「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

田植の頃を思い出して

2024-05-23 06:57:10 | 思いで

 地域での田植作業も佳境を迎えております。

8割方は終了かな?

思い起こすに・・・

昭和40年代までは田植といえば6月に入ってからという印象が残っております。

苗も水田の中で育てられる技法(水苗代)?だった。

田植機械はあったけど、それは昭和40年代半ば頃から普及したのかな?我家に関しては、もう少し遅かったと認識しております。(S40年代後半~50年代前半)

子供の頃、集落内の系統(まぎ)、いわゆる5代位前まで先祖で繋がっている親戚総ぐるみで各家々の田んぼの田植え作業を順に行っていた記憶があります。

無論、手植えで親類の小母さんとか母親、祖母、伯母7~8人が並んで田植えをしておりました。

1軒の田植えが終わるとご馳走が振舞われ、親父や親戚の小父さん達が酒飲んで大騒ぎやら時には取っ組み合いをしていたことを思い出します。(;^ω^)

2~3日に一回、このような宴会みたいなのがあったのに全て終わってからも「田植あがり・さなぶり」と称して集落単位でも飲み会があったことも記憶しております。

※さなぶり 集落で継続中

子供達は一升瓶に入った葡萄ジュース、ぶどう液と呼ばれていたけど、美味いもんだと思いながら飲んだものでした。

特別な時にしか飲めない代物で田植上り、運動会での慰労会、建前(上棟式)、お祭りという感じでしたね。

今は地域内の田んぼも自家で米づくりをする農家は1割程度か?大半は大型農機を揃えて一連の作業を一手に引き受ける農家さんに依頼する方式と様変わりしております。

これも時代の流れということですね。

 

撮っていた反対側に目を向けると・・・。

白いサギはいたけどダイサギ?ゴイサギか?青色のが降り立った。

ネット(SNS)やら特にスマホ・携帯電話関連(LINE、メール)での詐欺が横行しているようです。

ほとんどは嘘、詐欺とのことですのでお気をつけてください。

それにしても大金(数千万円、数億円)と騙されたという話しを聴くにつれ、お気の毒と思うも、そんな大金があること自体驚きですし、そんなにあるなら増やそうと考えずに?十分以上でしょっ、と思うのは小生だけでしょうか?

(;^_^A

鳥っこついでに・・・

久々にノスリ君を見かけた。

望遠装着レンズ持っていて良かったけど終始、向こうを見たまま。

こちらは隣家の擁壁にしがみついている猫。

そして我家の猫のしたず・・・(茶系2匹)

奥 茶々3歳♀(我家) 手前 トラ6歳♂(二女飼猫)

もう数日で二女宅の猫達も帰宅予定。

だいぶ猫達も慣れて親しんだ雰囲気でしたが、そろそろ・・・本音です。

(笑)

またお盆とか、まとまった休みの際に来ればよろし・・・です。

(笑)

カキツバタ、菖蒲系も咲き進んでます。

このビールの東北版CMエキストラに合格、週末に撮影となります。

 

 

 

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思い立って海へ

2022-07-27 17:53:08 | 思いで

 ようやく北東北の梅雨も明けたということで、いよいよ本格的な夏、盛夏となりますね。

7月も20日が過ぎると三陸沿岸でも既に海開きしていたはず・・・と思い立ち、遠野からは近場となる海水浴場、大槌町の「浪板海岸」へ行ってみることに・・・。

小生が海水浴に行ったわけではなく、その様子を見に行ったということです。

(;^ω^)

 

岩手の内陸地方は青空は少ないものの、気温も上がって真夏日になるとの予報。

目指す三陸沿岸は曇り空で濃霧注意報が発令中、それでも現地の様子もわからないので、とりあえず出掛けてみることにしました。

正午近く、自宅を出発、釜石道~三陸道を使って山田南ICまで。

途中、大槌辺りでポツポツと雨にあたるも山田町に入ったら結構強い雨脚、それでも専用道を下りて釜石方面へ国道利用で逆戻り、一路浪板海岸へ・・・。

波は穏やか

濃霧注意報が出ているということで確かに霧がかかっております。

弱い雨降り、海水浴客は家族連れのみ数組?20人程度かな。

学校等は夏休みに入ってますが、この天候ですし沿岸は気温が25度と内陸ほど気温は上がってなくて平日も手伝って海水浴客も極少ということですね。

ということで、カメラ2台体制。

駐車場で愛車撮りとサーファーがいたら望遠で撮ってみようと考えてましたが、水着姿の女性も期待してのこと・・・大汗

下手すれば隠し撮りということでヤバい展開になりそうなので、極力人物は撮らないことに・・・(^-^;

一眼デジに白レンズ持って波打ち際に立つは、やはりダメと判断しまして、愛車撮りも止めて次の目的地に移動となりました。

晴れていれば、また違った展開だったかもしれませんが、やはりマズイということで一眼や望遠持参での海行きは次回から控えたいと思います。

 

ここ浪板海岸は青春時代の思い出の海・・・(^^;

2020年8月に訪ねた際の記事に詳しいです。

こちら

 

個人的に海水浴場とくれば釜石の根浜海岸、大槌町の吉里吉里、そして浪板海岸となりますかね。

根浜と吉里吉里は小学生及び中学生の頃にそれぞれ1度、浪板海岸は子供時代に社会人になってからも合わせると4度ほどかな(・・?

