「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

釜石交流

2007-10-30 23:19:48 | ファイヤー
 ここ最近、釜石話題が多いことで恐縮しているのですが、毎年恒例の同業者との交流会が釜石で行われ、参加して参りました。

 もう30年前後の歴史が刻まれております釜石交流親睦会、今年は釜石会場ということで、午前中はスポーツ交流、午後は懇親会となりました。




 会場は釜石中妻体育館、旧八雲小学校体育館





 前半はビーチバレー、後半はフットサル・・・・私が入ったチームは全負

 一回り、二廻り違う若い職員と同じ動きは不可能、自分の歳を思い知らせられる交流会でありました。
 3日後には筋肉痛が私の身体をむしばむことでしょう・・・汗









 二次会場・・・・

 釜石に行けば海産物主流の接待となりますが、今回は精肉店付属の食堂・・・私にとってはありがたいことながら、時代も随分と変りました。
 釜石の若い職員も魚介類もダメという雰囲気も多いと聞きました。

 また、海岸の人達は内陸に比べても勝気で面白い人達との印象も数十年前と比べると随分と違ってきているようです。

 顔見知りも皆幹部となってほとんど知り合いとは遭えず・・・・時代の移り変わりを感じる交流会となりました。
 しかし、仙人道路開通では何かと深い関係もあって、そのことを再確認する上では私も若い職員も再認識となる場面でもあってと有意義でもありました。



 来年は遠野会場となります。



 
 おまけ・・・

 三次会で天馬へ行って来た。

 楽しい三次会であったが同僚で、ろみ爺さんの同級生と久しぶりに杯を交わすことができました。

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ああ人生に涙あり

2007-10-29 17:29:19 | その他
ああ人生に涙あり


言わずと知れた。テレビ時代劇「水戸黄門」の主題歌である。

 それでは、まずは皆さんで主題歌を口ずさみましょう・・・・笑
 
 前奏は勝手に皆さんで・・・・そして歌詞一番目は助さん風に、歌詞二番目は格さん風で・・・・。
 あっ、それから間奏も勝手にやってください・・・笑


 それでは・・・前奏・・カッ~~

 http://www.youtube.com/watch?v=WyLjW1464Lo

①人生楽ありゃ 苦もあるさ 涙のあとには 虹も出る 歩いてゆくんだ
   しっかりと 自分の道を ふみしめて

②人生勇気が 必要だ くじけりゃ誰かが 先に行く あとから来たのに 
   追い越され 泣くのがいやなら さあ歩け



 
 子供頃から続くシリーズ時代劇、まさに生きの長いテレビ番組のひとつかと思いますが、いい歳の親父になって、妙に主題歌の歌詞が、しみじみと感じるようになった。

 子供の頃は、なんのこっちゃ、特に二番の歌詞の「後から来たのに追い越され・・」あんたが遅いだけだろが・・・くらいしか考えていなかったが、人生に例えられ、このことを経験したり、まさに今、その道を辿っているという中年の皆さんも多いのではないでしょうかね。

 会社とかで後から入社した後輩に役職的に追い越され、給料も追い越され・・・・努力もむなしくどうしようもないっ・・・・そんな場面もありそうですが、この歌は、自らの道、人生をしっかり見定めて、しっかり一歩一歩歩いて行きましょう的で、私は大好きである。

 自分のことは棚に上げてみたいなことでもありますが、のんびりでもマイペースでもいじけたり、他人のせいにせずにとにかく前を目指すこと、これが肝要でもあると信じております。

 なんちゃって・・・・大汗


こんな時は、是非に遠野へお越しください。
 遠野の山河、草花、猫や犬、べごっこ(牛)、馬・・・・そして遠野の人々が、そんな貴方の心を癒してくれるはず・・・・たぶん。



 おまけ・・・


 国の重要文化財の指定が決定された南部曲屋千葉家



 紅葉の千葉家・・・10月29日


 こちらは土淵町の伝承園










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雨の土曜

2007-10-27 19:37:18 | その他
 雨の土曜日、紅葉最前線も里に到達するも紅葉狩りには生憎の空模様、時期的には市内の学校では先週辺りから学習発表会や文化際が行われる時期、かくいう私も末娘が通う遠野中学校の文化祭を「ちょっとぎま、まがってみで」きました。




