「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

長洞館(遠野町)

2007-03-31 18:06:03 | 歴史・民俗
 どんよりとした天気、気温は高めながら、スカッとした青空が望めない日々、そんな中、だいぶ雪も融けたということで、未踏の館跡のひとつでもと思い立ち、上郷方面へ・・・・・。

 途中気が変わり、愛車「白濁酒特区スッケ号」は来内方面へ進路変更、遠野町分かと思われますが、〆田集落を過ぎて館前と地元で呼ばれる場所にあるという長洞館を探訪いたしました。



 当初、遠野町方面から上郷町来内へ向かって左手の山野が怪しいと睨んでいたが、来内在住の同僚から来内川の反対側、すなわち南側の山野であると教えられておりましたので、川向こうの山野を気にしながら車を走らせる。

 急勾配の山肌に竪堀らしき溝が見える、さらに山頂部に土塁らしき人工的に盛られたような不自然な形状を確認、長洞橋付近に車を停めて、川向こうの廃屋脇から山野へ突入・・・・。


 山頂から〆田方面を望む

 館跡の山野背部(南)は、山林の伐採作業が行なわれたようで、丸裸、しかも至る所に木出しのためと思われる林道が敷設され、頂部付近は結構破壊されている状況であった。


 主郭だったと思われる山頂

 まっ、館が機能していた頃は、木々が無かったと思われますが、それでも少しだけ気が重いのも確かでもあります。

 気を取り直して来内川寄りの山野へ入ると、判別可能の空堀跡が出現、二重堀確認、さらにこれらは竪堀となって来内川方向へ下っているのが確認できる。

 先人の見解では、ご他聞にもれず安倍時代築と推測されておりますが、この長洞館、確かに取り巻く空掘は遠野に多い規格に近いながらも、帯郭が2段しか確認できない、さらに竪堀の左右の斜面には数段の帯郭が配置されているのが多いのですが、皆無・・・・・時代的には戦国といった雰囲気から少しだけ遠ざかる思いがいたしました。




 空掘跡


 館主・不詳  築年代、使用年代、推測としながらも安倍時代・・・。

 このルートは気仙への交通の要衝であり、直線距離で南東へ1キロ付近には来内館、さらに遠野へ向かっての北方面2キロに袖高屋館が配置されている。
 
 この長洞館は、生産量のある集落を抱えていたのだろうか、現代的な感覚ながらも、来内川沿いの極めて狭い土地柄、農地や集落を抱えていたとすれば来内集落と考えてしまいますが、それでも農業生産を多くは望めない土地との印象でもある。

 長洞館を廃して来内館へ館主一族は移動したものか、或いはその逆か、はたまた軍事、交通の要衝に配置された砦的な要素が強いものなのか、それとも金とか鉱物資源を抱えたがために造られた館なのか、軍事・交通の要衝といったこと意外は謎の館跡かもしれません。
 
 少し残念なことは山頂の背部半分が林道敷設等でだいぶ破壊されていること、背面を取り囲んでいただろう空堀がそのまま削られて林道となっている雰囲気もありますが、木々が伐採されて少し当時の面影を偲ぶこともできるといったなんとも複雑な心境がした館跡でもありました。

 いずれ本編サイトで私的考察を含めましてご紹介したいと思います。

  
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提案

2007-03-29 16:17:43 | 遠野
 今朝はある程度まとまった積雪の朝となりましたが、雪も雨に変わり、まさに春の淡雪、なごり雪といった雰囲気、しかしタイヤ交換のタイミングを計るには少し難しいですよね、もう少し様子をみて交換したいと思います。


 さて、本題・・・・

 あくまでも私の思いつき、実現へ向けて何か・・・を、すぐに取り組もうというものではないのですが、今年の冬に青森県内在住のブロガーさん達が、各ブログで公開された画像の写真展を開催したようでもあります。

 まさにブログの原点といった内容も含まれていたと記憶してますが、ブログ等のインターネットを通じてのその土地からの発信、これは「遠野ぶれんど」にも通じることでもあり、この真似ではありませんが、遠野関連ブログでも、すばらしい遠野画像を展開されている皆さんも多く存在しており、各ブロガーさんからの目線で遠野を観て頂ただいたものをさらに観て頂く、こういった催物があってもいいのではないのか・・・と思案しております。

 要は、遠野ブロガーさんに参加いただき、遠野関連の写真展でも開催しませんかという提案です。

 遠野三山、川、寺社、猫、街中、祭り・・・キーワードに沿ってそれぞれ写真を提供いただく、撮り貯めていた画像でもよろしいでしょうし、これから遠野の四季に応じた画像を撮り始めても良いと思いますし、いずれ昨年遠野ぶれんど会を開催した時期に写真展を開催、或いは観光客が多い時期に開催とか、さらにブロガー意外でもすばらしい画像があるよ、撮りたいといった方々の参加も願うとか・・・・・いずれ5月の連休辺りにでも遠野ぶれんどの懇親会に正式に提案したいと思います。