特に社会人になってからは3度来たけど、記憶に残る思い出の渚となります。笑

これは海水浴のお話し、夏以外の季節でドライブで来たのは数知れず・・・(大袈裟)

(;^ω^)

それぞれ途切れ途切れながらも懐かしい場面が思い浮びますね。

国道脇の駐車場にはRX7、コスモ、スカイラインケンメリにジャパン、ローレル、セリカクーペ、シルビア、ギャランシグマにラムダ、117クーペ・・・1970年~80年代前半を代表する車が出入りする姿が脳裏に浮かびます・・・(^-^;

例の青春時代の思い出のディスコソング「フラッシャー」を現代に聴きながら現地に到着、離れる際もリピートして次へ向かいました。

晴れて暑い日に再訪して懐かしさに浸りたいと思ってます。

(;^ω^)

 

そのまま向かった先は・・・

大槌町 「ますとの湯」

駐車場はけっこうな数の車が駐車してましたが、中はさほど混雑しておりませんでした。

女風呂が混んでいたのかな?

着いた辺りに激しい雨脚となり5分ほど車内で待機、埒があかないということで走って建物に入り、日帰り入浴を堪能しました。

サウナは凄い汗でサッパリとしましたとさ。

帰宅してからのビールは最高でした・・・(;^ω^)

いずれ、また行こうっと。

 

先週の強い雨風で折れた木枝

境内は山百合が最盛期となっております。

さっ、どこまで暑くなるのかな?

いよいよ夏の始まりで~す。

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土淵町本宿界隈を歩く

2020-09-04 16:11:37 | 思いで

 吹き渡る風は秋の風と感じるこの頃

秋の花というイメージが強いコスモスも実は7月半ば辺りから咲いておりますが、まだまだ健在で、その勢いはまさしく今、秋のイメージがそのままという雰囲気でもありますね。

しかし・・・空はまだ夏らしさも残り、残暑が厳しい日々となっております。

一雨あればクールダウンとなりそうですが、中途半端ですと蒸れて不快指数倍増ということも・・・エアコンももう少しだけ使うことになりそうです。?

 

さて・・・先月だったか?いつものウォーキングコースに隣接する地区である土淵町の一部も加えて歩いておりますが、今回はその続きという位置づけで、土淵町のかつて中心地なのかな?本宿(もとしゅく)まで足を延ばしてみました。

 

土渕保育園辺り

隣にかつての土淵診療所の建物が残されている。

 

向かい側

高〇子酒店さん

目出度い名前なんですよね・・・。

 

反対側から

手前の床屋さんには高校時代に、お世話になっておりました。

 

かつてのТ場 自動車整備工場

 

反対側から

かつてのS商店(衣料店)

中学生になるとき、学生服の注文は此処の衣料店でしたが、若主人さんが一生懸命な方という印象で、世間話も上手くて、ちょっとした希望なんかも聴いてくれたような?小生よりは一回りくらい年上だと思うので当時は20歳代前半位か?だとしたらあの若さで商売熱心で凄い人だったんだな・・・と思っております。

 

橋〇商店と郵便局

 

〇村輪店

ご主人が亡父と知り合いで自転車、バイクのほとんどは、このお店から購入しておりました。

けっこうお世話になった思いがありますが、父親が亡くなってからは疎遠となってしまったような・・・。

 

いずれ懐かしい光景も商店等は、ほとんど廃業状態となっている界隈ですね。

かつての国道340号沿いではあるんですが、車通りも東側に出来たバイパス(カッパロード)がメインとなり、さらに寂しくなっております。

 

かつての土淵小学校、土淵中学校 校門跡

小学校は早くに現在地に移転しておりますが、木造校舎の小学校と中学校が隣接して建っていた頃の姿を記憶しております。

また、手前には農協の支所もありましたが、現在は倉庫のみ残されております。

 

本宿バス停からUターン、伝承園まで戻って来て、いつもの自転車専用道を使ってウォーキングの続きとして帰宅しました。

 

時折の風は気持ち良かったですが、日差しも強く、しかも湿気が多いのか、思いのほか汗をかいてしまい、帰宅してから着替えをして、同じ土淵町内にある日帰り入浴施設で汗を流しました。

金曜日は半額の日、行かないわけにはいかず・・・笑

さっぱりしましたとさ・・・(;^ω^)

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遠い夏の記憶、海さいくべっ

2020-08-20 11:55:15 | 思いで

 浪板海岸から

 

8/20は二十日盆

お盆同様、夕方早めに墓地に行ってお参りを済ませ、お供えした花等を片付けて一連のお盆行事は終わりとなりました。

お盆が終われば気分的には秋の到来を感じる頃となりますが、全国的に残暑が厳しい。

夕方4時過ぎでも外気温は33度、実際に遠野も最高気温が33度に達したと思われます。

今年はもう少しだけ暑さには我慢が続きそうですね?。

 

