goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2022年12月関西旅行:よみがえる川崎美術館(神戸市立博物館)

2022-12-14 21:13:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

神戸市立博物館 開館40周年記念特別展『よみがえる川崎美術館-川崎正蔵が守り伝えた美への招待-』(2022年10月15日~12月4日)

 最終日に駆け込みで見てきた展覧会である。「川崎美術館」という名前は初耳だった。展示は、創設者の川崎正蔵とその美術コレクションの紹介から始まる。川崎正蔵(1837-1912)は薩摩国(鹿児島県)生まれの実業家で、川崎造船所(現・川崎重工業)や神戸新聞社などを創業した(そうか~川崎重工の川崎は地名だとずっと思っていた)。

 明治初年、西洋文化の流入と廃仏棄釈が進むなか、古美術品の海外流出を憂慮した川崎正蔵は、日本・東洋美術を彩る優品を幅広く収集し、そのコレクションを公開するため、明治23年(1890)神戸市布引の川崎邸(現在のJR新神戸駅周辺)に「川崎美術館」を開館した。日本初の私立美術館である。しかし、昭和の金融恐慌をきっかけにコレクションは散逸し、川崎美術館の建物も水害や戦災によって失われてしまったという。本展は、かつて川崎正蔵が所蔵していた日本・東洋美術の優品のなかから、国宝2件・重要文化財5件・重要美術品4件を含む、絵画・仏像・工芸品約80件と、貴重な資料を合わせた約110件を展示し、約100年ぶりに神戸の地に川崎美術館をよみがえらせる企画である。

 絵画は展示替えが多いので、1回の参観で全貌が把握できたとは思えないが、別の美術館で見たことのある作品が多くて、あれもこれも、かつては川崎正蔵のもとにあったのか!と驚かされた。私が見ることのできた作品でいえば、巨大な『最勝曼荼羅』(室町時代、奈良博)や青と緑が美しい『春日宮曼荼羅』(南北朝時代、MOA美術館)。中国絵画では伝・徽宗筆『鴨図』(五島美術館)や『阿弥陀三尊像』(九博)、直翁筆『六租挟担図』(大東急記念文庫)、伝・夏珪筆『風雨山水図』(根津美術館)など。彫刻では静嘉堂の康円作『広目天眷属像』(真っ赤な半裸で足元は長靴、鎌倉時代)もそうなのか。

 図録を見たら、根津美術館の『桜下蹴鞠図屏風』(次の展覧会で公開!)や三の丸尚蔵館の『韃靼人狩猟図屏風』、東博の伝・顔輝筆『寒山拾得図』2幅(元時代)もそうで、びっくりした。もっとびっくりしたのは、昭和3年(1929)の『神戸川崎男爵蔵品入札目録』に「若冲象鯨屏風」の白黒写真が載っていること。これは、MIHOミュージアムが所蔵する『象鯨図屏風』とは微妙に異なる別作品で、現在も所在が分からない(2010年に千葉市美術館で辻惟雄先生の講演を聞いたときのメモを読み返したら、川崎男爵家のオークションの話も出ているのだな)。

 初めて(?)見て、気に入った作品もたくさんある。しかし、藝愛筆の花鳥図シリーズは、京博所蔵の『梔に双雀図』を除き4件は個人蔵。狩野山楽筆『芙蓉図』、妙に美男の応挙筆『呂洞賓図』など、これは!と思う作品は「個人蔵」が多かった。きわめつけは明・宣宗(宣徳帝=朱瞻基)筆『麝香猫図』だろう。額に黒い斑点を持ち、長い尻尾が黒いほかは白い長毛に覆われ、いたずらっぽい丸い目をしたネコ。画面の上のほうに朱角印と「宣徳丙午 御筆」の墨書がある。かわいい!!ネットで調べたら、宣徳帝はネコの絵をたくさん残しているという。本作は、当初、川崎美術館では宋・徽宗皇帝筆として展示され、のちに修正されたそうだ。こんな魅力的な作品を、どうして私は今まで知らなかったのだろうと思い、調べてみたら、2018年に大和文華館の『生命の彩(いろどり)』展(見逃した)で公開されたとき「近年再発見され、約80年ぶりの公開」と紹介されている。こういう奇跡もあるのだな。長生きしなくちゃ。

