「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

赤羽根峠

2006-01-30 14:48:56 | その他
 まだまだ雪融けには早い季節ながら、昨年春に訪ねた気仙郡住田町内の城館跡をサイトにまだアップしていない・・・・画像が思ったより少ないという理由でもありましたが、この季節でも温暖な住田地方は、なんとか舘跡に入ることができるのではないのか、取り残しの画像でも撮ってこようと思い立ち、早速出かけてきた。

 が・・・もくろみは失敗、住田町もかなりの積雪、ましてや遠野境に近い上有住、下有住地区もまだまだ白い世界でもありました。
 これは3月にならないと山城めぐりは無理かな・・と判断すると年に4~5度ほど訪れます大船渡市日頃市の「五葉温泉・しゃくなげの湯」に予定変更、温泉に浸かりサッパリ・・・いい身分ですかね・・・。
 日頃市地区は雪はほとんどなし、遠野では3月頃の気候でもありました。

 五葉温泉


 前置きが長くなりましたが、赤羽根峠・・・
 今は赤羽根トンネルが開通し峠道を利用するということはなくなりましたが、歴史的には気仙と遠野を結ぶ交通の要衝、しかも軍事的にも重要な峠でもありました。
 さらに義経北行伝説のルートともいわれております。
 
 画像は赤羽根スキー場

 

 遠野市民スキー場との位置付けで、ファミリー、初心者向けのコース設定。
 ナイター設備も整っており、リフトは無し、ロープトゥ3基。
 土、日、祝日は大船渡、陸前高田、住田、釜石、大槌といった三陸沿岸からもスキー客が来ますが、それでもまだまだ穴場的なスキー場かもしれません。
 三陸方面からも近い赤羽根スキー場、内陸の本格的なゲレンデ、設備を誇るスキー場に行く前の練習、足慣らしでも構わないと思いますので、どうぞお越しください。

 私も以前はイッパシのスキーヤー気取りでした。主なゲレンデは雫石の網張スキー場、岩手高原スキー場でしたが、地元赤羽根スキー場にもたいへんお世話になりました。
 ここで自己練習をして腕前・・?足前を鍛えたといっても過言ではございません。 
 一時、市スキー協会にも所属しておりましたしね・・・・

 もう5年になりますが、あれだけやったスキーは現在全くやっておりません。
 
 

 ちなみにスキー検定、一級を持っております。
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同じ釜の飯

2006-01-27 12:29:38 | ファイヤー
 1年365日、うち120日~130日を勤務として24時間職場で過ごす、緊張の中での楽しみのひとつが夕食である。
 「早い・安い・美味い」さらに「盛っこ」が良い・・これが勤務日当日の食当に課せられた使命でもある。

 同じ釜の飯をいただく仲間、家庭にない雰囲気と食の美味さを感じる瞬間でもある夕食、何故かチームとして食べる夕食はことのほか美味いのである。
 
 たまたま、画像は定番カレーライス、若干カツも入っているが、カレーライスは早い、安い、美味い、・・しかも御代わりができる、人気メニューであり、個々によりその味付けが異なり、私は勤務の度にカレーでも良いと思えるほど大好きでもある。
 
 簡単レシピ・・・
 たまねぎはしんなり狐色になるまで炒める。
 ジャガイモ、にんじんは豪快に大きく切る。(融け具合で丁度よくなる)
 カレールーは市販の辛さ5番と中辛3番をブレンドする。(ジャワとこくまろ)(印度とバーモンド)といった具合・・・。
 
 個人的には以前一緒に勤務していた当ブログとリンクしております「二進も三進も」の、後輩うめぼし君のカレーが大好きです・・・ホント・・美味いですよ。

 ちなみに私の食当では、冬季メニュー「キムチ鍋」それ以外の季節「五目ちらし」「しょうが焼き定食」・・・等・・
 ひとりひとり得意料理があるので、2~3の料理を転がせば飽きがこなくて職場での食生活は万全です。



 