さて・・・

お盆過ぎの某日(平日)、久々にドライブがてらに山田町の入浴施設にでも行ってみようか・・・と思い立ち、ウォーキングもそこそこにお昼前に遠野を出発する。

釜石道、三陸道を走行していると間もなく大槌ICの標示板が目に飛び込んできた。

そうだっ、此処で専用道降りて一般国道で向かってみよう、海も車窓から見えるし・・・時間的にもさほど大差はないはず。

国道45号を進み、吉里吉里に差し掛かると、ふとっ・・・懐かしいというか遠い昔の微かな記憶が蘇ってきました。

「浪板で少し休憩し海でも見よう」となり浪板観光ホテルはまぎく前の駐車場に愛車を滑り込ませた。

 

当時も「浪板観光ホテル」だったような?

微かな記憶とは云十年前、そう高校卒業したての夏、お盆の頃だったと記憶しております。

お盆休みということで進学や就職で遠野を離れた同級生達が帰省しており、何処でどう募ったか、連絡しあったかは忘れましたが、「海にでも行ってみようか」の声に応えて車2台に7~8人で分乗して向かったのでした。

当時は同級生が集まれば「海さいぎて」・・・「行くべ行くべ」という具合で深夜であろうと昼であろうと無関係に車を走らせたものでした。

皆で行く海といえば大槌の浪板海岸か大船渡の碁石海岸、時折、釜石の根浜海岸、さらには個人的・・・(;^_^A  ちょっと訳ありの場合は釜石の水海海岸というところ・・・(;^ω^)

 

話し戻ってこの日は天気が良くて暑かった記憶も・・・。

記憶に残っているのは小生の当時の愛車、サニークーペに男女4人、後席に女子ふたりで助手席は男子だったはずだけど誰かは思い出せない。

もう1台には男女3人だったか?でも誰の車だったかは思い出せないしメンバーも忘れてしまった。

いずれクーラーもついてない車で窓全開、今となってはよく我慢して乗っていたものだと感心しております。

浪板に着きホテルのお手洗いを借り、冷たいものでの飲んだものか?

下の画像のように愛車を止め、皆で海を眺めていたような?

けっこう車も止まっていて混雑はしていた記憶も・・・。

 

そして思い出したのが・・・

ヤンキー2名が同級生の彼女等に近づいて来て、なにやら声を掛けている。

俗にいうナンパというやつ。

小生も含めて男性陣、誰一人として止めに入ることせず・・・というか怖くてできず・・・大汗

情けなかったですが、ただ成り行きを見守るのみ・・・(;^_^A

女性陣はヤンキー達の言葉を巧みにかわしながらも、何処か楽しそうな雰囲気、こりゃ我々は捨てられて奴らの車で何処かへ行ってしまうかも(-_-;)と本気に心配になったりして・・・。

でも数分もするとヤンキー達は苦笑いを浮かべて退散、当時の車セリカリフトバックの緑色に乗り込んで去って行きました。

解放された彼女等の話しからして、ヤンキー達に対し最後はダサい、芋野郎みたいなニュアンスの言葉を言ったら引き下がったみたいなことでした。

二十歳前後の若かりし日を思うと同級生、同年代・・・男性よりも女性の方が大人びている、しっかりしているという印象がありましたが、全くそのとおりと後になって思ったものでした。

また彼女達、あか抜けて化粧もバッチリで綺麗でしたからね。

ホント・・・(;^ω^)

上の画像は、三鉄の浪板海岸駅を過ぎた辺りから撮ったものです。

先月末に三鉄に乗ってリアス線の旅を行いましたが、浪板海岸駅を過ぎた辺りで同じようなアングルで列車が徐行して車窓の景色を紹介しておりました。

 

国道45号をさらに進み・・・

 

海へのドライブでの当時の北限がここでした。

同級生の中には宮古の浄土ヶ浜まで足を伸ばす人達もいましたが、小生は此処止まり。

ドライブインで磯ラーメンを食べて帰るというパターンが多かったですね。

ただ、此処と同じような雰囲気のドライブインがもう1箇所あって、そちらにも入っておりましたが、そちらは浪板側で「吉里吉里善兵衛」でしたね。

今春に惜しまれながら閉店しております。

ついでに浪板の手前にあったドライブイン「あかぶ」?めかぶが入ったラーメンだったか蕎麦を食べた記憶も・・・?

