「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

06大晦日

2006-12-31 12:52:24 | 遠野
 30日の当直で実質的な自分での仕事納め、今年もあっという間の1年、インターネットを通じての新たな出会いもあり、今や生活の一部と化している現状、でも充実していますし、何よりも楽しい・・・このことに尽きる思います。

 
2006年最後の更新・・・本編サイトに「松崎舘・真立舘」を更新しました。
こちら



 明番で帰宅すると、いつもの大晦日の雰囲気、家族で大晦日を過ごすため、正月用の食材の買出し、例年は大混雑しているといった印象ながら、スーパー大戦争というように遠野市内はスーパーが充実していること、結構大きな店舗もあることから、それほど大混雑といったことに至らない、分散している・・・そんなことかもしれませんが、割と空いていてストレスなく買物ができました。


大晦日の法門山福泉寺

 昨年は大雪で大晦日、正月は一面の銀世界、今年2006年は雪のない大晦日を迎えております。


 初詣では多くの参拝者が訪れるものと思いますが、正月を静かに待つといった雰囲気、準備は万端といったところです。


 福泉寺境内、我家の氏神様「愛宕様」・・・お供えの御餅を氏神さんとお稲荷さんに供える、まずはいの一番に氏神さまにお供え、今年1年の感謝の意を込めて手を合わせる・・・。



 鐘衝堂・・・・除夜の鐘、108つ・・・23時45分から衝き始めます、先着108名(当然ですが・・笑)、どうぞお越しになられてお衝きください。



 不動明王・・・福泉寺の御本尊は不動明王、苦しいときの神頼みならぬ神仏頼み、不動明王、観音様にはここ一番というときに手を合わせましたが、大きな失敗も事故もなく、なんとか過ごせたということ、これはきっとご加護があったに違いない、苦しい時にだけではなく、普段から・・・これも大切だと思います。


 音信不通に近かった長女、久しぶりにメールが届く、今夜帰ってくるとのこと、何処にいても元気ならそれでいい、家族全員で過ごせる大晦日、ささやかながらもこれが一番幸せなのかもしれません・・・。


 さて、ブログを通じて皆さんとお知り合いになれたこと、そして「遠野ぶれんど」で遠野に集い、情報交換、親睦が深められたこと、感謝申し上げます。

 私のように知人、友人も少なく、しかも郷土史というご年配の方々の専売特許的な分野を志す人間としては、多方面にわたってご活躍の方々、年代も性別も違う皆様とのふれあいはたいへん有意義でもあり、楽しいものでした。

 是非に来年もよろしくお願いします。

 本年はまことにお世話になりました。ありがとうございました。



おまけ・・・

 年忘れ大笑い大会的ですがモデルとなった皆様、笑って許してください・・・・謝。

 私の得意なアニメソングにちなんで、懐かしのアニメで〆たい思います。





 やはりこの人・・・何にでも変身、そして被写体としては遠野一の素材・・・失礼




 たいへん失礼いたしました。
 最後の最後まで、これか~・・・と呆れることでもありますが、なにとぞお許しください。


 それでは良いお年をお迎えください。

 2006どんどはれ・・・・とらねこ
 
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名残・駒木小

2006-12-29 19:05:29 | 遠野
 ここ年末は、朝は空いっぱいに広がる青空、いい天気の一日と思うも午前9時も過ぎると黒雲が空を覆い雨か雪の天気、なんか変な年の瀬ですな・・・。

 さて、官公庁は28日に仕事納め、しかし、本来の業務を考えれば私の職種には仕事納めも仕事初めもないのが現実、表向きの節目といったことかな・・と思うことにしている。

 年末年始は大晦日と元日が丁度休み、年越しも元朝参りもできそうであり、普通の皆様と同じ正月ができそうでもあります。


 名残・・・駒木小学校跡を中心に・・・・

森林軌道の跡・・・下駒木前野付近

 圃田整備事業でその痕跡は薄れましたが、水田と畑との境がうまく残され若干確認できる。

 駒木小学校跡地

 ホームベースがかつて置いてあった場所から・・・・

 校門跡

 かつての校門がそのまま残されている

 下駒木、下村方向


 矢崎方向


 駒木小学校(廃校前の2年間は遠野北小駒木校舎)が廃校になって35年になりますが、しばらくは校舎も残されておりましたが平成12年に取り壊し、今は校庭跡にも地域にも子供達の歓声が響き渡ることは滅多にない、どこか寂しい景色、これもまた現実でもある。


