本日も好天に誘われ、遠野市内の館跡めぐりを2箇所程実施。
上郷から早池峰山
○ 太田館・・・上郷町佐比内
「遠野物語拾遺」130
佐比内の太田館いう丘がある。
昔、石田宗晴という殿様が住んでいたが、気仙から攻められて滅亡した。その時、館の主は白毛の馬に乗ったまま、丘の下の丸井戸という沼にはいって死にその甲につけていた千手観音も、共に沈んで沼の底にあるという・・・・。
資料には館主を太田某とし、佐比内の産金、産鉄等の開発が始められた頃の館という考察がなされている。
また、遠野物語拾遺に収録されている内容、地域に語り継がれた話でもありますが、石田と名乗る館主の存在も少し気になるところでもあります。
近在には石田姓も散見され、この界隈の歴史に何かしら関連する雰囲気も感じられます。
また沼の存在は確認できないが、伝承では沼の存在も語られ、御前沼であったという伝えと共に、沼から金塊が出たとか仏像が出たという話しも残され、遠野物語拾遺と重なる話でもあり、興味をそそられます。
空掘跡
さて、旧道(283号)のすべた峠手前に見える山野であるが、腰の強いトゲトゲの木々が多くて山野徘徊に難儀する。
しかも最初の山頂らしき場所は空振り、隣のさらに高い山野に移動し、やっと館らしい痕跡を確認、北側に展開する5段の帯郭、東側に空掘跡を見つけたが、ほぼ資料の図面通りでもありました。
杉林でしたが、少し山野が荒れ気味で、遺構等の確認にも難儀いたしました。
帯郭
太田館跡のある山野・・・画像では見えないが館跡は奥まっている。
○ 瓜ヶ森館(駒込館)
館跡探訪で避けては通れない道・・・汗・・・それは比高が結構あり、見上げただけで「やめっかな」と思ってしまう高所にある館跡・・・・無論、熊公への恐怖やら「でんばず(スズメ蜂)」、蛇・・・と色々とありますが、やはり見上げただけで腰が引け、また今度と先延ばしにしてしまう館跡、これが一番かもしれません。
今回、探訪した瓜ヶ森館は、旧道脇のかなり急勾配で高さも結構ある山野でもあり、またの機会・・・いやいや、なるべく考えないようにしていた館跡でもありました・・・・汗
さて今回は・・・
意を決して短期決戦で望み、画像の仙人側の一番きついルートを力攻めいたしました。
まさに壮絶、木々やカルスト地形といわれる石等につかまりながら、急斜面を登る・・・正直、「馬鹿か俺は・・・」と思いましたよ・・・笑
途中でよほど引き返そうと何度も思いましたが、今度は下るには余りにも傾斜がきつくて、かえって危険、辛かったけどそのまま登りきりました・・・大汗
頂上といいますか平らな場所に行き着くと、地面に高さ10センチばかりの石が顔を出している。
難なくまたいだつもりが、思いきりっ足が接触、蹴ったような感じになりましたが、接触して3秒後・・・「い・い・いでぇ~~・・・・」絶叫・・・左足の指に激痛が走る・・・・「あだだだだだ・・・・」思わずケンケンをしたら今度は右足の太もも裏が攣ってしまう・・・「いでででで・・・・」右足を伸ばそうしたら、そのまま転倒、仰向けになるもすぐ立ち上がり、まずは攣った足を治さなければならない、とにかく筋肉を伸ばすといいますか右足を伸ばして我慢、まさに悶絶、涙目になってなんとか耐え抜き、やっと回復するも少し違和感が・・・・今度は左足の指だっ・・・激しい痛みは治まったが、痛いには痛い、お母さん指・・・笑・・・を強打したが、隣の親指、中指に接触して腫れてきているのがわかる・・・なんか歩き難いも、此処まで来てなんともならず、びっこをしながら館跡探訪・・・・とにかく足指が「えんず、えずい」・・・・涙
山頂
結構平らな部分があって割と広い・・・こんなところまで登ってきて何もなければ、ほんとアホだな・・・と思いつつ、痛みも堪えてなんとか探訪・・・。
帯郭
山頂の少し高い部分を取り巻く5段の帯郭が展開されている。しかも結構立派でもある。
山頂の段差
標高562メートル、比高122メートル・・・山頂がある程度広いといっても館主一族等が生活できるような雰囲気にはみえない、水の便もそうだが、上り下りに難儀しそうでもある。
独立したひとつの山野に見えるが実は東側の中腹で隣接の山野と尾根伝いに繋がっている、少し遠回りかもしれないが、この方面に通い道があったのだろうか?
