日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【クラブツーリズム新宿本社】稲用章の座学およびツアー【近畿日本ツーリスト八王子営業所】

2017-01-16 22:19:35 | 八王子・東京・西関東の歴史
 「本当に稲用さんはいつもいやらしい話ばっかりブログやフェイスブックに書きますね」と言われても、私はまったく反論できません。

 仰る通りだからです。

 つまりは、確信犯なのです。

 なので、今日もいやらしい記事を書きますが、本日のいやらしい内容は、自分の講座およびツアーの宣伝です。

 まず一つ目。

 2017年は新宿のクラブツーリズムにて東北の古代史と中世史の講座を全12回に渡ってやらせていただく予定です。

 そのうちの1月から3月までの分は、「旅の文化カレッジ」12月号に掲載されています。



 拡大してみると!



 大変ありがたいことに、第3回まではすべて催行が決定しています。

 なので、せっかく申し込んだのに催行せずにガッカリするということはありませんので、すでに申し込んでいただけた方はどうか安心してくださいね。

 まだお申込みでない方で、興味のある方は、クラブツーリズム公式サイト内の詳細ページをご覧ください。

 第1回は今週の土曜日ですので、そろそろ資料の作成を始めようかなと思っています。

 さて、つぎです。

 近畿日本ツーリスト八王子営業所が発行している「八王子ジャーナル」をご覧ください。



 今日ご紹介したいのはこちらです!



 右側に八王子城歩きが載っていますよね。

 昨年の12月11日には同じ八王子市内の滝山城のツアーが無事に催行されました。

 そのため、その勢いのまま2月11日に八王子城のツアーをやってしまおうというわけです。

 すでにこちらもありがたいことに滝山城ツアーのときの参加者を上回る申し込みがあり、催行が決定しています!

 なので、どうぞご心配なくご参加ください。

 ただ、今回の八王子城はそれなりの山城なので、高尾山に歩いて登れる程度の体力のある方のご参加をお待ちしております。

 ご予約は、近畿日本ツーリスト八王子営業所のクラブツーリズムカウンター

 042-656-5852

 でも、私に直接でもどちらでも気持が許せる方にどうぞ!

 残念ながら近ツー八王子の場合はWebでの申し込みができないので、やはりベストなのは上記の番号にかけていただくことだと思います。

 山城初心者の方、一緒に山城体験してみましょうよ!

 最後にもう一つ、いやらしい話をします。

 すでにご存じの方もおられると思いますが、私はこのブログ以外にも「日本史大戦略」というホームページをやっています。

 このブログの方が歴史が長いのですが、後発のホームページの方もお陰さまでグイグイとアクセス数が上がり、このブログと伯仲するまでになりました。

 あ、全然関係ないですが、「伯仲」の「伯」は長男のことで、「仲」は次男のことですよ(中国の話です)。

 三国志が好きな方であれば、兄の孫策の字が伯符で弟の孫権の字が仲謀であることをすぐに思い出すかも。

 話を戻します。

 日本史大戦略は主として、このブログの記事にたまにアップされるような、歴史歩きのルポルタージュを公開するカテゴリーと、私が日本史上の特定の人物やテーマについて書いた軽い読み物のカテゴリーの二つがあり、それ以外にも良く分からないものが沢山アップされています。

 二大カテゴリーのうち、歴史歩きに関しては、ついに紹介歴史スポット数が400箇所を超えました。

 といっても、このブログへリンクしているだけの手抜きページも多数存在するのですが、400箇所以上の歴史スポットについて詳細に書かれているわけで、読む側は大変ですね。

 でも、書く側の私はそれがライフワークですから、もちろん苦になりません。

 まあ、結局のところ「壮大なマスターベーション」と言っても過言ではないのですが、そういうのが好きなちょっと素敵な趣味の方はどうぞご覧ください。

 ⇒日本史大戦略

 さて、土曜日の講座の資料を作る前に風呂に入ってこよう。
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【東国を歩く会】2017年新年会【町田市三輪南遺跡探訪】

2017-01-12 10:10:07 | 八王子・東京・西関東の歴史
 昨日、午前中の現場を終えてその近所のコンビニでランチをしたあとに、午後の現場へ移動するルートを考えていると、以前通ったことがある道に確か遺跡と書かれた看板が建っている場所があったことを思い出しました。

 せっかくなので寄ってみよう!

 確かこの辺の公園みたいになっているところに建っていたよなあと思いながら運転していると・・・

 あった!

 数分間の探訪になると思うので邪魔にならない場所に車を止め、急いで探訪です。



 公園に入ってまっさきに飛び込んできたのが説明板です。



 おーーっ、古代の窯跡だったのね!



