「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

ぶれんど野外の宴

2008-06-29 16:35:24 | 遠野
 昨夜の余韻を残したまま、早朝起床。

 29日は釜石市に於いて、遠野市、釜石市、大槌町の大会を勝ち抜いたチームによって、県大会出場権をかけて遠野・釜石地区支部の消防操法競技会が開催されました。


 結果・・・
 ○ポンプ車の部
  優勝・・・遠野市消防団第10分団第1部(達曽部宿)
  以下、遠野9―2(上宮守)  釜石6―1

 ○小型ポンプの部
  優勝・・・遠野市消防団第5分団第2部(松崎町光興寺)
  以下、遠野10―3(達曽部中野)  釜石7―3

 ポンプ車の部、小型ポンプの部優勝チームは来る7月25日に岩手県消防学校にて行われる岩手県大会へ遠野・釜石地区の代表として出場します。



 さて、遠野ブロガーを中心とした集まり「遠野ぶれんど」の会合兼懇親会が29日夕方、メンバーである宝飯爺商会本社前大駐車場にて盛大に開催されました・・・笑

 今年で2回目となる遠野ブログ写真画像展開催に係る打ち合わせも兼ね、メンバー同士の親睦もさらに深めようということで、屋外で「ざっこ(じゃっこ)とジンギスカンの夕べ」・・・となりました。



生産出荷高日本一である遠野の山女の塩焼


 今回の幹事である宝飯爺氏が午後3時頃から準備に当たっていたそうですが、少し早めに小生も伺って諸準備を・・・と午後5時過ぎに伺いましたが、既にほとんどの準備は完了済、第一陣の山女も早くも焼き上がり、乾杯モード炸裂間近という状態でした・・・笑


 今回は最終的には総勢17名とか、それでも通いブロガー諸氏以外の主メンバーで残念ながら都合がつかず参加されていない方々もおりますが、遠野ぶれんどとしてはかなりの参加者数、5月の花見会以来となる公式な懇親の宴、大いに楽しむことができました。



 釜石からご参加のhanaさん持参のホタテ


 山女とジンギスカンという遠野を代表する食に、三陸の名産が加わりさらに厚味を増す宴となりました。
 (イカも持参しております・・・ありがとうございました)

 さらにホヤも加わり・・・・汗・・・・あったようです・・汗


 だいぶ食べた後ですが遠野ジンギスカン



 定刻の午後6時30分過ぎ、参加メンバーが三々五々集まり出し、正式な最初の乾杯後(非公式では3度目か4度目)、誰かが「夕焼けがきれい」との声、ブロガー諸氏、カメラを携えて一斉に移動・・・笑



 小生は夕焼けハンターにはならず、夕焼けを撮るブロガーを撮ることに専念するも、ほとんどピンボケか暗い写りで使い物にならず・・・・。



 メンバーが加わるたびに乾杯・・・笑
 青森ブロガーの影響か・・・笑・・・カメラ片手の乾杯が主流となっている・・・笑



 山女第2陣の追加


 さらにイカも・・・。




 ぶれんどメンバーでもきれいで本格的な写真を公開する方々はカメラ関係の話題で盛り上がっていたようです。






 何故、宝飯爺氏がカメラ班の輪の中にいるのか?・・・笑

 最近いいカメラを入手、以来画像関係が飛躍的に向上したとの声多数・・・納得・・・笑


 皆さん、それぞれの話題で大いに盛り上がっていたようでもありますし、肝心な遠野ブログ写真画像展も昨年同様に秋に開催することに決定、これに関る詳細はもう少し詰めなければなりませんが、今後、ブログ写真画像展に向けての遠野ブロガー諸氏の画像取材にも力が入りそうな気配でもあります。



