「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

強風

2004-11-28 21:34:46 | ファイヤー
昨日から強風が吹荒れ市内でもかなりの被害が出た。休みだったが召集され警戒やら被害調査に出動、考えていた以上の被害がありました。
翌日も休みでしたが、前日の被害調査、一夜あければさらに被害も増え、人的被害も報告され、後に亡くなられたとのこと、まことに痛ましいことでもあります。
今年は台風がかなり本州に至るも遠野近辺はさほどの被害もなく、昨年の大地震でもかなりの被害があっても今年の新潟中越の地震に比べれば甚大だったとは言いがたい内容でもあります。
間もなく降雪となる今頃、強風により屋根を飛ばされたり、農業用工作物に被害があった、これはかなり深刻なことでもあります。ましてや亡くなられた方もいるということは、まさに災害は忘れた頃にやってくる的でなんとも防ぎようもない。
まずは被害に遭われた方々、お見舞い申し上げます。さらに謹んでお悔やみ申し上げます。

本日28日は親父の命日、午前中の仕事を終え、昼に帰宅し家族で墓参り、あれから三年、月日の経つのは早いものと実感しております。
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親父の命日

2004-11-27 13:05:54 | その他
平成13年11月28日、親父逝去、享年68歳。
3回忌は昨年に済ませておりますが、満で数えれば今年が3年、親父が亡くなって無我夢中といったわけでもないが、対外的なことやら、人付き合いやら、家庭のことやら、大黒柱といわれる由縁が少しわかったような気もする三年でした。
3年前の秋、10月に入ると腰が痛いとか、食欲がないとか訴えておりました。私含め家族は半分大袈裟なことに決まっているとそれほど心配もしていなかったのが事実です。
10月17日の福泉寺秋のお祭り前後、全く酒を口にしなくなったということで家族としては、珍しいこともあるもんだっ的な考えでしかなかったのですが、周りではおかしいぞっ、とささやかれていたとあとで聞かされました。一週間後、足腰が立たなくなったと朝這って茶の間に来たとき、はじめて事の重大さに気付かされ、そのまま病院に直行、本人は「あたった」・・・脳卒中だと言い張る、がしかし、口だけは達者で頭もしっかりしている。一度家に帰されたが、翌日再検査、そのまま盛岡の総合病院へ転院。
一週間後、病院の担当医師に呼ばれ、病状を聞かされたが、この時、余命3ヶ月の宣告。癌があちこちに転移していて、手の施しようがないとのこと。延命的な抗癌剤治療も可能ではあるが、苦しさと引換に僅かに命が伸びるだけ、あまり苦しまず、余生を故郷の病院で過ごさせるのもひとつの方法ですといわれ、二者択一の選択に数時間悩んだ記憶がございます。
結局、地元の病院に転院させ、親しい人達も来易い環境の中、雑談等で気を紛らわし、回復した暁にはと話していた姿が印象的でもありました。
しかし、入院してから約一ヶ月、日に日に病状も悪化、僅か一ヶ月の闘病生活で逝去してしまいました。
人の死はあっけないもの、仕事柄、死に際しては結構みてきたが、身内というか家族でこんなことになるとは全く予期もしておらず、ほんと悲しいというか寂しいものです。
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伝承行事

2004-11-23 21:43:10 | 遠野
本日は週休、朝から晴れわたり何処かへ遊びに行きたい気分ながら、出遅れてしまい何もせずに自宅に引きこもり・・仕方ないのでやりかけの遠野のお寺さん総覧を仕上げてサイトにアップ。

さて、今年も11月が終わろうとしている。そろそろ早いところでは忘年会のひとつもした方もおられるだろう・・。
我家では「ごひ」と呼ばれる伝承行事を毎年ほぼ欠かさずに行ってきた。3年前に親父が亡くなって見合わせてはいるが、今年あたりから開催の方向で考えていた。
いわば農家の忘年会みたいな意味合いで、宗教関連の関りもあるようですが、細かいことはここでは申し上げません。
まあ一年の農作業も終了、秋仕舞いもなり、冬に備えるといったことと、一年の労苦と収穫を神、仏に報告といったものですかね。
近所、親戚数家で順に開催、ほぼ週一で各家々で行われる内容です。が・・いつもは11月の初旬から始まって既に最後の家の番でもあり、今年もやらないでしまった。我家だけでもやることは可能ですが、本来の忘年会兼務でごく親しい近隣の方々を招いてやろうかなとも考えている。
いずれにしろ今年は本格的にはできそうもないっ、来年から復活といきたい。
春先には「春祈祷」という行事もあり、こちらは欠かさず行っている。
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まだまだ