 遠野中学校の銀杏・・・木々によって色付きが違いますが、確実に街場も秋深しといったところです。




 生徒による作品が展示されている旧体育館へ・・・・私が中学生の頃はメインの体育館でもありましたが、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下、すのこ板が懐かしい・・。




 体育館は当時のまま・・・懐かしい学校の匂いといいますか、体育館独特の匂いが感じられ、一瞬ですが中学生当時の思い出が蘇る・・・・。

 応援歌練習では応援団幹事が両脇の段に陣取っていたことを思い出す。
 
 当時、応援団長であった笛の旦那のしゃくれ声が聞こえてきそうな・・・・笑



 新体育館に移動、開会式の後のクラス別合唱コンクールを聞いて家路についた。



 一学年全員の合唱




 娘のクラスの合唱

 視力が弱くなったのか?少し距離もあったけど、娘の姿を探すことは叶わず、見えなかった・・・・汗・・・一眼デジではなくポケデジ持参であったので、少し後悔したりして・・・・・。


 明日は二日目、演劇等があるそうです。




 
 おまけ1

新蕎麦はまだかいな?




 蕎麦が美味しい季節ですね・・・・久しぶりに某店で堪能。
 新そばとの説明がなかったので、まだなのかもしれない。・・・遠野市青笹町



八戸市南郷にて・・・・

 旧南郷村は東北でも有名な蕎麦処・・・・今月、八戸を訪ねた折に藤九郎さんに南郷蕎麦が美味しいお店に連れて行っていただきました。







 美味しい蕎麦、新そばの時期に是非にと、お店の方に声掛けいただきましたが、これならさらに美味しいに違いない。
 機会がありましたら、次回も堪能したいと思います。



おまけ2

 
 水田をお貸ししている知り合いの農家から新米が届けられた。
 
 間もなく例年に新米の味見として発送しております方々に送りたいと思います。
 遠野産秋田小町で~す。


 小屋の整理もままなりませんが、トミ(トウミ)です。




 我家の裏、福泉寺の紅葉・・・

 全山色付きもよく、まさに最盛期・・・・天気がよければなお結構ながら、庫裏付近、我家との境付近の木々はオレンジ色がたいへんきれいで、まさに見頃です。
 来週末までもつかどうか?


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親父の黄昏

2007-10-25 19:30:28 | 歴史・民俗
尾崎白浜(釜石市)



釜石港方面




 
 ○釜石・・・

 言わずと知れた鉄の街としての歴史が多く語られ、新日鉄の企業城下町として栄え、かつては盛岡市に次ぐ人口を有していた。(約9万人)

 享保12年(1727)磁鉄鉱が発見され、大橋に高炉が盛岡藩士の大島高任によって建設され、幕末の安政4年(1857)、日本初となる洋式高炉から鉄が取り出され、正に鉄と共に歩んだ歴史でもある。
 それと海の釜石、漁業も盛んである。

 
 

 何故に釜石・・・先日、5年ぶりに海釣りをしましたが坊主同然の釣果、久しぶりに釣竿を振り、釣糸を垂らすことでそれなりにリフレッシュとなったものの、どうも気持ちが落ち着かない、同行した後輩達にはポイント指南やらかつての経験談やらを得意げになって話すも、結局不本意な結果・・・・釣ってみせてナンボ、アドバイス通りに釣らせて幾らみたいな思いでもあったのです・・・涙。

 てなわけで本日は前回の仇討ちで釜石に再釣行したのですが、前夜に思い立って釣行の準備、早朝に大型のサバやソッコ(秋田ではアオ・・・イナダ(ブリの幼魚))も時折釣れるとか、しかもメタルジグ(ルアー)でも釣れるとの情報、さらに50センチ超の三陸の内湾では珍しいサワラも釣れたというサイトの情報もあって俄然盛り上がる。

