「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

100YEN

2006-10-30 13:54:56 | その他
まずは本題前に福泉寺庫裏付近の紅葉


 10月17日のエントリーの画像と比べていただければわかりますが、木々の葉もさらに色付き、黄色がオレンジに赤はより一層濃くなり鮮やかになっております。
 画像が少しくすんだ色合いとなっておりますが、カメラマンの腕のせいでして、実物はかなり美しいです。
 紅葉がきれいな見頃も今週が最後かもしれません。


 さて、日本国中、都会も田舎も関係なく街道沿いや主要な道路、人家がある枝道沿いまで、いたるところに清涼飲料水の自動販売機が設置されております。
 一缶120円・・・・中には110円、そしてありがたいことに100円、ワンコインで喉を潤してくれるありがたい販売機も存在しております。

 今回は、私が史跡めぐりの後やら、通勤に利用する近場の100円販売機の一部をご紹介いたします。
 なお、販売機設置者とは利害関係はございません。


 100円也


 場所は伏せますが、画像をみれば何処かはわかるものと思います。
 地元民だけではなく観光客の方々にも重宝されている某店の販売機。







 上の某商店以外は松崎町といいますか、私がよく通るルート沿いにあり、しかもD社、C社の2大メーカーのがうれしいです。

 市内には沢山100円で販売する自動販売機が存在しております。これらを探訪する取材なんかも面白いかもしれません・・・、また米や釣餌の販売機もあって、変わった自動販売機特集も面白いかもしれません。

 遠野らしい販売機、こういったものも今後考えて設置する、これも面白いかもしれませんな。
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トイレ

2006-10-29 20:00:46 | 思いで
 昔のトイレ


 たかむろ水光園、屋外トイレ内に展示の昔便所

 
 おしょすはなすこっだどもよ、おらえもむがす、こったな便所だったす。
  
 めすどぎなすたず、ほんでばっつはなすっこもまじゃってらども、もうさげながんすちゃ・・・。

(お恥ずかしい話ですが、我家も昔、こんな感じのトイレでした。
 お食事時な皆さん、さらに汚いお話しも混じっておりますが、申し訳ございません。)

 私が小学4年生の頃まで、我家では外便所でして、画像に近い造りでした。
 板木を三本渡しだけ、流石に木箆や縄といった内容ではありませんでしたが、古雑誌だったり、新聞紙だったり・・・・ちり紙の灰色のものだったり・・・
 さらに親父や弟と並んで用を足す・・・なんてことも日常茶飯事でもありました。

 外便所ということで夜間は怖くてひとりでは行けない(電気は無かった)、冬は寒い・・・
 とにかく、今考えるとよくこんなトイレを使用していたものだと、夢でもたまもに思い出したりいたします、というか悪夢として・・・・。

 当時新しい家とか、裕福な家では焼物の便器なんかがあったりして、我家のような形式なお宅は少ない方でもありました。
 その後、家の中にトイレを増築したときはもの凄くうれしかった、これ正直な気持ちでした。



 画像は水光園ですが、手前の水車小屋ではなく、木の横の建物です。

 いずれ、気分を害するような内容、お食事時に読まれた方、まことにすみませんでした。

 
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FIRE FIGHTING SPIEITS

2006-10-27 22:31:34 | ファイヤー
ファイヤー関連、ふたつの話題・・・。

 28日、消防追悼祭が開催されるにあたり、大日山日枝神社境内に建立の消防追悼碑近辺の清掃をいたしました。



 約一時間の清掃、主に落葉やら石碑のコケ落としといった内容ですが、例年は年2回の清掃、今年は諸般の事情でこの日のみとなりましたが、災害現場で殉職されました先人にひと足早く哀悼の意を表して参りました。



消防追悼碑
 昭和5年、当時は消防は警察署管轄、警察署管内遠野郷の1町7ヶ村の有志で、時の警察署長、板橋氏を委員長に追悼碑建設委員会が設立される。
 警察、消防関係者を主に浄財を募って建立された。