 あっ、やはり真似ですね・・・汗
 

例えば・・・こんな感じ・・・

タイトル・「遠野の猫」

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怪しエントリー

2007-03-28 19:10:21 | 遠野
 何度も何気なく通る道沿い、横目で確認はするが車から降りてじっくり見るということは皆無・・・笑

 ご存知、怪しいといいますか不気味さ加減は遠野でもピカイチ、それでもどこか滑稽でもあるし、芸術性?も感じる、そんか愛すべきオブジェ、皆さんはどれがお気に入り、気になるものでしょうか・・・笑





エントリー№1  女河童
 河童の世界では巨○のセクシー路線アイドル

エントリー№2  黒べご
 良質な肉質で好評な遠野牛、遠野の自然に育まれたその見事肉体

エントリー№3  鶴
 まさに鶴の一声、大きさも凄い




エントリー№4  遠野犬
 秋田犬を思わせる見事な骨格

エントリー№5  馬
 農耕、軍馬兼用というべき、身体付きからは力強さを感じます。

エントリー№6  ミッキー
 何故かミッキー、「蓮池川」の旗を持っていたけど、今はない。



エントリー№7  小学生河童
 ランドセルに黄色の旗、交通安全に一役買っているかな?

エントリー№8  青ビッキとイケメン河童
 ポルシェ代わりの青ビッキ(蛙)、水中では注目の的かな?




エントリー№9  熊
 いわずと知れた熊の置物風

エントリー№10  亀
 石製のしっかりとした作り


その他


 さて、人気投票といいますか、怪し度を投票いただいても、何がどうなるではありませんが、お気に入りございましたら、コメントください・・・笑
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春祈祷07

2007-03-26 21:32:02 | 福泉寺・伝承等
 天気は良いものの風の強い一日、春近しとなれば強風の日は付き物、それでも来る春も近し・・・です。


 そんな中、我家の伝承行事といいますか宗教的な意味合いが強い「春祈祷」が行なわれました。

 昨年は3月16日、大雪だった昨年、そんなことから少し時期が遅れてしまった経緯がありますが、今年は26日、色々と野暮用続きで時期を逸しておりましたが、なんとか間に合ったという具合です。


 福泉寺住職は所用で釜石へ・・・・副住職様が代理で御勤めとなりました。

 春祈祷は仏壇ではなく神棚へ・・・まさに神仏習合的な内容・・・神棚には遠野郷八幡宮、靖国神社のお札と共に福泉寺からいただいた御札も祀られている。


 春祈祷そのものについてはよく調べておりません。
 いずれ春の農作業を始めるに当り神仏に今年の豊作と家族の安全、健康祈願をするといった意味合いと理解しております。

 秋の御酒と共に伝えられる伝承行事、御酒が廃れかけている現状から、春祈祷は我家にとっては重要な位置づけでもあると思っております。


 神仏へのご祈祷が終ると、家族一人ひとりへの加持が行なわれる。


 午後5時半から開始され間もなく6時、近所のはやちね食堂ご夫妻もお越しになられ、いよいよ会食とありなりました。

 世間話等で話は盛り上がりましたが、午後9時、一応お開き、平日開催は当方の都合もあって、たいへん申し訳ないと思っておりますが、次回何かの機会にまた・・・ということで・・・・。



 春祈祷、福泉寺関連では釜石や大槌といった海岸方面では2月から行なわれているが遠野の檀家信徒で行なわれるのは、極僅か、我家が最終となります。

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安倍館

2007-03-25 17:22:53 | 歴史・民俗
 雨降りの昼前、末娘の中学で着用の運動着を受け取りに街場へ・・・・。



 雨に煙る町並みを 息をきらして駆け続けた
  つきささる 吐息をはいて 駅への道 駆け続けた・・・・

    甲斐バンド・・・裏切りの街角 より

 


 六角牛も霞んでみえません。

 土淵谷地から・・・・

 その昔、小烏瀬川は何度かその流れが変わり、ある時代は海上下へ迂回して猿ヶ石川へ注ぎ、またある時代は似田貝の北側間近を流れて谷地方面へ流れていたこともあったとか、いつも通る度に思うのですが、この画像の場所、かつての川跡ではなかろうか・・・・と?


