「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

大晦日・福泉寺

2005-12-31 13:43:17 | 福泉寺・伝承等
 2005年大晦日、午前中は買物にでかけ、年取りの準備、さらに午後は氏神様である愛宕さんとお稲荷さんにお供え餅を供える。
 我家の大晦日は、男は神棚の掃除と供物の準備、氏神様へのお供え、そして夕方4時頃、風呂を沸かして一番風呂に入ること。
 まずは家督たる長男が入り、次に主人、その次は二男、祖父・・・となっているが、我家の昔は男系が短命だったり、途絶えていた時期が長く、婿養子によって成り立っていた事実があります。いわゆる女系家族でもありましたが、婿さんとはいえ立派な家督であること、その感謝の意味も含めて大晦日では一番風呂に入ること、せめてもの気遣いであったかもしれません。

画像は、間もなく初詣で賑わうだろう、福泉寺の大晦日の風景

参道


参道からの本堂


鐘付堂と愛宕さん
除夜の鐘は一般の方々により衝かれております。先着順となっております。
愛宕さんは我家の氏神様でもあります。


お稲荷さん
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一年

2005-12-30 13:22:37 | その他
 一年は早いものですね・・・今年も色々とございましたが、自分としての忘年会最後を飾る宴席を近所のお宅で行いました。
 



 豪華な料理ではございませんが、しみじみと今年を振り返り、最後はカラオケ大会にて盛り上がってお開きとなりました。

 さて、今年は仕事的には散々な一年だったかもしれないと反省しております。
 
 しかし、こんなことをいうのもなんですが、趣味の分野は割りと充実していた思いもございます。
 今年は路銀の関係で遠出はあまり出来ませんでしたが、3月に南千住やら日野の新撰組や幕末維新期関連の探訪が出来たこと。
 さらに秋には、盛岡藩関連にて鹿角探訪、遠野と縁の深い八戸訪問、まずまずといったところでもありました。
 また、郷土史関連も未踏の城舘跡、場所の特定が出来ていたにも関わらず、躊躇していた山城を攻略、数々の遺構もこの目で確かめることができ、来春への弾みともなっておりますし、遠野近在ということで江刺探訪2度、気仙、大槌方面もその一部ですが、足を運ぶことができました。
 八戸の飯田さん、盛岡の宮さん、紫波の中野さん、そして盛岡の深澤さんといった旧南部領内に住むいわば南部人の方々との交流が益々深まったという点ではかなりの収穫でもありました。


東京都日野市高幡不動・・土方歳三像
 
 ブログ関連では、同じ遠野市民のromiさん、名梨さん、ほいどさんという地元社会では顔と名が知られている重鎮の方々と交流ができ、また晩秋の頃には宮城県のたま千代さんともお会いすることができ、遠野というキーワードをさらに深く探求するといった点にて励みにもなりました。


 雪の12月17日・・八戸の睦月庵さんをお迎えしての遠野郷舘めぐり
 丑舘(青笹町)からみた上郷、六角牛山

 今年も数々の交流ありがとうございました。またコメントいただき感謝申し上げます。
 来年もどうぞよろしくお願いします。
 
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正月気分

2005-12-27 17:58:21 | その他
 少し早いですが、テンプレートをお正月用に変えてみました。
 
 今年の遠野(岩手県内も)は積雪が多く、この時期にしては異例かもしれません。
 
 
 下記の画像は福泉寺受付付近
 

 間もなく新年を迎えますが、遠野郷八幡宮様同様、菩提寺福泉寺も初詣の準備に忙しい時期となっております。
 どうぞ、福泉寺にも初詣、いらしてください。
 ちなみに除夜の鐘を衝くこともできます。先着順ではございますが、大晦日、紅白歌合戦が終る頃には到着され並ばれることをお薦めいたします。

