「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

論争

2005-04-27 19:46:09 | 歴史・民俗
今日は車の修理のため、紫波に行ってきた。盛岡では石割桜が見頃とか、紫波も大迫も桜が二分咲き程度か、梅も一緒に咲いており、白、ピンク、地面は黄色の水仙、いよいよ北国も本格的な春到来となっております。
ちなみに遠野の桜はまだ開花に至っておりません、一部早咲きの桜がほころんだという情報はありますので、間もなく開花となりそうです。見頃は連休後半でしょうね。

紫波からの帰り、大迫の早池峰神社を訪ねてきた。別に何をするでもないが、遠野の早池峰神社とは、やはり雰囲気が違う、人こそ居なかったが、それでも大迫の方が明るい感じがする。
宿坊もあり、早池峰山も間近にみえ、この山々を越えた南にほんとに遠野の早池峰神社があるのか・・と思わず思ってしまう自分がおりました。
歴史や民俗学を少しかじったり、興味を持つ方々は承知しているものと思いますが、遠野、大迫、どちらが早池峰神社或いは妙泉寺の本家か?・・この論争を聞いたことがあると思います。一応は90年余りの争いが事実でありますが、徳川幕府も巻き込み、最後は南部藩にその裁定権が言い渡され、どちらも本坊であるとの裁定で決着がついたとされます。しかし、細かな部分や運営、山頂の本宮の管理権等の問題が発生、実際は双方相争い、南部領真言宗総録席、盛岡の永福寺を巻き込みさらに論争が続いたといわれます。最後は大迫側、岳妙泉寺がさも本坊のような見解になりかけたようでもあるが、遠野側では地道に抵抗、長きの論争で共に精力を使い果たして和睦という形で終結といわれている。
しかし、識者、地元間では、まだまだ火種は消えていないかもしれない、どちらが本坊(家)か、現代の世ではナンセンスと思う事柄ですが、共に協力し、交流を図りながら繁栄し存続する、これに尽きるものです。
両者の論争があったからこそ、早池峰山の歴史がさらに表に出、その重要性も認識されたことは否めないものかもしれない。

内容こそ違いますが、似たような案件、身近にございます・・さてどうなることやら・・。

画像は、大迫側早池峰神社からみた早池峰山。
コメント (2)
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