大山がよく見えるじゃないですか。



 私が普段お掃除の仕事でグルグルと多摩地域を周っていると、西側に見える山並みの一番南側にある目立つ山が大山なので、私にとっても実は馴染みがある山なのですが、ここ相模ではさらにポピュラーな感じがします。

 では、雷電號のナヴィにはとりあえず平塚市博物館をセットして駆動開始。

 先ほどの参道を走っていると、もう一つ鳥居がありました。

 しかもでかい。



 そして参道はまだ続いている模様です。



 さらに進むと踏切で止まってしまいましたが、気付くとここにも鳥居が!



 鳥居のシーケンスの降り方には二通りあり、境内から遠い方から一の鳥居、二の鳥居、と呼ぶ場合と、反対に社殿に近い側から順番に呼ぶ場合があります。

 私的には、お城の場合は本丸・二の丸・三の丸とか、Ⅰ郭・Ⅱ郭・Ⅲ郭といったように、中心部に近い方から番号を付けてるので、神社の場合も同じように呼びたい気持ちです。

 寒川神社には長大な参道に3つの鳥居がありましたが、私の個人的な好みで呼ぶと、この鳥居は三の鳥居です。

 ところで交差点名は「大門踏切前」ですよ。



 ということは、踏切が「大門」と呼ばれているように思えますが、それが神社の参道入口にまつわる命名なのか、神社とは関係なく大きな門があったことによる命名なのか、今のところは分かりません。

 ちなみに八王子市下恩方の浄福寺の近くには「でーもん」という地名があり、最初「悪魔か!」と思ったのですが、「だいもん」が訛っただけでした。

 何だかんだでもう12時20分。

 急がなければ。

 ⇒このつづきはこちら
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