 また、会場には応挙の襖絵が、書院のしつらえを再現するかたちで展示されていたが、これは南禅寺の塔頭・帰雲院の書院障壁画だったもので、川崎正蔵がすべて購入し、美術館の広間等に用いたのだという。現在は東博の所蔵に帰している。広々した空気感がとてもよい。

 浮世絵や大和絵、金碧障壁画、さらに七宝作品(中国テイストだが日本製)などコレクションの幅は広いが、やはり群を抜くのは中国絵画のレベルである。因陀羅筆『寒山図』(野村美術館)は、あまり記憶になかったが、かわいらしさ(!?)に一目惚れしてしまった。そして、最後に控えていたのが、伝・銭舜挙筆『宮女図』(元時代、個人蔵)である。赤い官服の男装の官女がじっと指先を見つめている。今回気づいたのだが、足元(靴)がはっきり描かれていないので、宙に浮かぶ幽霊みたいにも見える。この秋、京博の『茶の湯』展でも短期間公開されていたのだが、こっちでゆっくり見ることができてよかった。

 そして展覧会が終われば、また作品は現在の所有者のもとへ帰っていくのだな。コレクションの一期一会というか、会者定離をしみじみ噛みしめた。貴重な展覧会をありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年12月関西旅行:明清の美(大和文華館)

2022-12-11 23:25:33 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 特別企画展『明清の美-15~20世紀中国の芸術-』(2022年11月18日~12月25日)

 忙しくてブログが書けていないが、12月第1週の週末の関西旅行の続きである。日曜は、奈良と神戸の展覧会をハシゴしてきた。本展は、主に15世紀~20世紀初頭における明清中国の多彩な美術を紹介する特別企画展である。大和文華館の明清絵画コレクションは大好きなので、どうしても見たかった。

 展示室に入ってすぐの単立の展示ケースには、まず丁敬筆『花鳥図冊』。あまり記憶にない作品だったが、綴じの左側に文、右側に画が記されている。画題は花でなく果物のようだった。隣りは査士標筆『山水図冊』(兵庫県立美術館)。左手に大河か湖、右手には高い山、橋の上に杖を携えた高士の姿が見える。広々した気持ちのよい風景である。さらに隣りは程邃筆『山水図』。深い山の中に抱かれた村落が見える。墨画の点描がちょっと浦上玉堂っぽいと思った。

 展示室の構成は、おおむね時代順。冒頭の『明皇幸蜀図』は、唐代の原本を元~明代に写したものと言われるが、よく見えない。照明の映り込みも残念。『文姫帰漢図巻』は匈奴の左賢王の妻になった蔡文姫を描く図巻だが、これまで嫁入りの場面を見ることが多かったので、帰還の場面(第11~15拍)が開いていたのが珍しかった。左賢王も子供たちも別れの悲しみで慟哭している。

 「明末清初の地方画壇」にまとめられた作品では、張宏筆『越中真景図冊』が好き。龔賢筆『山水長巻』(泉屋博古館)は、料紙が白いので墨色との対比が際立つ。ベタ塗りではなく、繊細な点描を重ねたような黒と白の風景が、無人のまま続いていく(人跡未踏の地ではないので家はある)。西洋の銅版画の影響があるとも言われるが、本展の解説は「五代北宋(の山水画)を淵源とする」とあったように記憶する。

 清代はおなじみの作品が揃う。『台湾征討図巻』には2本マストのジャンク船が描かれている。今年は、久しぶりに清朝を舞台にした中国古装ドラマにハマったこともあって『閻相師像』を懐かしく眺める。この不思議な作品が、日本にあってよかったとしみじみ思う。