 ということで、午後には雨もあがり、土淵方面へ車を走らせる・・・。

カッパ淵方面・・・安倍館があったとされる方面






 遠野物語にも記されているが、「安倍と云う家ありて・・・68話」

 土淵町内の安部、阿部姓の方々は前九年合戦で語られる安倍貞任を代表とする安倍氏の末裔或いは縁の家々といわれております。

 カッパ淵隣接の常堅寺界隈は、かつて安倍館があったと伝承されている場所であるが、その痕跡を探し出すことは叶いません、しかし一部堀らしい跡や鏃なども出土したといわれ、遠野物語が刊行された当時から安倍氏縁の人々が住む地域と語られているので、おそらくかつての安倍氏縁の土地だったものと推測されます。

 ちなみにカッパ爺さんとして有名だった故安部与市氏は北浦六郎重任から数えて28代目と伝承されている。


 北浦六郎重任→安倍重任 
  安倍頼時六男といわれ、貞任、宗任の弟

 安倍館は重任が守る館であったと伝承されている。(鳥海弥三郎家任説もある)


 家任→安倍家任(頼時四男)

 余談になりますが、上郷のトントミ(鳥海)・・・細越佐野に鳥海山が存在するという、物見山と連携された物見台を設けたひとつの連絡監視体制を作っていた拠点とも考察できますが、鳥海の名から鳥海三郎こと安倍宗任やら鳥海弥三郎こと安倍家任の安倍氏との関連もチラホラ・・・遠野と安倍氏との関連、これは疑いのないものかもしれません。

 こちらもじっくりと取り組みたいと考えてます。


おまけ

一箇所に集められたような気がするのですが・・・・・


 
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なんちゃって盛岡な日々

2007-03-23 20:20:37 | その他
 なんとなく早春らしい気候、中旬に降った雪もだいぶ融けている。



 野暮用で盛岡へ・・・盛岡は雪はほとんど無し、岩手山もなんとか顔を覗かせるまずまずの天気、母親は病院への通院、長男の携帯電話の購入・・・その他諸々・・結局、夕方6時まで盛岡にいる羽目に、野暮用も辛いものがあります・・・汗



紺屋町




 盛岡市消防団の屯所、建替え等が計画されたようですが、盛岡らしい景観に相応しいものでもあり、市民有志による働きかけによって残された建物といえます。


 来る26日予定の我家の春祈祷、そのための食材やら飲物等の一部を仕入れてきましたが、盛岡バージョンの焼酎を購入、少しだけ早い石割桜をどうぞ・・・笑



瓶の中を覗くと・・・・


 盛岡の名勝・石割桜
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彼岸の中日

2007-03-21 10:20:47 | 
 まずは、昨夜行なわれた上司の送別会


 最近、飲会にはバスを利用、しかも今回は200円バスの日、通常遠野の街までは370円、少し得した気分に浸る・・・・。


 勤続42年の長きにわたるサラリーマン生活、31日に退官される上司の送別会があって、参加いたしました。
 18歳で就職、水関連の専門職として40年、畑は違うといいますが、最後の2年は、やはり水が無ければ商売にならない職種へ・・・しかもこの2年間は世間様に頭を下げてばかり・・・たいへんご迷惑をおかけいたしました。

 42年間ご苦労様でした。

 宴は盛り上がり、二次会までは、ほぼ全員の参加、個人的には三次会まで・・・御前様直前の帰還とあいなりました・・・汗


 

 そして翌日・・・本日は彼岸の中日、家族でお墓参り、長男の高校合格をご先祖様に報告を兼ねながら手を合わせて参りました。


 


 昨日、ネネのお友達が遊びに来ておりました。



 実はこのプチ猫、最近勢力拡大中のボス猫、毎日のように出没しネネもオチオチ散歩もできない状況下にある。



 しばらくの睨みあい、家の中にいる強みか、ネネも相手をするのに飽きたのか、ストーブ前で至福の安眠となりました。


おまけ

 送別会場へ行く途中で出逢った町猫
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名匠樗山の作

2007-03-18 16:08:44 | 福泉寺・伝承等
 福泉寺本堂を建てた大工さん、そして彫刻を施した人物が同一人物ということが遅まきながら判明、その名を「小原樗山 おばらちょざん」・・・・・。


大正元年完成の本堂


 すぱらしい彫刻が施されている。


小原樗山・・大正期活躍した宮大工

1862(文久2)年生~1927(昭和2)歿年

花巻市東和町小山田出身・初代高橋勘次郎(1793-1865)の大和流彫刻の流れを伝承する家細工(その流派を継承する彫り手法)の第一人者


 樗山の作である胡四王神社本殿の唐獅子


福泉寺本堂の唐獅子




 樗山が建てた本堂、樗山の名は実は時折耳にしていたのですが、有名な宮大工であるという認識は私にはなく、ただ聞き流していたのがホントでした。

 本日、隣家でしかも同じ系譜の御宅の法事に二日酔いの身ながらお邪魔して来たのですが、その中で、多くは語れませんが、樗山が本堂を完成させた際に2枚の絵を残していったといわれており、その内1枚は福泉寺に、もう1枚は我家へ・・・というより同系譜の御宅に・・・・分け有でこれ以上は語れませんが、見事な絵を今回拝ませていただいた、しかも我先祖の恩人、真言行者の前川慶喜師がやはり残していった巻物と共に・・・・複雑な心境ながら、現実からは逃避はできない・・・・。