そのお店もかなり前に閉店しましたが、建物は残っておりました。

 

昔話はこの程度として、お目当ての山田駅前の温泉入浴施設に到着するも・・・(;´∀`)

本日の営業は15時から・・・との張り紙が・・・。

まだ13時30分前ということで、別施設に移動することに・・・。

三陸道に乗って宮古中央?JCから盛岡方面への西道路を根市ICまで、国道106号で川井方面へ向かい

宮古市新里の「湯ったり館」で入浴を楽しみました。

車が少なくひょっとして休館日?と思いましたが、営業中ということで助かりました。

帰りは国道106号、川井からは国道340号で遠野へ戻って参りました。

自宅まで約50分、立丸トンネル効果でかなり近くなりましたね。

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雨のドライブと旧友との再会

2020-07-02 09:51:32 | 思いで

 7月突入、令和2年も半年が経過しました。

天気予報によると今週は梅雨らしく雨降りの日が多いとの談、実際に雨降りとなった水曜日、完全休養日?(;^_^Aとしまして、雨のドライブと洒落こみました。

思いついた場所は・・・またもや高原地帯・・・汗

 

雨が本格的に降り出す前にと、早目にいつものウォーキングを行い、着替えをしていざっ、出発

9時40分少し前に自宅を出発

乗り換えして早半年、燃費も伸びて表示ではリッター当り25km台かな?実際は890km走っての給油は34リッター、約26kmというところで、まずまずですね。

5月は給油1度しかしてないし、ハイブリット車は買う時は高いけど、燃費が命なので、大満足しております。

しかもスタイルも良くて乗り心地も今のところは満足しております。

でっ・・・着いた先は・・・

雫石町の休暇村網張温泉

高速道使って約1時間50分

網張での内容は後段ということで、今回の目的は・・・

 

あみはり温泉ありね山荘

数年前まで年に2~3度は温泉に入りに来てましたが、ここは3年ぶりくらいかな?

源泉は網張温泉から引いているので、休暇村の温泉の方が良いんじゃないの・・・との声が聞こえそうですが、じゃぁ同じ温泉ならこちらでもいいのでは?の思いもあって、あえてこちらへ・・・という感じですね。

要はサウナもあるから・・・です。 ( ´艸`)

硫黄の匂いが強く、しかも白濁気味のお湯

個人的な思いではこれぞ温泉ということで、好きな施設のひとつです。

秘湯とか、ひなびた温泉宿等は風情があっていいとは思いますが、それなりの設備や備え付けのシャンプーとか無いのはどうも?という派です。

 

そう長くはのんびりせずに帰途に着くと・・・

途中、遅い昼食

こちらも久々・・・

国道46号線沿い・・・ひとよんで「冷麺、焼肉街道」の有名店に入店

ランチの時間に間に合いました。

和牛カルビと冷麺セット

甘めの別辛、カクテキキムチが旨い

もう盛岡冷麺は県内トップランクな味わい・・・やはり美味かったです。

\(^o^)/

 

網張スキー場

ドライブの目的地は「ありね山荘」の温泉ですが、至近に網張スキー場、休暇村があり、そちらにも立ち寄ったということです。

ここには同級生の幼馴染が勤めていたことから、若い頃はスキーに随分と通ったし、結婚してからも家族で何度が遊びに来たことがありました。

その度に幼馴染には世話になり、思い出深い場所との位置付けで懐かしさもあってのことです。

幼馴染はまだ現役で勤務しているはず?偶然逢ったらそれでよし、フロントとかに訪ねて行くつもりもなく、愛車と共に写真に収めて帰ろうと思ったのですが、写真撮りをしていると、上記写真のリフト辺りに人影があり、こちらが不審者に見えたのか、こちらを気にしている雰囲気。

小生も何処か「かだぎ」(姿、形、格好)が見覚えある雰囲気を感じたので、もしやと思って近づいて声を掛けると、マスクをしているも、幼馴染のO田Т芳氏と直ぐに判りました。

後で拙ブログ過去記事を確認すると14年ぶりのようです。

2006年4月、盛岡の大型ショッピングモールのラーメン屋さんで、偶然席が隣でして、その際は共に家族同伴で、表面的な話しのみだった記憶も・・・。

 

コーヒーをご馳走になり、小一時間ほど、お互いの仕事、家族の事、同級生や故郷の事等、近況を語り合いました。

O田氏

観光宿泊施設でもあり、今回の新型コロナでは大打撃とか、岩手山の山開きを区切りに通常の業務開始とのこと。

温泉施設に料理にも定評があるのは、以前から知っているので今年の家族忘年会が出来るのなら、網張温泉に来ようかなと思っております。

まさにタイミングよく遭遇でき、出かけて良かったと思った雨のドライブでもありました。

 

近所で秋桜が咲いておりました。

コスモスは10月頃まで長期間楽しむことができますが、感覚的に秋の花というイメージがしますね。

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のすたるじあ

2019-09-29 16:28:14 | 思いで

9月に入ってから土日のどちらかに何かしらのイベントが組まれていたり・・・遠野まつりもありましたので、これはこれで仕方なし、ではありますが、10月になっても、イベント多数ということで、なかなかSL銀河撮りも叶わずという感じです。

某日曜日、釜石での用向きがありましたので、1点撮りということで、久々の撮り鉄、復路撮りをしました。

 

通過時間ギリギリでの現着、気持ちは洞泉駅でと思ってましたが、既に先客もそれなりの数と予想して、こちらで待ち伏せとなりました。

ここでは2名のみ・・・でした。

洞泉~陸中大橋

一ノ渡踏切にて

 

