「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

大晦日09

2009-12-31 13:50:54 | 遠野

大晦日09

 

 まずは・・・

 夏に一ヵ月の研修がありましたが、その際に同室となった盛岡の同業者(S川氏)より手作りの盛岡じゃじゃ麺が届けられました・・・感謝

 小生の職場でも何度かレシピ等をいただき作って食べてはいるものの、盛岡の方々のものは本場盛岡の専門店をも凌ぐ美味さがあり、今回いただきた御仁のものは、まさにその代表的な味でたいへんありがたいお届物でもありました。

 早速、大晦日の昼に家族でいただきました・・・最高に美味い・・・。

 

ありがとうございました。

 

 

大晦日の福泉寺

 

 

 

時折陽が射す良いお天気ですが、風が強く冷たい大晦日となっている。

 

本堂

 

氏神様である愛宕大権現

 

鐘楼

 

 23時45分過ぎから除夜の鐘が衝かれます。

 108つの鐘の音、並んだ順に鐘を衝くことができますので、お早めにお越しいただき、お並びください。

 

 

年越しそばは・・・・

福泉寺西門前・・・はやちね食堂

 

小生は年越しならぬ初ラーメンとしていただきます。

 

 

 

 2009年、色々とありがとうございました。

 良いお年をお迎えください。

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忘年会09

2009-12-30 12:57:29 | 遠野ぶれんど

 遠野ぶれんど(遠野ブロガー)の忘年会が29日、上組町の某居酒屋で開催されました。

 小生は今回の幹事役のお二人の女性ブロガーと30分ほど早くに会場入り、乾杯の練習をしながらオーダーチェック・・・。

 無事に料理等のオーダーが終わると皆さん三々五々会場入り、定刻どおりに忘年会の宴が始まりました。

 

 いつもながら主メンバーの何人かを欠いての宴でしたが、皆さん諸般の事情でやむなし的で残念ですが、それでも関東ぶれんど揃い踏みというサプライズもあったりと大いに盛り上がりました。

 

 

遠野出身のシンガーソングライター

舞ちゃんも参加・・・・。

 芸能人とこうしてお近づきになれること、これもまたうれしい・・・・舞ちゃんがもっと有名になったらこんなことはできませんからね・・・。

 

 

 性別、年代、職業も違う面々が遠野というキーワードとブログでつながる不思議な縁・・・・。

 今年だけでも懇親の宴は10回以上はやられているはず・・・しかし毎回色んな情報話題が飛び交い、何故か飽きないこの集い、来年もこの調子で楽しんでいけたらと願っております。

 今回は14名が参加・・・二次会・三次会とありがとうございました。

 

二次会で乾杯

 

三次会

カルビの一気焼き・・・笑

 

最後はタクシーも無くなり、少し焦りましたが、なんとか帰還できました。

どんどはれ

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ラストじんぎすかん09

2009-12-28 18:50:06 | 遠野

 明番の朝、勤務地の宮守は降雨、帰宅すると遠野は雪降りとなっておりました。

 

我家から・・・午前中

 

夕方からは御用納め、いわゆる仕事納めの為、勤務地に赴く・・・。

 

 仕事柄、仕事納め的な式は当てはまらない、盆も正月も無関係ながら、一応、儀式としてひとつの節目としては必要なのだろうと思う・・・。

 

 そんな中、東京都内で暮らす愚娘(長女)が帰省中、久しぶりに家族が全員揃ったこと、また大学受験に合格した長男の合格祝いも本格的にしていなかったので、これも併せて、ささやかながらお祝いの夕食とする。

 遠野人なら、やはり名物、遠野ジンギスカンであろう・・・。

 

 

 

今回は奮発して上ラム

 

 

 前沢牛や米沢牛に比べれば子供騙しもいいところ・・・しかし遠野名物ジンギスカンにすれば最高峰・・・一応考え付く範囲では贅沢な部類であろう・・・。

 

 と・・・画像をみている皆さんにすればどこか違和感を感ずるかもしれません・・・汗

 

 遠野といえばジンギスカン、そしてジンギスカン鍋に専用の穴あきバケツは・・・?