 今回は、会場をご提供いただき、さらに幹事役をいただいた宝飯爺さん、さらに奥様、宝飯童子君、ありがとうございました。

 また、差し入れをいただいたり、足りない物の調達等いただいた皆さん、そしてご参加いただきました皆さん、ありがとうございました。

 次回は通い人さんの来遠に併せての宴となると思います。
 よろしくお願いします。



 解散後、強者は早瀬川を越えて夜の親不孝へ・・・汗・・・あれだけ食べて飲んでも小腹が空くものですね・・・汗




 遠野で焼肉といえばジンギスカンのことを指しますが、ジンギスカンを食べた後なのにカルビー焼きをいただく・・・・汗・・・これはこれで美味いんですよね。

 その後、冷麺をいただいて家路に着きました。







 おまけ・・・


 かんぱ~い・・・。



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成吉思汁を食う

2008-06-28 08:38:26 | 遠野
 本日もブログ仲間とジンギスカンを食べることになっていますが、昨夜もジンギスカンを食べてしまった・・・笑

 しかし、久々のジンギスカン、やはり美味かった・・・。


間もなくバイパスに新店舗がオープンとのことですが、その某店にて。




ホルモンやトントロもいただく。




 仕事関連では何かと暗く湿りがちな話題が取り巻いておりますが、そんな中、とある大会があって、な・・・ななんと県大会で優勝、全国大会への切符を手にしたチームがあって、急遽ではあったが若手を中心に静かに慰労会兼祝勝会が開催され参加した次第です。


 バッと食べて飲んでサッと移動・・・




 ラストは、こちらも久しぶり・・・親不孝の名店・・・つ○や

 普通の中華としましたが、やはり手打ちが一番、次回は手打ちラーメンをいただこう・・・笑





 2日続けてのジンギスカン、遠野人なら平気ですよ、美味いものは美味い、今夜も楽しみです。


 夕方6時30分~・・・「ざっこ&ジンギスカンの夕べ」
 宝飯爺商会にて開催、お待ちしております。



 
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遠野菊池一族・参

2008-06-26 17:17:38 | 菊池氏

 しつこくもまたまた遠野の菊池姓関連のエントリーということで、お付合い願います。

 菊池氏と熊野信仰との関連、このことは「遠野菊池一族・序」で簡略掲載しましたが、遠野における菊池氏と熊野社の関連付けの核心に迫るといった事柄へは至らずの段階でもあります。

 また諸先生方の探求でも記録等にほとんど顕れていないということで、その関連付けを見出す内容とはなっていないが現状でもあると思います。

 民俗分野からの切り崩しも座礁しかけている現実はありますが、以前、かなり以前に紹介した記憶がございますが歴史雑誌「歴史と旅・臨時増刊号」(平成3年3月)に遠野の郷土史家、菊池照雄氏が寄稿した内容が掲載され、当時、かなり興味深く何度も読み返したことがありました。

 今回記述の参考としている遠野菊池の会「菊池一族の誇り」にも参考として引用されておりますが、菊池照雄氏による熊野信仰と遠野菊池姓に関する考察、民俗学分野からの視点がまさに説得力に長け、秀説といわざるを得ない内容と記されている点に注目しております。





○熊野の巫女の唱導

 歴史と旅に掲載された内容によると、北上山地、陸中海岸方面の熊野信仰の中心的役割は室根山にあり。
 その信仰弘布者は熊野御師とよばれる男性布教部隊と熊野巫女といわれる女性布教部隊だったという。

 その内のひとつ巫女達に関しては3つの目的があったのだろうと解されている。 ひとつは熊野三山信仰の村々への移植、ふたつ目は下級階層の人達の熊野への代参、そして三つ目は、九州肥後の名族菊池一族の栄枯盛衰を村々で語ったのではないのか・・・という内容でもある。

 巫女達は北上山地の村々を移動しながら熊野信仰の布教を軸に下級階層からの献納物を預かり熊野へ代参という役目を担い、その代償として下級武士階級や百姓といった人達に菊池一族の事績が宣伝され、先祖が明らかでない下級階級、特に武士階級に自分達の系譜を明らかにしてもらうよう依頼されると神懸となって菊池一族の末裔であったかのような流布がなされたのではないのか・・・・この蓄積があったからこそ、明治の新姓では、こぞって菊池姓を申告する人々が多く出たのであろう・・・・・。
 
 熊野山と深い関わりがあったのが米良氏、米良氏は菊池一族ともいわれ、巫女達はこの米良氏の支配下にあったのだとも解されている。


 簡略的に記述しましたが、説得力があるといえばその通り・・・後は遠野の熊野社と菊池姓繁華な地との関連やら、その痕跡を一応に確認できればそれなりに道は見えてきそうでもありますが、ここからが実はたいへんな予感がいたします。

 民俗分野と歴史的何かの融合、そして伝承等の収集で関連性を求める、これはしばらくかかりそうですね・・・・汗


遠野の菊池氏関連館跡







 久しぶりに青空を撮影しました。
 宮守館上空に青空がクッキリ・・・・遠野菊池姓探求も青空のようにスカッといけばいいのですがね・・・笑


 