 

さて、強制ではないのに、今や欠かすことができないウォーキング、少し久々に地元の妻の神~矢崎1万歩コースを歩きました。

ポケットにはコンデジを忍ばせてのウォーキングとなりました。

上駒木

この場所には・・・

駒木バス停

 

妻の神石碑群

 

ここの十字路は地元では「くよ」と呼ばれている。

なんで「くよ」ですか・・・ということで

「供養(くよう)」からきております。

石碑は信仰講のもの、記念碑に交じって供養のための石碑もあり、これらを地域で供養石と云っていて、これが「供養・・・くよ」となったものと解釈される。

ただ、この呼び方も若い世代には馴染みもなくなり、おそらく小生の年代から1回り年下の人達までかな?と思っております。

こうした地域の文化的なものも、少しずつ廃れていくということかもしれません。

 

競馬ができそうな立派な施設なんですが・・・

 

半世紀も前、幼馴染達と栗拾いに興じた場所には、当時の栗の木とは違うと思いますが、それでも栗の木もけっこうあって、秋の味覚の収穫も未だにできるという環境です。

蒼前神社 前

 

かつての上駒木集会所

 

自宅~駒木バス停~馬の里~上駒木と一巡りの後は下駒木を通って川沿いを野田渡橋まで。

そこから矢崎に出て下駒木~自宅

下駒木(旧下駒木バス停)

松崎廻りのバス路線がありましたが、数年前に廃線

 

バス停があった頃の名残の傘

 

駒木小学校跡

当時からの校門が残されている。

地域から子供達の声が聞こえなくなって、もう少しで半世紀か?

 

 

矢崎集会所

 

約90分、1万歩と少しのウォーキング。

さらに1周追加を目論みましたが妻の神コース5千歩のみの追加で、この日のウォーキングは終わりとしました。

けっこう気温も高めで疲れましたとさ・・・(;^ω^)

 

秋空

 

秋本番真っただ中です。

 

 

 

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散策で追憶

2018-10-08 16:08:59 | 思いで

 台風くずれでの暴風警報が発令され、夕方近くに切り替わった某日、明るいうちにということで先月からコースに入れた妻の神7千歩コースをウォーキング。

 

こちらは翌日の散策コースにて

25度近く、仕舞いかけた半袖を着ましたが、それでも汗が・・・

爽やかな秋晴れながら、けっこうきつかったなあ・・・。

 

さて・・・妻の神7千歩コースの巻

自宅を出て県道を北進、附馬牛方面に向かう。

上駒木  妻の神の石碑群

駒木バス停傍にありますが、小生の少年時代、道の反対側にも石碑群があり、近年、写真の位置、一ヶ所にまとめられたものですね。

中央の「大峰山」

明治24年、地域の方々が伊勢参り(三重県)の折、奈良県の金峯山(大峰山)へも参拝した記念として建立したもの。

他には・・・

庚申碑、猿田彦碑、湯殿山、秋葉山、狼塔、山の神、早池峰山

地元では、この場所を「くよ」と言っていましたが高校生くらいになるまで「くよ」の意味も知らずに使ってました。

「くよ」とは「供養石」があることから「くよう」・・・くよ・・・ということが後から解って納得というところでした・・・(;^ω^)

江戸時代の文政元年(1818)建立と刻まれた「念佛供養塔」が最古の石碑とのことである。

 

自宅からここまで約500メートル、300メートルほど直進して馬の里方面へ向かい、道なり山際へ歩みを進める。

馬の里の向かいにある蒼前神社

創始は不明とされるが昭和54年に地域で畜産関係を営む方々によって神殿の屋根の葺き替え、拝殿の改築を行ったとのこと。

 

山際の道沿いを妻の神方向へさらに進む。

振り返ると遠野方面、物見山がみえる。

 

子供頃、栗拾いや木の実を集めて遊んだ野山は牧草地がさらに拡大されてますが、それでも当時と同じ雰囲気はそのまま・・・

栗は既に終わってますがドングリ等の木の実は至る所にみられます。

 

上駒木集落からの道と合流地点から妻の神方面

道というか舗装した林道を進めば耳切山牧野、さらに荒川高原に通じる道すがら。

上駒木集落の最奥のお宅が1軒、写真の中ほどにはもう1軒南部曲り屋のお宅がありましたが、小生が中学生の頃かな?空き家となりました。

その後、馬の里というか、その前身施設で青山学院馬術部が夏季合宿を数年継続しまして空き家を宿泊施設として利用しておりました。

合宿も後半部分、小生は社会人となってましたが、毎年、地域の「わげしたず」(若者たち)と交流会をしていたようですが、一度も「かでられだ」ことは無し。

地域の先輩達、後輩達共に女子学生といい仲になりお嫁さんにもらったという話は聞いたことは無い・・・。

ちょっと残念

ざまーみろ・・・笑

 

その空き家もいつしか廃墟となり、今は何も残っていない。

 

 