 住居跡もあります。



 道路から見えたのはこの説明板でした。



 三輪南遺跡っていうんですね。

 仕事の移動途中でも常に神経をとがらせて史跡がないかアンテナを張っているので、こういった看板が建っているのを見逃さないのです。



 三輪南遺跡は奈良・平安時代の遺跡で、住居跡のほか、上述した通り瓦を焼いた窯跡が見つかっています。



 ここで焼いた瓦は岡上廃寺という奈良時代の寺院に使われたと想定されているそうです。

 普通の集落跡の遺跡ではなく、窯跡という希少価値のある遺跡に出会えていつもよりも気分が上がりましたよ。 

 ちなみにここ町田市三輪町という場所は、江戸期は多摩郡三輪村だったのですが、都筑郡に大きく食い込んでいる地域なのです。

 西隣の岡上村は都筑郡でした。

 さて、話は変わりますが、先日の1月8日(日)は、東国を歩く会の「第8回 歩く日」が開催される予定でした。

 ところがです。

 雨のために延期になってしまいました!

 しかし、歩くのは天候に左右されても仕方がないですが、飲むことはできる!

 ということで、たかお食堂での新年会は無事執り行うことができました。

 今回は、フェイスブックでふみちゃん経由で友達になった遠藤さんが初参加です。

 今回の日本酒ラインナップ!



 銘酒が揃いましたよ!

 古河に居る探題の義父から頂いてきた酒やS源寺さんとヒラさんが持ってきてくれた酒です。

 ※なお、ここには写っていませんが、あゆみちゃんが白ワインをカバンからそっと差し出しました。



 昨年の今頃、「第1回 歩く日」を実施し、その時は午前中に津久井城に登った後、高尾まで歩いてきて、たかお食堂の秘密の部屋で打上げをやりましたが、今日は通常フロアでの開催です。



 遠藤さんが非常にご機嫌な私を撮影してくれました。



 でも実はもうこの時点で記憶がないんです。

 泥酔しました。

 日本酒が美味しかったのと、この仲間で飲むと最高に楽しいので、ついつい日本酒を飲み過ぎてしまったようです。 



 しかも、当然最初はビールを飲んでますし、ワインも飲み、かつ日本酒が無くなった後は上の写真によると、黒霧島(芋焼酎)を美味しそうに飲んでいる様子が伺えます。

 これじゃあ、どうなっても保証はありません。

 もちろん、探題がいたために油断したというのも原因の一つです。

 というわけで、本日の参加者!

 ・S源寺さん
 ・ヒラさん
 ・岸本さん
 ・あゆみちゃん
 ・遠藤さん
 ・探題
 ・ヤマセミさん
 ・稲用

 以上、8名!

 東国を歩く会の名うての酒豪が集まっております(私を除く)。

 後半私は、たまたま居合わせた常連のO野さんと飲んだりもしました。

 22時に終わった後、探題に介護されつつ高井戸探題まで帰りましたが、その間、ほぼ記憶がなく、覚えているのは探題の最寄駅を降りて、千鳥足で歩いている自分の足元の映像です。

 翌日探題から聴いたところでは、あまりにもフラフラしているのでタクシーを呼ぼうと思ったほどだったそうです。

 そして探題が今まで見た千鳥足のなかではトップクラスの足取りだったということで、探題には心配をかけてゴメンね。

 まあでも、無事に帰れて良かった。

 で、気付いたのは26時半で、マンションの玄関付近にダウンを着たまま伸びていました。

 でも探題の優しいところは、伸びている私にヒーターを当ててくれていたところです。

 そして翌日は何と12時まで起きれないという、前代未聞の酔い様でした。

 というわけで、参加してくださった皆さん、そしてたかお食堂のマスターとママ、どうもありがとうございました!

 次回の歩く日は、2月12日(日)に開催しますのでよろしくお願いします!

 あと、前日に参加表明をしてくださった村越さんもどうもありがとうございました!

 今回は天候不良のために中止となりましたが、またタイミングがあえば来てくださいね。




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【2016年最後の歴史めぐり】古河公方館&東京タワー【茨城県古河市&東京都港区】

2017-01-07 13:09:13 | 八王子・東京・西関東の歴史
 今年も早いものでもう1月7日ですね。

 なのに、まだグダグダと昨年の出来事をブログに書こうとしているわけですから、過ぎ去った過去に未練タラタラな心境が看取できるわけです。

 あ、今打ち込んで気付いたのですが、「過ぎ去った過去」という字面は、見た目も悪いし意味的にも重複甚だしい、カッコ悪い表記ですね。

 それはそうと、2016年の大みそかは、古河御所(妻の実家)で目覚め、朝から近くの大型入浴施設に連れて行っていただきました。



 8時半に着くと広い駐車場には結構車が止まっています。

 探題が言うには、年末の忙しいときに、家の中で役に立たないお父さんたちが奥さんに追い出され、行く場所がなくてここに集まってくるらしいです。

 もちろんこれは風説であって、事実は知りません。

 ただ、実際の状況としては、男風呂はすでに満員状態だったので、上述の風説もあながち間違っていないように思えます。

 最初は全裸の義父が全裸の私をお風呂の中を案内してくださり、一緒に露天風呂などに入っていたのですが、私はお風呂には長居できないもったいない人なので、一足お先に出ました。

 あ、お風呂なんだからことさら「全裸」を強調する必要はまったくありませんでしたね。

 不適切な表現をお詫びいたします。

 お風呂からあがったらこれでしょう!