◆遠野ぶれんど「じゃっこ&ジンギスカン」の夕べ

 日時・・・6月28日(土)午後6時30分~
 場所・・・宝飯爺商会(上早瀬橋白岩側東へ約80m)
 会費・・・約2千円位か?飲物はある程度ご持参ください。

 山女、ジンギスカンは事務局、幹事で準備します。(無論割勘・・・笑)

 飛び入り大歓迎なそうですよ・・・・。

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遠野菊池一族・弐

2008-06-24 15:52:32 | 菊池氏

 「菊池、佐々木は馬の糞」・・・馬産地遠野、昔の遠野ならではの言い方で、そこら中に馬の糞が落ちているといったことで、それだけ遠野では菊池さんが多いという例えとなっている。
 無論、今時、落ちている馬の糞を見つけ出すことは難しいことではありますが・・・笑

 他に群衆に向かって小石でも投げれば菊池さんの誰かに当たる確率が極めて高いという言い方もされております。

 そういう小生も菊池姓ですが、高校を卒業するまでは確かに苗字で呼ばれたことはほとんどなく、また、これが普通といいますか何も感じずにいたこと、これはホントのことでもありました。

 今こうして、菊池姓の探求をしているからこそ、あまりにも多い遠野の菊池さんを実感しているところです。

 ちなみに何度か過去にもご紹介しておりますが、4人に1人は菊池姓、世帯でいうなら約1万世帯強の内、2千世帯は菊池姓のお宅でもあります。


 さて、遠野の菊池姓を探求し歴史的な何かを調べれば早期の段階で小友の新谷菊池家由来」菊池家系図に行き当たります。
 平清水氏、新谷氏とつながる系図ではありますが、紐解けば天正年間末期における豊臣秀吉の奥州仕置に関り改易となった葛西氏の配下であった菊池一族の遠野流入がそのひとつであることは間違いなさそうでもある。
 遠野の菊池姓探求では大きなウエイトを占めている天正年間末期でありますが、それ以前の時代に関しても、若干触れられている点もあり、そのひとつに九州肥後国の菊池一族、菊池武時の九男といわれる菊池武敏の奥州下向説、これは南北朝時代まで遡ることになりますが、その系譜を伝えるという宮守氏(宮森・宮盛・宮杜)の存在があげられます。

 私の菊池姓探求では、一応この南北朝期までが遠野の菊池氏流入の考察範囲と決めておりますが、もうひとつ、遠野市史や遠野の城館跡関連資料に見える青笹臼館の菊池兵庫助成景の存在、前説のふたつの菊池一族の系譜との接点も考えられますが、こちらも興味が強いものでもあります。


 さて、前回エントリーでご紹介した書籍「菊池一族の誇り」に掲載の内容で実に興味深い系図が記載されておりました。
 まさに驚愕といった場面ではありましたが、新谷菊池家系図の他にも菊池家系図が無いのがおかしいと常々思っておりましたので、やはり在ったかという思いでもあります。





 著者の菊池先生の解説によりますと、2代九郎三郎の頃に阿曽沼氏に仕え、4代重隆から15代長元の時代に青笹の臼館を居舘としていた。
 
 この系図でまさにあの菊池兵庫助成景が登場している。
 10代菊池盛隆の時に陣代(後見役)として君臨、しかも盛隆の叔父である。
 正長元年(1428)~寛正6年(1465)までの37年間にわたり陣代として臼館菊池一族に重きを成していただろうと推測されますが、寛正5年に菊池宗家と総帥権をめぐって対立、遠野領主阿曽沼氏をも巻き込んで戦乱となり寛正6年に討ち死にと記されている。

 さらに14代菊池長光時代に長光が幼いことをよいことに菊池成景の末裔、大弥太成武が宗家に陰謀をめぐらし、一族間の争乱となっている。

 15代菊池長元の時に臼館を放棄して鳥越屋堡に移住、しかし長元は敗れ青笹菊池一族の総帥権を失い、鳥越屋堡も放棄している。

 その後、遠野孫三郎(阿曽沼広長)に仕えるも慶長5年に主家と共に零落、同6年、気仙郡大谷地(住田町)の戦いで討死にと記されている。

 ※鳥越屋堡→糠前鳥小屋・・・・「堡」とりで


臼館跡(青笹町)