 となりそうな・・・・汗

 

 皆さん、風評やイメージで物事を考えてはいけません・・・笑

 

 確かにジンギスカンバケツは有名で遠野の各家庭にひとつはおそらく備わっている代物であると想像はつきますが、実は・・・・何を隠そう・・・・ここで暴露しちゃいますが・・・・笑・・・・

 

 画像のように電気式のホットプレートでジンギスカンや焼肉を楽しむという家庭も実はかなり多いのですよ・・・。

 無論、これらは遠野ジンギスカンの邪道的な食べ方ではある。

 だいいち、汁(水分)が出て、焼くというより煮て食べているようなもの・・・ガスや固形燃料、炭とは違って表面がカリッとはなかなかならない・・・汗

 

 しかし、何故に・・・・?

 

 実は新築したお宅やら比較的新しいお宅、きれいに使っているお宅では・・・「いだますぃ」・・・すなわち直火でジンギスカンをやると壁、天井は油だらけ、匂いは数日消えず、床も大変なことに・・・・遠野の方ならおわかりですよね・・・笑

 よほど焼肉店並みの換気設備でも整えていなければ、そうはできない代物、ましてやと冬期間ともなればそうは問屋は卸さない的な事でもあるんです。

 もちろん、気にしないというお宅であれば別ですがね。

 ジンギスカンバケツやガスコンロ、炭火でもジンギスカン、夏場の屋外限定、或いはガレージや専用の部屋でもあればこれまた別ですが、おそらく大概のお宅の冬場でのジンギスカンは我家と同様かと思います。

 それでも食べたいジンギスカン・・・・やはり遠野の文化なんですよ・・・笑

 

 

焼きニンニク

 

これが美味いんですよ・・・・。

臭いは・・・・田子産の無臭ニンニク・・・これならOK・・・笑

ニンニクも美味い・・・・

 

 時間が経つとホットプレートでもそれなりに焼き色が出てきて本来の美味さも堪能できますよ・・・ホント

 でも、この頃にはかなり食べてまんぶくになりつつある頃合いですがね・・・大汗

 

 

 大丈夫・・・・ラム肉はヘルシーですから・・・・笑

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2009・弐

2009-12-26 19:56:31 | 遠野

2009年

画像でおくるダイジェスト

 

と言いつつも厳選した画像を選んだわけでもなく・・・

ただ月々を軽く振りかえってみたいと思います。

 

1月

 

2008年大晦日は当直であった。

明番の元日、帰宅するとまずは福泉寺へ初詣。

 

穏やかな元日の午前といったところ・・・

 ついでに氏神様近くのお地蔵さんも穏やかな表情で、今年は穏やかで平穏無事な1年であるといった雰囲気でした。

 

2月

大寒前後は結構冷え込んだと記憶しているが2月も寒かったような・・・

積雪もそれなりだったような?

 

ひとりで例の場所へ氷筍を撮りに行く・・・。

 

3月

 正月の穏やかな雰囲気とは違って新年早々から仕事的にはあまり芳しくない内容・・・

 末にはどん底みたいな感じになり、最後は内容と比例するようなかなり落ち込む事態となって4月初め頃まで心の葛藤の毎日・・・。

 逆に天候は結構春めいた良いお天気が続いたような・・・・。

 

4月

 沈みがちな心を癒すが如く、以前から一度は訪ねたかった福島の史跡(阿津賀志山の防塁)を見、歴史浪漫に浸る。

 そのまま新幹線に飛び乗りウラワンを訪ね彼の地の友人、H氏と会談・・・これでかなり吹っ切れた気分となったことを思い出す。

 福泉寺の桜は4月20日に開花、例年より1週間以上早く咲いた。

 さらに開花後、少し気温が下がったこともあり、案外花持ちも良かったと記憶しており5月の連休前半まで花が楽しめた。

 

5月

寒い日もあったり春らしい陽気があったり・・・おそらく・・・汗

田植えも例年通りだったはず・・・・。

 

 

6月

1ヵ月の研修で遠野を離れていたので、画像はほとんどなし・・・。

 