 私は甘い飲み物が大好きなのです。

 待っていると、義父と義母が出てきて、最後に探題が出てきました。

 探題に飲むヨーグルトを買ってあげると、「開けて!」と言って瓶を手渡したので蓋を開けてあげます。

 すると義父に、「おー、あきらくんジュースまで買ってあげて、蓋も開けてあげるのー?優しいねえー」と笑われてしまいましたが、私の腕力をもってすれば、飲むヨーグルトの蓋を開けるくらいは赤子の腕を捻るよりも容易いことなので、決して驚くには値しません。

 私は頼り甲斐のある男なのです。

 風呂から帰った後は高井戸探題へ帰陣する準備をし、今度はお昼ご飯を食べに連れて行っていただきました。

 11時半の開店の5分くらい前に到着したのですが、駐車場には先客が2台あります。

 私の住んでいる地域では、車から降りて店の前に並ぶのが普通なのですが、こちらでは車の中で待機するのが普通だということです。

 そしてお客さんはそれぞれ自分が何番目に駐車場に車を止めたのかを覚えておいて、お店が開くとお互いそれを確認しつつ、きちんと順番にお店に入るそうです。

 義父がいうには、先日その流儀を知らないよそ者が並び順のことで地元の人と口論となったそうですが、車の中で他のお客さんが待っているのは分かるのですから、知識としては知らなくても状況を見て察するべきでしょうね。

 さて、開店と同時に店内は満席に。

 鴨のせいろ。



 蕎麦も美味いし、鴨肉最高!

 蕎麦湯を少し入れて、スープも飲み干しました。

 そして天丼。



 こちらは探題とシェアして食べました。

 こんなわけで、昨日と今日はたくさん美味しいものをご馳走していただき感謝に堪えないわけですが、そろそろ私と探題とヴェリーは高井戸に戻ります。

 ところで朝、風呂に行く途中、「古河公方公園」と書かれた幟がはためいている場所があり気になりました。

 義母が言うには、「桃祭りで有名だけど、中は普通の公園だよ」ということです。

 でも名前が「古河公方」ですよ!

 これは踏査しないわけにはいきません。

 ということで、妻の実家を辞去した後、当然のごとく寄ってみました。

 なるほど、駐車場から眺める限り、普通の公園ですね。

 ここは犬もOKみたいなので、ヴェリーをリードにつないで一緒に歩きます。

 何かあります。



 英語で書いてあるので読めませんが、ユネスコって書いてありますよ。

 裏を見ます。





 だそうよ。



 ヴェリーは老犬ということもあり探題は余り外に出しません。

 なので私は一緒にお散歩するのは初めてです。

 私の感覚では人間の場合も年を取っても外を歩いたほうが健康に良いわけなので、犬もそうじゃないかと思うのですが、ヴェリーはだいぶ身体が弱っていることもあり、あまり歩かせない方が良いということです。



 探題さーん、眠そうな顔してないで笑ってくださーい。



 ヴェリーは久しぶりの散歩が嬉しいのか、快調に小走ります。



 でもすぐに疲れるようで、トボトボ歩きになってしまいます。

 そうなったときは抱っこしますよ。

 さて、まずはこの公園の全体像を知りたいので、案内板を探しましょう。

 おや?



 おぉー、古河公方館跡って書いてあるーーーーっ!!

 やっぱりこの公園には何かあるんだ。

 広い駐車場を抜けて、ようやく案内板を発見。



 いろいろあるようですね。

 お花の時期はこれでチェックだ!



 もう一つ案内板発見。



 いくつか歴史スポットがありますが、今日は私のソロプレイではなく、家族同伴ということで場所を絞って、古河公方館のみを訪れることにします。

 途中から未舗装になったので、ヴェリーを抱っこ。

 お、視界が開けた。



 探題とヴェリーはベンチで休んでいるそうなので、チョロッと見てきます。

 古民家がありますね。





 でも今日は開いていません。

 さらに進むと・・・

 みーっけた!



 「史蹟古河公方館址」の石柱もありますねー。

 これ空堀じゃない?



 興奮が高まります。

 説明板を読みましょう。





 ※読みづらくてスミマセン!

 私は普段、関東の戦国時代を語るうえで外せない古河公方について話していますが、実は細かいことまで知らないのです。

 成氏が鎌倉を出た後ここに2年間いたということは初めて知りましたが、こうやって知らないことを知るって最高に楽しいですね。

 さらに奥に行けばまだ何かあるかもしれません。



 でも今日はここで引き上げです。



 向こうのベンチでは探題とヴェリーが待っています。



 ヴェリーはずっとこちらを見ていますが、探題はスマホを見てますね。



 ヴェリーちゃん、品が良いねえ。



 探題は多分、私を盗撮した動画をチェックしているのでしょう。

 では帰るとしましょうか。

 お、立派な木ですね。





 さて、図らずも予想外の史跡を訪れることができて私はとてもご満悦ですが、探題は「ふーん」という感じです。

 まあでも、ここまで付き合ってくれるだけでも嬉しいことですね。

 しかも今日は、ヴェリーとは初の歴史探訪だよ。

 ヴェリーは”推定歴女”だからきっと喜んでくれているはず!