 大型サバ2尾にイナダ2尾も釣れれば御の字だな・・・なんて獲らぬ狸の皮算用・・・汗・・・早朝5時半から7時までの1時間半がゴールデンハーフ(タイム)とか?・・・4時に目覚ましを掛けて早々に床に就いた。


 翌朝・・・

 ガビ~ン・・・涙・・・目が覚めたら5時半、それでもウツラウツラとして、まだしっかり起きていない。
 これではお祭りに間に合わない、間に合っても良い釣果は期待できないと二度寝・・・夢の中。


 7時前に目が覚める。
 ありゃ~・・・失敗したということで、午前8時に海タナゴ狙いに変更して自宅を出発・・・・。
 今回は、以前良い釣果が多かった尾崎白浜へ・・・・。

 風が少し強い、魚影が薄い、撒餌に小魚が寄り付かない・・・・穴ハゼといわれるカンツカみたいな魚ばっかり釣れる・・・涙

 やっとの思いで・・・・・。



 20センチ弱のタナゴ・・・・後にも先にもこれ1尾のみ・・・・。
 
 座敷親父さんが言っていたとおりカメラ持参では釣れないんだっ・・と悔しい思いをなだめて公共ふ頭、そして前回と同じ新浜町へ・・・・。






 現地の皆さんのサバ釣りを見学後、午後3時現地撤退・・・涙



 公共ふ頭からみえる狐崎館跡のある山・・・・。
 初冬の頃にでも釜石の館跡でも調査しようと心に深く決めて帰路につきました。

 
 

 ちなみに狐崎館主は狐崎玄蕃といい、荒谷玄蕃ともいうとか・・・後に附馬牛に移ったとも伝えられるが、附馬牛の荒谷地区は彼縁の土地なのだろうか?・・・或いは後の時代、慶長6年館将であった荒谷肥後(肥前・平清水氏系)が伊達勢に攻められて将兵全てが討死、処刑されたといわれる荒谷氏との混同なのか?・・・・釣りのことは一時的に脳裏から離れるも・・・・・・








 帰宅途中の車中、目に飛び込んできた黄昏・・・・一層くたびれた親父の顔に影をつくり、情けない顔となっていた・・・・涙



おまけ



 釜石南高の入口付近のコンビニに居る猫達・・・全部で4匹居ましたが画像には3匹





 いずれ、もう一度だけ寒くならないうちに釣りに挑戦予定です。
 このままでは年を越せません・・・笑
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紅葉最前線07

2007-10-24 17:40:24 | 遠野
 秋晴れのいいお天気、里の木々もだいぶ色付き、秋深しといったところですが、山々の錦模様もだいぶ現れてはおりますが、全体の3分の1程度か・・・。
 まだまだ、紅葉最盛期とはいえないようです。

 しかし、附馬牛の奥の方は、いい感じではないのか?・・・と思い、好天に誘われて出かけてまいりました。


重端渓








 場所や木々によっては色付きも良いのですが、もう少しといったところ・・・・今週末から来週初めが見頃かと・・・・。



 渓流と紅葉、もう少し先といったところです。


 
 沢の口




 坂の下




 日渡



 バックの山野が黄、橙、赤と染まる錦の絨毯状態を想定してましたが、こちらももう少しといったところでした。



 附馬牛町よりは紅葉が進んでいる福泉寺







 山麓の庫裏付近もだいぶ色付いて、盛期間近といったところです。
 しかし、まだ青いままのカエデも見受けられ、全山一気に紅葉とはいかないみたいです。
 部分的には来月初めまで十分楽しめるものと思います。


 山頂付近









 先週の福泉寺秋の大祭時と比べれば、かなり紅葉も進み、こちらは最盛期といったところです。
 
 当ブログ、10月17日エントリーの画像を参照してください。



 白衣観音・・・・福泉寺では最初に色付く場所、今が見頃となっております。







 五重塔・毘沙門堂




 全山、概ね見頃を迎えております。
 
 紅葉の名所でもある福泉寺、機会がございましたら散策がてらにご参拝ください。






 おまけ





 紅葉狩りも関係ないにゃ~・・・・釣りにでも行って、おかずを持ってきてくれ~・・・・ニャハッ・・・。
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釜石釣行&おまけ