 後に痛みが激しくなり昭和61年、当時の消防職員、消防団員幹部が中心となり昭和61年、補修工事を施し、同年殉職者遺族や消防関係者にて追悼祭が催された。

 祀られる殉職者は昭和初めから戦前の5柱・・・自らの命も惜しまず災害に立ち向かって殉職された消防の勇姿の方々といっても過言はないものと思います。

 まさにFIRE FIGHTING SPIEITS(ファイヤ ファイター スピリット)消防魂の鑑だと思います。
 心から哀悼の意を表したいと思います。


 それともうひとつ・・・

 40年の歴史を数える釜石消防との交流会・・・
 今年は遠野会場にて、フットサルが行なわれました(室内サッカー)


釜石消防から20名の参加





 第1試合の前半、私も出場・・・ほとんど相手にされず、おまけに足はもつれるし、ボールが来てもヒットせず・・・大汗と息切れのみ残して前半のみの出場で終りました・・・・汗
 若いもんには体力、動きとも全く敵わず・・・怪我をしないだけでも儲けものです・・・笑


 スポーツ交流後は・・・
 たかむろ水光園で懇親会




 発売間もない遠野産ホップ使用のビール


 遠野ジンギスカンとビール・・・これが定番。



 そして濁酒特区認定、第二号の濁酒・・・とビール・・・。
 ふるさと公社たかむろ水光園の濁酒・・・・結構釜石の皆さんには好評でした。

 
 釜石には遠野から移り住んだ多くの方々、その縁の人々が暮らしているそうです。
 沿岸と内陸といった関係ながらも古くから遠野との歴史的つながりもあり、そんなことから消防分野のみならず行政でも盛んに交流が重ねられて来たようです。
 
 今回は消防魂の結束、共に助け合い、協力しあうという以前からの思いからの交流会、これからも大切にしていけたらと私は考えております。
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東和温泉~遠野

2006-10-25 13:33:45 | 湯っこ・鉄道・旅・・・
 雨はあがり、気温もそれほど下っていないが、こんな日はのんびり温泉もよかろう・・・ということで遠野市外で一番近い天然温泉、花巻市東和町の「東和温泉」に行って来ました。


 湯っこは熱め、サラサラの湯質、温泉という感じがしてなかなか良いお湯ながら、私は近いにも関わらず年に2~3度しか訪れない。
 それは隔日で男女入れ替わり方式、乾式サウナがひとつしかないので、男性用浴場にサウナがない・・・という場面を何度も経験、サウナ好きには半か丁かの賭けに等しく、外れたら私は中には入らず別な温泉へ行きます。
 まあ、サイト等でよく調べて行けば問題はないのですが、前もって此処の温泉に行くぞ・・と決めて出かけているわけでもないので、なんとも言えませんがね・・。




 午前中温泉を堪能した後は、家路に向かうルートで一番時間的に早いのではないのか・・・と考えていたルート・・・東和~飛龍山~達曽部~馬越峠~附馬牛~自宅・・・のコースを帰ってまいりました。

途中・・・


ミステリー坂

 確かに登坂に見えるもバックしている・・・・何度か体験済でもありますが、何度やっても不思議です・・・でも2回ほどやったら飽きてしまった・・・汗

稲荷穴(宮守町達曽部)


大洞渓流・・・(東禅寺川男滝付近)


 途中画像撮りで停車したり、少し歩いたり・・・11時40分に東和温泉出発、帰宅したのは12時30分・・・50分かかってしまった。
 


おまけ・・

ゲゲゲの鬼太郎宅の郵便ポスト



 現代風な感じでもありますが、普通のお宅に水車小屋やら木の根っこのオブジェとかが無造作に置いてありました。
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増えていたカモ・蔵書