 雷電號に乗り込み、東京を目指します。

 ひとまず高井戸探題に着到しましたが、今日は大晦日で多分都心は道路が空いているだろうと予測し、普段は都心のドライヴなんてしませんから、せっかくのこの機会に都心まで雷電號を飛ばしてみることにします。

 ナヴィに設定した場所は、探題が大好きな東京タワーです。

 予想通り道は空いていて、スルスルと東京タワーの下まで来ました。

 久しぶりに東京タワーを真下から見上げますが、こんなに大きかったっけ?



 私は「スカートをはいて足を広げた女性を下から見上げているようだねえ」と、率直な感想を述べた後に「あ、また変態呼ばわりされる」と思いましたが、私は心根が素直ですから、美しい表現にこだわっているのです。

 最初は周りから眺めて帰ろうと思っていたのですが、せっかく来たので上に登ってみましょう。

 実は白状しますと、私は東京タワーに登ったことがないのです。

 近くにあるのでいつでも行けると思っているのですが、意外と行かないですねー。

 探題と出掛けると初体験のことが良くあるのですが、東京タワーも初体験です。

 今日は一番上の特別展望台が工事中と言うことで、大展望台まで上がります。

 おーっ、夜景が綺麗だねー。

 私は夜景好きなのです。

 そしてこの暗い中、必死に目をこらして眼下にあるであろう、芝丸山古墳を見ようとします。



 見えない・・・

 ※探題があとで、場所をマーキングした写真を送ってくれました。

 おや、東京タワーには神社があるんですね。







 ところで、ここから下を見ると、下を走っている車が意外と大きく見えます。

 そんなに高くないなあ。

 昔、小学生のころに父にサンシャイン60の60階に連れて行ってもらったことがあったのですが、そのときの印象ではもっと車は小さかったと思います。

 ※帰宅後調べてみたら、大展望台は比高120m(海抜150m)で、サンシャイン60の展望台は比高226.3m(海抜269.8m)ということで、全然高さが違いました。

 職業柄、この窓を拭くのは大変だろうなあと思いますが、そもそも私はぶら下がりつつビルの外窓を拭くのはやったことがないので、想像もつかない仕事内容です。

 そしてここでも探題はソフトクリームを食べてご満悦。

 都心の夜景を堪能したので下に降ります。

 トイレに行くと、何と洗面台にジェットタオルがビルトインされてるじゃないですか!

 たまたま誰もいなかったので激写。



 ところが、シャッター音がしたと同時に若者が入ってきたので、私はいかにも怪しい人のように、目線を下にしながら小走りで退去。

 エントランスには正月飾りもあります。



 あ、走ってきた走ってきた。



 さて、帰ろう。

 いつもこれくらい走りやすいと、都心にも車で来るんだけどなあ。

 高井戸探題に戻ると、最初の仕事は義父がついてくれたお餅を裁断することです。



 結構な量ですが、二人で切りました。

 探題用と幕府用の両方で相当な量のお餅をいただいたので、私もお餅が大好きですが、母が特に好きなので明日高尾に戻る際の良いお土産になりました。

 夕飯は、古河からいただいてきたもので充分に贅沢な食事。



 なんで、トロを差し置いて鳩サブレがセンターなのかは、これは探題が同僚からいただいてきたもので、来年は酉年だから真中に置いたそうです。

 義父は料理が上手なのですが、レンコンのキンピラが甘辛さ加減がストライクで絶品。

 毎日でも食べたい。

 さて、こんな感じで2016年も終わりに近づいています。

 今年もいろいろありましたが、一番の大きなできごとは今こうやって奥さんと一緒にいることでしょう。

 9月25日から付き合い始め、12月25日に入籍しました。

 付き合うまでは仕事上で5回しか会ったことがないので、周囲の方々は不思議に思っているようです。

 ただ、嬉しいことばかりでなく、前途多難でいろいろと厳しい現実が待ち受けています。

 それに関してはすべて探題にも伝えており、結婚後もしばらくは苦労を掛けることになると思います。

 結婚早々に「苦労することになる」と宣言される嫁の気持ちを考えると大変申し訳ないのですが、未来は今より必ず良くなるので、ひたすら前進あるのみです。

 坐して滅亡を待つわけにはいきませんからね。
 
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生涯初の茨城県歴史歩きは古河市の古河城でしたよ!

