〇神戸市立博物館 開館40周年記念特別展『よみがえる川崎美術館-川崎正蔵が守り伝えた美への招待-』(2022年10月15日~12月4日)
最終日に駆け込みで見てきた展覧会である。「川崎美術館」という名前は初耳だった。展示は、創設者の川崎正蔵とその美術コレクションの紹介から始まる。川崎正蔵(1837-1912)は薩摩国(鹿児島県)生まれの実業家で、川崎造船所(現・川崎重工業)や神戸新聞社などを創業した(そうか~川崎重工の川崎は地名だとずっと思っていた)。
明治初年、西洋文化の流入と廃仏棄釈が進むなか、古美術品の海外流出を憂慮した川崎正蔵は、日本・東洋美術を彩る優品を幅広く収集し、そのコレクションを公開するため、明治23年(1890)神戸市布引の川崎邸(現在のJR新神戸駅周辺)に「川崎美術館」を開館した。日本初の私立美術館である。しかし、昭和の金融恐慌をきっかけにコレクションは散逸し、川崎美術館の建物も水害や戦災によって失われてしまったという。本展は、かつて川崎正蔵が所蔵していた日本・東洋美術の優品のなかから、国宝2件・重要文化財5件・重要美術品4件を含む、絵画・仏像・工芸品約80件と、貴重な資料を合わせた約110件を展示し、約100年ぶりに神戸の地に川崎美術館をよみがえらせる企画である。
絵画は展示替えが多いので、1回の参観で全貌が把握できたとは思えないが、別の美術館で見たことのある作品が多くて、あれもこれも、かつては川崎正蔵のもとにあったのか!と驚かされた。私が見ることのできた作品でいえば、巨大な『最勝曼荼羅』(室町時代、奈良博)や青と緑が美しい『春日宮曼荼羅』(南北朝時代、MOA美術館)。中国絵画では伝・徽宗筆『鴨図』(五島美術館)や『阿弥陀三尊像』(九博)、直翁筆『六租挟担図』(大東急記念文庫)、伝・夏珪筆『風雨山水図』(根津美術館)など。彫刻では静嘉堂の康円作『広目天眷属像』(真っ赤な半裸で足元は長靴、鎌倉時代)もそうなのか。
図録を見たら、根津美術館の『桜下蹴鞠図屏風』(次の展覧会で公開!)や三の丸尚蔵館の『韃靼人狩猟図屏風』、東博の伝・顔輝筆『寒山拾得図』2幅(元時代)もそうで、びっくりした。もっとびっくりしたのは、昭和3年(1929)の『神戸川崎男爵蔵品入札目録』に「若冲象鯨屏風」の白黒写真が載っていること。これは、MIHOミュージアムが所蔵する『象鯨図屏風』とは微妙に異なる別作品で、現在も所在が分からない(2010年に千葉市美術館で辻惟雄先生の講演を聞いたときのメモを読み返したら、川崎男爵家のオークションの話も出ているのだな)。
初めて(?)見て、気に入った作品もたくさんある。しかし、藝愛筆の花鳥図シリーズは、京博所蔵の『梔に双雀図』を除き4件は個人蔵。狩野山楽筆『芙蓉図』、妙に美男の応挙筆『呂洞賓図』など、これは!と思う作品は「個人蔵」が多かった。きわめつけは明・宣宗(宣徳帝=朱瞻基)筆『麝香猫図』だろう。額に黒い斑点を持ち、長い尻尾が黒いほかは白い長毛に覆われ、いたずらっぽい丸い目をしたネコ。画面の上のほうに朱角印と「宣徳丙午 御筆」の墨書がある。かわいい!!ネットで調べたら、宣徳帝はネコの絵をたくさん残しているという。本作は、当初、川崎美術館では宋・徽宗皇帝筆として展示され、のちに修正されたそうだ。こんな魅力的な作品を、どうして私は今まで知らなかったのだろうと思い、調べてみたら、2018年に大和文華館の『生命の彩(いろどり)』展(見逃した)で公開されたとき「近年再発見され、約80年ぶりの公開」と紹介されている。こういう奇跡もあるのだな。長生きしなくちゃ。
また、会場には応挙の襖絵が、書院のしつらえを再現するかたちで展示されていたが、これは南禅寺の塔頭・帰雲院の書院障壁画だったもので、川崎正蔵がすべて購入し、美術館の広間等に用いたのだという。現在は東博の所蔵に帰している。広々した空気感がとてもよい。
浮世絵や大和絵、金碧障壁画、さらに七宝作品(中国テイストだが日本製)などコレクションの幅は広いが、やはり群を抜くのは中国絵画のレベルである。因陀羅筆『寒山図』(野村美術館)は、あまり記憶になかったが、かわいらしさ(!?)に一目惚れしてしまった。そして、最後に控えていたのが、伝・銭舜挙筆『宮女図』(元時代、個人蔵)である。赤い官服の男装の官女がじっと指先を見つめている。今回気づいたのだが、足元(靴)がはっきり描かれていないので、宙に浮かぶ幽霊みたいにも見える。この秋、京博の『茶の湯』展でも短期間公開されていたのだが、こっちでゆっくり見ることができてよかった。
そして展覧会が終われば、また作品は現在の所有者のもとへ帰っていくのだな。コレクションの一期一会というか、会者定離をしみじみ噛みしめた。貴重な展覧会をありがとうございました。