大沢川

子供の頃は岩魚釣りを興じました。

猿ヶ石川に注ぐ大沢川、下流域も上流域も岩魚の宝庫でしたね。

当時に比べ水量も減り、河川も工事なんかも入って釣りができるポイントは限られてますが、所々に川に至るルートが足跡というか踏み固められている雰囲気があり、少ないですが釣り人が訪れていたかも?そんな形跡があります。

岩魚が未だに居るとしたら嬉しいですね。

 

蒼前神社への参道跡

以前はこの鳥居をくぐって参拝していた名残。

無論、今でも行けますよ。

 

大沢川と太郎沢の落合

向かって右が太郎沢、左が大沢川

やはりどちらも岩魚が釣れましたが、太郎沢(たらじゃ)は川幅も狭く途中までしか釣りをしたことがないです。

さらに「たらじゃ」とくれば当時から名うての熊の出没地帯で有名、当時も今も行きたいとは思わないですね。(;^ω^)

 

旧上駒木会館(集会所)

大沢川と太郎沢の合流点脇に佇む旧公民館

小学生になる頃に建てられた記憶が・・・脇の小道は林道となっていて、少し上から冬になるとソリのコース、遊びとなっていました。

今の上駒木集会所は駒木バス停横にあります。

 

駒木バス停、妻の神石碑から松崎方向へ進むと

小生の住む集落、下駒木となります。

駒木小学校東側にあったO先生の屋敷跡。

又五郎梨と同類の梨の木があって小学生の頃は今時季、友人達と拾って食べてましたね。

その梨の大木も近年、台風の暴風で倒木し今はその痕跡もありません。

いずれ今は蔵と作業小屋が残されているのみです。

 

小学校があった頃は警察官駐在所、教員住宅が並んでありましたが、今はかつての教員住宅が空き家状態となって残されている。

 

下駒木というか駒木地区のかつてのメインストリート

駐在所に商店が上と下(かみとしも)にそれぞれ1軒、上の店は酒屋も営んでおり、他に釣り道具なんかも扱ってましたね。

2年前まで下駒木のバス停がありましたが、バス路線が廃止され、さらに寂しい景色となってます。

バス停があった頃の名残か?

笠置場?・・・まさか?・・・笑

 

下駒木から農道を通って福泉寺駐車場下の県道に至り、左折して歩道を歩いて我が家へ・・・正味1時間、約7千歩のウォーキングコース。

かつて見知っていた集落、空き家があったり新しい家が建ったり、それでも昔みた光景と大きな変化もなく、当時の記憶が蘇ってくる散策でもありました。

頻繁に歩いても懐かしさも薄れてきますので、別コースと織り交ぜながらウォーキングしたいと思います。

 

その福泉寺

 

今年も平日開催なので任に就くことはできない。

ブログを始めた頃は紅葉も序盤という雰囲気でしたが、ここ数年はポスターのとおり、盛りとはいいませんが、良い感じに色づいております。

今年はどうなんだろう・・・?

例年どおりであれば後2週間で最盛期か??

10/21の週が見頃かと思います。

 

10/8 現在

 

それらしくなってきておりますが、まだまだ・・・。

 

暴風で木の葉がだいぶ落ちたということで・・・

受付の任をしつつ落ち葉集めも・・・

(母親です)(;^ω^)

 

ネネ、先月で満14歳

寝ている時間が若干増えた感じですが、それでもテリトリーの巡回も欠かさずということで、元気です。

 

 

 

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源泉かけ流しを堪能

2014-01-19 18:23:11 | 思いで

 温泉話題ということで、カテゴリーを「湯っこ・・・」とすれば良かったかも・・・ですが、少し懐かしく思いだすこともあったので「思いで」としてエントリーしたいと思います。

 

日曜休み、おっ家内さまと休みが合ったのでお昼近くに手近というか遠野から比較的近場の温泉へ行くことに・・・

 

実は、おっ家内さまは四十肩?五十肩のような症状になって数ヶ月、なかなか治らないということで、肩痛に効く温泉を探し、近場というか花巻近郊では・・・と探した結果、一昨年に松倉温泉をリニューアルしてオープンした「悠の湯(はるかのゆ)」風の季(かぜのとき)が良いらしい雰囲気なので、いつもの「渡り温泉」は止めて途中の「風の季」に入ってみることに・・・。

 

 

 

五十肩とか肩痛の痛みは吾輩も経験済、あの痛さ、辛さは例えようのないものでもあり、一度や二度の温泉で治るということでもないのは承知の事、でも少しでも痛みが和らいだり気持だけでも効いたかも?みたいな感覚にでもなれば・・・

と、いうことで入浴施設ではサウナが無い施設は敬遠がちな吾輩ですが、源泉かけ流しの謳い文句に惹かれて吾輩も同時に楽しみたいと思ってのことで、まさしく便乗・・・いえいえ、一石二鳥ということで・・・

 

積雪は遠野の3倍はありますね

 

この温泉施設・・・

実は数年前まで「松倉温泉 水松園」という温泉宿でした。

 

思い出としては・・・

 