2007-10-22 21:02:57 | その他
 5年ぶりの海釣り・・・・遠野は朝から雨降、テレビやらインターネットの気象情報を念入りにチェック・・・。
 どうやら沿岸方面は晴れているらしい、職場の後輩に連絡して釣行を決定して、午前9時半に自宅を出発、仙人道路のおかげか、待ち合わせ場所の釜石市内の某釣具店には10時前に着いた・・・便利な時代となったものです。



 
 釜石は晴れていたが午後から曇り空との予報、やはり午後から曇りだした。

 釣具店で餌等の買物後、別々に目的地の唐丹をめざす、小生は立ち寄るところがあったので彼らより30分程遅れて到着・・・画像は小白浜


 早速、仕掛作りに撒餌作り・・・・いよいよ5年ぶりの第一投・・・。



 小魚は見えるものの、本命のマタナゴが見えない・・・底ギリギリに棚をとって当たりを待つもなかなか釣れない・・・・汗

 やっとの思いで、小ぶりのタナゴをゲット・・・・。



 クチボソというタナゴの一種、15センチほどのリリースサイズ、結局タナゴはこれ1尾のみ・・・・涙

 以前は男鹿でのクロダイの練習用にと三陸でタナゴ釣りをしていたが、33センチのマタナゴを筆頭に、団扇サイズと呼ばれるサイズを連発したものだった。
 ポイントの設定間違いか?腕が落ちたか?運がなかったか?・・・残念。

 後輩達は投げ釣りながらも、こちらも芳しくなく、午後4時に場所移動となった。




 外道として連れたメバル・・・・10センチということでリリース。



 夕方からのサバ、イカ狙いで新浜町のT字防波堤へ・・・・。







 サバだけはなんとか釣りたいと思うも、後輩が1尾だけ・・・当たりはあるものの、釣り上げることは出来なかった。
 結局、サバは不発となり、家への持ち帰りは無し・・・・。


 久しぶりの釣り、釣果は芳しくありませんでしたが、それでも楽しく過すことができました。
 以前と違うことは、ポケットには常にポケデジを忍ばせて、いつでもシャッターを切れる事、ブログネタを探す自分が居たこと・・・でした・・・笑





 おまけ



 釜石シープラザで開催中の「フォトライフ」をのぞいてきました。

 遠野ぶれんど仲間のhanaさんも出展され、ブログでもお知らせがありましたが、釣行ついでではありましたが、見学させていただきました。







 写真愛好家といいますか、プロ級の腕前の方々も出展されている雰囲気、確かに皆キレイですばらしい写真ばかり・・・・でも中には飼猫や弁当、日常的な写真もあって、襟を正して緊張気味のところ、ホッとする場面も・・・・堅苦しくない雰囲気作りも配慮されていて好感が持てました。

 感想欄には、すばらしい、力作という言葉を交えて書き込んできましたが、釣場へ行く途中、ふとっ思ったこと・・・・。

 地元釜石のすばらしい景色、海、ラクビーといった写真もございましたが、もう少し釜石を扱った写真があっても良いと思いました。

 出展者のお気に入り、これぞ一枚の他に釜石を扱った内容・・・・私は是非に見たいと感じました・・・あくまでも個人的な意見です。

見応えのある写真展、雰囲気もよく、何よりも何年と続いているイベントということで、すばらしいと思いました。
 


 hanaさんの作品



写真展についてはこちら



 充実した釜石での一日でした。 
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釣行準備

2007-10-21 18:18:53 | その他
 趣味のひとつに海釣りをしていた時期があった。
 今から10数年前、休みの同僚達と三陸の防波堤で一日を過し、心地良い潮風に当たりながら釣れたの釣れないのと同僚達と仕事を忘れて楽しんだのがきっかけでもあった。

 その後、釣りにはまってしまって、真冬以外は海通いという年もありましたが、5年程前に行ったきり、以来釣りとはご無沙汰でもありました。


 「ある会だ」で最近お世話になっている御仁が経営する某釣具店の内部





 かつては常連というわけではありませんでしたが、結構釣り用具なんかを調達しておりました、久しぶりに店内をのぞいてビックリ・・・・噂には聞いていたが、海、淡水各種のルアーがもの凄く充実している・・・驚

