歴史の謎を追う!

天皇・宗教・武士・エミシ等の歴史の謎を追いかけ、同時に東京周辺の史跡を探り古代・中世の東京の姿を明らかにする。

最初の一歩はきついが、踏み出してしまえば前に進む

2012-06-02 21:03:17 | 雑談
 本ブログでお伝えしている通り、私は先月から夕飯作りを始めました。

 もともと料理をしていたかというと、まったくしていなくて、一人暮らしの経験もゼロに近いので、作れる料理はまったくありませんでした。

 しかも、料理の下ごしらえの作業などは、やる前に想像していたのは「苦痛」以外の何物でもないということでした。

 それが、どういうわけか最初、自分のできることで社会の役に立ちたいと思いつき、それからしばらく経って、社会の役に立つにはまず家族の役に立つことだろうと思い、家族の役に立てることで自分にできることは何か考えた結果、夕飯を作るというアイディアが閃きました。

 こうして、家族の役に立つために、一歩を踏み出したわけですが、どんなことでも最初の一歩目というのはかなりきついです。

 でも、そのきつい一歩を踏み出した結果、新たな効果が表れてきました。

 というのは、家族の役に立ちたいという気持ちに「欲」が出てきたのです。

 もっと、家族の役に立ちたい・・・。

 正直に申しまして、私は一家の主ながら、現状のところ経済的な経営能力が皆無に等しいです。

 以前は、平均的なサラリーマンよりも良い給料をもらっていて、それなりに家族を養ってこれたと自負していますが、ここ数年は事情があって不遇をかこっています。

 なので、私に代わって妻が不眠不休で働いているのですが、少し前までそんな状況に胡坐をかいていました。

 いや、正確にはそのような状況が良くないと分かっていたのですが、気力が湧かず、何もできませんでした。

 でも、夕飯を作ることを始めてから、家族の役に立ちたいという気持ちに「欲」が出てきたため、家族のために以前の収入レベル、いやそれ以上に復活するという気持ちが出てきたのです。

 このように、最初の一歩はきついかもしれませんが、踏み出してしまえば、それに自然の力が加わり、回転はどんどん速くなって前に進んでいくと思います。

 現在の状況を変えてみたいと思っている方は、何でもよいので、閃いたアイディアをひとつ実践してみてはいかがでしょうか。
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カレー、そして妻のイラスト

2012-06-01 20:47:35 | 夕飯の記録
 今日はカレーを作りました。

 多分、生まれてからカレーを作ったのは3度目くらいだと思います。

 市販のカレールーを使ったので簡単にできました。

 簡単で美味しいということは良いことですね。

 ところで話は変わって、妻はイラストレーターをやっているのですが、妻が関わった本が出版されました。

週刊 日本の世界遺産&暫定リスト 2012年 6/10号 [分冊百科]
 
朝日新聞出版


 『週刊 日本の世界遺産&暫定リスト 09 鎌倉』(朝日新聞出版)です。

 妻はよく雑誌や書籍の仕事をやっているのですが、今回は大作です。

 「12世紀末の永福寺」というタイトルの、P.28〜P.29に渡る見開きの、でっかいイラストです。

 永福寺(ようふくじ)とは、鎌倉時代初期に、源頼朝が平泉中尊寺二階大堂を模して建立した寺で、その復元イラストを妻が描いたというわけです。

 もし、ご興味があれば本屋さんで見てみてください。

 そのイラストを描くのに妻は時には徹夜もして頑張りました。

 あまりにも大作だったので、妻のMacではパワーが足りなくて途中から描けなくなり、妻のMacよりも高性能の私の音楽用のMacで残りを描きました。

 そんな思い出もあって、出版された本を見ると感慨深いものがあります。
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中世南部興亡記・戦国時代編−青森県東部〜岩手県中南部の戦国時代−:第3回:本三戸城放火事件