長女が1歳か2歳の頃・・・

花巻の同業者に誘われて鉛温泉スキー場での関東方面からのスキー修学旅行でスキーのインストラクターをお願いされ、インストラクターは、この水松園が宿となって2泊した思い出があります。

県内の市町村のスキー協会をはじめ、各スキー場のスキースクールから40名?のインストラクターが集結、人手が足りなかったので吾輩にも声がけがあったものと推測してますが、神奈川県立大和東高等学校?確かそう記憶してますが、吾輩は2年生女子生徒8名位?を担当したことは覚えております。

ほとんど滑れない生徒が3日後には最終リフトからボーゲンではありましたが、全員滑って降りるほど上達した時は嬉しかったですね。

吾輩も20代後半でしたが、都会の垢抜けた女子高生にドキマギしながらのレッスン、標準語で言おうとして、かえって訛りなのか方言なのか、変な言葉となって理解されないときは冷や汗ものでした・・・(ーー;)

あの女子高生達も今は40歳代半ば近くか?

20数年前の事を当時宿泊した温泉宿跡で懐かしく思い出したしだいです。

 

今は施設もさらに立派になり、温泉もこじんまりはしてますが、良い湯加減で、堪能できました。

 

 

そういえば肩痛の話に戻りますが・・・

五十肩というか左肩痛が酷くて花巻市内の整形外科医院で診てもらったら、五十肩ではなく石灰質なんとかかんとか・・・という病名だと言われたことがありました。

五十肩では?と再度聞くと、「勝手に病名を決めるな・・・」医者に切れられたことを思い出します。

でも、その時いただいた薬等で1ヶ月経たないうちに肩痛が快方に向かったときは、やはり医者というか病院だな・・・と思いました。

無論、おっ家内さまも同じ整形外科で診てもらってますが、なかなか治らないようです。

 

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谷地界隈とプチプチ同窓会

2013-08-22 19:11:59 | 思いで

 土淵町谷地

 

石碑に「左ハはやちね  右ハおおつち(左は早池峰 右は大槌)」中央には金比羅大権現と刻まれておりますが、この脇の国道を自転車で中学、高校へと通っておりました。

 

遠野方向

この界隈に高校時代の同級生が確か3名(男2人女1人)

 

土淵方向

まさしくこの道(国道340)をメインとして通学しておりました。

 

谷地から五日市側への少し小高いところからは・・・

吾輩が住む松崎町駒木の田園地帯が望めますが、画像の中央部付近には小烏瀬川が流れていて、その川沿いは鬱蒼とした林となっていて、現在のように我家は見えませんでしたが、当時、この辺から真っ直ぐ田んぼを突きって行く道があればなぁ~・・・とホント思ったものです。

家からは土淵町の似田貝~谷地経由で遠野中学校まで約6キロ、遠野高校までは約8キロということで少しだけ自転車通学で楽したいと考えていたものでした。

今は20数年前?に農免道が画像の下辺りに出来て当時考えていたルートとなっている。

 

こちらは似田貝の通り

 

五日市、谷地方向

 

土淵方向

 

国道340号線として機能してましたが近年、東側に「遠野カッパロード」というバイパスが開通しまして、交通量が激減というところ・・・

 

中学生の頃はこの辺りで土淵中に通う五日市、谷地からの自転車通学の生徒と毎日すれ違ってました。

五日市、谷地からなら遠野中学校の方が断然近いですし、また吾輩のように松崎町駒木からの生徒は土淵中の方が近いというところですが、学区(町)のこともあり、五日市、谷地の中学生は土淵中へ・・・駒木の生徒は遠野中へ通っておりましたし、現在もそのとおりとなっている。

(土淵中は学校再編により平成25年度から遠野東中(青笹町)へ)

 

当時と違うところは、自転車通学の生徒が土淵町の国道340号線を走っているという姿はほとんど見かけないですね。

皆、農免道を利用している。

 

 

そんな遠い昔の記憶を語りましたが、このほど、今回ご紹介の谷地地区出身の高校時代のクラスメイトが帰省したということで、高校時代のクラスメイトを中心に何人か集めまして迎撃の宴というかプチ同級会を行いました。

 

平日ということもあり三々五々、ゆったりと少しずつ増えて21時現在で10名が集いました。

 

彼は17年ぶりの帰省とか・・・

今回参加した同級生の中には34年ぶり、すなわち高校卒業以来、一度も顔を合わせたことがないという人が3人?他に就職した首都圏で何年か会ったことはあるもUターンしてからは一度も会ってないということで30年前後という方々も・・・

 

という吾輩は・・・

こちら

27年ぶりに東京小平の彼が店長を勤めるお店を訪ねて再会を果たしております。

さらに・・・

こちら

5年後となる昨年に再訪しております。

 

 

さらに恰幅がよくなった彼・・・

当時は「谷地のケンず君」

 

彼とは高校時代の3年間、同じクラスでしたが、今回は主に7組、8組と科が同じ同級生に声がけをいたしましたが、なんとか8名が集まったというところ(本人と同行の友人は除)