 遠野唯一の釣具店、ホームページアクセスは市内一のアクセス数とか、こちらも驚きながらも納得といったところです。



 さて、釣りをする職場の後輩達がおり、彼らを誘って明日、数年ぶり(5年)に海釣りに行くことになっている。
 その為に、仕舞いこんでいた釣り道具を出して洗浄やら整理を行いました。










 5年もの間、小屋の隅に追いやられ、埃まみれとなっていた釣り道具達、中には当時数万円もするリールや竿、そして本命は釣った経験はないが、シーバス(すずき)釣りの為に揃えたソルトルアー・・・・・。

 



 立ちウキ・・・・
 遠矢ウキに代表されるクロダイ等専用のウキ・・・・実は大きな事は言えないが、ウキ釣りがメインでもありました。
 今回、何処に仕舞ったか、遂に見つけ出すことは出来ませんでしたが、立ちウキは画像の3倍はあったはず、しかもウキ釣り専用のボックスも見つからなかった・・・明日は俄か仕掛でウミタナゴとサバでも狙おうと考えてます。


 いずれ天気が良ければといったところですね。




 


 ホッコリと赤くなった福泉寺山頂



 福泉寺の紅葉の見頃は今週となりそうです。
 だいぶ庫裏のある山麓も色付いております。
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こだわり・・・?

2007-10-19 16:52:39 | その他
 少ないながらも遠野では、ハセ掛けの稲もみられ、今が「稲こぎ(脱穀)」の真っ最中でもある。

 自宅の真向かいにある田んぼ、何やら見慣れない光景といいますか、懐かしい雰囲気が・・・・・。




 まだ稲刈りの途中でもありますが、かといって脱穀の作業中でもある・・・?





 まさか?・・・とは思ったが、ここまでとは・・・・。




 大王印・・・・驚・・・すげぇ~と思わず、傍に駆け寄って話しかける。


 中年の域に達した農家に縁ある方々ならなんであるかはお分かりかと思います。





 私の母親とかは、この道具で「稲こぎ(脱穀)」をしたことがあるそうですが、私はモノは家にあったから知ってますが使ったところは見たことがないっ。

 なんて言う物かは知らないが、小さい頃の記憶を紐解けば「あすぶみ(足踏)」と両親は言っていたと思う。



 それにしても稲の収穫はコンバインが主流の現代、辛うじてハーベスタという脱穀機械での作業もみられるのですが、それよりも遙か以前の時代の道具で・・・・恐れ入りました・・・というか、驚きでした。





 我家の道路向かいの空家をお借りして住んでいる方ですが、神奈川出身で気象予報士の資格を持ち、農業気象等に関る仕事をされていたとか。

 農業に魅せられ遠野へIターン、農地を松崎町内に借りて農業をしていたのは知っていたが、駒木に引越して来て、水田2反歩も一緒に借りたとのこと。

 田植えは手植え、稲刈りは鎌で手刈り、そして脱穀も人力で・・・・まさに数十年前、昭和30年代の農法か?・・・こだわりもあるようで、若いのに朝早くから暗くなるまで、とにかく土にまみれて仕事をしている姿が毎日・・・・。

 農家の長男に生まれた我身、一度は農家の後継者面をし、今はほとんど関っていない身がなんとも肩身の狭いといいますか、恥しいのですが、それでも彼の姿はすばらしいと正直思ってます。

 いずれ、珍しい光景でしたので、エントリーいたしました。

 我家にも「あすぶみ」探せばあると思います。
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紅葉・福泉寺 壱

2007-10-17 14:21:13 | 福泉寺・伝承等
 10月17日は福泉寺秋の大祭、この時期、大観音堂のある山頂付近は紅葉の見頃を迎えますが、今年は昨年より色付きが数日遅れている。
 