2017-01-03 16:48:52 | 八王子・東京・西関東の歴史
 2016年お掃除最終日の前日(28日)は、7時45分から26時半まで拘束で、休憩は1時間でした。

 掃除しまくり。

 私はIT業界に長くいたせいか、長時間労働をそれほど悪いことだと思っていない一種の変態です。

 例えば、プログラマーという職種は、入社後ある程度長時間働かないと仕事ができるようになるまで時間がかかり過ぎます。

 もちろん、本人のセンスに負うことの多い職種ですが、センスが多少なくてもそれは努力でカヴァーできるのです。

 ですから、その人が自分の道を選んだら、一人前になるまでの最低3年間は死ぬ気で働くのは当然のことだと思っています。

 ただし、これが万人に当てはまるわけではないことも充分に理解しています。

 人によって体力や精神力の差がどうしてもありますから、その辺は上司や仲間がよく理解してあげるべきですね。

 どうも日本人は、「皆同じであるのが良い」という考えが古来からありますから、結局は長時間労働が悪なのでなく、日本人固有の「みんな一緒でみんないい」というものの考え方が諸悪の根源なのではないかと思います。

 野郎ども、もっと欧米化しようぜ!

 それと、自分でいくら強靭だと思っていても、やはり長時間労働をずっと続けていると身体や精神に何かしらの異常をきたすことが多いようなので、皆さんも自身の体力や精神力を過信するのは気を付けた方が良いですね。

 あれ?何の話でしたっけ?

 正月ボケで意識が朦朧としていますが、何とか気を確かにして述べますと、翌日29日の仕事納めの日は出社の道すがら、2016年最後のラーメンを食べるべく大和家八王子店に行きました。



 2015年はラーメン・つけ麺を300杯食べましたが、2016年は100杯も行っていない体たらくです。

 前年比33%以下ですか。

 でも、ラーメンでもなんでもそうですが、たまに食べると凄まじく美味しいですね!

 八王子に来たついでに、近畿日本ツーリスト八王子営業所にお伺いしてM井さんにご挨拶しようと思い店に入ったところ、所長さんに「今日から休みを取っています」と言われてしまいました。

 M井さんからは、「いつでも顔を見せてくださいね」と言われていますが、その甘い言葉に乗ってしまうと完全にストーカーとしてマークされ、「講師なのに出禁」という奇妙な事態になると思うので、仕事の時以外では滅多に来ることはないのですが、たまーに来ると、なぜか不在が多いのです。

 なのでご挨拶はメールでするとして、バスに乗って出社し、今年最後の現場をチョロッとやって帰社、事務所で早々に帰る気配を撒き散らしていると、I井さんが「稲用さん、もう帰るよね?」と聴いてきたので、「とっとと帰ります」と答えると、I井さんが事務所の外へ走って行きました。

 私の職場も仕事納めの日の夕方は納会とまではいかないまでも、若干の飲食物が従業員に供されます。

 I井さんはそれ用の寿司を1パック持ってきてくれたのです。



 さすがI井さん、気が利きますねえ!

 こういう人がいらっしゃるから我々現場の人間が安心して仕事ができるのです。

 一年間、ありがとうございました!

 ところで、ここのお寿司は美味しいんですよ。

 というわけで、帰宅後いただいた寿司で腹ごしらえをして、探題を迎えに行くべく西新宿まで雷電號を飛ばしました。

 探題の会社も納会だったのでいつもの場所でしばらく待機。

 片づけを終わらせてビルの下に降りてきた探題を雷電號に搭乗させ出発です。

 あ、でもドライヴとかではないですよ。

 旦那さんが車で迎えに来るというシチュエーションを喜んでくれるかなと思って迎えに来ただけです。

 スミマセン、私は過保護なの。

 そしてすぐに高井戸探題に直行。

 翌朝は早くから古河御所(妻の実家)に行くため、今日は早めの就寝です。


*          *          *


 明けて30日(金)。

 少し寝坊して8時に出発。

 今日はヴェリーも同伴ですよ。



 泊まりで行く場合は家に置いておけないので必ず連れて行くのです。

 ヴェリーが雷電號に乗るのは2回目だったかな。

 いつもより交通量の少ない環八を北上し、谷原の交差点から目白通りに入り、大泉ICから外環に乗ります。

 今日は高速道路も空いてるぞー!



 ヂーゼル・ターボの雷電號、本領発揮!

 東北道に入り久喜ICで降り、9時45分には古河御所に着いてしまいました。

 車だと早いねえ。

 着到すると義父がすでに餅を2升ついていて、宴の準備が整いつつありました。

 我が家から持参したのは、探題の上司であるK田さんからお祝いにいただいた、福島県いわき市の日本酒3種。



 そしてすぐにビール!

 私がビールが好きだということで、一番搾りの「取手づくり」が用意されていました。



 すごいですねえ、黄金色に輝いてますよー!

 北海道生まれの義母が作ってくれた料理や大好物である黄な粉餅を大量に食べさせていただきお腹は大満足。

 つきたてのお餅に納豆を和えて食べましたが、これもまた美味でした。

 昼間(朝?)からビールを飲み良い気分になったところ、義母が近所に用事があるということで、ついでに古河城跡まで車に乗せていただくことにしました。

 探題が、「一緒に来て欲しいって懇願したら付いて行ってあげる」と言ったので、一人ではろくに歴史歩きの一つもできない惰弱な私は懇願して一緒に歩いてもらうことにしました。

 一先ず、土地勘がまったくないまま、適当な場所で降車です。

 しかしながら、超寒い。

 気温もそれほど高くないですし、風も冷たく、内心「高尾より寒いかも」と思いました。

 それでも探題は健気に一緒に歩いてくれます。

 ちなみに、彼女はとくに歴史が好きというわけではないですよ。

 今日はまったく予備調査なしで来たので、まずは現在地が分かるものを探します。

 これは何でしょう?