2006-10-24 13:29:45 | 書籍
 昨日からの雨が引き続いて降っておりますが、気温も下がり気味、この分だと高山は雪だろうと思われます。

 雪と紅葉のコントラスト、これもまた画像収集にはもってこいながら、寒いので飼猫と共に丸くなっていようと思ってます。

我家の庭


 少し寂しい景色となっておりますが、猫と共に丸くなる前に図書館へと足を運び調べもの・・・・


南部藩参考諸家系図全5巻



 幕末の文久元年、盛岡藩士 星川正甫により編纂された全86巻からなる盛岡藩(南部藩)家臣達の系譜を著した古書  南部一門282系 家臣2491系という膨大な史料となるものです。

 それらをまとめた全5巻なる書籍、私の場合は調べたい内容があるときだけ市立図書館に出向いて閲覧しておりますが、以前ネット古書で全巻揃いで3万5千円で販売されており、その時は高いとは思いましたが、無理すれば買って買えないことはない内容であったにも関わらず、飲みに行ったり、遠出したりと別用に用意していた資金を使ってしまったということがございました。
 
 しかも、遠出とか、別な買物を我慢すれば、その後も買えた代物なのに未だに買えず・・・涙・・・図書館という強い味方があるにはありますが、やはり手元において観たい時に直ぐみられる、調べられる、これにこしたことはございません。

 今回の参考諸家系図のみならず、実は他にも欲しい書籍があったのですが、同じような事由で手に出来ていない書籍があまりにも多い現実のお話しでした・・・汗
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芸術の秋

2006-10-22 19:04:04 | 遠野
 たいそうなお題ですが、別に私が芸術に勤しんでる訳ではない、今日は末娘の小学生時代最後の学習発表会があって、家族で楽しんできました。 

 学習発表会、ようは昔でいう学芸会、北小は市内で一番の児童数がある小学校、ご父兄さん方は自分の子供の出番近くにやって来て、終れば別の学年のご父兄と入れ替わるという暗黙の伝統があるようですが、私は今年が最後の小学校父兄、しっかりと最後まで、観させていただきました。


薬研太鼓・・・・6年生


感動のフィナーレ・・・小学校生活最後の舞台、6年生は歴史をテーマに「三閉伊大一揆」を熱演、十分に過酷な重税にあえぐ百姓達の姿が出ていたと思います。


 さて、実はこちらが今日のエントリーの本題かもしれない・・・・笑

 学習発表会がメインの位置づけながら、22日は市議選の告示・・・まっ、これは関係ないとして、馬の里ではスポーツ流鏑馬大会が開催、十和田の格好いい若い女性達の流鏑馬姿を是非に見たかったが、これは叶わず・・さらに町では講演会をはじめとするイベントが繰り広げられたはずですが、午後はダウン・・・それは・・・・大汗




 閃光が・・・・我デジカメよりのフラッシュを跳ね返す某氏の頭からか・・・・笑・・・・

 前夜、急遽お越しのたま千代嬢をお迎えしてのブレンド会を開宴、新メンバーも加わって今回も親不孝とありなりました・・・汗



新メンバーにママさんも加わっていただきました・・・笑



バッドをマイク代わりにアリスを熱唱・・・・バットの文字に注目
となりはアンパイヤに扮する・・・・さん


 毎度の親不孝、しかも夫婦でご前様といった有様でした。

 今回のメンバーは・・・野球オヤジにアンパイヤのお嬢さん、チョンマゲは笛○○子さん、頬かむりオヤジは早瀬の某・・(遠野クッキー)、虎猫ご夫妻でした。
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紅葉弐・早池峰山麓

2006-10-21 13:35:21 | 遠野
 青空はのぞいているものの、時折雲に陽が覆われたり、風が吹いたり・・・しかし、まあまあな空模様、比較的青空が広がっている北方面を目指して車を走らせる。