2012-06-01 08:31:33 | 読み物:中世南部興亡記・戦国時代編
 安政が名を晴政に改名する一ヶ月前の天文8年(1539)6月14日、本三戸城(聖寿寺館。青森県南部町)が家臣赤沼備中により放火されました。放火の原因は通説では、備中が奥瀬安芸と土地のことで訴訟になり、晴政が安芸に有利な判決をしたための恨みとも、備中の美人の妻を晴政が城に招き入れ、いいように扱ったことの恨みともいわれています。なお、天文8年以前の三戸南部氏の文書が残っていないのは、この放火により累代の典籍什器が悉く灰燼に帰したためだというのが信直以降の南部家の言い分ですが、この放火事件以降、47年後の天正14年(1586)に至るまでの文書も一通も残っていないので、古文書が残っていないのは放火のせいだとするこの主張は通りません。古文書がなぜ残っていないのかは後述します。

 さて、この放火事件の原因といわれている赤沼氏と奥瀬氏との確執の問題ですが、赤沼氏の居館(備中館)は青森県十和田市赤沼にあり、奥入瀬川の左岸に位置し、そこから直線距離で約7キロメートル奥入瀬川を遡ったところに奥瀬氏の居館(奥瀬館)がありました。つまり両者は領地が接していたので、普段から領地に関して争いがあったことが想像できます。奥瀬氏は過去の南部家に起きた「彦四郎の乱」というお家騒動を収めた実力のある重臣の家柄です。対する赤沼氏は六戸以外にも、三戸の苫米地(青森県南部町苫米地)を領し、苫米地と馬淵川を挟んだ対岸の下名久井には「赤沼備中の馬場」と伝わる場所も残っていることから、かなり勢力の大きな一族であったと考えられます(『十和田市史』によれば、赤沼備中は新山神社を祀り、寺を開いて善政をしいたといいます)。つまり、表面的には重臣同士の覇権争いから端を発した放火事件と見えるわけです。

 備中の放火の目的は、放火の混乱に乗じて、ライバル奥瀬安芸を斬ることだったと言われていますが(その目的は達せられました)、奥瀬安芸を斬るだけであれば、わざわざ城に放火する必要はありません。備中はなぜ、城に放火してしまったのでしょうか。しかも、放火には備中の弟七郎も組していることから、備中の発作的な反抗ではなく、計画的な行動だということが分かります。放火は備中の家臣にやらせてもよかったように思えますが、城内の中枢に火をつける必要があったので、やはり備中自ら火をつける必要があったのでしょう。

 やはり備中の狙いは別にあったものと考えられます。備中が命を狙った相手は、晴政の父安信ではないでしょうか。

 第23代当主安信(晴政の父)は、『南部史要』によると、大永5年(1525)4月5日に33歳で亡くなっており、三戸小向村八幡山の背後に葬ったとあります。現在も安信の墓石と伝わる宝篋印塔が残っており、『物語三戸城』によれば、塔の笠部に「悦山」「怡公」、塔身には卍の印、基礎に「廿三代大守右馬允安信公」と刻まれているそうです(同書には写真も載っています)。しかし、岩手県宮古市の黒森神社の棟札には、「大檀那南部右馬允安信 天文十年六月八日」と記されているというので、その棟札が本物だとすると、晴政が将軍義晴から一字を拝領したり、本三戸城が赤沼備中によって放火されたという天文8年(1539)の2年後に安信はまだ存命ということになります。つまり、本三戸城放火時、当主はまだ安信だった可能性があります。備中がいろいろと不利益を被った相手は安信ではないでしょうか。

 次回では、安信が天文年中まだ存命だったと仮定して、本三戸城放火事件の真相の仮説をお話しします。


本三戸城(聖寿寺館)跡空堀


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6月も新たなチャレンジをする予定

2012-05-31 22:23:31 | 夕飯の記録
 今日は、刺身にして、「ほうれんそうの白和え」だけ作りました。

 前回につづいて、今回も豆腐の方が分量が多くて、「豆腐のほうれんそう和え」になってしまいました。

 なお、今日は画像は無しです。

 さて、今日で5月が終わります。

 今月は、夕飯作りと朝・昼食をダイエットメニュー(健康メニュー)にすることにチャレンジして、何とか軌道に乗っているので、来月はまた新たなチャレンジをしたいと思います。

 それは何か。

 来月の終りにでも結果をご報告したいと思います。
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豆板醤は結構辛い