 あっ、それとデジカメを買いました。
 
 しばらくはメインとして使いたいと思います。

 新カメラにて撮影・・・あまり以前のカメラとの画質の差が感じませんが試し撮りです。
 
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義務付け

2005-12-26 18:00:05 | ファイヤー
 またまた大雪、しかも大雪警報だっ、既に積雪量は50センチ以上は楽にある。やはり12月としては異常な降雪かもしれないし、しかも今朝は地吹雪もあって、早朝その中を緊急車両で走行、緊急車両といっても視界が悪ければ何にもならない、せめてもの救いがこちらが緊急車両であるが故に他の車よりはこちらの存在がわかるといったことくらい・・・いずれ景色は日本昔ばなしに出てきそうな正月の風景となっている。

 
 さて、「義務付け」とした本日のお題目・・・・
 すべての住宅に住宅用火災警報器の設置が義務付けされたという内容です。
 新築住宅では、平成18年6月1日から、また既存の住宅は平成21年5月31日までに警報機を設置しなければなりません。
 ほぼ全住居が対象であり、緩和される内容もあるにはありますが市内の住居に関しては、ほとんど適用されないものと思います。
 (平成21年5月31日までの設置は遠野市火災予防条例で定められたもので、各地域はそれぞれことなります。)
 

設置例

 主に寝室に設置することになりますが、二階、三階の住宅ではその階の廊下にも設置しなければなりません。

 またこの義務付けにより、火災警報器の訪問販売等が活発化される可能性がありますが、市役所、消防職員が個人のお宅を訪問して火災警報器を販売することはございません。また斡旋や特定業者を紹介することもございません。
 悪徳な訪問販売により法外な値段にて売りつける、または必要以上の設置個数を売りつけるといったことに十分お気をつけください。
(正規価格は通常一個につき5千円~一万円前後)

 詳しくは最寄の消防署にてお訪ねください。
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イヴは煎餅汁

2005-12-24 18:13:51 | その他
 クリスマスイヴ・・・・2005年もあと僅か、クリスマスを楽しむ、まさに年の瀬でもありますが、12月としては記録的な降雪、今朝も新たに25センチ位降り積もった。
 明番であったので、家の除雪作業は私以外の家族が総出で実施したとのこと。ご苦労さんでありました。

我家の24日午前現在の様子

 さて、一応仏教徒であるが、クリスマスも楽しむ典型的な日本人と成り下がってはおりますが、子供もおりますし、ひとつの行事として楽しまないわけにはいかない。
 今年は、八戸在住の睦月庵さんから八戸名物「煎餅汁」を送っていただきましたので、メインの料理として我家族では初登場、結構美味いと評判がよかった。
 煎餅汁は、南部煎餅を汁物に入れた郷土料理といった印象があった。3年前に遠野南部氏が八戸から遠野に村替えとなって遠野入りしたルートを辿ったことがあったが、その際に八戸の睦月庵さん、野崎さんといったサイトリンクいただいている管理人さんと懇親会を八戸で催したことがあったが、この時、勧められて初めて食べてみたが、これが結構美味い、遠野でいえば「ひっつみ」に匹敵する雰囲気、当初は、南部煎餅が汁物に・・・・これには違和感があったし、八戸という地域は変なこと考える人種なんだな・・・なんて正直思ったりもした。
 しかし、南部煎餅の元祖は盛岡ではなく、八戸であること、煎餅汁に入れる煎餅は白焼きの専用の煎餅であること等、知ることができ、さらに食べてみて美味かったのでこれで一気に変な誤解は氷解いたしております。

シンプルなイヴの夜の我家の食卓

 無論、夕食の後はクリスマスケーキ、ワインも登場でイヴの夜を楽しみます。



クリスマス用に末娘の着せ替えに応じたネネ
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黄門ちゃま

2005-12-22 20:01:42 | その他
 画像は、飼主の苦悶も知らず、無関係を装う飼猫ネネ・・・しかし、この姿をみていくらかは癒されます。

 さて、11月の循環器検診にてのC判定項目、今月初めに地元の個人医院にて再検査、脂質関係はまあまあ・・・今後の食生活等で十分改善は可能ということでお構いなし・・・問題は尿関係・・・こちらはまたしても陽性、これは泌尿器科にて専門的に診察を受診すべしとのこと・・・・「やんたなあ」が率直な思い・・・。
 