17年ぶりの故郷遠野ということですが前回は中学時代の同級生が逝去された際に集まった中学の同級生達と追悼の同窓会をした以来とのこと・・・。

遠野には2泊3日とのことですが、短い期間ではありますが十分に久々のご実家そして遠野を満喫されたものと推察しております。

 

吾輩は少なくても年2回は普通科、商業科関係なく地元に暮らす同級生達とのプチ同窓会に顔を出したり、たまにこんな吾輩でも同窓会ではなく数人の集まりなんかにも声がけしていただいたり、さらに盛岡でのプチ同窓会を考えついたりということもありますが、今回、同じ遠野に住んでいながら年に1度か2度しか顔を見ないとか、このように同級生の集まりで初めて会った同級生もいたりして帰省された同級生との対面もそうですが、別な意味でも楽しい集まりでもありました。

 

参加された女性陣

 

話題は昔話は主ではありますが、高校を卒業してからの人生のこと、家族のこと、仕事のこと・・・そして現状について・・・等・・・そして同級生でも何人か残念ながら鬼籍の人となった方々もいることから、還暦とはいわず同窓会の開催・・・その前にまずは科の同級会の開催、いやいや関東の同級生を集めてこちらから乗り込んで彼のところで宴会と意気込みだけは出るのですが、果たしてどうなることやら・・・

 

街飲6連荘、最後の宴は25時を回ってのご帰還となってしまいました・・・(ーー;)

でも、たいへん懐かしくもあり楽しい宴でもありました。

お疲れ様でした。

 

また大いにやりましょう・・・。

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バレンタインチョコ

2013-02-14 20:13:14 | 思いで

 奥手だった吾輩の少年時代でもバレンタインデーはありました。

小学生の頃の記憶は、ほとんどないけど中学の頃は記憶はけっこう憶えているつもりです。

 

その前に・・・

義理でもなんでも一応、我家の女性軍から今年もチョコをいただく・・・。

 

キティーちゃんチョコ・・・

現在自宅にいる男は吾輩とネネのみ・・・

キティちゃんチョコをみてもわかるようにネネも意識してのもの・・・

一人と一匹用ということか・・・(ーー;)

 

まっ、貰えるだけでも良しとしなければ・・・

 

 

中学時代・・・(おそらく2年の時、3年の時も似たような光景が・・・)

随分と昔の話となってしまいますが・・・

前回、バスの思い出を少し記してますが、そのバスで通学していたバレンタインデーの日、同郷の同級生達と最寄りのバス停で降車すると、一人の同級生に駆け寄る後輩の女子生徒2人、確か二人だったと思う・・・。

バスから降りて10歩も歩いただろうか?すかさず女子生徒達がリボン付の箱をそれぞれ渡して、あっという間に去っていった。

何が起こったのか全く当時の私には理解できなかった・・・(゜o゜;

ただ何かプレゼントのようなモノを渡したくらいにしか思えなかった。

 

別な同級生と顔を見合わせ、何があったのか?みたいな顔で歩いていたら校門のところにも2人かな?やはり後輩の女子生徒が待っていて、その同級生に包箱を渡していた・・・。

昇降口にも2人か3人?

さらに中に入っても1人・・・びっくりしたのは下駄箱の中にも2~3個入っていたこと・・・その時にバレンタインのチョコだと別な同級生に教えられましたが、それでもバレンタインの意味がよく理解できない奥手というか田舎丸出しの中学生だったのでした・・・(ーー;)

 

教室までの間にも数人、既にその同級生のカバンの中は満杯に近かったようで、結構膨らんでおりました。

教室に入ると次から次とトントンとノックの音「◎◎さんいますか」と黄色い声多数、その同級生以外のクラスメイト数人にもプレゼントが・・・

朝礼前にはカバンはギッシリ、机の中も満杯という状態・・・!

 

その後も休憩時間にもチンタラチンタラ女子生徒が訪ねてきて、もう何処にもしまうところがないくらい、親しく付き合っていたクラスメイトの机の中も占拠する始末、それとクラスの女子生徒からもいただいたようで、大きめの紙袋なんかにも入れたり、それはもう一人では絶対食べきれない数・・・正直、もう羨しいを飛び越えて、その中から1個でもくれないのかな?とチョコが食べたいと本気で思ったりもしました。

 

吾輩に関しては自慢ではありませんが中学、高校を通じてチョコを貰った記憶は皆無です・・・記憶がないです・・・

 

同郷の同級生はおそらく親しい友人達にチョコを分け、カバンに入る分だけ家に持ち帰ったと思います。

 

最近、高校の同級生達と飲む機会が増えて、その中での昔話で中学の時、クラスメイトだった高校同級生も、同郷の同級生以上にチョコを貰った話をしてまして、これも凄まじいと今となっても羨ましく思ったところでした・・・

 

負け惜しみではないけど、考えてみても自分はド田舎の少年という容姿でしたし、痩せてはいたけど男前ではなかったですしね・・・

 

猫のネネはチョコを食べないのでオヤジが代わりに食べてあげましたよ・・・笑

残りは女性軍の口の中に・・・笑

 

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