 系図によれば臼館は資料による菊池成景の居館ではなく、青笹菊池惣領家の居館となることになります。

 系図では一族間の争乱を伝え、遠野物語拾遺に登場の「戦場」の伝承と思わせる内容も含まれ、興味深いことではあります。

 惣領家と支流であるも一族で力ある菊池成景との総帥権を争った戦乱、この内容に以前から調査探訪を実施している同町沢田の花館の存在をどうしても重ね合わせてしまいます。

 私は花館の妄想考察に、花館の菊池氏、臼館の菊池氏の争いがあったのではないのかと考察しておりますが、まさに一族間の争い、これに阿曽沼氏も巻き込んでの戦乱が記され、大きく展開が変わった思いではないものの、今後の探求の道標的な何かは得た思いがいたします。

 伝承では飯豊の館の主と臼館の館主の争いとも伝えられ、このことが頭から離れませんが、系図でいう惣領家が最後に篭った館を鳥小屋堡としていますが、花館のことではなかったのか?もし鳥小屋付近に館跡が残されているなら新発見でもあり、これはこれでたいへん興味があります。

 しかし、鳥小屋辺りから花館までは直線距離で1キロ位か?近いには近い・・・・?


花館跡・・・青笹町



 私の花館考察では、花館の菊池一族は別グループが臼館に移動、後に糠前辺りを主戦場に領地争い等で争乱となったのではないのか、最後は花館側が敗れたのではないのか?と妄想考察をしております。


 いずれにしても遠野菊池の会刊行の「菊池一族の誇り」・・・なかなかの秀説が展開されており、かなり参考になっております。
 私の妄想考察にもある程度近い内容もありますし、私が疑問と思う点も別方向から考えやすい考察がけっこうあって、取り組みやすい著書でもあります。
 しばらくはこの書籍を中心に遠野菊池一族の考察となりそうです。








 おまけ


 涙・・・・実は今回のエントリー、もっと長文でかなり核心に迫った内容を記述しておりましたが、途中でプレビューにて確認した際に誤字を確認、そのままブレビュー画面をクリックしてしまい、2時間以上かけた労作が水の泡・・・・泡・・・あわわわ・・・涙

 空いた口が塞がらず・・・汗・・・・たまにあるんですが学習しているはずが・・・・涙・・・・。

 今回のエントリーはかなり疲れました・・・汗


 そんな主人の横で・・・・汗




 あきれるも少しだけ癒されました・・・・笑

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ぺっこばりお知らせ

2008-06-23 22:10:40 | その他
 只今、諸般の事情でネット環境を接続したり断線となっている現状でして、新規エントリーやらコメント返しが滞っております。
 もうしばらくはこのような状態が継続の見込みですので、まことに申し訳ございません。


 遠野ぶれんど各位様へお知らせ

 5月の花見会以来となりますが、「じゃっこ喰い・ジンギスカン」の夕べとしまして、会合兼懇親会を予定しております。
 今回で2年目、2回目となります「遠野ブログ画像写真展」開催に向けての打ち合わせも兼ねての宴ですので、ご参加よろしくお願いします。

 日時・・・6月28日(土)午後6時30分頃から
 場所・・・宝飯爺商会庭園・・・笑
 会費・・・いつもの如くかかった分を割勘

 雨天決行となりますが、宝飯爺商会営業時間終了後の会場設営となると思います。
 早めに来られてお手伝いいただける方は是非によろしくお願いします。

 詳細はまた後日に掲載いたします。
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遠野菊池一族・序

2008-06-19 22:39:04 | 菊池氏

 北東北もいよいよ梅雨入り、長い梅雨が明ければ本格的な暑い夏がやってくるはず、昨年は猛暑、酷暑であったが今年の夏はどうなるのか?秋の実りは?・・・まずはそれほど鬱陶しくない梅雨であれば・・・と願っております。


 さて、郷土史関連での三本柱「遠野阿曾沼氏」「遠野南部氏」そして阿曽沼時代に付随するも「遠野菊池一族」・・・・菊池一族というよりも菊池姓探求といった内容でもありますが、この菊池姓探求関連もひとつの懸案といった位置付けでもあります。

 本日、何か遠野の菊池姓関連での新発見はないものか?微かな期待を込めて市の図書館に午後行って参りましたが、蔵書としての書籍、資料は以前から知っているものばかりでこれといった内容を得るということは難しいかな、なんて思いながらも再確認といった意味合いでも新発見はよくあるもの、そう言い聞かせて書棚を物色していると・・・・・。