7月

 研修終え、いつも通りの生活やら勤務に慣れるのに少し時間がかかりましたが、早池峰神社例大祭の宵宮撮影に勇んで出かけるも、ほとんど他人様へお見せできるような画像は撮れなかった・・・。

 カメラ撮影は腕もそうだけどレンズ等の道具にあり・・・と結論付けて沼に足を踏み入れる。

 

 

8月

なんか梅雨が明け切らなかったような・・・

しかも暑い日もあったけど猛暑とまでは至らなかったと記憶している。

15日の遠野夢花火は勤務で今年は楽しめず・・・。

16日の舟っこ流しは直前になって緊急呼び出し・・・。

 なんとか菅原神社のお祭りは取材できて、柳田國男が遠野を訪れて100年、その100年前の光景をイメージすることができた。

 天神様に至る道を自力走行馬で突然とやって来た友人がいましたね・・・笑

 

9月

やはり秋祭りでしょう・・・。

 遠野郷八幡宮例大祭、そして遠野まつり・・・・

 レンズ沼もさらに加速しましたが、おかげで良い絵が随分と撮れたと自己満足しております。

ぶれんど仲間と楽しみながらのお祭り撮影、そして夜の懇親・・・。

楽しい思い出です。

 

10月

なんといっても高清水通いでしょう・・・。

 

 

 雲海を撮影の為に午前4時起き・・・そのうち半分の確立で雲海を堪能できました。

 

 無論、紅葉の時期、しかし近場の福泉寺の紅葉の盛期を撮影しながらデータを削除する大失態・・・しかし雲海にウエイトが占められていたため、大きくは落ち込むことはなかった。

 

 

秋が早い分、昨年よりは色づきが少し早かった・・・。

でもなかなか良い色づき方の木々が多かったという印象です。

 

11月

 地元駒木の伝統芸能、駒木鹿子踊保存会発足50周年記念式典が3日にあった。

 初雪といいますか小雪が舞う寒い中でも踊り、しかし十数年ぶりに地元福泉寺五重塔での舞いが見られて大満足であった。

 また夜、幼馴染達と酒を酌み交わし、童心にかえったこと、その後、久々に大酔いして嘔吐したこと・・・・汗

 

 しかしながら、雲海も含めて夕方も高清水通いが継続していたこと・・・汗

 

 

今度は夜景にはまったこと・・・汗

 

 

12月

画像なし

 

 11月の健康診断の結果、やはり昨年と同様の内容・・・大汗

 来月には病院行きで二次検査或いは医師の診断を得ることになります。

 検診1ヶ月以上前から低カロリーの食事、酢飲用、そして軽い運動で臨んだのですが、体重は昨年並みまで減るも内容はそのまま・・・・やはりここは通院して薬の力を借りなければならないようです・・・・。

 

 まっ・・・個人的には全体的に大きく崩れたわけでもなく、それなりといった一年、2009年でしたね。

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クリスマスイヴ09

2009-12-24 15:19:42 | その他

 知人に頼まれたクリスマスケーキ2個、我家の分1個、計3個のケーキを作成。

 とりあえず2個完成

 

 

 

 

 

残り1個完成

ちょっと手抜き気味・・・汗

 

 

午後5時過ぎ、ケーキ2個を取りに来ていただき、その後、家族で夕食。

 

 

普段は晩酌しませんがワインで乾杯。

 

 真言宗豊山派寺院を菩提寺にもち、そのお寺さんの檀家、しかも檀家総代に匹敵する檀家筆頭家の一家ということで仏教徒ということになりますが、イベントとしてのクリスマスもそれなりに楽しむといった現代の日本人そのまま・・・です・・・笑

 今夜はワインをチビチビしながらPCやったりテレビみたりしながら寝たいと思います。

 

ネネもご満悦

 

クリスマス、お正月用の特別キャットフードでご満悦・・・笑

 

でも少し足りなかった様子

 

猫用ケーキはないニャー

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遠野旧事記から

2009-12-24 12:53:48 | 歴史関連コラム?