2004-11-22 17:06:59 | 歴史・民俗
本日は非番、小春日和といいますか、気持ちのいい晴天。
一度家に帰るも再び職場へ、30分程度、前日の仕事の残りを片付け宮守のいつもの健康ランドにて汗を流す、そのまま帰宅して午後は寝てしまった。なんともったいない・・。

さて、いつもお世話いただいているといいますか、歴史関連にてご教授を時折いただくサイトへ質問の投稿をいたしました。
いつもながら要点を衝く回答を得られましたが、私の知識不足、洞察不足、さらに調査に当たっての視野の狭さを指摘され、まったくもってその通りと思うと同時に格の違いを見せ付けられたことでもあります。一瞬、中途半端な気持ち、認識で質問するのはどうかな?とも考えてもおりましたが、やはり確認したいがために投稿、案の定、一刀両断的にやられた・・と思いました。
上には上がいるもの、一時は郷土史家もどき等と自分を自画自賛と勘違いしている頃もございましたが、本業を持ち、やはりそこは趣味の範疇、しかし趣味にしても余暇や空いた時間に歴史のことばかり考えてもおられず、歴史愛好者といったところですかね。
今一歩、上を目指す、もっと本格的にとなればやはり退職後ということになろう・・それよりもできる範囲で研鑽を積み、知識を高めることが必要であるのかな・・と考えているところです。
まさに身の程知らず的な自分ではございますが、いつかこの道で、なにかしらの成果を得たい、目指すは市史編纂委員?郷土史を志すからには地元史に関った何かを成したい、これが私の当面の目標でもあります。
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史跡探索

2004-11-18 17:53:46 | 歴史・民俗
本日は週休、少し暖かい朝を向え、霧で覆われた遠野ではあったが、おそらく間もなく晴天になるだろうと判断して、町内の史跡探訪と市内の江戸期以降開基の寺院の取材と決め、自家用車にて9時に自宅を出発。
効率良く各史跡を廻り、松崎地区に入り廃寺跡を探すも場所の特定ができず同じ道を行ったり来たり、これは誰か地元の方に聞くのが一番と考えていると、松崎地区センターの所長さん、さらに近所で郷土史関連を時折ご教授いただく古老の方、地元の古老の方々、四名に会う。車を停めて場所を聞こうとすると向こうから、丁度いいところで会った、一緒に行こうと言うのです。史跡調査めいた話だったので渡りに船、これは一石二鳥と考え、私も車を置いて同行とありなりました。
道すがらなんの調かを聴きますと今月29日に地連協と歴史研究会の史跡めぐりの事前調査とのこと、矢崎地区から松崎地区の旧街道を踏破するもので松崎舘に通じる山道を歩くということです。
しかし、山道といいますか峰伝いの道、聞きますと昔は峰伝いに歩く道が最も効率がよく、今考える平地の道はあまりなかったのではとのこと。しかし歩いてみるとしっかりと道が残されている。山道であるがそれほど急な登りでもなく、道も2mはあろうかというしっかりとした跡がありました。探し求めていた寺跡も発見、経塚も見ることができ、松崎舘へも割と楽に辿り着ける、これはなかなかいい経験をしたと正直思いました。この道は昭和の初めまで使用されていたといわれており、それでも近年まで使っていた人もいたかもしれないということでした。
29日参加は15名くらいとか、それも50代以上の方々ばかり、歴史関連はどうしてもご年配の方々の専売特許的なことと趣味の範疇ですが、これらの史跡を残す、伝える、できるなら小中生も参加のカリキュラム等を組んで身近な歴史を学ぶという環境も必要ではないのか、そう感じてしまいます。・・・しかし、私も中学生の息子に以前、松崎舘というすごい史跡があるから一緒にどうだ・・と誘うも「興味ない」「山なんか行きたくねえ」これで終わりです。