 へー、篆刻美術館だって。

 マニアックだねえ。

 篆刻美術館の前の道は古い街道かもしれないね。

 左を見まーす。



 右を見まーす。



 古河ってレンガが好きなのかな?



 歴史散策マップのような看板があれば助かりますので、歴史博物館へ向かいます。

 石畳の路地を歩きます。



 おっと、歴史案内っぽい看板発見!



 地図も載ってますぞ!



 古河って意外と「館系」(博物館とか美術館とか)が多いね。

 永井路子が子供のころに住んだ家もあるよ。

 では、完全な住宅街と化したような古河城跡に遺構を探すべく、歴史博物館を目指します。

 おっと、今度は古河文学館。



 そしてすぐ南には、これ堀跡でしょう?と思われる窪みが・・・



 往時の堀跡に間違いありません。



 だいぶデコレーションされているけど遺構発見!



 ところで、探題は私がカメラを構えているのを見つけると、遠くから走って近づいてきて必死に画面に収まろうと努力することがあります。

 一応、機を見て跳躍はするのですが、身長の都合上、だいたいこんな風に写り込むことが多いです。



 こういった半ば心霊写真のようなものは結構枚数が溜まってきているので、いずれは写真集にして探題にプレゼントしようかと思っています。



 鷹見泉石博物館は休館!



 歴史博物館ももちろん休館!



 やっていれば館内で資料を入手することができるはずですが、看板を参考にしながら気になるスポットへ行ってみましょう。

 私は地図上にある「子ノ権現神社」が気になります。

 おっと、猫ちん!



 ダメだ、撮れない。

 で、「子ノ権現神社」。



 本殿の脇にはまるでアラハバキのようにワラジが奉納されています。



 正面に回り込みます。



 拝殿は普通の家みたいですね。



 名前が気になる神社ですが、由緒書きもないので詳細は不明です。

 私が神武號で調べ、西側に行くと何かありそうだなあと思っていると、どうやらその様子を探題に盗撮されていたようです。



 我々夫婦は結構お互いを盗撮することが多く、先日も私は非常に恥ずかしい写真を撮影されて、何かあると探題に「ネット上にばらまいて良いのか?」と脅される始末です。

 でも私も探題の恥ずかしい写真はきちんと押さえているので、それが抑止力の効果にもなっているわけです。

 さて、それはそうとして、長谷観音に来ました。



 まったく予備知識がないため「日本三大長谷観音」と染められた幟を見て感心します。

 境内の参道にはたくさんの出店がスタンバイしていますね。

 今日の夜から営業かな?



 ここも由緒書きがないので良く分かりません。

 長谷観音を出ると、またもや歴史案内板があり、これを見るとまだまだ古河城の遺構が残っている場所があるようです。

 よし、それを探そう!

 寒風吹きすさぶ中40分も歩いていますが、探題は健気に歩いています。

 おーっ、前方に何やらありそうな林が見えます。



 おや?これは土塁じゃないか?



 回り込むと確かに土塁です!



 しかも向こう側には水を湛えた堀までありました。



 いえーーーーいっ!

 ここには詳細な説明板がありますよ!



 でもだいぶ薄くなってる・・・

 一部分拡大。



 もう一枚!



 古写真を載せたりしてかなり良い内容なので作りなおしてもらえないかな・・・

 はい、拡大。



 いやー、これが残っているだけで私はとても嬉しいですぞ。



 と、感動ひとしおの私を見ている探題は、果たして遺構に焼きもちを焼くのでしょうか。

 向かいのお宅の門が立派だなあと思ったら、「御成御門」でした。



 それではさらに遺構を探しましょう。

 国道354号線を越えて旧道らしき道が続いています。



 国道方面を振り返る。



 何か、良い感じの道ですよー。



 これは今の国道354号線の前身の道じゃないでしょうか。

 東国を歩く会のメンバーが喜びそうだなあと思っていると、「史蹟古河城桜門址」の石柱を発見!



 そして次は馬頭観音!



 ヤマセミさんと歩くようになってから馬頭観音が気になって仕方がなくなりました。



 やっぱりこの道は歴史のある道だったんですね。

 またもや馬頭観音。



 でもちょっと向いている方向が変ですね。



 往時は街道に向かっていたはずです。



 はい、県道に出ました。



 頼政神社を探します。

 ここが入口ですね。



 参道に入ってすぐに右側がこんもりとしているのが分かります。



 自然の地形だとは思いますが、ここだけ小さな山があるのはちょっと不自然ですね。







 おーっ、ここのに掲示されている図が実は一番良かったりして。



 探題はこの神社の雰囲気が気に入ったようでご機嫌です。





 神社に登って周囲を観察すると、本当にここだけ小さな独立丘阜になっていますね。



 反対方向に降りてみます。

 麓にも違う神社が。







 そしてここにも馬頭観音!