いずれ、四方は急斜面で空掘のような防御施設は不要と思われる。
依然、左足の指付近が「えんずい」が少し慣れてきたようだ、痛みもだいぶ治まり、北西側の比較的緩そうなルートにて下山、一時は悶絶する場面もあってヒヤヒヤでもありました・・・・笑
平清水神社
瓜ヶ森館主は平清水某と語られ、小友平清水(長野)を領した平清水一族縁の武将といった雰囲気でもある。
阿曾沼時代後半、上郷の平倉、板沢には本姓を菊池と称する一族が広く散見されている。
平清水氏もまた菊池姓であるが、慶長年間の遠野の政変で鱒沢氏配下として一時的にこの館に詰めていたものか、以前から平清水氏の縁ある土地だったのか、或いは産金等の関係で金山開発に長けた平清水一族を上郷菊池一族の総意で入れていたものなのか?疑問は多々残りますが、平清水神社、そして清水の存在、語らぬ歴史はあってもその雰囲気は十分感じられました。
こうこうと流れる清水・・・
おまけ
こってり、さらにこってりラーメン
親父の身体にはあまり良くないと思いつつも、この界隈に来たということで、某ラーメン店に寄って食べてきました。
そういえば29日の岩手日報夕刊に此処某ラーメン店が掲載されておりました。
一度車で走りながら瓜ヶ森館の山野を見、このお店でラーメン食べながら、どうしようかと悩むも、熱いラーメンで大汗を掻いてしまい、どうせ汗掻くんだったらついでに・・・・そんな思いもあったんです・・・汗
おまけ画像2
間もなく夕暮れという場面でしたが、足指がうずきはじめましたので、帰宅いたしました。
上郷から早池峰山
○ 太田館・・・上郷町佐比内
「遠野物語拾遺」130
佐比内の太田館いう丘がある。
昔、石田宗晴という殿様が住んでいたが、気仙から攻められて滅亡した。その時、館の主は白毛の馬に乗ったまま、丘の下の丸井戸という沼にはいって死にその甲につけていた千手観音も、共に沈んで沼の底にあるという・・・・。
資料には館主を太田某とし、佐比内の産金、産鉄等の開発が始められた頃の館という考察がなされている。
また、遠野物語拾遺に収録されている内容、地域に語り継がれた話でもありますが、石田と名乗る館主の存在も少し気になるところでもあります。
近在には石田姓も散見され、この界隈の歴史に何かしら関連する雰囲気も感じられます。
また沼の存在は確認できないが、伝承では沼の存在も語られ、御前沼であったという伝えと共に、沼から金塊が出たとか仏像が出たという話しも残され、遠野物語拾遺と重なる話でもあり、興味をそそられます。
空掘跡
さて、旧道(283号)のすべた峠手前に見える山野であるが、腰の強いトゲトゲの木々が多くて山野徘徊に難儀する。
しかも最初の山頂らしき場所は空振り、隣のさらに高い山野に移動し、やっと館らしい痕跡を確認、北側に展開する5段の帯郭、東側に空掘跡を見つけたが、ほぼ資料の図面通りでもありました。
杉林でしたが、少し山野が荒れ気味で、遺構等の確認にも難儀いたしました。
帯郭
太田館跡のある山野・・・画像では見えないが館跡は奥まっている。
○ 瓜ヶ森館(駒込館)
館跡探訪で避けては通れない道・・・汗・・・それは比高が結構あり、見上げただけで「やめっかな」と思ってしまう高所にある館跡・・・・無論、熊公への恐怖やら「でんばず(スズメ蜂)」、蛇・・・と色々とありますが、やはり見上げただけで腰が引け、また今度と先延ばしにしてしまう館跡、これが一番かもしれません。
今回、探訪した瓜ヶ森館は、旧道脇のかなり急勾配で高さも結構ある山野でもあり、またの機会・・・いやいや、なるべく考えないようにしていた館跡でもありました・・・・汗
さて今回は・・・