 気を取り直して、いよいよ今年も大詰め、大晦日のエントリーにて今年も終わり・・・今年1年、当ブログへのお立ち寄りありがとうございました。




 遠野郷宮守の城館跡「落合館」をアップ・・・宮守町下鱒沢向落合
こちら
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爆弾低気圧

2006-12-27 14:14:30 | 遠野
 間もなく、ほんと後数日で正月が来るというのに、雪ではなく雨の年末・・・テレビニュースでは、爆弾低気圧と報じていましたが、三陸沿岸は大雨の荒れ模様、その煽りなのか、遠野も雨、しかもこの時期には珍しいまとまった雨降り・・・。

雨の福泉寺


 27日は、中学地区行事での福泉寺境内の掃除、奉仕活動との位置づけで毎年行なわれる恒例行事、雪が降ったら除雪等も想定していたが、雨は想定外、早朝にはお寺さんから連絡が入り中止してくださいとのこと・・・・遠野テレビの取材も来るとのことでしたが少し残念。

 延期ではなく中止とし、ご苦労会を兼ねた昼食会のみ実施することになりました。



 午後11時30分、はやちね食堂に集合・・・対象生徒は18名ですが12名の参加、麺類を中心に各々注文、親しい者同士、学年で仲良し同士が同じ席について、おしゃべりタイム・・・・。





 1時間程で解散、今年度の地区行事としては最後となる行事、ラーメンを食べるだけの内容となり、少し残念ではありますが、これも致し方なし・・・地域の皆とラーメンを食べたな・・・と思い出していただければこれもよしっ・・・と思います。

  
 私が食べたラーメン・・・はやちね食堂一押しの「辛みそラーメン」



 ピリッと辛味が効いた味噌ラーメン、3段階の辛味がございますが、私は辛味が少ない小辛。



 おまけ

 猫は狭いところに入るのが好きですが、ネネはカラーボックスのガラス戸を無理やりこじ開けて侵入・・・。


 
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眠れる森の美女・06館址

2006-12-26 18:14:03 | 歴史・民俗
 「眠れる森の美女」・・・なんか響きが男心をくすぐる雰囲気がございますが、なんのことはない、今年2006年の遠野郷城館探訪の総括としての題名といたしました。

 2006年は、雪融けが遅くて春シーズンは出遅れましたが、4月11日に西門館(綾織)を皮切りに、火渡館(附馬牛)、山口館(土淵)、花館(青笹)、林崎館(上郷)、鷹鳥屋館(小友)、南館(小友)、奥友館(小友)の8箇所。

 前半部分はかなり中身の濃い探訪が出来たと思ってますし、何よりもそのメインとの位置づけとした花館(青笹町)の探訪では、その規模、遺溝群に圧倒され、驚愕したことを思い出します。

 また、西門館(綾織町)と火渡館(附馬牛町)もまた遠野規格に相応しいすばらしい構えで、並走する三重掘、そして堀が複雑に交差する姿もまた圧巻でもありました。

花館の土塁、堀跡

 花館・・・8本の空掘が縦横無尽に走る光景は圧巻そのもの。


火渡館の並走して斜面を下る空掘跡(三重堀)

 


 初冬シーズン
 11月17日、角城館(土淵)をトップにまずは本宿館(土淵)、杉山館(遠野)、程洞館(遠野)、来内館(上郷)、大寺館(上郷)、五日市館(土淵)、石倉館(宮守)、向落合館(宮守)、松崎館・矢崎館(松崎)の11箇所。

 積雪がなかった分、数がこなせると思うも、深い笹薮、高所といった場面が多く、体力的な疲労も伴って日に1~2箇所が無難といった内容でもありましたが、後半の部では、宮守町の城館跡2箇所を追加、どちらも館跡を知る方々からの情報によるものでしたが、ノーマークだった宮守町の館跡も好感度、まさに知られざる館といった雰囲気が十分感じ取れるものでもありました。


石倉館(上宮守)の帯郭



 「いつ、だれが、なんのために・・・」まさしく今季もそんな思いが駆け巡りましたが、関連資料、書籍を複数導入、さらに地域での口伝も考察の範疇に若干受け入れた結果、妄想は入ってますが、それなりに道筋は見え始めたという手応えは感じ取ることができました。