重端渓・・・附馬牛町








 紅葉最盛期といった感じながら、青空もほしいということで、荒川方面へ・・

荒川渓流


 
おまけその壱・・・

丸渕君・・・笑


 遠野通いのブロガー達に既にご紹介されてますが、当ブログも遅まきながらアップいたしました。
 丸渕君の謂れは山猫氏のブログに記述されております。

おまけその弐

木彫河童三人衆


 イースター島河童にトーテム河童二匹


 荒川まで来たからには、荒川高原も・・・・ということで荒川高原へ・・・高原は既に晩秋の佇まい、紅葉の見頃は終っていた・・・しからば早池峰山は・・・薬師岳はみえるものの早池峰の山頂は雲の中・・・・。

 いつしか愛車は川井村へ・・・・江繋方面への道を下っていた。

早池峰山






 タイマグラ近くにさしかかりますと、早池峰山の雲は取れ、山頂がはっきりと現れでました。
 タイマグラといいますか、川井側からの早池峰山の姿もなかなかなもの、まさに早池峰山の懐深く・・・といった雰囲気です。


 紅葉の美しさ、遠野も綺麗ですばらしいのですが、こちら江繋方面の紅葉も見事といったところです。
 渓谷沿いに傾斜のきつい山々、山をキャンパスに黄、橙、赤の絵の具を散りばめたといいますか、適当にポツポツと塗っただけという感じ・・・。





 結局、遠野小出~荒川高原~川井タイマグラ~川井江繋~川井小国~立丸峠~自宅・・・といった山猫コースを走破してしまいました。
 正味2時間半といったところでした。


おまけ参

 ある日、森の中、熊さんに、熊さんに出遭った・・・汗・・・と以前某ブログでご紹介、その直後、自慢の欧州車が・・・・汗
 腰を抑えながらのヘルメットの親分、短パン、Tシャツ姿の猫友達、その他救援の面々が高原奥深くで何やら行いましたが・・・・

 その現場入口が・・・・・


 閉鎖・・・閉鎖です。
 この事件をきっかけに第2のダーティファイターを封じようとする試みなのか、或いは遂にお上にもこの事件が知れ渡ったためなのか・・・汗

 いずれ、無理は禁物です。
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とぺっこ上宮守

2006-10-19 19:55:57 | 遠野
 折角の青空、既に紅葉も見頃を迎えつつある昨今、これはチャンスとばかりに宮守方面へ愛車を走らせる。

 まずは、夏にエントリーした寺沢高原、緑と赤、黄、そして青空のコントラストを求めて上宮守側から突入となりました。


砥森山(中央)と宮守町上宮守・・・・晴れているものの南方面はボヤケタ感じでした。


某所の滝・・・





下記画像は少し遊び心を加えまして・・・



 


 奥入瀬なんかの観光パンフとか雑誌で紹介の際によく使われる技法・・・糸のように流れる水・・・シャッタースピードを遅くすると現れるものですが、これらを出そうと試行錯誤、何十枚と撮影・・・汗・・・なかなか上手く行かず結局1時間近くも居てしまった・・・汗

 ということで寺沢行きは諦めて来た道を戻ると・・・少し気になっていた・・

博打石




 その昔、博打好きの村人数十人がこの場所で、チンチロリン・・・いやいや、天狗様と山人様が、花札勝負・・・・汗・・・姥捨山に捨てられた老人達が賭博場を開設、四方の博徒達が連日連夜集まって繁華になったとか・・・笑

 いずれかなり大きな一枚石です。

 
 おまけ

 家路に付く途中の綾織町

定番、千葉家の曲屋



さらにおまけ・・・綾織町新里の某所

御馴染みの・・・



大根


茄子

 叔父の御宅ですが、真面目顔で瓦屋さんと本気になって交渉する叔父の姿を想像しますと、少し笑が込み上げてくる。
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紅葉壱・福泉寺

2006-10-17 13:46:00 | 福泉寺・伝承等
 10月17日は菩提寺福泉寺の秋の大祭、既に大観音のある山頂では一部紅葉もはじまり、赤や黄に木々の葉がしっかりと色付いているところもあります。
 今日のエントリーは紅葉が始まった福泉寺境内の様子をお伝えいたします。