予定の史跡めぐりは全部まわることができず寺関連はなんとか終了、山登りで少し疲労気味、午後は市民のオアシス水光園にて湯に浸かってサッパリして帰宅となりました。



画像は、松崎忍峠、矢崎に通じていたとされる旧道(山道)
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冬間近・・

2004-11-17 18:38:29 | その他
本日は非番、寝不足ながら我家の乗用車2台のタイヤ交換、ホイール付きではないので親類の自動車整備工場に持ち込んでの履き替えである。
例年は既に初雪も観測、雪もちらつく季節でもあるが今年は山々が白くなっただけ・・盛岡では初雪を観測ということであるが、遠野はどうだったのだろう・・山間の集落はおそらく雪が舞ったかもしれない。
さて、北国のドライバーにつきもの、冬タイヤ・・スタッドレスタイヤであるが、今年で3シーズン目のタイヤをまずは履いてみた。見た目はそれほど目減りもしてなく、ゴムも柔い、なんとか今シーズンも持つかもしれないが、安全を買うといった意味でも新しいタイヤは買うつもりでもある。ただ12月いっぱいはそれほどの積雪もなく、前半は小春日和もあって、朝晩の凍結もさほどでもない、来月末に新規タイヤを購入して厳冬期である1月、2月に備えようと考えている。
遠野の特徴は、積雪によるスリップよりも路面の凍結、それもアイスバーンといわれるものより遥かに怖い、ミラーバーン・・すなわち鏡のような路面にある。どんなスタッドレスでも歯がたたない。遠野は本州でも名うての厳寒地、乾いた氷は滑らないという宣伝もあるが、そんなことはないっ、坂道で止まった車はロックされたまま滑りはじめることだって経験済みでもある。朝の通勤ではABSは止まるたびに作動という日もかなりある。
真冬に岩手を車で訪ねられる方々、普通タイヤでの岩手入り、甘くみないでいただきたい、チェーン装備だっ・・なんていうのも甘く見すぎである。スタッドレスタイヤに履き替えて万全の装備で来県してください。
地元民は慣れもあるが、なんのことはない慎重に運転しているだけで、装備も万全に近い。
それにしても暖かい地方は冬タイヤの心配もなく、経費もかからずいいですなあ~。
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叙勲

2004-11-15 19:32:46 | 遠野
本日は週休。火災予防運動も最終日、期間中の行事や陸前高田へ出張やら、とにかく休んだ気がしない。今日も朝には高田行きに使用したバスの鍵を市役所に返しに行き運転日誌を書き、さらに本日出さなければならない書類があって、昼前に職場行き。案の定決済文書は修正箇所だらけ、これらを手直してすぐ回し、なんとか発送となりました。これで休みの午前中は終わり・・。午後は問題児の関係で電話やら脳裏をかすめる思いが交差してこちらも休んだ気がしない。

叙勲、長年地域や公共に功績のあった方に贈られる勲章、我が家にも祖父が軍隊にていただいた勲章が結構残されておりますが、これらとはまた違った意味合いの勲章、この秋の叙勲で私の母方の大叔父がいただきました。消防団員を50数年勤めた功績によるものです。
私はおそらくいただくことはないものと思いますが、本業を持ちながらボランティアで50年以上も防災、防火に携わる、これは並大抵のことではないものでもあります。ましてや大叔父は幹部には幹部でしたが、部長という階級で退団しております。この階級での叙勲もまた異例に近いものでもあります。
少し身体を壊して芳しくない生活だったようですが、これが励みにもなり元気になられることを期待もいたします。
祝賀会は来月5日に開催されるとか、長年の労と感謝の意を私も伝えたいと思います。
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ちょっと悔やむこと・・・

2004-11-14 11:54:01 | その他
本日は非番、昨日は陸前高田に出張、担当する婦人防火団体のご一行さんを連れて火災予防のイベントへ参加。バスの運転手、会計、その他全般の雑用兼務でした。そのまま帰ってきてからは当直、流石に疲れた。