 福泉寺全山の紅葉の見頃は来週となりそうです。


庫裏付近



 秋のお祭りということですが、平日ということもあり、参拝者は150名程度。

 私も朝から担当部分の受付係の任、午前11時からの大観音堂での法要では、梵鐘係でもあって、慌しく徒歩で山頂へ移動・・・・息も絶え絶え・・・汗
 なんとか間に合って任をこなし、再度庫裏に戻って受付の任・・・。

 檀家で事務局長的な役割の方が先月亡くなり、さらに会長的な方も入院中、皆さんご高齢の方々ばかりでその後継たる人達がいないこと、今後の檀家としての役割、運営等で何かしら不安を感じる昨今でもあります。


 ということで、鐘衝きついでに少し道草をしながら写真を撮って参りましたので、その一部をご紹介いたします。
 やはり紅葉は若干遅れ気味と感じました。


多宝塔



大観音堂






白衣観音






五重塔






毘沙門堂









 黄、赤といった紅葉メインのはずが、まだ色付き始めたばかりといったところです。

 逆に空の青が冴え、お不動さんブルーが出ました・・・・福泉寺のご本尊は不動明王ということで・・・・笑

 いずれ紅葉はもう少し先といったところです。
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遠野への道(八戸氏遠野入部考察)

2007-10-16 21:41:02 | 歴史・民俗
 今回の八戸訪問では、根城南部氏(遠野南部氏・以下八戸氏と記)が、寛永4年、太守南部利直の命により、遠野へ村(領地)替えとなり、遠野入部への街道が実は近年考えられていた道ではないのではないのか?・・・・そんな疑問を感じた藤九郎さんが僅かな資料の記載や口伝、土地勘等を駆使して、実際に旧道らしき道を探訪したとのエントリーを見聞きして、これは一度自分も訪ねてみたい、そんな思いから実現したことでもあります。

関連記事はこちら(みなと八戸日記)


 しかしながら、八戸からみれば「登り街道(八戸街道)」とされる近世八戸藩が参勤交代で利用した街道が、そもそも旧街道としての位置付けで、その道は根城八戸氏時代から存在し、遠野入部に利用したのだろうという思い込みが強かった為に、それ以前の旧街道の存在はノーマーク、しかも前回(4年前)は、細かな下調べもなく、八戸から三戸という現代感覚のルートを選定し、素人同然の探訪を実施し失敗という経緯、さらに私自身、八戸を含む近隣地域の土地勘がないこと、点と点を結んで線としなければならないこと等、課題を背負っての今回の探訪であり、詳細については後に藤九郎さんから資料の写しを譲っていただいた後に考証したいと考えております。

 ということで、とりあえず八戸~二戸間の概略のみをご紹介いたします。


○近世八戸藩
 寛文4年(1664)太守南部重直(盛岡南部家)が後継を定めぬまま死去、幕府の裁量にて10万石の家禄の内、重直の弟、重信に盛岡8万石、同じく直房に2万石で八戸藩を創出させた。
 いわば盛岡の分家ということになりますが、遠野へ移転した八戸氏を根城南部氏、或いは八戸氏、遠野南部氏と呼称し、近世八戸藩を八戸南部氏と区分けしている。
   


櫛引八幡宮


 寛永4年(1624)3月9日・・・八戸弥六郎直義一行は住み慣れた根城を後にした。
 朝卯の下刻といいますから午前7時頃に八戸根城を出門・・・。


 そのまま、櫛引八幡方面へ向ったと推測されます。


櫛引八幡宮参道・・・門前町としての雰囲気が残されている。



櫛引城跡の東側付近



 ○櫛引とは四戸か?