 いいねえ。

 向こうにも何かあります。



 こちらは渡良瀬川関連の記念碑のようですね。



 せっかくなので渡良瀬川の土手に上がってみます。

 ところがです。

 土手からはすぐに川は見えず、ゴルフ場が展開していました。

 上流方向の遠くに見える山容が特徴的ですね。



 下流方向には国道354号線に架かる三国橋が見えます。



 土手から先ほどの頼政神社を見ます。



 もう1時間半くらい歩いていますが、寒くてたまらないためこの辺で古河駅方面に向かうことにします。

 日光街道との交差点。





 探題が通っていたという喫茶店「Ocha-Nova」に寄って休憩しましょう。



 すごい、ほぼ満席。

 中は古民家風で私もこういう店は好きです。

 温かい豆乳ラテを飲んで生き返りました。



 16時半、古河駅まで戻り、義母の車にピッキングされて家に戻りました。

 そして夕飯は御所近くのお食事処にて名物のカニコロッケなどをいただき、今日もまたビールが美味い!

 「これを美味しく飲むために歴史歩きをするんですよ」という私の発言に対して、酒豪の義父と義母は賛意を表してくれました。

 それにしても探題、酒飲みの良い表情をしてるねえ。



 今日は寒い中よく歩いて偉かったね!

 どうもありがとう。
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東京都昭島市の歴史3連発!昭島の歴史も面白いよ

2017-01-03 12:02:30 | 八王子・東京・西関東の歴史
 あっという間に2016年が過ぎ去り、気が付けばすでに2017年1月3日になっていました。

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 さて早速ですが、お知らせが2点あります。

 まず一つ目として、「東国を歩く会」の「第8回 歩く日」を1月8日(日)に開催します。

 京王線高幡不動駅に9時集合の予定です。

 歩く場所は、高幡不動をスタートに、その裏山の高幡城に登り、ついで百草城、聖蹟桜ヶ丘駅近くの小野神社、そして関戸城などを予定しています。

 山城をいくつか歩きますが、そんなにハードな山城ではないのでハイキング程度の気分でご参加いただけばOKです。

 そして「懇親会」は、たかお食堂です!

 通常フロアにてやりますよ。

 参加者は直前まで募集しますので、気になった方は私かヤマセミさんまで何らかの手段を講じてご連絡ください。

 背後から近づいて耳元でそっと囁いていただいても結構ですし、夢枕に立っていただいても構いません。

 詳細は後日またご連絡します。

 もちろん、懇親会のみの参加も大歓迎です!

 これを機にたかお食堂に来てみたい方はどうぞご参加ください。

 つづいて、ビジネスなお話し。

 近畿日本ツーリスト八王子営業所での講座をお知らせします。

 まずは、近畿日本ツーリスト八王子営業所の「八王子ジャーナル」最新号をご覧ください。



 この中に私が話したりガイドしたりする講座がいくつか載っていますが、そのなかで皆さんにお知らせしたいのは、1月11日(水)の「カルチャー講座体験デー」です。

 この日は3つの講座が行われるのですが、それぞれ参加費は特別に500円となっており、私の「八王子の歴史を知る」という座学は11時から開始です。

 通常ですと座学は1300円ということが多いので、得体の知れない稲用氏の話を聴くのにそれだけの大金を出すのは勇気がいると言う方は、ぜひこの機会にご参加ください。

 内容は今まで八王子営業所で話して、とくに好評だった内容を1時間に凝縮してお話しします。

 それともう一つ、当該チラシの裏面で紹介しているとおり、1月17日(火)には高尾山の歴史についての講座もあります。



 高尾山は今では年間260万人もの登山客が訪れる世界で一番登山者の多い山となっていますが、そもそも何で高尾山がこんなに人気が出たのか、そういった疑問もお山の歴史を知れば解消できるかもしれません。

 もちろん、信仰の面からもアプローチして解説しますよ。

 ただ登るだけでは飽き足らない方はぜひこの機会に知識を入手してください。

 以上、新年のお知らせはこんな感じなんですが、前回このブログを更新したのは昨年12月26日ですので、年がまたがって気持ちが悪い感があることを承知の上で、ここ1週間ほどの動きをダイジェストにご報告します。