 地元には専門医院もあるが、泌尿器ということで「おしょす」、まな板の鯉はやはり恥ずかしい・・・しかし、このまま放置もできない・・「なんじょすっぺ」と思い悩むも、盛岡市内の総合病院しか頭に思い浮かばない・・「よしっ、いってみっか」ということで、雪降りの中、出掛けて参りました。

 受付も終了、外来に移動すると超音波検査と尿検査を実施。超音波検査ではズボンのベルトを外し、服を捲り上げること・・・若い綺麗なオネエサンだっ、これは恥ずかしい、しかし、下半身ギリギリのところで終了、ひとまず安心。
 
 再び外来に行き、本日の検査結果を医師より聴かされるとのこと、検査結果は気になるも、後は聴くだけ・・・少し気分が楽になる・・・。
 「きくち○○さん」・・おっ、遂にオレか、診察室へと入って先生の前に座る。
 二、三質問を受け、答える・・・先生「そこのベッドに仰向けに寝て」自分「えっ、・・・は・はい」上着を脱いでいると「上半身はいいからズボンは膝近くまで降ろして」・・・まさか・・「パンツもですか」看護士さん「全部です」・・・「おしょす・・涙」・・先生はピンポン玉ふたつを触ると次に「両膝立てて」・・次の瞬間・・・・「うっ・・・おっぉぉぉ・・」・・・まさに「ヒカエオロー・・この紋どころが目に入らぬか・・」・・・・涙


 いきなりの黄門さま攻撃・・・苦しいの痛いの・・恥ずかしいの・・・先生「前立腺を調べてますから」・・・黄門さま攻撃は今回で3度目、一度目は黄門様の調子が悪くて通院してた頃、二度目は・・・・?・・・そして今回3度目・・・涙

 先生「陽性には陽性ですが、超音波では所見はなしです」後日、尿検査での詳しい分析結果がでますので、それをみて判断しましょう、この結果が問題なければよろしいのですがね・・」
 
 おしょす思いはないと見込んでいたところに、いきなりの黄門様攻撃、ここまでして何かあったら「おら、やんたじぇ」の気分です。
 後は何もないことを祈るのみです。
 いずれ、黄門ちゃまの調子が悪い・・・汗

 一部、表現的に相応しくない記述があったことお詫び申し上げます。
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花巻・P2

2005-12-21 19:36:18 | その他
 野暮用で花巻に出掛けてきた。
 昼も過ぎ、午後1時過ぎ、昼食をと思うと○カンデパートの裏通りを走っていた。
 久し振りに6階の大食堂にでも行ってみようか・・・ということで、○カンデパートの専用駐車場に車を入れ、エレベーターに乗って6階へ・・・・。
 なんか懐かしい・・・一応5年ぶりであるが、100テーブル近い席はほとんど満席状態、すごい賑わいだ。
 それと何かしら懐かしいというか、少年の頃、たまにしか連れて来られなかったこのデパートの大食堂、当時とほとんど雰囲気がなんら変わりない。
 客のほとんどは、ご年配の方々、しかも遠野の「じぇんご」の人々と変わらない姿・・・ゴム長有り、頬かむりの男性、農機具メーカーからいただいた帽子に毛糸の帽子・・・中には精一杯よそ行きの格好をしてきたつもりであろうが、どうみても「じぇんごたれっ」の雰囲気、あか抜けないといいますか、ウエイトレスさんも、そのまま昔のウエイトレスでございますの姿、しかし、場の雰囲気にしっかりマッチしているから不思議である。
 
 懐かしい雰囲気を味わいつつ、ここの大食堂といえば、メディアでも御馴染みの昔なつかしいアッサリラーメン、中華そばである。
 値段は・・・なな・・なんと320円・・・安い・・・しからばチャーシューメンならいくらか・・・「おっ・・・おお480円」これは安い・・迷わずチャーシューメンを注文。

 他は・・・カツ丼540円、これもかなり安いのではないか、定食ものは・・
600円台、少し高めの洋食関連は1000円・・・まあまあかと思いつつ、周りのテーブルを見ると、盛っこがいい・・ボリューム満点なのだっ、安い、早い、盛がいい・・・満席になるのも頷けるし、ご年配が多いのも納得といった具合。