 九戸の乱で九戸政実に加担し命運を共にした櫛引氏一族の館跡が近在に存在している。
 櫛引八幡はその昔、四戸八幡とも称されていたともいわれる。
 また、櫛引八幡から僅か2キロの距離にある櫛引城、根城八戸氏の支配下との感覚ながらも、櫛引八幡との大きな関わりが感じられる。

 櫛引氏は四戸氏系ともいわれるが金田一氏、足沢氏、島守氏と同系列ともいわれ、二戸の金田一が四戸との説も語られるも金田一は二戸の内との見解、櫛引八幡がかつて四戸八幡といわれたところを見ますと、四戸氏縁の社、そして一戸~九戸の地名での四戸の一部が櫛引である可能を秘めているという説を支持したいと思ってます。
 


 脇道に逸れましたが、それらしい細い道が南方向へ続いてます。


 東側の国道340号線はかつての八戸街道となっている。 

 我々が辿った道は・・・櫛引八幡~通清水~杉沢~中野~鳩田~・・・


中野館跡から
 

 鳩田というところまでは点と点を繋げながらなんとか来たのですが、いつの間にか旧八戸街道に合流してしまった。

 その後は旧八戸街道沿いに進む。

 そしてひとつの基点である観音林(軽米町)




 前回の探訪で、観音林は三戸町にあるものとばかり勘違いして、色々と現地の方々に聞いてみましたが、誰一人観音林のことを知る人はいなかった。 
 それもそうである観音林は岩手県の軽米町であったためでもあります。

 まさに曰く付きの観音林・・・・なんとか今回行き着くことができました。


 八戸直義一行との別れを惜しんだ領民達の見送りを受けながら八戸領内を進む一行、中には三戸境である観音林まで見送った人々も多数いたといわれている。

 直義一行は観音林で昼食。

 
 一里塚の説明板にある通り、おそらく八戸氏が遠野入部の際も一里塚は存在していた可能性があると思います。


 進路を二戸方面へ、仁左平の山間部


 対で残されている一里塚・・・ひとつしかみてません・・・汗


 当時の雰囲気が残る旧街道跡


 林道の脇には当時の道跡と思われる溝が続いている。


○爾薩体 
 仁左平(にさたい)とは、古代東北における古名、爾薩体のことといわれる。
 弘仁2年(811)文室綿麻呂による閉伊、爾薩体の遠征が行われ、中央の権威も現二戸地方にも浸透としたといわれる。


 
 堀野の一里塚



 直義一行は金田一へ出て、福岡(二戸)に宿泊。
 第1日目終了・・・・。


 追分の石


 奥州街道と登り街道(八戸街道)の分岐点・・・追分の石は国道4号との分岐付近に移動されているとのこと。



 ということで、詳細までご紹介とまでは至らず、江戸時代の旧街道以前の街道跡、まさに点と点を結びながらの探訪、土地勘もないものですから、地図を見てもよく理解できていないが現実でもあります。
 このことについては、資料等に照らして再検討しながら考察して参りたいと考えてます。


 なお、八戸直義一行は二日目は難所の奥中山越え、巻堀泊(盛岡市玉山区・当時は遠野領)

 三日目は盛岡に至り、紫波佐比内泊(遠野領)
 四日目の3月12日、未の下刻・午後3~4時頃、鍋倉城に入城。



 さて、このことは地元ということで、機会がありましたら探訪含め検証したいと思ってますが、当時の遠野の主要道・・・上宮守~小峠~砂子沢~附馬牛東禅寺~松崎~遠野城下。


 八戸直義一行は駒木で領民達の出迎えを受け、遠野城下へ向ったといわれますが、東禅寺から大萩、天ヶ森山麓を巻くような道があって荒谷、安居台、忍峠、松崎沢の口、宮代、光興寺を経て猿ヶ石を越えて畑中、加茂明神を通って城下入りしたのではないのか?
 
 またもしかして、安居台~矢崎に至り、駒木とは矢崎のことか、それとも矢崎から下駒木に進路をとったものか?それとも早池峰古参道に近い道があってそこを通ったものか・・・・?これまた難しいながら妄想含みで検証したいなあ~・・・と思案中です。



 なお、遠野さくら祭りでの八戸直義一行の入部行列・・・・実際は馬上の侍13騎(直義含)が最初に遠野城下に入ったとのことで徒歩組は夜遅くに及んだとのこと。

 上宮守で昼食を食べ、それから小峠越、綾織の砂子沢から峠を越えて附馬牛の大萩へ・・・・それから遠野城下となればかなりの遠回り、徒歩の人達が午後の3時や4時に城下に入れる道理がみつからない・・・騎馬なら可能と私は考えている。


 
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