*          *          *


 今年のお掃除も残すところ3日となった12月27日(火)、現場間の移動途中に、昭島市大神に残る五日市鉄道(五鉄)の形跡を見てみました。

 新奥多摩街道は今の会社に入ってから3年以上、しょっちゅう走っており、以前から線路の終端が道路端にポツンと展示してあることは知っていました。

 しかし車を停めて確認する行為に及ぶことは今までなく、ようやくそれを実行してしまったのです。

 こちらが問題の物体。



 でも、説明板などは一つもありません。



 ポイント切り替え機の方は、「株式会社服部製作所」と書いてあります。



 この新奥多摩街道から分岐する道は「五鉄通り」って呼ぶんですね。





 反対方向を見ます。



 新奥多摩街道を横切って西の方向に道路が伸びていますが(画面中央やや右から奥へ向かっている細い道)、五鉄の線路跡ですね。

 その先は多摩川の砂利運搬のために河原へ向けて分岐した方の線路跡がそのまま道路になっているようです。

 なお、五日市鉄道は、立川とあきる野・日の出町方面を結ぶために1922年に設立され、25年に一部開業した鉄道会社で、大東亜戦争中の1940年に南武鉄道(現・JR南武線)と合併して消滅しました。

 しかしそれにしても、スペース的には余裕があるのですから、説明板の一つくらいは設置した方が良いと思うのは私だけではないでしょう。

 つづいて、もう少し立川方面に走り、墓地の隅っこにあるこちらのお堂を訪ねました。



 この古ぼけたお堂が実はこの辺りの歴史を知る上では重要なお堂なのです。



 というか、重要というより、ロマンを秘めているんですよ。

 このお堂については歴史はこちらを!



 まあ、お読みいただければそれで終わりなのですが、一応、郷土史研究家としての側面も持つ掃除のおっさんが少し補足します。

 現在、大神3丁目にある観音寺は大上山薬王院と号する天台宗のお寺で、高月の円通寺の末ですが、ここの墓地はその観音寺の墓地です。

 観音寺は元々は東勝寺と称し、この場所にあったらしいのですが、永禄12年(1569)に武田信玄が小田原城遠征の途中、滝山城を攻める際に兵火にかかって焼失してしまいました。

 その後、上の説明板にも書かれている通り、尼僧がこの場所に東勝庵という庵を結び、慶長8年(1603)には徳川家康の庇護を受け、観音寺として現在の観音寺の場所に再興しました。

 一方、東勝庵もこの地蔵堂としてその形跡を留めているというわけです。

 東勝寺の創建年代に関しては、『昭島市史』によると、東勝庵の境内から文明年間(1469~86)などの板碑が発見されているそうなのでその時代までは遡れそうです。

 また、『新編武蔵風土記稿』によれば、この近辺に「浄土」という小名があり、そこにはかつて浄土寺という天台宗のお寺があったと伝わっており、その近辺からは貞治元年(1362)や永和4年(1378)などの板碑が数十基発見されていることから、南北朝時代末にはこの近辺には人が多く住んでいたのかもしれません。

 すぐ東側の宮沢の阿弥陀寺も南北朝時代の創建と伝わっています(当初の寺地はもう少し東側です)。

 ところで、なぜ私がこの地蔵堂に惹かれるのかというと、以下に述べる歴史背景があるからです。

 おそらく現代の人はこの土地が戦略上の要地であることは想像つかないと思いますが、戦国時代、小田原から北上した道は、現在の八王子市街地に入り、大横町の大義寺南西の交差点を直進し、暁橋を渡って宇津木の龍光寺の近くを通り、そこから「平の渡し」で多摩川を渡っていました。

 このルートを八王子以北では「古川越道」と呼び、その名の通り、多摩川を渡った後は一路川越へ向かっていたのですが、八王子から平の渡しを渡り段丘に上がった先がちょうどこの場所になります。



 (↑クリックすると別ウィンドウで拡大表示されます。)

 昭島市内に入った古川越道は、この東勝寺跡地で右(東)に折れ、阿弥陀寺の横を通って北上して行ったようです(一方で、東勝寺跡地を西に行くルートもあったと思います)。

 ですので、東勝寺というのは、幹線道路のT字路の部分に当たる戦略上非常に重要な場所に建てられたお寺で、お寺というのは場合によっては軍事用の砦になることもあるので、この場所に立つと戦国時代へとイメージが飛躍するわけです。

 ちなみに、上述した古川越道は龍光寺より北は現在の都道162号線となっているのですが、面白いことに多摩川には橋が架かっておらず道が分断されているのにもかかわらず、渡った先も都道162号線として繋がっているのです。

 でも、上の明治の地形図だと多摩川の上に道が描かれていますね。

 おそらく、昔は普段は歩いて渡ることができたのでしょう。

 あと、昭島市の歴史を紹介したついでにもう一点オマケ。

 こちらは11月14日に訪れたお客さんの家の近くにあった御地蔵さんです。





 こちらは「新」ではなく普通の奥多摩街道沿いにあるのですが、面白いのはここから道が90度曲がっていることです。



 (↑クリックすると別ウィンドウで拡大表示されます。)

 明治の地形図を見て思うに、この屈曲は地形には制約されていないので、完全に意図的に作ったものと思われます。

 その時代についてはまだきちんと調べていないので分かりませんが、上の説明板にあるように、拝島宿を形成した際に町の西側のゲート部分としてこの屈曲を故意に作ったのではないでしょうか。

 昭島の歴史について詳しい方がおられましたら、ぜひご教示くださいませ。

 あ、もっと続きを書きたいのですが、ちょっとこの辺で一旦アップします。
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