       
画像は小さいですが、チャーシューメン

 さて、私が食べたチャーシューメン・・・小さめながらも肉厚のチャーシュー6枚入り、あっさり味の昔なつかしのスープ、こってり系が好きな私には少し物足りないながら、それでも美味しくいただきました。
 これで480円は、安いと思います。
 他に味噌ラーメン、タンメン・・・多種類のラーメン類も400円台・・やはり安いと思います。

 〆は名物、大ソフトクリーム・・・割箸でいただく代物ですが、流石に一人では食べきれない、小ソフトを頼んで締めとしましたが、それでも普通のソフトクリームと大きさはほとんど変わりなし・・・・。

 久し振りに感じた懐かしい雰囲気、味でした。
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師走の松崎・海上

2005-12-19 11:49:26 | 遠野
 早朝5時前、市内某町内に火災発生を知らせる広報無線、職業柄この手の放送には敏感で飛び起きると直ぐに身支度を整えて、まずは自家用車の暖気運転のため表に出ますと、予想外の降雪、15センチは積もっただろうか・・これでは直ぐに出掛けることはできない。
 それでもなるべく早く出掛けなければならず、まずは車に積もった雪を落とす作業、その後のフロントガラスの氷、雪を融かすべくお湯を沸かす、5分も経過しただろうか、先程の火災は誤報との放送・・・まずは一安心、これで出掛けるよう向きはなくなった。
 しかし、今更寝るわけにもいかず、直ちに庭の除雪作業へ移る、たっぷり一時間で終了・・・。

 松崎町海上・・・駒木地区を構成する集落のひとつですが「かいしょう」といいますが、地元では「けしょ」といいます。
 その昔、おそらく太古の遠野は湖だった頃、満面たる水を湛える湖水の上にあった小高い土地だったと思わせる雰囲気が土淵町や松崎からみてとれます。
 
 また古刹西教寺、八幡太郎義家伝説、菊池姓駒木氏の本拠でもあり、歴史を感じさせる一面もございます。



海上バス停付近


T橋さんの牧場


海上からみた雪の福泉寺大観音堂、多宝塔

そして、海上・・・字名中野からみた天ヶ森
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納会

2005-12-18 12:16:47 | その他
 春そして晩秋から初冬が、城舘跡の探訪に適した季節でもありますが、今年は城舘めぐりも結構充実、さらなる来春の探訪にも弾みをつけた内容にて、今季の探訪は終了となりました。

 最終とした舘跡探訪は、サイト仲間である八戸の睦月庵さんを迎えて、積雪の山城を4つほどご案内、それでも積雪が大きな障害となると予想はしてましたが、それほどでもなく、なんとかご満足いただく、探訪となりました。




刃金舘・・・上郷町平倉
段状の形状が展開されているのが判るものと思います。

 今季最後の舘跡めぐりの後は、盛岡へ移動・・・夜、サイトリンクいただいておりますHPの管理人さん、さらに掲示板等でいつもお世話いただいております、皆さんと忘年会オフを八幡町にて開催。
 睦月庵さんも含めて5人、なかなか有意義で中身の濃い忘年会だったと思っております。
 ただし、我々の席の周りの方々は、大日如来がどうの、九戸政実が、頼朝は、奥州藤原氏は、大乗仏教、小乗仏教・会津藩・・天然理心流に柳生心陰流・・・櫛引八幡に延暦寺・・・この内容を聞いて何の集まりかと変に思ったかもしれません・・・笑
 しかし、参加された方、皆さんにとっては楽しいお話し、私も大変参考となりましたし、何よりも皆さん方の親睦、交流が深められたこと、このことに尽きると思います。
 今年最後のサイト関連の納会、参加された皆様、ありがとうございました。



宴も終っての翌朝・・・・岩手銀行本店
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異説・遠野南部氏(根城八戸)