 「遠野旧事記」・・・

 江戸時代の遠野の事を遠野南部家臣である宇夫方広隆によって著された本ということになります。

 書かれた年代は宝暦12年(1762)とも13年ともいわれますが、八戸から遠野南部氏が遠野へ移って来たのが寛永4年(1627)、それから約130年余後のこととなります。

 うれしい事に、素人ではなかなか読み下すことも難しく、さらにそうは簡単に目に触れるような書物ではなかった遠野旧事記を遠野在の小原六郎先生が「やさしい遠野旧事記」を口語訳として2005年に発刊されまして、江戸時代当時の遠野の様子が手に取るような感覚で我々も知ることができております。

 

 その中で寛永4年、八戸から八戸氏(遠野南部家)が遠野へ入部した際に遠野に居た阿曽沼氏旧臣含みの武家達の屋敷を八戸氏家臣等がとりあえず宛がわれた内容が記されておりますが、疑問点や所伝で語られる武家の名とかがわからないといった場面も感じられ、その事について若干記したいと思います。

 

 

遠野旧事記には・・・・

 場所(屋敷)・石高・家士名・備考・・・の順で記されてますが、当方で順序や内容を若干簡略させております。

 原文では例えば「南館 800石 大原新右衛門・・・」とありますが、これは元南館に居た大原新右衛門、800石取りの屋敷であった・・・と解されます。

 続いて、中館与四郎屋敷300石、細越与三郎とありますが、こちらも中館与四郎の屋敷は元300石取りの細越与三郎の屋敷・・・という意味ですので、あえて上記の表を並べ変えしております。

 なお、石高等は太守である盛岡南部氏の南部利直から賜った内容だと理解している。

 

 さて、まずは南館に居た浜田彦兵衛500石とは何者であったのか?

 遠野南部家臣の浜田氏は確認できない、それでは盛岡南部家に仕えて寛永4年以降に南部藩士となって遠野を去った武家なのか?こちらも不明である。

 浜田とくれば気仙郡地方に居た千葉氏系の一族か・・・と一番に思い浮かびますが、遠野地方では松崎町光興寺地区に浜田姓のお宅が多くみられる。

 気仙郡との関わりがあったかどうかは調べてませんのでなんともいえませんが、ひとつ妄想含みで気になる点が・・・・。

 阿曽沼旧臣で後に遠野南部氏、附馬牛八戸氏に仕えた末崎氏との関連性が高いのでは・・・・・。

 末崎氏は阿曽沼広長時代、阿曽沼氏の重臣であったと伝えられ、八戸直義(直栄)によって新規に召しかかえられた阿曽沼旧臣であったと伝えられている。

 気仙郡内、現大船渡市に末崎町という地名がありますが、この辺りに居た一族で故あって遠野に来住、以前は千葉氏系で浜田氏を名乗っていたのではないのか?・・・これは妄想ですよ・・・汗・・・根拠とする資料もありませんので・・・・。

 それと「奥南落穂集」にみえる阿曽沼旧臣名にない武家の存在、こちらも気になるところ・・・・沼荒次郎とは、金新助とは?中沢外記はどうなったのか?宮沢十三郎とは菊池成景(青笹臼館)の末裔なのか?他にも五日市又五郎は五日市に居たといわれる立花 縫の系譜なのか?

 いずれ盛岡南部家に仕え遠野を離れた武家も多数存在し、遠野南部家に仕えた武家も確認できますが、まだまだわからない武家もあって、以前から疑問に感じてましたのであえて記述してみました。

 

 まずは南部藩参考諸家系図で調べてみなくては・・・数年前、5巻揃いで確か3万5千円でネット古書で売っていたような?その後、倍の7万円で古書があったことも確認してましたが、どうしても手が出せず・・・今は単品でバラバラに売られており、すべてそろえるには時間と費用がものすごくかかるといった雰囲気、あの時、少し無理していれば・・・と少し後悔している。

 とにかく市立図書館に全巻揃ってあるので普段は支障がないのですが、長期休館でかなり難儀しているところです。

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2009・壱

2009-12-23 20:35:27 | その他

 本日のエントリーネタを思いつかなくて、とりあえず2009年の思い出としていくつか画像を主にアップいたします・・・汗

 