 画像は盛り付け状態が少々見苦しくさらにピンボケが入ってますが、一応カツ入りカレーライス(カツは2~3切れ)とニラ玉スープ
 これでひとり350円也・・・・。

 仲間達と過ごす談笑を含む至福のとき、しかし、この食事をチーム全員揃っていただくことができない場面も多々あります。
 冷えた夕食を急いで口に運ぶ・・・だからこそ、チーム全員が揃っていただく夕食が美味いのである。
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ぺっこ松崎、飛びとび紀行

2006-01-25 14:19:53 | 遠野
 最初に、家の山ノ神さんが公開しておりますタイトル「気まぐれなパン作り」、趣味でのパン、ケーキ作りを主に扱ったブログなんですが、仕事上の勉強のため、ここ1週間ほど更新ができないということで、その代わりに当ブログにて若干画像のみですが、ご紹介を「ぺっこ」だけいたします。
 ブログの更新はできないのにパンやケーキ作りをする時間がある・・・というのも変な理由なんですが、一応山ノ神様のいうことですから、聞かないわけにはいかない・・・諸般の事情があるということでご勘弁願いします。

 

 亘理権太夫、玉姫様から下賜されましたイチゴ、これが最後のイチゴとなります。・・・「うんめがった」

 さて、今回は町田と宮代

 町田・・・中学、高校と冬季間はバスで通学しておりましたが、バス路線を附馬牛~土淵似田貝~谷地~八幡~新張~遠野を「上」。
 駒木~矢崎~松崎~白岩~早瀬~遠野を「下」と呼んでおりました。
 松崎の町田にもバス停があったのですが、今はないっ。

 

 町田・・・松崎保育園付近

 宮代・・・消防団第5分団旧第2部屯所付近

 

 松崎廻りのバス路線は、松崎~宮代~光興寺~白岩・・と変更されている、結構前から変更されてますが、どうも松崎~町田~蓬田・・といったイメージが未だにございます。

 

 駒木橋から見た猿ヶ石川と耳切山・・遠野馬の里方向

 この猿ヶ石川・・・流れが記憶の中の川ではない、なんでこうなったのか・・最近ようやく川らしくなってきたと感じているところです。

 ちょっと春めいてきたかな・・・と感じるところまで約1ヶ月半くらいか?
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2006-01-24 17:55:12 | 遠野
 静岡からみる富士山が表と一般的にいわれる。じゃ~・・裏は山梨からみた富士山か・・・・これは山梨の皆様にはなんとも失礼なイメージかもしれない。

 天ヶ森にもいえることで、松崎からみた天ヶ森が表で、裏は附馬牛方面からみえる姿のなのか・・・、天ヶ森に関しては表も裏も私は感じないし、表も裏もないだろう・・。
 富士山だって山梨からみえる姿もすばらしいと思ったりして・・・。

 

 遠野馬の里からみえる天ヶ森

 松崎、沢の口が松崎側の天ヶ森の麓というべき位置付けながら、私の住む駒木地区、小田沢集落からみた天ヶ森・・・↓の画像・・・猿ヶ石川を越えての山は天ヶ森である。

 

 だいぶ天ヶ森の感じが違うと思われるかもしれませんが、小田沢の隣、附馬牛町の安居台集落は、まさに天ヶ森の直下という位置付けでもあります。
 
 
 

 でも、やっぱ遠野や松崎からみえる姿が天ヶ森といったイメージかもしれませんな・・。
 
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うれしいお届物

2006-01-23 05:59:09 | その他
 昨日の記事でネットでのお付き合いについて書き込んだばかりであるが、やはりブログを通じて、交流がある伊達政宗の家臣で従兄弟ともいわれ、伊達家中、最も猛勇を誇った伊達成実公が治められた地、亘理・・・亘理権大夫、玉千代様から「いちご」をいただきました。
 ありがとうございました。
 
 早速、イチゴパフェもどきにていただきました。

 

 特に末娘はイチゴが大好きで、たいへんな喜びよう、ついでにネネもなめただけですが、流石にイチゴは食べれないようです。

 