2005-12-16 15:35:35 | 歴史・民俗
 遠野南部氏(八戸氏)は、甲斐源氏、南部三郎光行公の三男とも六男とも云われる南部実長公を始祖と伝えられる。
 実長公は甲斐国波木井(身延)を領し、波木井六郎実長は日蓮を保護し、広大な山野を寄進し身延山久遠寺の開基と知られている。

日蓮宗総本山身延山久遠寺の南部六郎実長公像

 波木井氏第四代と伝えられる南部師行公は甲州南部宗家から波木井南部家の養子として跡を継ぐも、建武親政では北畠顕家卿の幕下として奥州下向、以降、八戸を中心に南朝方として南北朝を戦い、子孫代々脈々と八戸から下北半島付近までその版図とし、後に宗家盛岡南部家、南部利直公の命により八戸より遠野へ転封、遠野南部家として遠野領主であった・・・・・。
 なお、南部師行公・政長公・信政公・信光公・政光公を勤皇五世としてお祀りすると共に遠野の誇りとしている。


遠野鍋倉城跡・・・勤皇五世の碑

 ということが脈々と数百年語り継がれてきたことでもあります。
 しかし、昨今は南部氏研究も加速傾向、中世文書や近世文書の解読、研究も進み、少なくても南部師行公は波木井南部家を継承したといった形跡は見当たらないという見解が示されております。

こちらも併せてご覧ください    ついでにこちら
 
 このことは、八戸はもちろん遠野でも驚愕する内容ながら、さらにこれら以上に憤慨するだろう異説も存在している。
 未だに遠野の歴史を語る上で、頑なに上記の所伝を引用する先生方、研究者もおられますが、所伝は所伝としながらも、新たなる研究成果にも敏感に反応され、特にインターネット時代、これらも多く活用され、情報収集にも努められて、さらなる研究の発展に寄与していただきたいものと考えます。
 私のような素人、しかも青二才が何を言う・・・これは重々承知ながら、遠野南部氏やら阿曽沼氏関連は、遠野から・・・これが望ましいのではと考えます。

 さて、前置きが長過ぎましたが・・・・・
 「祐清私記」という南部家関連の史書が存在する。
 当然、南部家を研究する上では、有る程度読み下す、研究の対象となる史料でもありますが、私はまだ全文を拝読したことはない。
 この中に、八戸氏の奥州下向のことが書かれている。

 簡略に説明しますと・・・

 八戸氏(遠野南部氏)は、戦国時代に甲州(山梨)から、武田信玄(信虎か)から攻められ壊滅的打撃をうけて八戸へ逃れた。
 八戸は工藤氏が治めていたが、工藤氏が出陣中とも、守兵が少なく防御性が低下していた為、甲州からの一団が城を乗っ取ったとも、工藤氏の客分であったが、娘婿になったともいう・・・いずれ八戸を我物とし、三戸の南部晴政と謁見、八戸工藤氏の旧領を安堵され、八戸氏を名乗り、後に遠野へ村替となったといわれる異説でもあります。
 
 つまり建武親政以来、八戸を主に代々脈々と歴史を刻んだ八戸南部氏は、実は戦国時代に奥州に下向して、工藤氏を乗っ取って領主となった一族というもので、八戸はもちろん遠野でも驚愕、或いは「そんたなごどあるわげねっ」と声が聞こえそうなことでもあります。
 私も初めて聞かされた時は、少し驚いた記憶もございます。
 北奥羽中世史を知る上での一級資料「遠野南部家文書」があるが、これらは遠野南部氏に伝えられた古文書でもありますが、南北朝期のものは、甲州から下向した師行や政長、信光に関わった本物の史料、室町期以降は八戸工藤氏が八戸氏を名乗り、八戸工藤氏に伝えられた本物の史料、後に戦国期に下向した甲州の一団が持っていた史料と合わさったことにより、一家が代々継承してきた古文書であると思われているが、さにあらず・・・・。

 皆さんはどう思われますが、異説は異説だと私も考えますが、全面否定する力は私にはございません。
 いずれこういった説も取り入れながら、さらなる研究調査が必要でもあると思わざるをえません。



八戸氏居舘・八戸根城(八戸市)
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