 2009年1月某日・・・豊島区池袋

 

 何しにお江戸へ行ったか?少し思い出してみると家族で出かけていたようです。

 前日は遠野ぶれんど関東支部の面々と上野で新年会。

 

台東区上野

 

 

 宴がはじまるまで上野界隈を散策・・・といっても人の波にもまれながらただ漂っているだけですがね・・・笑

 

 少し落ち着いたところで・・・・

 

マルイ

 

マルイというデパートであったこと、ここ数年知った・・・汗

それまでは「オイオイ」(OIOI)と思っていた・・・笑

 

新年会は二次会で焼肉店に行ったと記憶している。

 

 

翌日・・・。

 

 この上京は、都内に暮らす愚娘(長女)の様子をみに行こうということだった。

 結局、娘の部屋には家族全員が泊りきれず池袋にホテルをとって宿泊した記憶が・・・・。

 

西池袋

 

 

年明け後は早い時期に関東への出撃が春頃まで何度か続きそうです。

余裕があったら横浜の「みなとみらい」の夜景を撮ってみたいと切望しております。

いやっ・・・必ずこれは実現したいと考えております。

 

 

とりとめのないエントリーですみません・・・汗

 

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忘年の宴・艶?

2009-12-21 19:26:28 | その他

雫石町内某温泉

 

2009年12月20日

こちらは遠野の3倍以上の積雪

 

 某団体、2年ぶりの温泉宿での忘年会、昨今の不景気等経済情勢の厳しさの中にはありますが、1年に一回は何もかも一時的に忘れて弾けてみたい、贅沢このうえないことでもありますし、こうして温泉宿で宴会ができる幸せ、このことに感謝しながら楽しんで参りました。

 

 

ご覧の通りの団体での宴・・・笑

 

飲み放題忘年会プラン

 

見た目は品数が少なく貧弱な印象ですが、温泉の他、味自慢の宿とか。

 

まっ、小生ほとんど食べておりません・・・汗

語り合いと飲む方に専念したため・・・笑

 

 

〆のラーメン

 

 宴会料理のほとんどに手をつけなかったため、酔っていても腹が減っていたことは認識できていました。

 しかし、美味かったか不味かったのかどうか味についてはほとんど記憶がない・・・汗

 

 そして翌日・・・・

 こういった場面、ゆっくり寝て起きて少し遅めに朝食でも・・・といつも思ってるのですが、何故かもの凄く早く目覚めてしまう・・・。

 さらに二日酔い気味で少し具合が悪いのに朝食を沢山食べてしまう・・・汗

 こうした温泉宿の朝食は何故か美味いんですよね。

 

朝食

 これぞ日本の正しい朝食といった雰囲気、こちらはちょっと贅沢な朝食ですが、ひとりひとりに配膳される形式、バイキングスタイルが多い中、たまにはこういうのも良いと感じました。

 でもバイキングの方が食べたという感じがさらにするんですよね・・・汗

 

 一晩にさらに10センチほどの新雪が積もる。

 ゆうに30センチは軽く超える積雪量・・・帰り道、宮守まで全区間、道路は圧雪状態、しかも時折吹雪模様・・・2時間30分近くかかって遠野まで帰って参りました。

 

こうして今年の主たる忘年会は終わりました・・・・。

 

終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

艶会・・・・大汗

 

 男だけの忘年会、少し酒が廻り出すと愚痴やつまんない話題に行ってしまいがち・・・・

 どうしても華がほしいと思うのは世の男共の願いではないでしょうか・・・笑

 

 そこで・・・・

 

 

コンパニオンさんをお願いしておりました・・・・

 

 

盗撮ではありません。

重ねて申し上げますが盗撮ではありません・・・・

 

 

 

 

皆さんは何をしたいですか?

膝枕ですか?