さて、本題・・。最近中学の息子がクラブ活動が辛い、できればやめたいなどと口にしている。ただもう少し頑張れ・・としか言えない自分ですが、実は大きな声で言えない過去があります。

中学、高校とまともにクラブ活動をした経験がないということ、何事にも中途半端で無論実績もない。特に高校時代は3年の時には、当時ルンペンといわれた帰宅同好会に所属、卒業後は地元に残ったが、共に地元に残ったり数年でUターンした同級生達は、高校時代のクラブ活動の関連で地元の社会人クラブに参加、OB会にも名を連ね、結構付き合う幅が広がりそれなりに社会人としての顔も備わった連中が多い。しかし自分にはそれがなかった。クラブでの先輩、後輩、彼らとの付き合いがないわけであるから、同級生か同僚しか付き合いがないっ、これは若い頃というか30歳台の頃、特に寂しいと思いもした記憶がある。今でも人付き合いは少ない方ではありますがね。
クラブ活動での積み重ね、将来に何かしらの糧を与えてくれるものではないのか、無論、本人の人との関り方も大きなウエイトもありますが、この学生時代のクラブ活動、これもけっこう大切だと痛感し、中途半端だった自分を悔やんでもいる。
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一人暮らしのご年配

2004-11-10 21:03:16 | ファイヤー
秋の火災予防運動が一週間展開中である。本日は振り替えにての日勤、火災予防運動でのスケジュールにて一人暮らし老人世帯の防火点検を実施した。

お独りで暮らすご年配の方々、けっこう家の中、外は綺麗に片付けられさっぱりとしている家が割りと多い。それも男性の方が多いのには驚く。
火災で一番犠牲と成りうるのはお年寄りと子供、その中でも独り暮らしはその危険性も多い、失礼な言い方ですが、火の元点検、ついうっかりだけではなく、歳と共に思考力、記憶力が減退するのは否めない、無論足腰も弱く、いざっ・・という場合は逃げ遅れたりもする。
我々や地元消防団員が定期に防火点検をする。これは必要ではありますが、隣近所の目配りも必要である。決して監視せよ・・ではない。普段からの近所付き合いの中の範疇で気を配っていただければ悲惨な現状は少しでも回避できよう。
中には毎日のように友達が訪ね、また自分も遊びに行くといった独りでも割りと楽しくやっているというご老人もいた。逆に親類、近所との付き合いはほとんどない、自分は自分であるという頑固というか、気を張って生きている方もおられます。しかし、どんな理由にしろ、独り暮らしのご年配の方々は、災害に対しては弱者であるということ、周囲はきちんと認識をし、見守ってやる必要は絶対にある。我々行政の役割も大きいものであるが、今までの日本、そして地域を支えて頑張ってこられた先輩方を少しでも労わり守るのも後輩の務めでもあると思います。見えるところで手を貸すのもひとつ、見守ってここぞというときに手を差し伸べるのもまたひとつ、他人事ではなく、若い自分もいつかは歳をとるのだから・・・。
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大波、小波・・沈没か?

2004-11-09 20:32:34 | その他
本日は非番。市役所会計課に提出した書類が不備のため、返されてきたという連絡、急ぐ要件でもありすぐに職場に戻り手直し後、再提出といきたいところであるが、午前は縁戚の葬儀、午後にしか職場に行けない、もどかしいというか、焦るというか、それでも午後一番になんとか間に合う。

さて、9月中旬から大波を喰らい続けていた我家の事情、なんとか娘も立ち直りそうな雰囲気というか、普段どおりにもどりつつあったが、それでも時折、小波程度の揺さぶりはあった。なんとか学校の計らいで、凌ぐこともでき、また寛大な処理で後は家庭と共に本人の気持ち次第でいくらでも挽回も可能というところでもあった。しかし、本人は何を考えているのか、わからない。はっきり言って我子ながら馬鹿か、と思うこともしばしば・・ここまで凌いで来て、光明も見えそうな段階と思いきや、中波を喰らった、後には大波も見えている・・そろそろ私も限界にきている。とにかく心配とかではなく、腸が煮え返る思いであるのは確かで、さらにあきれもあって、もうどうにでもなれっ・・という感じ。
馬鹿は死ななきゃなおらない・・は正にこのことか?
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