庫裏付近


五重塔と毘沙門堂


毘沙門堂


大観音堂と多宝塔付近


大観音堂




白衣観音




山頂の紅葉


大観音堂


多宝塔


天ヶ森を望む


大観音堂内部


 福泉寺のお祭り、朝から晴れ渡りお祭り日和、しかし今年は例年参加の東禅寺しし踊りもなく、どこか寂しいお祭りとなりました。
 それでも檀家、信徒の皆さん、約2百名の方々、一部観光客の方々もみられましたが、天気も上々、紅葉もはじまりいつもの福泉寺のお祭りといった雰囲気は十分感じられました。

 私はいつもの役柄、大観音堂での鐘衝き係、他に役目がありませんので、ゆっくりと境内をカメラ片手に画像取材、午前中は青空も広がりいい絵が撮れたと思います。






おまけ

でご・・・大根(貞任高原産高原大根)


 お祭りの賄いに使用の大根。
 大根のツマ風に料理、醤油をかけてサラダ風に参拝者の皆様に振舞われましたが、画像の大根、結構立派な大根ながら市場では規格外なそうです。
 すなわち仙台や首都圏のスーパーの店頭には並べられない規格外、少し曲がっていたり、型が揃わないという理由で取引がされない代物、どこがいけないっていうんですかね、味は同じなのに・・・・。
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鍋倉虎猫城主

2006-10-16 13:47:05 | 歴史・民俗
 調べものがあったので市立図書館へ・・・・がびょ~ん・・休館日。
 そういえば月曜日は休館日、調べものは諦めて、久しぶりに鍋倉城にでも行くか・・ということで、三の丸へ・・・・。


天ヶ森方向・・・三の丸展望台から 
 
 朝、霧が晴れると天は青空、しかし私が出かけた時は、青空は消え、雲が空を覆いだしていた。


遠野駅前付近

 下界の庶民の暮らしを覗き見る城主の気分・・・汗


三の丸跡に建つ、展望施設・・・ふるさと創生事業で建立とある。

 駅前から図書館、博物館まで彫刻の像等があるが、竹下内閣時に各自治体に配当された一億円、あのお金で整備されたようですが、こちらの展望台もそのひとつか?

 上階からの眺めは仮想天守からの殿様気分・・・遠野を紹介するアナウンスが流れるというスイッチを入れたが、何も応答なし・・・汗・・・表に出たところで遠野三山関連のアナウンスが流れ始めた・・・アナウンスがむなしく周囲に響き渡る。

 ちなみに三の丸は遠野南部家時代は家老加判の中館氏、福田氏の屋敷があったそうです。


 二の丸



 かつては城代であり遠野南部家一族の新田氏の屋敷があったところ。

 現在は遠野南部氏歴代公、奥方やご家族の菩提所となっている。


南部弥六郎公之墓



 遠野歴代でも英傑とされた幕末の頃の遠野領主、盛岡藩大老を務め三閉伊大一揆や戊辰戦争での事後処理に尽力。(遠野第11代・南部済賢公(ただかた)・明治12年没)
 墓碑には南部弥六郎のみでよいと遺言したと伝えられ、墓石には確かに南部弥六郎墓のみ刻まれている。


 なお、遠野歴代公は盛岡遠野屋敷住まいで、鍋倉城に住んでいたわけではない。
 婚姻やら特別な行事のみお国入り(遠野入り)が主であったらしい。

 
 歴代公、そして歴代の奥方、姫様達の名も刻まれ、世が世であれば、私のようなものは土下座をして奥方様やお姫様方のご尊顔を拝することはできない、また遠くから指をくわえて見ているだけ・・・となり得たものと思います。
 奥方様やお姫様は、どんな方々だったのだろう・・・とオヤジ心が少しだけときめく思いです・・・大汗

 いずれ、この二の丸の墓所に来ますと、もっとしっかり遠野南部氏の歴史やら事績を調べなければと心も洗われる心境となるのです。
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