意を決して短期決戦で望み、画像の仙人側の一番きついルートを力攻めいたしました。
まさに壮絶、木々やカルスト地形といわれる石等につかまりながら、急斜面を登る・・・正直、「馬鹿か俺は・・・」と思いましたよ・・・笑
途中でよほど引き返そうと何度も思いましたが、今度は下るには余りにも傾斜がきつくて、かえって危険、辛かったけどそのまま登りきりました・・・大汗
頂上といいますか平らな場所に行き着くと、地面に高さ10センチばかりの石が顔を出している。
難なくまたいだつもりが、思いきりっ足が接触、蹴ったような感じになりましたが、接触して3秒後・・・「い・い・いでぇ~~・・・・」絶叫・・・左足の指に激痛が走る・・・・「あだだだだだ・・・・」思わずケンケンをしたら今度は右足の太もも裏が攣ってしまう・・・「いでででで・・・・」右足を伸ばそうしたら、そのまま転倒、仰向けになるもすぐ立ち上がり、まずは攣った足を治さなければならない、とにかく筋肉を伸ばすといいますか右足を伸ばして我慢、まさに悶絶、涙目になってなんとか耐え抜き、やっと回復するも少し違和感が・・・・今度は左足の指だっ・・・激しい痛みは治まったが、痛いには痛い、お母さん指・・・笑・・・を強打したが、隣の親指、中指に接触して腫れてきているのがわかる・・・なんか歩き難いも、此処まで来てなんともならず、びっこをしながら館跡探訪・・・・とにかく足指が「えんず、えずい」・・・・涙
山頂
結構平らな部分があって割と広い・・・こんなところまで登ってきて何もなければ、ほんとアホだな・・・と思いつつ、痛みも堪えてなんとか探訪・・・。
帯郭
山頂の少し高い部分を取り巻く5段の帯郭が展開されている。しかも結構立派でもある。
山頂の段差
標高562メートル、比高122メートル・・・山頂がある程度広いといっても館主一族等が生活できるような雰囲気にはみえない、水の便もそうだが、上り下りに難儀しそうでもある。
独立したひとつの山野に見えるが実は東側の中腹で隣接の山野と尾根伝いに繋がっている、少し遠回りかもしれないが、この方面に通い道があったのだろうか?
いずれ、四方は急斜面で空掘のような防御施設は不要と思われる。
依然、左足の指付近が「えんずい」が少し慣れてきたようだ、痛みもだいぶ治まり、北西側の比較的緩そうなルートにて下山、一時は悶絶する場面もあってヒヤヒヤでもありました・・・・笑
平清水神社
瓜ヶ森館主は平清水某と語られ、小友平清水(長野)を領した平清水一族縁の武将といった雰囲気でもある。
阿曾沼時代後半、上郷の平倉、板沢には本姓を菊池と称する一族が広く散見されている。
平清水氏もまた菊池姓であるが、慶長年間の遠野の政変で鱒沢氏配下として一時的にこの館に詰めていたものか、以前から平清水氏の縁ある土地だったのか、或いは産金等の関係で金山開発に長けた平清水一族を上郷菊池一族の総意で入れていたものなのか?疑問は多々残りますが、平清水神社、そして清水の存在、語らぬ歴史はあってもその雰囲気は十分感じられました。
こうこうと流れる清水・・・
おまけ
こってり、さらにこってりラーメン
親父の身体にはあまり良くないと思いつつも、この界隈に来たということで、某ラーメン店に寄って食べてきました。
そういえば29日の岩手日報夕刊に此処某ラーメン店が掲載されておりました。
一度車で走りながら瓜ヶ森館の山野を見、このお店でラーメン食べながら、どうしようかと悩むも、熱いラーメンで大汗を掻いてしまい、どうせ汗掻くんだったらついでに・・・・そんな思いもあったんです・・・汗
おまけ画像2
間もなく夕暮れという場面でしたが、足指がうずきはじめましたので、帰宅いたしました。