 「来舶清人」の作品では伝・余崧筆『桐下遊兎図』が印象に残った。葉鶏頭(?)の下で三羽のウサギが遊ぶ図だが、目つきが鋭くて、あまり可愛くないウサギである。「中国と琉球」では、座間味庸昌(殷元良、1718-1767)筆『船上武人図』が面白かった。このひとは首里生まれで琉球国の宮廷画家となり、北京大筆者(役職の名前、使節団員の中間管理職)として中国に渡った経験があるという。だから唐名も持っているのか。35歳で中国に渡ったというのは乾隆帝の時代だろうか。琉球と中国(清)の交流史、もっと調べたら面白そうだ。

 そして「清時代の地方画壇」では、何度見ても大好きな方士庶筆『山水図冊』。あと、むかしは特におもしろいと思わなかった羅聘筆『墨梅図』や汪士慎筆『墨梅図冊』が、しみじみよいと感じられるようになってきた。嬉しい。

 戴煕筆『鴛湖春櫂図巻』(兵庫県立美術館)も好きな作品だったので書き留めておく。作者は文人画家であると同時に武将で、太平天国の乱が発生すると団練を組織して杭州の防衛にあたったが、太平天国軍が杭州を陥落させると池に身を投じて自殺したという。画家にもいろいろな人生があるものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスリース2022とおまけ

2022-12-10 14:13:38 | なごみ写真帖

いろいろ忙しくて例年より遅れてしまったが、今年もいつもの花屋さんで手作りリースを買ってきた。むかし住んでいた幡ヶ谷にあるラベイユ四季というお店である。

今年はスタンダードな緑の生リースにした。参考までに値段は税込み3300円。以前は同じ値段でひとまわり大きなサイズが買えたと思うのでだいぶ値上がりしている。でも職人仕事としては当然の値段だと納得している。

ついでに笹塚~幡ヶ谷を少し歩いてきた。そこそこ賑わいはあるけど、新宿から至近と思えない、のんびりした雰囲気がある。また住んでみたい街のひとつである。

クリスマスっぽいおまけ。先日、庭園美術館の『旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる』で撮影可だったティーセット。およそ100年前、朝香宮夫妻がヨーロッパから持ち帰ったもの。こんな食器でケーキと紅茶を楽しめたら素敵。

昨年のリース

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年12月関西旅行:大原、洛中大通寺

2022-12-05 22:47:59 | 行ったもの(美術館・見仏)

 土曜日、京博のあとは、久しぶりに大原観光に出かけることにした。いったん京都駅に戻って地下鉄で国際会館駅に出て、大原行きのバスに乗る。10年ぶりくらいかなあとぼんやり考えていたが、あとでブログをチェックしたら、2013年の初夏以来だった。

 終点の大原バス停で下り、左(西)へ行くと寂光院、右(東)へ行くと三千院というのは記憶どおりである。まずは寂光院へ向かう。豊かな自然を背景に人家や農地が続く「山里」の風景。このところ、仕事がキツくて高ストレス状態だった精神が少しほどけていく感じだった。

寂光院

 私が到着したときは、正面の本堂の中は拝観客でいっぱいで、お寺の方が熱心に説明をしていた。説明が一段落し、人が減ってから上がらせてもらった。ご本尊は彩色が目に鮮やかな地蔵菩薩立像。そうだ、平成の火災のあとで復刻されたお地蔵様だった。左右の奥に尼僧姿の建礼門院と阿波内侍の坐像がある。案内の方が「このお厨子は、人間国宝の江里佐代子さんが作られたもので、まだ新しいのであまり注目されていませんが、素晴らしい作品です」と絶賛していらした。前扉は金地に大原の野草を配したもの。そして案内の方が懐中電灯でお厨子の中を照らすと、左手の内壁に優美な藤の花が浮かび上がった。阿波内侍のお厨子の右手の内壁は、ススキと桔梗だったように思う。