 ありがとうございました。
 今後もどうぞよろしくお願いします。

 「うめがった」・・・。
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ネット交流

2006-01-22 13:48:51 | その他
 最近はブログ主流、誰でも簡単に開設でき、インターネットを通じて情報発信並びに収集もできる。さらに交流もできるといった便利な時代となっております。
 
 という私もブログをはじめて1年半余り、独り言的な内容ながらも、少なからず反応もいただきコメントをお寄せいただきます皆様には感謝申し上げます。

 さて、5年前にホームページを開設、「遠野松崎じぇんご弐」として今も継続中である。
 さらに一年後、東北史を扱う「奥州虎猫舘」を開設、今や本編サイトでの松崎じぇんごのアクセス数に迫ろうかという場面でもありますが、思うところあって、虎猫舘内のカテゴリー、「一山百文」という奥羽越戊辰戦争を扱った頁を閉鎖いたしました。
 幕末、明治維新という時代は歴史ファンが多く、サイトも数多く存在しております。中にはアクセス数百万台を誇るヒットサイトも存在している反面、浮き沈みが激しく新人歌手ではございませんが、出たり消えたり・・・そんな中、東北というローカルでマイナーな内容である我サイト、なんとか常連さんも付いてくれて、それなりにその道では少しは知られるサイトとなり、また掲示板も結構賑やかな部類でもありました。

 今回の幕末維新部門からの撤退、一番は郷土史分野の確立、充実・・と偉そうなことを考えてのことでもありますが、閉鎖するに当たって、掲示板で交流を持つことができ、そしてネットという世界のみならず、現実の世界で実際にお会いして交流が成った皆様が居たこと、住む地域、育った環境、性別、年齢も違う方々との出会い、これらが一番の収穫であり、喜びでもありました。

 会津オフ・・東北、関東、北陸から私のサイトを通じて会津若松でのオフ会、全く文字以外では見ず知らず、わざわざ富山から列車を乗り継いで7時間半もかけて参加いただいた方、高速バスで来てくださった方、ガイド要らず、現地を詳細にご案内いただいた方、私も自家用車で5時間かけて会津入り、はじめて会ったのにすぐ打ち解けることができる、夜の懇親会も思い出深く、楽しかった。
 サイトを開設して4年、変わらず開設当初から訪ねてくださった皆さんでもありました。

 とかくインターネットでの交流のイメージは、掲示板の場合、最初は興味あることへの質問、意見、情報交換、これらからはじまる、最初の一ヶ月くらいは頻繁に訪ねるが、言い方は悪いが飽きてくるとそれっきり・・通りすがり的なことが多い・・私もそういった一人でもありましたが、こうして変わりなくお越しいただいた皆さんが居たこと、これはホントありがたいことでもあります。
 この方々とは会津オフ後も東京で同窓会的な集まりを持ったこともあります。無論、今後も盛岡や思い出の地、会津若松、或いは函館や松前、そして東京と・・機会あるごとに集まりたい・・そう考えております。
 
 ひとつのきっかけ的なことは無くなってしまいましたが、むしろ人間としての交流はこれから・・・インターネット時代とはいえ、これによって出会えたことに感謝しつつ、またの再会を楽しみに頑張っていきたい、そう思っております。

画像は閉鎖した我サイトの一部

 

 なお、記事とは関連ありませんが、遠野市における城館屋敷一覧表を本編サイトへアップいたしました。
 こちら
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「もーす」・店屋の思ひで

2006-01-20 09:59:30 | 遠野
 「もーす」・・・幼い頃地元の商店に買物に行くと、この「もーす」の言葉と共に店の戸を開ける、そうしますと店番のおばさんが「はいよっ」と奥から出てくる、そんな日常的なことが思い出される。
 幼い頃、駒木地区には3軒の商店があった、共通することは店番といいますか、ご主人は女性であったこと。