遠野菊池の会刊行・・・・



 以前見たことはあったけど、昨年辺りか?・・・ツラツラと頁をめくると九州は熊本の菊池一族の系図やら、菊池姓研究の先生方の書籍を参考にしたと思われる内容が目に留り、それほど詳しいものではないな・・・なんて判断してしまい眼中になかった書籍でもありました。

 しかし、今回、よくよく読んでみると、これがどうして・・・なかなか・・・な内容が・・・・特に民俗的分野からの簡略ながらも考察が加えられていたり、興味ある内容が記述されている。
 全く、中身もよく読まないで見た目だけで判断してしまっていた自分が情けないと反省しているところです。


 私の遠野菊池姓の探求では、どうしても歴史的な何かに走りがちであるが、民俗分野からの切り口も実は必要であると痛感しているところで、そのひとつに熊野神社と菊池一族という関係がひとつのキーワードであると考えておりました。

 この書籍では、この分野も網羅され考察もなされており、私の今後の探求がひとつ省かれた思いもあって、まさに少しだけ驚いております。


 遠野の熊野神社(旧遠野)

 金比羅神社(早瀬)・・・松崎町光興寺の熊野社を合祀
 松崎町・・・熊野三山(白岩)
 綾織町・・・2箇所、石上神社・熊野神社(新里)
 附馬牛町・・4箇所、熊野神社(沢の口)、(大萩)、(下附馬牛熊の林)、(大袋)、(附馬牛安居台)
 土淵町・・・4箇所、高山神社(栃内恩徳)、熊野神社(山崎)、(山口)、(飯豊)
 青笹町・・・1箇所、熊野神社(中下)
 上郷町・・・3個所、熊野神社(佐比内)、(板沢)、(細越)
 小友町・・・篠神社(土室)

 以上18社とあるが、他にもまだありそうな気配、岩手神社登録では上郷町佐比内と宮守達曽部、そして釜石の橋野、栗林の熊野神社が旧上閉伊郡としては4箇所のみ登録されているという・・・。「菊池一族の誇り」掲載を引用参照。

 ここでの考察では、遠野における菊池姓繁華の地での熊野神社は極めて少ないこと、現代感覚を脱ぎ捨てて少し昔を想像しても菊池一族との接点を求めるには乏しい内容でもある。

 菊池姓が少ない附馬牛町に4箇所の熊野神社、逆に多い小友や青笹には1社、これは何を意味するのだろう・・・・。
 一部、土淵町の菊池姓の多い地区、飯豊に熊野神社があるということは少しばかり頷けることでもありそうで、花館を有する青笹町沢田地区との隣接を考えれば、これはこれで納得という場面もありますが、それでも全体的には菊池姓と熊野神社との関わりは見えて来ない。


 土淵町栃内(山崎)






 熊野三山と中世遠野領主であった阿曽沼氏との関連は資料等では確認できるようですが、少なくても近世での遠野菊池一族と熊野神社との関わりは見えてこない点、これはひとつの発見でもあり、納得せざるを得ない内容でもありそうです。

 無論、これはあくまでも遠野での内容のこと、紀州熊野と菊池一族の関わりは資料等でもある程度明らかになっていますので、さらなる研究は必要でもあります。


 今回は知る人ぞ知る、知らない人は知らない「遠野菊池の会」で刊行した書籍を基に少し考えてみましたが、今現在みる遠野の菊池姓関連の著書ではかなりいい線を行っている書籍であると思います。
 これは今後活用しながら、自分でひとつひとつ確かめながら菊池姓探求に役立てたいと思っているところです。


 弐も後日エントリー予定です。



 
 おまけ・・・・

 増改築工事にて床下部分・・・・コンクリートを流し込んで後は乾くのを待つのみということで、大工さんが少し早めに帰られましたが・・・・・汗・・・これは・・・・。




 ありゃ・・・汗





 東京浅草の有名芸人やアメリカハリウッドのスター達の足跡や手形がありますが、ネネがやはりやってしまった・・・・笑

 数十年後、息子が家を建替える時に今の家を取り壊す際に当時の飼猫であるネネをきっと思い起こすに違いない・・・・笑

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おかげ様でⅦ・Ⅵ

2008-06-18 19:27:08 | その他
 今月末で本編サイトである「松崎じぇんご弐」が7周年、別家サイト「奥州虎猫舘」が6周年となります。
 どちらも、更新追加が滞っており「奥州虎猫舘」の方は、1年近く更新がされていない現状、辛うじて「松崎じぇんご弐」の方は、遠野郷の城館址関連を細々と追加といったところで、まことにすみませんです。