2012-05-30 20:56:17 | 夕飯の記録
 今日は、「マーボーたけのこ」と「まいたけのつくだ煮風」を作りました。



 「マーボーたけのこ」は、マーボー豆腐の豆腐じゃなくてタケノコ版です。

 最初、ごま油と豆板醤を炒めた後、豚ひき肉とタケノコ、それにネギとショウガをみじん切りしたものを炒め、タレ(味噌と砂糖、酒、それに鶏がらスープの素)を入れて煮て、さらに片栗粉を加え煮ました。

 できあがって食べてみたら、結構辛い。

 初めて豆板醤を使ったのですが、豆板醤って結構辛いんですね。

 小さじで2.5杯入れましたが、1杯でよいようです。

 妻と妹には好評でしたが、娘は辛くて食べられませんでした(急きょ、湯せんのハンバーグになりました)。

 次に作る時は、豆板醤の量を減らすとともに、アクセントにニンニクを入れてみようと思います。

 あと、タケノコのサイズが大きかったようです。これも次は、もっと薄く小さくしようと思います。

 「まいたけのつくだ煮風」は、マイタケを醤油とみりんと酒で炒めただけです。

 簡単ですが、濃い味付けで美味しいです。

 今日作った料理は両方とも味が濃かったので、母にはトマトか何かあると良かったと言われました。

 そういうバランスも大事ですね。
 
 味噌汁は、ナメコと豆腐でしたが、ナメコが少し変わっている種類で、胴体(?)の部分が長いやつです(いつものナメコが売っていなかったのでこれになりました)。

 ■参考書籍

はじめて以前の料理の基本 (主婦の友新きほんBOOKS)
 
主婦の友社

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しばらくの間は現在の料理本に従う

2012-05-29 22:54:42 | 夕飯の記録
 今日はショッキングな事件がありました。

 夕飯のメインがアジの干物だったので、魚焼き機で焼いていたところ、我が家の魚焼き機は片面焼きなので魚を手でひっくり返す動作が必要なのですが、その際に網に魚が引っ掛かり、直そうとしている間にボロボロと身が崩れてしまい、結局、一尾食べられなくなってしまいました。

 家族5人に対して、アジは4尾。

 仕方が無いので、冷凍のから揚げをチンし、私と娘でアジを半分こにすることにしました。

 さて、メインのおかずはそういうことだったのですが、サブに「きのことささ身のポン酢マリネ」を作りました。



 エノキとシメジと鶏のささ身をレンジで温めて、ポン酢と胡麻油をかけて食べる料理なのですが、今日はスーパーで鶏のささ身が売っていなかったので、もも肉を使ってやりました。

 作ったのは2度目です。

 個人的には、上にかけるものをもっと工夫したい感じです。

 ポン酢と胡麻油だけでは、今一パンチがない。

 思ったのは、私が参考にしている本は料理の超初心者向けの本なので、できるだけ簡単に作れることを主眼にしているから、複雑な味付けはそもそも載っていないということです。

 なので、もっとパンチが欲しい場合は、さらにワンランク上の解説書を見る必要があるようです。

 でもまあ、まだ私は初歩の段階なので、作るのが慣れるまでは現在の本をマニュアルにして訓練していこうと思います。

 あと、味噌汁は大根とネギでした。

 ■参考書籍

はじめて以前の料理の基本 (主婦の友新きほんBOOKS)
 