 ということで、今回、法事の席で本堂を建設した大工、小原樗山は岩手ではかなり名の通った名工、名匠であることをはじめて知りました・・・・汗



 本堂の龍の逸話

 先代住職、宥然和尚が若き頃、本堂の前の地面に何かの塊が落ちていたという。
 側に近寄ると、一匹の龍、しかもそれは本堂に彫られた龍であったが、これは何かの拍子に落下したに違いないと思ったそうです。
 ところが、この龍、結構な高さから落下したにも関らず、髭等の細工部分何一つ欠損もなく、無傷であったという。
 
 時折、この龍、空を飛び遊んでいたに違いないと皆で言い合ったとか、名匠の作ということで、その見事な出来栄え、落下しても無傷ということ、妄想もホントかもしれないと思わせるエピソードでもあります。




おまけ

かねなり

 法事で振舞われましたが、最近食べていなかったせいか、結構美味かったです。
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13年間ありがとう

2007-03-17 15:16:54 | 遠野
 毎度、卒業式やらお祝い事ですみません。

 末娘である二女の卒業式が行なわれました。



 長女、長男、そして二女、3度目の小学校卒業式、連続13年間小学校のPTAということになりますが、これも今日で最後、二女の6年間の小学生生活の思い出も去ることながら、13年間の思い出が、ごっちゃ混ぜに脳裏に浮かぶ・・・・。


 卒業生75名、ほとんどは遠野中学校へ通うことになります。


 身体よりランドセルの方が大きいのではないのか、黄色い帽子を被って元気に通う我子の姿を思い起こすと、少し涙目になってしまった。
 あれから6年、さらに13年の思い出、親も子も良き思い出を胸に旅立ちたい、そんな思いもいたしました。

 教職員も皆さん、そしてご父兄の皆さん、お友達の皆さん、ありがとうございました。



 駒木地区から通う幼馴染と・・・・。

 中学に行っても頑張れよ・・・・!



 謝恩会は山の神様、私は夕方からの先生を囲んでの懇親会へ・・・・。


 夜の模様をご希望でしたら後ほどアップいたしますが・・・・笑

(笛吹童子さんも一緒の予定)・・・笑
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遠野物語の殿堂

2007-03-16 13:35:28 | 遠野
 朝は冷え込み、綿雪が舞っていた遠野、時間が経つにつれ青空も広がりはじめたが午後は、雲が空を覆い鉛色の風景となっている。

正午頃の画像


鍋倉城址・・・三の丸


沢里丸



 遠野物語の殿堂「遠野物語研究所」

 遠野物語研究所は、1995年、遠野市と遠野市民の協議により設立。
 日本民俗学の父「柳田國男」の遠野物語を中心に、遠野の歴史民俗と日本の常民の民俗文化を調査研究をしているNPO法人です。

 
 関連でのお知らせ・・・・

 毎年恒例となっております「遠野物語ゼミナール」今年も8月24日・25日に遠野市において開催されますが、今年は遠野市と友好都市である東京都武蔵野市との共催で2007遠野物語ゼミナール東京会場が開催されます。

 関東在住の方々をはじめ、参加してもいいかな・・・と思われる皆様、下記によりどうぞこの機会に受講してください。

○テーマ・・遠野物語の誕生
○日 時・・平成19年6月2日(土)前10時~後5時
○会 場・・東京都武蔵野公会堂
○受講料・・1千5百円

 基調講演「近代日本と遠野物語」東京学芸大学教授 石井正巳
 昔話 新田スミ
 記念講演「私と遠野物語」児童文学作家 松谷みよ子
 シンポジウム 石井正巳・高柳俊郎(研究所長)小田富英(柳田國男研究所)

 他に小学生講座「藁細工・昔話等・・・」別途5百円程度


 ということで、先着300名限定なそうです。
 参加申し込みは直接遠野物語研究所0198-62-0809(FAX兼)に電話か、FAXにて住所、氏名、連絡先をお知らせください。
 折り返し後日に受講票と受講料振込み用紙が届けられます。


 私も野暮用ついでに参加しようかな・・・と思案中です。



 私も一応、遠野物語研究所の会員登録をしておりますが、ほとんど会費要員といった具合、唯一毎年1月に開催の遠野学会の傍聴といったことのみですが、郷土史関連も取り扱っているということで、私の場合はこの方面で今後何かと関っていけたらと思っております・・・・。
 
 
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