 また恒例の春と初冬の館めぐりも実施、師匠格の八戸在住の湊丸氏の見解も参考となり、いつもに増して探訪も深みが帯びてきたと実感しておるところです。

 160箇所余あるといわれる遠野市内の館跡、まだまだ一巡するには時間も要しますが、一度探訪した館跡の再訪、さらに他地域の城館跡も探訪して遠野との比較等もしながら、今後も続けて参りたいと思います。

 まさに遠野の館は私にとっては「眠れる森の美女」、山中深くに眠るマドンナかもしれません・・・・しかし王子にはなれません・・・笑

 上記に示した2006年に探訪した館跡は「遠野松崎じぇんご弐・遠野郷の城館跡」のコンテンツに掲載しております。
遠野郷の城館跡


 さらに石倉館(上宮守戸草)をアップいたしました。
こちら

 2006年シーズンは終了、また来春、雪融けと共に開始する予定です。

 また、春のシーズン、共に知られざる遠野の城館跡を探訪したいという方はどうぞお申し出ください。
 ご案内いたします・・・・親不孝通りでの懇親会付きで・・・笑
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イヴ

2006-12-24 21:27:33 | その他
 クリスマスイヴ、イヴの雰囲気を演出するように早朝は一面の銀世界・・・。

 まずは、某スーパーに夕食の買出しに出かけたが、やはり大混雑、俄かクリスチャンにカトリック・・・本来の姿は何処にあるのか日本人・・・・という私も同類、臨機応変にその時勢に乗せられる、いやっ、乗ることができる日本人、やはり器用なのかもしれません。


 ケーキに鳥肉・・・特設コーナーが出来るほど、毎年の光景ながらもこれは一種の行事、風物詩といっても過言ではないと思います。


 安ワインに定番の鳥もも・・・一応乾杯




カル缶をいただき満足そうなネネ






 手作りのケーキ、本日も朝から準備したようでもあります。
 流石に二種類は食べれなかったですが、クリスマスイヴ、それなりに過ごすことができました。
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気まぐれケーキ作り

2006-12-23 18:24:04 | その他
 明日はクリスマスイヴ、雪も降ったりしてホワイトクリスマスという雰囲気に若干近づいたかな・・・と思うも、積雪は無し・・・。

 さて、最近さぼりがちな山の神さんのブログに代わって少しだけケーキ話題を・・・・。
 クリスマスということで、手作りケーキを毎度の如く作るらしい・・・・というよりも職場の上司からも頼まれたようで、当日の我家のケーキ作りの前に、まずは腕ならしとばかりに張り切って作ったようでもありました。


市内某スーパーに並ぶ缶詰


フルーツ各種

 ケーキ作りには欠かせない食材、私も荷物運び役で付き合いました・・・汗


 朝からケーキ作り・・・・

 そして・・・

 二種類のクリスマスケーキ完成・・・・見た目は市販のものと何ら変わりはない、上手くできたようでもあります。

 ご家庭の事情で一日早いイヴを過ごす方々もいるものと思います。
 今回はそのためのケーキでもあるようです。
 なお、ブログ「気まぐれなパン作り」との画像が重複する可能性もございますが、ご了承願います。 

イヴもたのんます・・・笑




 
八戸の知人からいただいた「せんべえ汁」・・・せんべいじる、じる、じる・・・と仮面ライダーの歌風にアレンジしたものが八食センターで流れてました。
 「迫るショッカー・・・」を「せんべえ汁・・汁、汁、汁」と・・・笑

 今年も美味しくいただきました。


おまけ

 クリスマスとは無縁なネネ・・・朝から朝まで食べて寝ての繰り返しで、結構肥えたようですがイヴはカル缶でも奮発し食べさせようと思います。



 遠野市土淵の城舘跡・・五日市館をアップいたしました。
 こちら
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魅惑の松崎館・矢崎館

2006-12-22 16:18:29 | 歴史・民俗
 知られざる遠野郷の城館跡探訪、未踏の館跡あと2箇所位がいいところかと考えていたが、地元松崎町内の館跡の充実を・・・・そんな思いから急遽路線変更となり、今回で6度目の探訪となる松崎館を見てきました。