主婦の友社

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夕飯作り4週目に入った

2012-05-28 22:46:19 | 夕飯の記録
 今日は「ごぼうと豚肉のきんぴら」と「水菜とじゃこのパリパリあえ」を作りました。



 「ごぼうと豚肉のきんぴら」は、豚こまぎれ肉とゴボウと糸コンニャクを、醤油・酒・砂糖のタレで炒めた料理です。

 前回作った時に、少し味付けが薄かったので、今日はタレの分量を多くしてみました。

 そうしたら前回よりも味が染みたように感じましたが、醤油を料理の本に書いてあるよりかなり多めに入れたにも関わらず、そんなにパンチがある感じにはなりません。

 これは、醤油以外にも何か調味料を加えた方が良いみたいですが、それが何だかは分かりません。

 さらに今回は肉が硬めになってしまいました。炒め過ぎたようです。

 まだ、どれくらい炒めればちょうどいいか、加減がよく分かりません。

 でも、総合的にはそこそこ美味しくできたと思います。

 「水菜とじゃこのパリパリあえ」は、ごま油とニンニクとちりめんじゃこを合わせて電子レンジで温めたドレッシングを水菜にかけて食べるというものです。

 前回作って、とくに妻が気に入ったので、今日も作ってみました。

 ごま油とニンニクとちりめんじゃこでは、今一味が無さそうな感じがしますが、じゃこの塩味が結構効いています。それでも足りない場合は、醤油をかけるとよいです。

 それと、味噌汁は豆腐とアオサです。

 夕飯作りを始めて4週目に入ったので、一度作った料理の再登場がありますが、何度か作る料理に関しては、最終的には本を見なくても作れるようになりたいと思います。

 第一の目標としては、メインになるおかずを20種類、本を見ずに作れるようになりたいです。

 ■参考書籍

はじめて以前の料理の基本 (主婦の友新きほんBOOKS)
 
主婦の友社

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NHK大河ドラマ「平清盛」あれってどういう意味だったの?一点解説第21回:鎮西八郎為朝

2012-05-28 09:17:57 | NHK大河ドラマ「平清盛」一点解説
 NHK大河ドラマ「平清盛」第21回「保元の乱」では、ついに藤原頼長(山本耕史)・崇徳上皇(井浦新)勢力と、藤原忠通(堀部圭亮)・美福門院得子(松雪泰子)・信西(阿部サダヲ)勢力とが武力でぶつかり合いました(関係を簡単に表すと、崇徳上皇vs後白河天皇(松田翔太)ということになります)。

 その合戦の中で、とくに目を引いたのが、上皇側についた、為義(小日向文世)の子・鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも。橋本さとし)の活躍でした。

 矢って胴体を貫通するの?!

 今回の為朝の武勇には多くの視聴者が心を躍らせたのではないでしょうか。

清和天皇(あるいは陽成天皇)――○――源経基――満仲―+―頼光
                           |(摂津源氏)
                           |
                           +―頼親
                           |(大和源氏)
                           |
                           +―頼信――――+
                            (河内源氏) |
                                   |
 +―――――――――――――――――――――――――――――――――+
 |
 +―頼義―+―義家―――+―義親―――為義―+―義朝―+―義平
      |(八幡太郎)|         |    |
      |      +―義国―+―義重 |    +―頼朝
      +―義綱        |(新田)|
      |(賀茂次郎)     |    +―義賢―――義仲
      |           +―義康 |     (木曽)
      +―義光         (足利)+―頼賢
       (新羅三郎)          |
                       +―為朝

 為朝の活躍は、「保元の乱」を描いた軍記物(今でいう小説のようなもの)である『保元物語』に詳しく書かれており、ドラマでは為朝の射た矢が伊藤忠直(土平ドンペイ)の身体を貫通していましたが、『保元物語』でも伊藤景綱の子息伊藤六(忠直)の身体を貫通し、その兄の伊藤五(忠清(藤本隆宏))の袖を突き抜けて行ったと書かれています。

 それに恐れをなした清盛勢は退却するのですが、ひとり、山田小三郎惟行は踏みとどまり、為朝と雌雄を決します。

 しかし結果はまたもや為朝の勝利で、惟行も矢を貫通されて死にました。

 為朝はとんでもない強弓の主だったのですね。

 為朝は、まさしく源氏重代の「武」の面を濃厚に引き継いだ武将でした。

 ちなみに為朝はこのとき17歳です。

 しかしその為朝も合戦に敗れ逃亡し、やがて見つかり逮捕されます。

 その後、為朝は、伊豆大島に島流しにされました。

 『保元物語』では、嘉応2年(1170)、31歳のときに狩野茂光に攻められて自害したとあり、『国史略』では、安元2年(1176)3月6日、37歳で討ち死にしたとありますが、『吾妻鏡』では伊豆大島で死亡したとのみ記されています(『日本城郭大系5』)。