 お小遣いもろくに貰えなかった当時、10円玉を握りしめてお菓子類を買う、どんなに嬉しかったことか・・・・今は3軒のうち1軒が健在である。

海上バス停脇の店屋跡
 

 おばあさんがひとり居た記憶がある。
 海上で遊んだ際は、5円だったかな?クジをひいて駄菓子やおもちゃを当てようとやっきになっていた。 
 皆さんは知ってますかね・・・コーラ系の飲み物で「クイントだったかクインターだったか?」瓶に入った飲物、形も味もコカコーラそっくり、ペプシではございませんよ・・笑・・・この飲物、確か瓶コーラが一本50円の頃、25円だったのでよく飲みました・・・。ここでしか売ってなかったんですよ。

 上の店屋っこ(岩間商店)
 

 近年まで酒屋さんとして営業してましたが、今は空家となっております。
 駒木で唯一の酒屋さん、爺さん連中が「もっきり」をよく飲みに行ってましたな・・笑・・
 当時は子供も大人も「すのじょう」と呼んでおりました。ご主人の名が「しんのじょう」親之丞氏ということでしたが、私が小学低学年の頃にお亡くなりになられ、その後は奥さんが切盛りしておられました。
 いつも和服を着ているおばあさんで、結構お釣りとかごまかされたりしたな・・笑・・でもお菓子類、インスタントラーメン類は充実してましたし、一番は釣針やテグス、ウキといった釣り用具を扱っていたこと、これがありがたかったです。
 「すのじょう」或いは「かみのみせや」と言っていたことが懐かしいです。

 下の店屋っこ(安藤商店)
 
 
 今なお、現役で営業しております。
 子供の頃は、「下の店・しものみせ」と親しみを込めて呼んでいた。駒木地区のメインストリートに位置し、上の店とは僅か80m程しか離れていない。
 安藤という駒木では珍しい苗字ですが、てっきり堀内商店とばかり思っていた時期があった・・・。
 床屋さんが月に一度出張してきてお店の一角で営業をしていたことが思い出される。

 ということで思い出の店屋っこ、これにて御終い・・・
 流石に「もーす」とか「もーし」との声がけで今は中には入れない・・・笑

 そういえば昔、アイスに「しまかげ」とか「ビバオール」といった当たりつきアイスがありました。
 木の棒に「しまかげ」と書かれてあったらもう一本、「ビバオール」も同じで、さらに別々に「ビバ」と「オール」とあって、二つ合わせてビバオール、すかさずもう一本・・・これを下の店で買ったら大当たり、翌日、上の店に持って行ったら、うちで買ったアイスが当たったわけではないので、当たりのアイスはあげないといわれたことがあった・・・笑
 
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ぺっこ松崎2

2006-01-19 11:38:20 | 遠野
 風がもの凄く冷たい、芯から冷えるとはこのことか・・・枝道の路面はアイスバーン、一昔前までのスパイクタイヤがいかに威力があったか思い知らされる・・。

 さて、続けての松崎シリーズとなってしまいましたが、遠く異国に暮らし松崎縁のアルエンさんからのコメントに基づいて少しですが、今現在の松崎をご紹介いたします。

 
遠野市立松崎小学校跡地、現遠野市給食センター・・・
松崎小学校の二宮金次郎像・・・敷地の片隅にひっそりと佇んでます。

 

 蓬田界隈・・・
 確かに画像の右側には以前お店がございました。私は松崎といっても駒木なので少年時代はこの方面に詳しくなかったけど、遠野中学校からの帰り道、たまにここ蓬田の商店にてファンタホームサイズ(500㍉)を買って飲みながら家路を急いだことがあります。確か昆野商店という名前だったような・・・?