 しかし、今後も出来る限り継続といった意気込みはありまして、両サイト共に模様替えやら内容縮小も図りながらも歴史分野のウェブサイトとして続けていけたらと考えております。

 まずは今まで継続できていること、見捨てないで訪れていただいております皆様のおかげでもあり、御礼申し上げます。
 ありがとうございます。

 今後もひとつどうぞよろしくお願い申し上げます。


本日の六角牛



 まだ梅雨入りしておりませんが、空気が乾いている状態で市内では原野火災等が頻発しております。
 この天候もまもなく梅雨空に変わりそうとのことで、いよいよ遠野も梅雨入りとなりそうです。

 
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新山、貞任ぺっこばり

2008-06-16 21:00:28 | 遠野
 14日朝発生の岩手・宮城内陸地震におきまして、ブログや本家サイト掲示板、さらにメール等でご心配をいただくコメント多数をお寄せいただきまして、誠にありがとうございました。
 幸にして遠野は被害等に関してましては皆無に近い内容でして、平常通りの遠野でもありますので、重ねてご心配いただきました各位には御礼申し上げます。
 また、小生につきましては、先週金曜日から高熱を発して寝込んでましたが一夜にして熱も下がり、通常に仕事、生活をしておりますことをご報告いたします。
 こちらもお見舞いのコメント等をいただき、ありがとうございました。

 この度の地震で被害に遭われた地域、皆様にお見舞いを申し上げますと共に尊い人命を失う事態となっていること、さらにまだ行方がわからない方々もおられること、謹んでお悔やみと一日も早い救出と被災地の復興をお祈りしております。

 また日夜を徹して救出活動、災害対応に就く関係機関並びに各位に対しまして敬意を表したいと思っております。
 ご苦労様です。



 小槌川


 さて、自宅の増改築工事も本格的になっておりますが、先週末からの体調不良、完全に復調といったことではなく、鼻水と身体のだるさの症状はあって、地震対応やら消防団の行事がたて続けにあったことから本日の休みはゆっくりと家で疲れを取りたいところですが、工事等でゆっくりも出来ず・・・何処か半日でも良いから昼寝をしながらのんびりしたくて、大槌の湯っこへ出掛けて参りました。

 おかけ様でなんとか気分的には楽になった思いで、帰路は新山、和山越えで・・・・。



 午後辺りから大槌は青空が広がりまずまずのお天気、新山に向う途中の渓流がキレイで途中で画像取材。
 川底に尺物の岩魚が悠々と泳いでいる、渓流釣りファンなら胸が高まるに違いない・・・。


 大槌湾


 
 最近エントリーの山猫氏のブログにてのタタラ製鉄の跡も訪ねようと考えていたが、今回は通常のコース、新山~貞任、土淵と一般的なルート、もう少し天気が良い日、さらに体調万全な時にでも挑戦してみたいと思ってます。


 ウインドファーム・・・新山のブンブン丸





 貞任高原から遠野を望む



 六角牛、貞任、和山、新山、そして白望山・・・前九年の役に関係する伝説の地、貞任高原、大槌孫三郎が遠野横田城を攻めるために越えたであろう新山、逆に遠野阿曾沼氏や南部勢が大槌に攻め寄せるために越えた新山、和山。
 
 製鉄の技術集団が山奥深くでタタラを営んでいたこの界隈、沿岸と内陸の塩の道、米の道・・・数々の伝説やら史実と思われる痕跡を残す遺物、遺跡・・・歴史的浪漫が満ち溢れているこの高原地帯は私自身、まだまだ未踏の場所もあって、興味はあってもまだ手つかずの場面が多いのも事実でもあります。
 いつか、そういつか・・・・やろう・・・汗



 夕焼け






 只今工事中


 増改築工事に伴いまして只今簡易的にネット接続をしている現状です。
 今後、断続的にネット環境が繋がらない可能性もあり、エントリーやらコメントできない場面も想定されますので、あしからず・・・・。
 よろしくお願いします。
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トホホⅡ

2008-06-13 16:14:02 | その他
 明番で帰宅して間もなく、背中の辺りが「サワッ」とし始めたと思ったら、身体の節々に違和感が・・・・間違いなく間接痛の前触れ、風邪の前兆であろうと自己診断・・・。