松崎館


 サイトでお世話になっております東京都の深円さん、八戸市の湊丸さんは私の城館跡探訪の師匠格、この二人との出会いがなければ、私は遠野市内の眠れる城館跡の探訪、調査は未だにしていないと思っております。

 この地元の城館跡の探訪により自分での郷土史分野の裾野が広がり、さらに奥が深まりましたが、その分、より一層知識も増え、想像も豊かになったことは事実ですが、何よりも数百年前の知られざる史跡を直接観る事、触れること、この楽しみは言い様のないなんともいえない感覚でもあります・・・汗

 さて、6度目となる松崎館、今までの探訪調査により見取図的なものは描いてはいましたが、もっと本格的な縄張図的なものを残したい、そんな思いから路線を変更して、まずは地元松崎町内の城館跡を残り僅かな今季と来春早々に実施して再構築と考えております。

 さらに160箇所近くは存在するという遠野市内の城館跡、まだまだ一巡はしておりませんが、今まで探訪した城館跡の再訪も視野に入れて図面等や画像の差し替えも考えております。
 いずれこの分野において、資料性の高い内容を考慮、実践していくを目指したいと思います。

松崎館の帯郭


 何度となく通った松崎館、館跡廻りをはじめた当初は、その5重の堀跡に驚愕し、そのすばらしさに酔いしれたこともございましたが、後から探訪した市内の館跡もすばらしく、むしろ松崎館は堀だけでしかも館域が小さいのではないかと感じてしまう程でした。

 しかし、今回、よりじっくりと探訪しますと、その規模も狭いものではなく、ひとつひとつの遺溝もしっかり残され、また吟味して築館されたものだと感心するすばらしい館であると改めまして認識いたしました。

 無論、背面の峰を断ち切る5重の堀は健在で、何度見ても凄いと思わせます。

北側の堀群跡


 なお、松崎町では地連協とか歴史研究会を中心に、松崎館を市指定史跡に・・・と要望しているようです。
 私も大賛成ですが、遠野市全部の城館跡がその対象であればこれまた嬉しいのですがね・・・笑

 稲荷神社、熊野神社

 松崎館跡のある山野入口に鎮座する二つの社



矢崎館跡

 松崎館の隣の山野に矢崎館があると古老は語り、また地元資料等にも記載されている。
 しかし、その位置を示す簡略図と説明書きが一致しない点で、その場所の特定が出来なかったのですが、松崎館探訪の折に周辺の探索もと考えてもおりましたので、目星を付けていた山野へも足を伸ばして探訪してまいりました。

2重の堀


 松崎館の頂部から峰を巻くように杉林に覆われた一段低い山野へ突入・・・・杉林に入る直前に峰を断ち切る2重堀を発見・・・・これも見事・・・主郭とみなす平場も遠野では標準サイズ、しっかりと主郭を取り巻く数段の帯郭も残され、しかも前面であろう東側には3段の帯郭も配置されている・・・これもなかなかの館跡・・・・。



 地元郷土資料等には松崎館の関連は不明とし、中にはチャシ(蝦夷の原始砦)跡としているものもある。
 私はチャシとする考えには賛成はできない、理由は長くなるので本編サイトの更新時に付記したいと思いますが、その造りは他の遠野市内の戦国時代のものであろう館との相違が見られない点、むしろ仲間内でいう遠野規格の城館という雰囲気があり、さらなる調べと考察も必要と思います。

 ただ、松崎館との関係、使われていた時代は、それとも松崎館は二つの郭からなる大掛かりな館だったのか・・・・疑問を感じる場面でもあります。



 なお、矢崎館としていますが、本来の矢崎館は別場所にあるかもしれないということも視野に入れております。


おまけ・・・・

 白鳥話題の遠野ぶれんど・・・・当方も松崎に、はぐれ白鳥でも居ないかな・・・と思ってましたが・・・・白い大きな鳥が車の窓越しに見える。

 望遠レンズに付け替え撮影すると・・・白鳥ではなかった、白鷺?・・・サギにあった気分・・・・笑・・・(前も使ったかな?)・・・笑

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冬休み前

2006-12-21 16:19:23 | 遠野
 本日午後は末娘が通う小学校での懇談会、俗にいう「通信簿もらい」、夏休前は個人面談、冬休み前は学年、学級懇談会が開催されているようでもあります。