 

 松崎小学校校舎・・・
 半分以上当時の建物は取り壊されております。
 ソフトボールの練習試合、駒木小対松崎小・・・全く松崎の子供達には歯が立たなかった。結構松崎の子供達は運動神経がよくて、足も速い子供達もいた、しかも遠野市内では当時トップクラスだったりして・・・小5年のとき、ソフトボールの練習試合、7対5で負けていた最終回、自分の二塁打を足がかりに3点を挙げて逆転サヨナラ・・練習試合とはいえ、松崎に勝ったうれしさは半端ではなかった・・笑

 

 松崎橋・・・
 以前は赤橋といっていた。欄干が赤い塗料で塗ってあって、遠野中学校でのロードレースでの折り返し地点、往復5キロのコース。
 140名位の男子同級生とロードレース、1年のとき9位(入賞)2年生104位、3年生12位・・・。
 赤橋は十数年前の台風の際の洪水で流されてしまい、新しい松崎橋が架けられた。
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ぺっこ松崎

2006-01-17 19:16:35 | 遠野
 休日であったので床屋さんに行く、その帰り、いつもの風景ながら松崎界隈をデジカメで「カシャッ」・・・・

 「ぺっこ」とは「小さいとか、少ないという意味」・・八戸では「ぺっこ」は通じないらしい・・同じ旧南部領であっても若干方言の違いを感じる。
 
 ということで「ぺっこ松崎」は「ちょっと松崎」という意味で受け取っていただければよろしいかと思います。

 
 旧松崎小学校

 母校駒木小学校校舎は既に取り壊され校門と跡地のみであるが、兄弟校とされる松崎小学校は一部ですが校舎が現存している。講堂(体育館)と校舎の一部・・職業訓練校として長らく使われていたこともあると思いますし、図書館博物館の分室といいますか、資料等を保管する倉庫として使用もされているようです。

 
 天ヶ森・・・
 マイ天ヶ森と最近呼んでいますが、実はまだ登ったことがないっ、頂上に何か石碑とか経塚とか、何かしらあるのではないのか・・と、とある民宿のご主人から問い合わせがあったが、早池峰~早池峰神社~神遣神社~天ヶ森~宮代八幡~加茂神社~来内権現・・が図面上では一直線で結ばれるという・・ということで何かしら存在するかもしれない。
 普通の山城攻略とは高さが違うので、高清水山の途中まで車で行って、尾根沿いに天ヶ森へ行ければ結構楽かな・・・?・・と考えている。

 
 駒木方面・・・耳切山

 
 八幡沢館と小烏瀬川・・・六角牛山も見えます。

 古の駒木領主、菊池姓駒木豊前の居舘・・画像は遠いですが、若干の段差がわかるものと思います。
 ここは八幡太郎義家伝説縁の地、前九年合戦で附馬牛方面に退却の安倍貞任軍と矢合戦をしたといわれる地、さらにこの山に源義家が陣を張り座して休んだと伝えられ、その名、八幡座山とも言われております。
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とらねこ・名の由来

2006-01-16 19:01:58 | 
 とらねこなどというハンドルネームを名乗って早5年、オフの状態で会う方々とも「とらねこさん」で違和感なく会話もできるといった今は、実は本名以上の親しみを感じておるところです。
 
 さて、とらねこの由来・・・・

 
 お昼寝から目覚めたネネ

 5年前にホームページを開設、その際にペンネームみたいなハンドルネームを管理人の皆さんが名乗っていることが多く、私も何か名乗らねば・・そう考えていた。
 遠野発信・・・遠野らしい名前は、いやっ、本名に近いもの、いやいや、不特定多数がみるインターネット、本名はまずいだろ~、でも遠野の方々にもみていただきたいし、しかし、簡単に正体がバレてもなんかの時困るしナア・・・と色々と頭を悩ませていたが、ちょうどトラ猫の子猫を隣のお宅からいただいていたので、迷わず「とらねこ」と名乗ることにした。
 猫好きだし、結構簡単明瞭、さらに厳しい名よりも親しみも感じてもらえるかも・・そんな思いでもありました。
 結局、この子猫は数日で家から居なくなってしまった・・・とらねこの根本がなくなってしまったが、その後、飼猫はトラ猫系・・以来我家にはマスコットとしてのトラ猫を家猫として飼っております。

 
 
 

 とらねこネネ・・・15ヶ月・雄
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