 伊豆大島には為朝の館跡(大島町大元)といわれている場所が残っています。

 なお、為朝にはすごい伝説が残っていて、伊豆大島に流された後、伊豆諸島を武力で取りまとめ、やがて沖縄に渡って、琉球王家の祖になったといわれています。

 もちろんこれは伝説にすぎないですが、このような伝説が生まれること自体、為朝が並大抵の人間ではなかったことの証左といえるでしょう。

 津本陽氏の小説に『鎮西八郎為朝』があり、この小説は上記の伝説をもとに創作が加えられたものです。

 あと、中世の時期に岩手県閉伊郡(宮古市周辺)を治めた閉伊氏も為朝の子孫を名乗っています。

 それと、今回の戦いでは、天皇側は三手に分かれて進撃したと言っていましたが、ドラマでは清盛(松山ケンイチ)と義朝(玉木宏)の軍勢しかでてきませんでした。『兵範記』では、清盛勢が300騎、義朝勢が200騎です。

 もう一手が誰だったかというと、100騎を率いた源(足利)義康です(上記系図参照)。義康は為義の従兄弟にあたり、後世、室町幕府を開くことになる足利尊氏の先祖になります。

 義康は父の義国から下野国足利庄(栃木県足利市)を譲られ地名を取って「足利」を苗字としました。中央では、検非違使や鳥羽院北面を務めています。

 そして既述した通り、「保元の乱」では100騎を率いて活躍しましたが、翌年に病死しています。

 ドラマには出てこなかったですが、義康の活動も天皇方の勝利に貢献しているのですね。

 ■小説のご紹介

鎮西八郎為朝 (講談社文庫)
津本 陽
講談社


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料理をすることは自信を高めることにも繋がる

2012-05-25 20:12:26 | 夕飯の記録
 ちょうど2週間前の金曜日にも作りましたが、今日は大好物のハンバーグを作りました。



 どういうわけか、前回よりも美味しくなりました。

 気持ち、パン粉を多くしてみたのと、前回もタネを練るのに時間を掛けましたが、今回はさらに、よーく、こねてみました。

 ソースは今回も市販のデミグラスベースのソースを使いました。

 ただ前回はソースとフライパンに残った油分を混ぜ合わせて作ってみて、油っこい感じ(油分が分離した感じ)になってしまったので、今回は油分を混ぜ合わせるのをやめました。それだけの違いですが、ソースも今回の方が美味しかったです。

 あと、今日もマッシュポテトを作り、スープはインスタントを使いました。

 今日はすべて作るのに1時間45分掛かりましたが、やはり野菜を切ったりする時間がかなりかかりますね。今回もジャガイモの皮むきとか、タマネギのみじん切りとかに時間が掛かりました。

 目標としては1時間を切ることです。

 それにしても、料理が終わった後に飲むビールは旨いですね。

 スポーツの後みたいです。

 ところで、そもそも今まで料理をしたことが皆無に等しかった私が何で料理を作るようになったかというと、多忙な妻の助けになりたかったからです。

 こうして料理を作って、私としては家族の役に立っていることが嬉しいのです。料理を食べた家族から「美味しいね」と言われるのが、とても嬉しいのです。

 誰かの役に立ちたい、社会の役に立ちたいと思っていても、何をしたらよいのか分からない方は、夕飯作りをして、まずは家族の役に立ってみてはいかがでしょうか。

 それが自信を高めることにも繋がると思いますよ。

 ■参考書籍

はじめて以前の料理の基本 (主婦の友新きほんBOOKS)
 
主婦の友社

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簡単な炒め物を作って簡単な記事を書く

2012-05-24 22:19:26 | 夕飯の記録
 今日はメインが魚だったので(湯せんのサバの味噌煮グループと鮭の塩焼きグループに分かれた)、サブのおかずに、豚ひき肉とモヤシと小松菜(昨日の残り)を醤油で炒めたものを作りました。

 味付けは醤油に加え、塩と胡椒だけだったのですが、妻と妹には好評でした。簡単なのでまた作りたいと思います。

 味噌汁は、なめこと豆腐とネギです。

 なお、今日は写真は無しです。

 ■参考書籍

はじめて以前の料理の基本 (主婦の友新きほんBOOKS)
 
主婦の友社

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