遠野市立遠野北小学校


「流れは清き猿ヶ石、横田の城址、北にみて
  我学び舎は野に高し、永久に栄えん北小学校」・・・

 開校以来、市内の小学校では唯一児童数の変動が少なく、市内で一番多い児童が通う遠野北小学校・・・・。
 
 私も形だけであるが第二回の卒業生でもある。
 また長女、長男、そして二女が通い連続13年、北小学校にお世話になっておりますが、二女も来春卒業、小学校の父兄もいよいよ最後であり、親子共々最後の冬休み・・・となります。

駒木地区から通う娘の同級生達


 たまたま同地域から通う児童が4名居りましたので、画像に収める。

 バス通学、そして地域子供会、クラスメートとして思い出を胸に最後の冬休み・・・まあ~当人達にはまだ実感はないだろうけどね・・。

 ところで、学級懇談会とばかり思って行きましたが、学年懇談会だったらしい・・・しかも毎度のことながら、お父さん連中は皆無、お母さん達、女性の中に私ひとりというのもなかなか嬉しいには嬉しいのですが、やはり少し恥しい、それと山ノ神さんが沢山居るという雰囲気も感じられ、途中で教室から抜け出ました・・・・最後の冬休みの懇談、大事な話し合いもあったらしいが、早々に退散となりました。


 おまけ

 クリスマス間近、クルシミマスと言いたいところですが、もの凄く何かに苦しんでいるわけでもなく、人並みにクリスマスも過ごせそうでもある。

 クリスマスはケーキ・・・・

とぴあ内の某菓子店ショーケース


 クリスマスということで、ケーキの注文、ケーキ作りには大車輪の忙しさかと思います。
 
 我家では、ここ数年、山ノ神さんがケーキ作りを趣味としておりますので、今年も張り切って作るとか・・・安価に上がる手作りケーキ、市販ものと味は大差ないと思うけど、市販のケーキも味見してみたい・・・怒られますがちょっとだけ本音もちらり・・・大汗

 某菓子店・・・・
 私の同級生が作るケーキです。
 一度、ぶれんどの集まりにも顔をだしておりますが、今や遠野を代表する菓子職人、みんな凄いなあ・・・と尊敬しております。

たぬきケーキ


 20年も前からショーケースの一員である「たぬきケーキ」人気商品の証だと思います。
 「河童ケーキ」とか「おしら様ケーキ」の登場が待たれますが、その予定はないとのこと・・・・笑
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佳境の師走

2006-12-19 16:47:23 | 遠野
 今回のエントリーは二つ・・・。

 まずは、今週中の探訪で今季の城館跡めぐりは終了と考えているが、こちらも佳境といったところ、本日もなかなか見応えのある館跡を探訪することができました。

宮守町下鱒沢地内、向落合館


 職場の忘年会で宮守在住の上司から情報をいただきましたが・・・「おらほの田んぼの上の山さ行ってみだが」・・・「館址すかっ、向落合の」・・「んだっ、俺は行ったごどねえども、堀どがあっつじぇ」・・・・こんなやり取りがございましたが、猿ヶ石川と小友川の合流する落合の真上に聳える山野、以前から何かしら館跡の雰囲気が感じとっておりましたが、前回の上宮守戸草の石倉館同様、ノーマークの館跡、しかも正面突破はあまりの急斜面のため、出来そうにない、そこでコテージランド方面の山野へ突入、尾根沿いを巻くようにかなり遠回りとなりましたが、無事に到着・・・・搦手から攻略といった形ではありますが、いただいた情報の通り、2重の空掘発見、頂上の平場も若干の傾斜はありますが50メートル四方と大きめで、なかなか見応えのある城館跡でもありました。

空掘跡


眼下に柏木平地区を望む


 峰を断ち切る堀跡は、かなり土砂等の堆積でその痕跡が薄れてはおりますが、まずまず残存度、何よりも北、東は急傾斜というより崖、この向落合館の役割は・・・後日、本編サイトにてアップいたします。


 忘年会

 知人、友人の少ない我身、今年の忘年会は3度程度の予定、その中でも職場の忘年会は外すことの出来ない年中行事のひとつ、しかも今年は市外での開催ではなく、遠野市内での開催、忘年会の為の積立金で、ほぼ間に合うとのことで財布にも優しい忘年会となりました。

 午後6時開宴とのこと、バスを利用して遠野の「まっちゃ」下る。


 
 バスの乗客は自分ひとりだけ・・・・とぴあで下車したが終始客は自分ひとりだけであった。
 もっとバスを利用しよう・・・もっともらしいことを言いたいが、普段はマイカーを利用、こんな場面でしか利用することがない現状でもあり、大きな声ではいえない・・・汗・・・私が支払った運賃では油代にもならないだろう・・・。


 さて、忘年会は市内の某寿司店、地元でも評判のネタが自慢のお店・・・しかし悲しきかな、私は魚介類が苦手・・・後輩でもカニ、海老の甲殻類がダメというのが二人ほどいて、生ものは彼らに、私は彼らの分のカニをいただく、持ちつ持たれつである。


 店にある高そうで知名度のある日本酒、焼酎をほとんどオーダー・・・全部空になった。


 刺身を食べないのに、カッコつけて宮守のワサビだけは摩り下ろす。


 参加者17名・・・飲んで食べて、話しをして・・・・芸のひとつもでない只の飲会的な雰囲気でしたが、これもまた楽しい・・・・2次会、3次会まで流れて日付が変わった後に帰宅とあいなりました。



 馬鹿のひとつ覚えか、知らず知らずに「遠野ぶれんど」でよく利用する親不孝通りのお店に足が向かっていた・・・・親不孝通りの一角に住む後輩を誘う、平日ということもあって混んではいなかった、「玉千代さん、山猫さんにまた来てね、よろしくお伝えください」とのメッセージをいただきました。



 おまけ・・・・

 またもや天然記念物、カモシカ



 向落合館にて・・・・。
 全く逃げる気配なし・・・でした。

 
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垣間見える真実?

2006-12-18 12:56:19 | 歴史・民俗
 本日は職場の忘年会・・・・例年は市外へ密かに繰り出していたが、昨今の世情を考えると地元でということで・・・・・・。

 当初はその模様を加工した画像にてご紹介と考えましたが、取り止めといたしました。


 さて、本題・・・・少し郷土史関連に興味がない方々には重い内容かと思いますが・・・・・。

 一応、今週で積雪があってもなくても、遠野市内の城館跡の探訪、今季は終了いたします。
 また来春、雪融けと共にはじまり、5月の田植え時期までのシーズンを予定しておりますが、まずは今年の城舘めぐりの反省やら疑問点、感想等はまた後日に改めましてエントリーする予定です。


 イメージ・・・遠野盆地 

 今まで、主に遠野市内の城館跡を探訪して、今回特に感じたのは、伝えられる館主とその一族の行方でもありましたが、主に今季から多用する「南部藩参考諸家系図」と共に「奥南落穂集」を導入、これらの史料の存在で若干その考察の範囲も広がり、深みも増したと自己分析はしております。

 この中で、一例を挙げますと、土淵町・・・・主な各館主を列記しますと、山口氏(山口館)・沢村氏(角城館)・栃内氏(栃内館)・本宿氏(本宿館)・五日市氏(五日市館)等・・・となりますが、慶長6年前後、すなわち横田城主、阿曽沼広長が鱒沢氏や上野氏といった一門、一族の謀反で遠野を失った遠野の政変直後の主な武族をみますと、栃内氏と本宿氏のみが史料に散見されております。

 すなわち沢村氏や山口氏といった武家はこの時に没落していた、或いは名を変えていたか、それとも他の有力館主の家臣となっていた可能性もあります。

 これは何を意味するものなのか、遠野阿曽沼第13代、遠野孫次郎こと阿曽沼広郷は、武力をもって遠野内の半独立勢力を傘下に治めたと伝えられますが、まさにこのことが史実としてあった裏づけか?、また上郷をみると、ほとんど本姓を菊池氏と称する一族が主な館主であり、こちらも江刺の内訌や奥州仕置きで没落した葛西氏旧臣達の遠野流入を伝える何かがありそうであり、天正年間末或いは文禄年間以前に居たであろうかつての小領主達は何処へ行ったのか、どうなったのかこちらも疑問と興味を覚えることでもあります。

 これは遠野での新旧勢力の交代が成った史実を物語るものなのではないのか、宇夫方一族の没落、衰退からはじまった遠野郷における時の流れ、これに今後、注目しながら城館探訪を進めていけたら・・・と考えたりもいたします。

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