 建礼門院徳子の大原西陵にも詣でていく。秋はこんなに紅葉がきれいなのだな。

■大原陵

 大原バス停まで戻って、三千院に向かう。門前の茶店で、にしんそばの昼食。おばあちゃんが一人で注文をさばいている小さな茶店だった。関東育ちの私は、たぶん大学生の頃、生まれて初めてにしんそばを食べたのが大原だったと記憶している。

 三千院の門前を素通りして、隣りの大原陵へ。いま大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも注目の後鳥羽院とその第三皇子・順徳院の御陵があるのだ。

 大原西陵もそうだが、ここも外側の出入口は開いていて、御陵の近くまで立ち寄ることできる。基本、平日でないと参拝できないと思っていたが、陵墓によるのかな。あるいは、最近、管理方針が変わったのだろうか。

 向かって右の十三重塔が後鳥羽院陵、左の順徳院陵は円丘であるという。後鳥羽院は配流先の隠岐で没して火葬されたが、侍臣が遺骨を京都に遷し、大原陵に埋葬したという記事が『増鏡』にあるそうだ。勝林院の十三重塔が後鳥羽天皇陵に比定されたのは江戸・元禄の頃らしい(※京都寺社史跡案内:後鳥羽天皇 大原陵・法華堂)。まあ天皇陵の信憑性なんてそんなものだが、敗者の記憶が色濃く残る「大原」の土地柄を感じて、しみじみした。

魚山大原寺 勝林院

 参道の突き当りに巨大なお堂を構えているのが勝林院。お堂から朗々とした声明が聞こえてくるので、何か法事をやっているのかと思って飛び込んだら、録音放送だった。3分間で途切れるように設定されていて「続きを聴きたい方はボタンを押してください」という貼り紙がしてある。金色の大きな阿弥陀如来坐像は、どこか懐かしかった。

天台宗 京都大原 三千院

 靴を脱いで客殿に上がり、長い渡り廊下を歩いて宸殿(本尊:薬師瑠璃光如来=秘仏)を参拝する。それから再び靴を履いて庭に下り、往生極楽院の阿弥陀三尊像を訪ねる。ちょうど話し上手なお坊さんが熱心な説明をなさっていて、いまどき国宝の仏様をこんなに近くで拝観できるお寺は他にない、とおっしゃっていた。むかしは三尊の前に三本の蝋燭を立てていたが、最近は一本にしているとのこと。それでも文化財の管理者には嫌がられる(心配される)そうだ。脇侍の観音・勢至菩薩が「大和座り」と言われるのは正確でなく、すぐに立ち上がろうとする「跪坐」の姿勢である、という説明もあった。

 三千院の参道で見かけた散り紅葉。本州に多いタイプではなく、北海道でよく見たオオモミジ(?)ではないかと思う。

 まだ明るいうちにバスと地下鉄で市中に戻り、もう1か所、行っておきたかったところがある。

萬祥山 大通寺(遍照心院)

 東寺の南側の一角にある真言宗の小さなお寺。鎌倉幕府3代将軍実朝の妻、本覚尼が亡夫の菩提を弔うために創建した寺院だという。最近、大河ドラマ関連の情報を漁っていて、初めて知ったので来てみた。

 お寺のホームページによれば、六孫王経基の子満仲が父の墓所に一宇を建立したのが起こりといわれ、後代には「尼寺」として親しまれ、北条政子も大いにこの寺を援助し、『十六夜日記』の著者の阿仏尼も入寺し、亡夫藤原為家を供養したという。本堂の宝冠釈迦如来像の脇には源実朝像は安置されているらしいが、内部を窺うことはできなかった。いつか参拝の機会があるといいなあ。大晦日の除夜の鐘のときは「檀家様以外の方も広く受け付けています」とのことだが…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年12月関西旅行:茶の湯(京都国立博物館)再訪

2022-12-04 22:00:49 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 特別展『京(みやこ)に生きる文化 茶の湯』(2022年10月8日~12月4日)