 

 

小生はうつ伏せになって膝枕をお願いしたいです・・・

 

 

女性が加わるとテンションも大盛り上がり・・・笑

 

 

何がなんだかわからない出しモノも飛び出す・・・大汗

 

 

しかもこんな時とばかりにツーショットのはずが・・・・

 

 

邪魔される・・・・汗

 

 

 こうして、本年の主たる忘年会は夜遅くまで続けられ、翌日は何事もなかったような顔で普通に家路につくのであった・・・・・

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エントリーは21日

2009-12-20 10:13:36 | その他
 降雪、積雪の中ではありますが、これから某温泉にて某団体の忘年会がありまして、これから出かけます。
 温泉、忘年会話題は明日21日、帰宅してからエントリーいたします。

 それでは・・・・

 きれいな足を撮ってきたいと思います・・・盗撮ではありません・・・汗
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懐かし模様・母校から

2009-12-18 18:38:14 | その他

 雪が降ったりやんだり・・・しかし、幹線道路以外は終日、画像のとおり・・・・。

 

真冬日な日

 

 さて、本日は二女(中3)と長男(高3)の三者面談の日、上手く日程と時間調整が成って立て続けに学校を訪ねました。

 

 まずは・・・市立遠野中学校

 小、中の父兄の中では俗にいう「通信簿貰い」と言っておりますが、流石受験を控えた3年生ともなれば通信簿貰いではなく三者面談であろう・・・。

 順番待ちで少しだけ校内の様子を撮影する。

 

 

小生が通っていた頃とほぼ変わらない風景でもあります。

 

ベランダ

 

 当時は慣れてしまったので気にしたことはなかったですが、ベランダが廊下代りであった。

 授業が始まると隣のクラスへ向かう先生が窓越しにベランダを往来して教室に入る。

 真冬は大変だったと思います・・・笑

 

 いつからかはわかりませんが、ベランダにサッシが付けられ少し当時とは趣が違いますが、まだ3階とかは当時のままです。

 

階段

 

 昔は階段下の部屋は部室であったと記憶している。

 陽が短い晩秋の頃、薄暗い階段室に幽霊が出たと噂が流れ、確かに暗くて出てもおかしくない雰囲気であったことを思いだす・・・笑

 

 そんなことを思い出しながら、三者面談に臨むも手厳しい内容でヒビリ気味・・・・汗

 ついでに通信簿みてさらに沈みがちな心、娘に少し気合いを入れようにもこの親にしてこの娘・・・ということで、我慢がまん・・・汗

 

 

 続いて県立遠野高校

 

通っていた当時そのままの門

 

 校舎は建て替えしてから15年位ですかね、当然現校舎で学んだものではない。

 確か、グランド側の芝生の部分に新校舎が建てられたと記憶している。

 建築中に何度か検査に来ておりましたが、どこか寂しいと感じたものでした。

 

 小生が在学中は以前の古い校舎の一部も残されていて、商業実習の棟であった。

 

 

 普通科、商業科、併せて8クラス、45人学級でありましたが、現在は40人、5クラス、来年からは4クラスとなる見込み・・・・。

 

  面接の時間となるも息子は課外とかで、担任の先生が別教室に迎えに行ってなかなか帰ってこない。

 高校時代も見た外の風景を見ながら当時のことを少しだけ懐かしく思い出す・・・。

 グランド方向の景色は当時とほとんど変わりはない。

 

 

 

 三者面談といっても来るセンター試験の概要等の説明と大学入学までの学習の仕方等の話がほとんど・・・・実は推薦をいただき既に試験済、なんとか合格しまして北関東の大学に入学の予定。

 まともに入試したら、ほぼ合格はなかったはず、息子の一応努力もそのとおりですが、これからが親の出番・・・・涙・・・細い脛がさらに細くなること必至、今からどうしようか大いに苦悩しているがせめて公立であったのが少しばかり救いでもある。

 

 親父は某沼に全身浸かって身動きができなくなっているが、うれしいやら寂しいやらですが、息子の操るクレーンで沼から吊られ強制退去の方向・・・それでも水辺に降ろしてくれと密かに願い、片足だけでも沼に入れておきたいと動揺している・・・・汗

 いずれ来春からはさらにたいへんな経済状況、子供手当ばかりではなく、小遣いを減額される親父に、「親父手当」と痛切に願うのは自分だけでしょうか?・・・笑

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