 
天気は上々・・・六角牛山・・・松崎から



 自宅では増改築工事が盛んと行われており、とても家でのんびりしていられる状況ではない。
 今夜予定されている「じゃっこ喰い」の為の買出しを仰せ付かってましたので、頃合を見計らって買物へ・・・・。


 猿ヶ石川と小烏瀬川の落ち合い付近



 5月に入ってから解禁されている「瀬ざっこ」・・・遠野、春の風物詩のような位置づけながら、漁期はまだ継続中とのこと。
 5月は田植時期前後がかなり寒く、漁の方はサッパリ駄目だったらしく、今月に入ってからの持ち直しを期待ということですかね。

 瀬の権利を持っている方々の願いも通じ、なんとか持ち直しているらしい。

 
 ここであえて「瀬ざっこ」の詳細は省きますが、遠野でいう「クキ」関東では「ハヤ」・・・共通語では「ウグイ」ですね。
 ウグイの産卵期に併せた川漁で、人口的な瀬を流れの中に作り、産卵に集まったウグイを投網で一網打尽という漁でもあります。

 しかし、遠野での方言で「瀬ざっこ」・・・違和感はあまり感じないが、この言い方は遠野の町場の言い方か?・・・私の住む松崎は「ざっこ」ではなく「じゃっこ」と言っている。
 すなわち「しぇじゃっこ」・・・笑・・・となります・・・笑。


 瀬じゃっこのキースーテーション


 実は、今夜は嫁さんの知人に御呼ばれしてまして、画像のテントにて「じゃっこ喰い」が行われます。
 我家族全員、嫁さんの実家(義母、義妹、姪達・・・)そして瀬の権利を持つ嫁さんの知人家族、さらに顔馴染みの皆さん、結構な人数でもありますが、小生は魚介類はダメ、最近は海の魚はなんとか克服しつつあるも川魚は全くダメ・・・汗
 
 ジンギスカンも準備とのことで、もっぱらこちらかと思いきや・・・・関節痛が酷くなりはじめ、しかも頭も「まやっ」とする感覚、これは明日は勤務でもあるし、明後日は市の消防操法大会でもあり、どちらにも穴を開けるわけにもいかない、ここは一人諦めて家で早く休むことにいたしました・・・・涙



 基礎工事始まる






 買物して帰宅すると大工さん達が一人も居ない、我家の分の本日の工事は予定通りということで、別現場へ行ったものと判断。
 そこで、これは本格的に床に入ることができるな・・・ということで昼休みを始めると激しい雷鳴で目が覚める。
 少しウトウトしていると今度は外から工事が始まった音が・・・・大工さん達が来て工事を再開したらしい・・・汗

 体調は悪いは、少し横にもなりたいは・・・・これも致し方なし・・・たかむろ水光園にでも行って寝て来ようか・・・汗
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トホホ・・・涙

2008-06-11 15:06:25 | その他
 座敷親父氏的には「トホホでやんす」・・・涙

 自宅の増改築工事着工の日・・・・予てより菩提寺福泉寺住職さんにお願いして着工日としての良日をみていただいておりましたが、6月11日が良いとのこと。

 これにより本日11日から工事が始まりましたが、本日はとりあえず、床が落ち込んだ部屋の床を取り去って基礎部分や土台等を表してみようということになりました。


 途中の場面での床部分の画像は、あまりにも無残な状態なため画像に収める気力もなく・・・・汗・・・想像はしていたが、かなりひどい状態でもありました。





 とにかく湿気によるもの、これが一番の原因ではありますが、新築工事の際の基礎部分工事に係る甘さもあったようでもあり、工事に請け負った業者ばかりではなく施主の小生にも責任の一端はあり、当時は若かったことや知識が薄いとか今更言っても仕方の無いことで、とにかく反省と後悔の念が頭をもたげているが率直な思いでもあります。


 ただ幸にも、もっと土台部分の腐食やらが別にもあるのかといえば、それはさほどでもないとのことで、修繕に係る費用の増額はなんとか回避できそうな雰囲気、こちらでは安堵しているところです。


 しかし、総体的にはトホホでやんす・・・涙



 郷土史関連等のエントリーは参考とする資料や書籍が自宅の増改築工事に伴いまして、ダンボール箱へ一端収納して取り出せない状態であるため、ご紹介できません。・・・謝
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