 金曜に名古屋へ日帰り出張の予定が入ったので、自費で足を伸ばして、週末、関西で遊んできた。目的の1つ目は『茶の湯』展を再訪すること。土曜の朝、開館10分前くらいに行ったら、70~80人は並んでいたと思う。建物に入り、混雑が嫌だったので、2階の「四頭茶礼」の展示室から見ていく。11月に京博の『白衣観音図』と大徳寺の『龍虎図』が掛けてあったところには、愛知・妙興寺の『観音・龍虎図』(室町時代)3幅。恰幅のよい男性的な観音様だった。次室は絵巻が中心。『不動利益縁起絵巻』はあまり見たことのない場面で、僧房の囲炉裏で湯を沸かし茶を入れているらしい。鬼神が浮遊しているのもおもしろい。

 「唐物賞玩」の展示室で、11月に『煙寺晩鐘図』(畠山記念館)が出ていたところには『遠浦帰帆図』(京博)が掛かっていた。修理後、初公開とのこと。また梁楷の『六租破経図』(三井記念文庫)と『六租截竹図』(東博)を並べて眺めることができたのも嬉しい。『破経図』は別筆(伝・梁楷)と判断されているが、素人にはよく分からないなあ。団扇形の画面に描かれた伝・趙昌筆『茉莉花図』(常盤山文庫)と『林檎花図』(畠山記念館)も一対の作品に見えるが、林檎花図のほうが少し(1世紀くらい)早いらしい。東博の『猿図』も来ていた。

 「町衆文化」の展示室に入って、見慣れない作品で面白かったのは馬公顕筆『薬山李翺問答図』(南禅寺)。大きな石のテーブルを挟んだおっさん二人が何か問答をしている。珠光筆『漁村夕照図』(三井記念美術館)もよかった。茶人の珠光と同一人かどうかは不明とのこと。根津美術館の『清拙正澄遺偈』(毘嵐巻)が来ていたのも嬉しかった。2階の最後の展示室「わび茶の発展」は屏風特集で、徳川美術館の『遊楽図屏風』(相応寺屏風、17世紀)に惹かれた。喧嘩、水泳、船遊び、舞台鑑賞、輪踊り、宴会、風呂など、さまざまな遊楽が描かれている。男性は長い刀が目立ち、女性は垂髪スタイルがそこそこいる。

 1階へ。11月には『桃鳩図』など中国絵画の名品が揃っていた部屋は、桃山陶磁器の特集になっていた。それぞれ独特の歪み具合が、じわじわと味わい深い。『伊賀耳付花入 小倉伊賀』は初めて知った作品だが、細身でスマートな歪みに惹かれた。絵画では、いつも大徳寺の宝物風入れで見ている伝・牧谿筆『芙蓉図』が来ていた。縦長の墨蹟『清拙正澄墨蹟 与鉗大治蔵主法語』(永青文庫)を見たときは「牛」や「艸」の縦長の筆画に目が留まり、あ、私の好きな『毘嵐巻』と同じ字だ、と気づいて、清拙正澄という名前をあらためて認識した。このひと、積極的に推していきたい。

 最後に3階へ。冒頭には無準師範の墨蹟『茶入』(五島美術館)が掛かっていた。相変わらず名品揃いだが、11月に比べて地味な印象だった。目を惹いたのは、佐竹本三十六歌仙絵『坂上是則』(文化庁)で、鹿の遊ぶ雪山の大和絵を用いた表具が抜群に個性的である。隣りに並んだ『青磁貼花牡丹唐草文瓢形瓶(銘:顔回)』(曼殊院)も個性的で愛らしく、よく似合っていた。

 文書類では『宮城図』(陽明文庫、鎌倉時代)の北東の隅に「茶園」と書かれた一角があるのが興味深かった(上東門の北、達智門の東)。図録の解説によれば、大同3年(808)この地にもともとあった鍛冶司の廃止を受けて設定されたようだが正確な時期は分からないそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする