見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

権力者の真実/袁世凱(岡本隆司)

2018-05-15 22:13:18 | 読んだもの(書籍)
〇岡本隆司『袁世凱:現代中国の出発』(岩波新書) 岩波書店 2015.2

 古い本だが、先日、入手可能な岩波書店の本は全て揃っているという「神保町ブックセンター」で見つけて衝動買いしてしまった。袁世凱(1859-1916)は、言うまでもなく中国清末民初の軍人・政治家。清朝崩壊、は第2代中華民国臨時大総統、初代中華民国大総統に就任。一時期中華帝国皇帝として即位したが、激しい批判を受けて退位し、失意のうちに病死した。私は清末民初の歴史が大好きなのだが、数多い登場人物の中で、正直、袁世凱という人物にはあまり魅力を感じてこなかった。どちらかといえば悪役だが、カリスマ的な悪の魅力にも欠ける。貪欲で凡庸な小人物のイメージなのである。

 本書は、そんな袁世凱の生涯を丁寧に追っていく。旧社会に生まれ、科挙という「正途」を見限り、淮軍の一部隊に身を投じる。朝鮮半島の壬午変乱、甲申変乱鎮圧に活躍し、李鴻章の信任を得る。このへん、特に新しい情報はないが、朝鮮における袁世凱が、国王をないがしろにし、官僚を威圧するなど、尊大な態度で内外からの非難を浴びたこと、にもかかわらず李鴻章が彼の手腕に満足し、信頼し続けたことが興味深い。ある意味、袁世凱の高圧的な政策は、李鴻章が誘導したものとも言える。李鴻章は、近年再評価が進み、私も安心して「好き」を公言できるのだが、実は李鴻章の暗黒面を、袁世凱が肩代わりしている気もする。

 続くターニングポイントは、康有為・梁啓超らの変法運動を挫折させた戊戌の政変である。袁世凱は、譚嗣同から持ちかけられたクーデタ計画を西太后の側近栄禄に密告し、変法派を打ち倒した。本書は、袁世凱の日記に基づき、譚嗣同の「書き付け」(クーデタのアジ文)を引用するなど、臨場感たっぷりにこの事件を語っている。従来、日記の記述は袁世凱の自己弁護と見なされていたが、康有為側の史料偽作が明らかになるにつれ、近年その信憑性が見直されているのだそうだ。それから、袁世凱がいったん変法派につき、協力を約束しておきながら寝返ったというのは、康有為側の期待過剰であると著者は評価する。公平な判断であると思う。

 義和団事変とその収拾の過程で、中央政府の主導者はことごとく退場する。袁世凱は直隷総督北洋大臣に就任し、天津において、当時の中国で最も先進的な都市行政と最先端の西洋化が開始される。「北洋新政」という言葉は初めて知った。「巡警」(警察組織)の創設など、治安維持が重点とはいえ、警察官養成のための学堂を整備し、俸給も優遇するなど、なかなか目を見張るものがある。道路・通信などの都市インフラ、防疫・病院など医療施設、各種の教育施設の整備も行われた。見事な手腕じゃないか、袁世凱。

 しかし、光緒帝と西太后の崩御、新帝(宣統帝)即位ののち、権力を掌握した醇親王載灃によって、袁世凱はすべての職を罷免され、河南省彰徳(現・安陽)に隠棲する。一方、清朝・中国の政治状況は混迷し、ついに「革命」を目指す武昌起義が勃発する。北京政府は周章狼狽して袁世凱に助けを求め、最後は内閣総理大臣に任命して全権を譲り渡す。追放隠棲の身から極官にのぼりつめるまで、わずか1か月。いや~想像力に富んだ小説家だって、こんな筋書きは書けないだろう。やっぱり、このひとの生涯は面白い。だが、極官にのぼりつめるというのは、栄華の絶頂であると同時に、危機の頂点に立つということでもある。

 南方の革命派が集結した南京臨時政府との交渉、宣統帝の退位。本書にとっては余談だが、臨時大総統を袁世凱に譲ることを決めた孫文が、政府官僚を引き連れ、明の太祖・朱元璋の陵墓に赴いたというのが興味深かった。清朝を打倒した孫文が、モンゴル帝国を駆逐した朱元璋に自らを重ねたというのが面白い。他方で、幼児の宣統帝と嫡母の隆裕太后から政権を窃取した袁世凱の所業は、「三国志」の司馬仲達になぞらえられるという。こうやって過去の歴史を参照することで現在を解釈する思考回路は、とても中国的だ。

 ここまで来ると、本書の残りページも少なくなるのだが、まだ袁世凱は皇帝にならない。臨時約法に基づき、国会を召集するための選挙が行われるが、袁世凱への支持は集まらず、宋教仁の国民党が圧勝する。袁世凱一派が危機感を強める中で、宋教仁暗殺が起きる。これによって最も得をしたのが袁世凱であることは確かだが、事件の真相については再検討が進んでいるという。

 国民党の混乱に乗じて権力の集中化を推し進め、ついに袁世凱は皇帝として即位する。歴史の針を逆に回すアナクロニズムに見えるが、彼は専制君主になろうとしたわけではなく、「君主立憲」に回帰しようとしたことに注意しておきたい。当時の感覚では、一般的な政体だったはずである。年号の「洪憲」に「憲法を洪揚する」の意味があるという説も初めて知った。しかし、結果は激しい批判にさらされ、部下や地方の離反が相次ぎ、袁世凱は即位撤回からまもなく病没する。本書の終章では「即位」から「終焉」までの記述は10ページにも満たない。なんともあっけない幕切れ。

 あらためて袁世凱の生涯をたどってみて、なかなか味わい深い人物だと思った。才子や英雄よりも、私はこういう小人物の物語に惹かれる。著者は最近まで袁世凱を「嫌い」と公言して憚らなかったそうだが、本文中には「わが袁世凱」という表現が、どこかにあったと記憶する。懐の深い評伝である。
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2018年4-5月@東京近郊展覧会拾遺その3

2018-05-13 20:19:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・表慶館 特別展『アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝』(2018年1月23日~5月13日)

 先史時代の石器から近現代まで、サウジアラビア王国の至宝を日本で初めて公開。展示品のほとんどはサウジアラビア国立博物館の所蔵品である。しかし私は中東について、歴史も現在の社会状況もほとんど知らない。あらためて世界地図を見て、サウジアラビアという国がアラビア半島の大部分を占めていることを確認したくらい。まあでも、せっかくの機会なので見に行った。冒頭は、東博というより科博の展示のようで、旧石器時代(100万年以上前)の石器や動物の骨など。新石器時代に入ると、矢尻や器、動物のかたちをした石器など、人間の存在をうかがわせる遺物が登場する。さらに時代が進むと、彩文土器の壺や高坏が現れる。なんとなく東洋的な美意識と親和するところがあって、織部の茶碗を思わせる器もあった。紀元前4~2世紀の遺物だという、筋骨隆々とした巨大な男性像は迫力があった。

 後半は、イスラーム色が強まり、オスマン朝時代のカァバ神殿で使われていた扉や、16世紀のクルアーン(コーラン)写本などを見ることができた。全く読めないが、アラビア文字の美しいこと。しかし、本展はイスラーム文化よりも、それ以前の長い歴史のほうが印象に残る。最後は、20世紀のはじめに建国されたサウジアラビア王国のサウード王家に関する資料。最近、君塚直隆『立憲君主制の現在』で、サウジアラビアの君主制について知る機会があったので、興味深く感じた。

■東京国立博物館・東洋館8室 『中国の絵画 墨の世界の生き物たち』(2018年4月17日~5月20日)

 「生き物」をテーマにするのは、最近の博物館・美術館の流行だが、この中国絵画室では初めての試みではないかと思う。松田の『栗鼠図軸』とか蘿窓の『竹鶏図』とか、おなじみの作品がある一方、見慣れないめずらしい作品も出ていた。『藻魚図屏風』2曲1隻(伝・韓秀実筆、明代)は常盤山文庫所蔵。畳ほどもある巨大な画面を、さらに巨大な魚が体をくねらせて泳いでいる。水中の光景なのに、全然涼しそうでなく、異様な圧迫感がある。辺寿民の『芦雁図扇面』『芦雁図冊』は、小さな姿にも個性と愛嬌が感じられて、かわいい~。「辺の芦雁」の評判を得ていたことに納得。永瑢の『魚蔬図巻』は、魚と野菜を並べて淡墨で描いたもの。ちょっと若冲を思わせる。

国立公文書館 平成30年春の特別展『江戸幕府、最後の闘い』(2018年3月31日〜5月6日)

 平成30年(2018)が明治元年(1868)から満150年に当たることを記念し、明治前夜、幕末期の江戸幕府の「文武」改革について取り上げる。冒頭「もたらされる海外情報」に出ていた資料が面白かった。『視聴草(みききぐさ)』は幕臣・宮島成身が編纂したもので、天保15年(1844)オランダ国王ウィレム二世から開国勧告の国書を受け取ったときの記録の箇所が展示されていた。参考として写真図版で添えられていた特使コープス(カウプス)の似顔絵が秀逸。絵心のある幕府役人は重宝されたのではないかな。そのほか、日本にもたらされた海外情報の例として、明清交替やフランス革命、アヘン戦争について記した資料が出ていた。アヘン戦争に関し、清国軍と交戦したイギリス人の中には、武勇を発揮した女性もいて(武侠かw)実はイギリスの第三王女であるという、とんでもない伝聞も記されていた。

 A4サイズのカラー図録は500円。国立公文書館の特別展は、むかしはかなり充実した図録を無料で配っていた。一時期、経費抑制で図録をつくらなくなったり、すごく価格を抑えて販売したりしていたが、この価格、このクオリティでしばらく続けてもらいたい。学校図書館等に供えて、高校生や中学生の日本史の資料にしてもよいと思う。
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2018年4-5月@東京近郊展覧会拾遺その2(東博・名作誕生/新指定)

2018-05-10 21:43:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 創刊記念『國華』130周年・朝日新聞140周年 特別展『名作誕生-つながる日本美術』(2018年4月13日~5月27日)(前期:4月13日~5月6日)

 作品同士の影響関係や共通する美意識に着目し、地域や時代を超えたさまざまな名作誕生のドラマを、国宝・重要文化財含む約130件を通して紹介する。事前に出品リストを見て、行くなら後期と考えていたのだが、連休前に友人から「招待券あるよ」という話を聞き、同行させてもらった。近年の特別展と比較すると「客が入っていない」という噂だが、私はこのくらいが適切な集客だと思う。展覧会のメインテーマは「つながり」だが、展示は、いくつかのサブテーマ(実例)によって進行する。

 たとえば「一木の祈り」は、冒頭に中国・唐時代の十一面観音菩薩立像(山口・神福寺、岩見美術館の展覧会で見た!)を示す。大陸で生まれた精緻で、しかも清新な表現が日本にもたらされ(渡来仏師の活躍もある)、奈良~平安時代初期に、数々の木造仏の名作が生まれた。唐招提寺の伝薬師如来立像に伝衆宝王菩薩立像(西洋風の顔立ちの)、ひょえ~元興寺の薬師如来立像まで来ていらっしゃる!!とびっくりした。孝恩寺の薬師如来立像(親しみやすいおばちゃん顔)に会えたこともうれしい。兵庫・成相寺の薬師如来立像は知らなかったが、お相撲さんみたいに量感たっぷりで堂々としている。私はこの時代の木造仏が大好きなので、大満足だった。「祈る普賢」で、大倉集古館の普賢菩薩騎象像(彫刻)と東博の普賢菩薩像(絵画)が並んだのも感慨深かった。

 「巨匠のつながり」は、雪舟、宗達、若冲の三人における「継承と工夫」を特集。雪舟と中国絵画については後期が本番という印象だが、正木美術館所蔵の雪舟筆『潑墨山水図』や京都・大雲院所蔵の伝玉㵎筆『山水図』など、見る機会の少ない作品を見ることができた。宗達の『扇面散屛風』(三の丸尚蔵館)に『平治物語絵巻』の図様がそのまま使用(トリミングして模写)されている。以前から知られていたことではあるが、実際に絵巻(摸本)や断簡を近くに置いて見比べる体験は初めてで、すごく面白かった。でも、まわりのお客さんは、あまり展示の趣旨を理解できていない様子で残念だった。若冲は『白鶴図』と中国絵画の影響関係など。

 古典文学、山水、花鳥なども取り上げられてるが、人物について、岸田劉生の『野童女』(麗子像)に寒山拾得を見るという視点には驚いた。このほか、見ることができた名品は『洛中洛外図屛風』(舟木本)や等伯の『松林図屛風』、岸田劉生の『道路と土手と塀(切通之写生)』など。『見返り美人図』は昔から東博の推しなんだけど、あまり良さが分からない。

■東京国立博物館 特集『平成30年新指定国宝・重要文化財』(2018年4月17日~5月6日)

 同じ日にこちらの特集展示も見た。今年の目玉は、何と言っても大阪・金剛寺の『紙本著色日月四季山水図』(国宝指定)だろう。4月初めに金剛寺の落慶法要に行ったとき、摩尼院書院のボランティアのおじさんに「先日、運び出して行ったから、いま東京で展示されているでしょ?」と言われて、「いや、まだです。もう少し先のはずです」と答えたことを思い出した。国宝になると、これまでより展示の機会が増えるのかなあ。嬉しいけれど、大事にしてほしい。

 若冲の『紙本墨画果蔬涅槃図』と応挙の『紙本墨画淡彩瀑布図』も仲良く重文指定。文化庁所蔵の『平清盛請文』は知らなかった。清盛の自筆で、巧くはない(バランスがよくない)が、おおらかな文字の印象。面白かったのは、山形・上杉神社が所蔵する『明国箚付/明冠服類』。朝鮮出兵後の和平交渉の際に、明から贈られたもので、景勝は「都督同知」という武官の官職に任命されているのだそうだ。アーカイブズ資料である『江戸幕府書物方関係資料』および『京都盲唖院関係資料』も興味深かった。

 11室(彫刻)には、東寺の雄夜叉神が来ていて、息が止まるほどびっくりした。大好きな仏像(神像?)だが、破損がひどいし、規格外れなので、指定は難しいだろうと勝手に思っていた。正式には木造夜叉神立像(東夜叉)というのだな。今年度、東寺は木造夜叉神立像2躯に加えて、木造四天王立像(焼損)(所在食堂)4躯(展示はパネルのみ)も重文に指定された。うれしい。国宝への昇格は、蓮華王院(三十三間堂)の木造千手観音立像1千1躯(3躯のみ展示)と、興福寺の木造四天王立像4躯(仮金堂→近年、南円堂に移されたもの)である。

 東博でゆっくり半日を過ごしたあとは、池の端の鴎外荘で友人と食事。いい休日だった。


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2018年4-5月@東京近郊展覧会拾遺その1

2018-05-09 22:28:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
今年のゴールデンウィークは、だらだら生活を満喫していたので、書いていない記事が溜まっている。とりあえず、ひとことコメントだけでも書いておこう。

国立近代美術館 企画展『生誕150年 横山大観展』(2018年4月13日~5月27日)

 横山大観(1868-1958)の生誕150年、没後60年を記念する回顧展。「代表作を網羅」という触れ込みの一方、知名度のわりに「つまらない」「巧くない」という残酷な評判も目にしていたので、どんなものかな、と思いながら見に行った。確かに巧いとは思う作品が少ないのだが、素人を驚かせ、楽しませる才能には長けた人だと思う。やっぱり『群青富士』とか、ちらっと見えるだけで視線が吸い寄せられてしまう。『秋色』の油絵具をにじませたような蔦紅葉、金色の空に金色の富士が浮かび上がる『朝陽霊峰』など、あざといんだけれど面白い。

 個人的には、線を抑えたやわらかな色彩で中国の歴史人物を描いた作品が好き。『游刃有余地』は東博で時々見るもの。『焚火』(熊本県立美術館)は、女子高生みたいな寒山拾得がかわいい。『生々流転』は堪能した。作品を見たあと、下絵を見て、さらにもう一度、作品を見て、差異を楽しむのがおすすめである。それと、この作品が上野(竹之台陳列館)で初公開された日に関東大震災が起き、展覧会が中止になった、という危機一髪のエピソードは初めて知った。

東京藝術大学大学美術館 『東西美人画の名作《序の舞》への系譜』(2018年3月31日~5月6日)

 上村松園筆『序の舞』(重要文化財)の修理完成を記念し、江戸時代の風俗画や浮世絵から近代まで美人画の系譜をたどる。サントリー美術館の『舞踊図』6面(17世紀)、京都近代美術館所蔵の鏑木清方筆『たけくらべの美登利』など、他館のめずらしい作品を見ることもできた。『序の舞』は「近代美人画の最高傑作」と呼ばれているが、私はあまり好きではない。松園は『草紙洗小町』が好き。松岡映丘の『伊香保の沼』が出ていたのも嬉しかった。「西の美人」のセクションには、梶原緋佐子、北野恒富、松本華羊などあまり見る機会のない画家の作品が出ていて興味深かった。

出光美術館 『宋磁-神秘のやきもの』(2018年4月21日~6月10日)

 美しさの頂点に達したと評される宋(960-1279)とその前後の時代の中国磁器を紹介する。眼福のひとこと。出光美術館の中国磁器コレクションが素晴らしいのは承知の上だが、さらに大阪市立東洋陶磁美術館の名品がいくつか来ていて、興奮した。青磁、白磁、黒釉、緑釉、柿釉(珍しい)などバラエティに富むラインナップで、やっぱり磁州窯が充実しているのが嬉しい。磁州窯(系)のやきものは「北宋時代」と「金時代」が分別されている。「白磁黒掻落」の技法を用いているものは北宋時代が多く、より素朴な「白磁鉄絵」は金時代のものが多いようだ。鉄絵でも『緑釉白磁鉄絵牡丹文』とか『白磁鉄絵刻花魚藻文深鉢』とか、精彩があって大好き。遼磁は、素朴でバランスのいい姿が好き。鈞窯の澱青釉は、昔ちっともいいと思わなかったが、最近好きになってきたのが不思議。

サントリー美術館 『ガレも愛した-清朝皇帝のガラス』(2018年4月25日~7月1日)

 清朝皇帝のガラスの美を、フランスのガラス工芸家ガレ(1846–1904)の作品とも比較しながら紹介する。と思っていたら、冒頭に「中国ガラスの始原」のパートが設けられており、戦国~漢代(紀元前5~後2世紀)のトンボ玉や装身具が数十点出ている。主にMIHOミュージアムのコレクション。展覧会のタイトルにだまされて、古代美術好きも見逃さないでほしい。

 清朝ガラスは、サントリー美術館のコレクションに加え、東博、町田市立博物館、それに英国ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館からも名品が集結している。清朝皇帝がつくらせた中国磁器の精華は言わずもがなだが、ガラス器の品質と芸術性も磁器に劣らないということがよく分かった。ひとつひとつも素晴らしいが、数の力はさらに大きい。そしてこの展覧会、「エミール・ガレの名前を使って、お客を呼ぼうとしている」と思って冷たい目で見ていたのだが、実際にガレが清朝のガラスに強い関心を持ち、影響を受けていたことが、作品の対比からよく分かった。

江戸東京博物館 企画展『NHKスペシャル関連企画「大江戸」展』(2018年4月1日〜5月13日)

 昨年9月から改修工事のため全館休館していた同館が再オープンして最初の展覧会である。ついでに常設展も見たいな、どうしよう?と迷っていたら、常設展エリア内の展示だった。武蔵野台地の東端に位置する江戸が、徳川家康の入封によって華やかな巨大都市に成長し、時代が明治へ移り変わっていくまでを紹介する。「江戸」という文字の見える、かなり早い時期の史料『平長重去状』(複製、13世紀)』は初めて見た。『長禄之江戸図』『慶長江戸絵図』など古地図も豊富で面白かった。
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ひとときの夢/映画・タクシー運転手 約束は海を越えて

2018-05-08 22:37:22 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇チャン・フン監督『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)

 1980年5月の光州事件の際、現地取材を敢行したドイツ人記者と、彼を光州に運んだタクシー運転手の実話を基にした韓国映画。韓国映画はほとんど見ない私であるが、これは見たいと思い、日本公開が始まるとすぐに見に行った。期待どおり素晴らしかった。連休を挟んで感想を書くのが遅れてしまったが、鮮烈な印象が消えていないので、全然大丈夫である。

 主人公キム・マンソプはソウルの個人タクシー運転手。妻を亡くして幼い娘と二人暮らしだが、生活は楽ではない。アパートの家賃を滞納しているため、大家の息子に娘がいじめられても強く抗議することができず、育ち盛りの娘に新しい運動靴も買ってやれない。そんなある日、食堂で別のタクシー運転手が「ドイツ人のお客を連れて光州まで往復すれば10万ウォン」という、美味しい話を吹聴しているのを聞き、仕事を横取りしてしまう。ビジネスマンを名乗るドイツ人ヒンツペーター(ピーター)は、戒厳令下の光州を取材するために海外からやってきたジャーナリストだった。

 厳しい情報統制が敷かれていたため、ソウルに暮らすマンソプは、光州で起きていることを全く知らなかった。現地に近づくにつれ、軍が道路を完全封鎖していることが分かる。あきらめてソウルへ戻ろうと提案するが、ピーターに「No クァンジュ NO マネー」と言い渡されて発奮し、山中の抜け道をたどって光州へ入る。軍に制圧され、荒涼とした光州の街で(マンソプの大嫌いな)デモ隊の大学生や、同業のタクシー運転手たちと知り合う。面倒にかかわりたくないと考えるマンソプは、ひそかに逃げ出そうと試みるが、道端に倒れていたおばあさんを助けて病院へ運び、ピーターに再会してしまう。この序盤の展開で、主人公の人柄、機転が利いて行動力もあり、金儲けのことしか考えていないように見えて、優しい心根の持ち主であることが、自然と理解できるようになっている。

 結局、マンソプはソウルに残してきた娘を案じながら、光州のタクシー運転手ファンの家に1泊することになり、ドイツ人ピーター、英語のできる大学生ジェシクとは、次第に打ち解けていく。一方、軍と学生・市民の対立は急速に悪化。軍は本格的な武力によってデモを制圧しようとする。翌朝、マンソプは、ファンの心遣いで車のナンバープレートを付け替え、光州のタクシーを装ってソウルへの帰路をたどる。光州を離れると、嘘のように平和な日常が広がっている。マンソプは娘のために新しい靴を買う。しかし…彼は、再びハンドルを切って光州に戻る。説明的なナレーションや科白は一切なく、観客は息をつめて画面を見守り、マンソプの葛藤を共有し、その決意に納得する。

 記者のピーターはカメラを回し続けていた。軍は怪しい外国人の存在に気づき、彼のカメラを没収しようとする。大学生ジェシクはピーターを守って軍に拘束され、「真実を世界に伝えて!」という叫びを残して命を落とす。光州に戻ったマンソプはその遺体と対面し、呆然とする。そして、ここからマンソプと光州のタクシー運転手たちの大行動が始まる。

 飛び交う銃弾をかいくぐって、街頭にころがる怪我人を救出し、ピーターをソウルの空港に送り届けようとするマンソプの車を援護して、軍の追撃を妨害する。丸っこい緑のタクシーの隊列とゴツい装甲車が対等に張り合うカーチェイス。これはもう、どう見ても娯楽活劇レベルの「虚構」なのだが、思い出してもちょっと泣けてくる。

 そして、最後の重大な「虚構」。ネタバレなので書きたくないが、これを書かずにこの映画を語ってはいけない気がするので敢えて書く。軍の追撃を振り切ったマンソプのタクシーは、検問所に至る。守備隊には「ソウルのタクシーに注意」の情報がすでに共有されていた。「自分は光州のタクシー運転手で、お客を空港に送っていくところ」ととぼけるマンソプ。守備隊の隊長がタクシーのトランクを開けて中を探ると、ソウルのナンバープレートが現れる。多くの観客が万事休すと思ったとき、隊長は無表情に「通せ」と命じ、部下の兵隊はキツネにつままれた表情でゲートを開く。真実を察知したはずの隊長が、なぜ黙ってマンソプのタクシーを通したか。その理由は観客の推測にゆだねられる。私は、光州事件を「軍(悪)と民衆(善)」という対立の図式に回収したくない、という作者の思いの表れではないかと感じた。

 ソウルの空港を発つにあたって、ピーターは「君の名前と連絡先を教えてくれ」とノートを渡すが、マンソプは「キム・サボク」という適当な嘘の名前を書いて渡す。エピローグは2003年(だったと思う)、ピーターは韓国民主化への寄与によって表象を受けるため、韓国を訪れ、忘れらえないタクシー運転手「キム・サボク」に向けて「もう一度、会いたい」と語りかけ、余韻を残して物語は終わる。

 とにかくキム・マンソプ役のソン・ガンホがいい。光州のタクシー運転手のおっちゃんたちは、「韓流」なんてどこの話?というような、いい顔立ちの俳優さんが揃っている。はじめ意地悪に見えたアパートの大家のおばさんも、ちゃんとマンソプの娘を気遣ってくれていたことが後で分かる。光州事件という壮絶で悲惨なできごとを描きながら、温かくて幸せな気持ちが残る。ひとときの夢のような作品である。なお、映画の大ヒットによって、実在のキム・サボクの息子が現れた等の余談もネットで読むことができ、興味深い。
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厦門(アモイ)2018【4日日/最終日】帰国+買い物風景

2018-05-03 01:19:48 | ■中国・台湾旅行
 最終日は出発まで半日の自由時間があったので、近くのショッピングセンターに行ってみる。外資系スーパー「ウォールマート」などが入っていて、前日の「カルフール」より庶民的な感じがした。2018年1月に開通したばかりの地下鉄にも乗ってみた。昼過ぎの便にて帰国。



 以下は買い物体験からの余談である。厦門は海産物が豊富で、小さなスーパーにも鮮魚コーナーがあり、水槽で魚が泳いでいたり、砕いた氷の上に鮮魚が並んでいたりした。海苔・昆布など海藻も豊富。昆布は北の海のものと思っていたので、ちょっと戸惑った。



 乾麺をこういうかたちで売っているのは初めて見た。奥のほうの灰色っぽいのも乾麺。



 厦門名産? ういろうみたいな餅菓子。



 街中の市場も健在。お客のおじさんの顔の前に下がっている赤い紙にはQRコードが印刷されている。これをスマホで読み込んで決算する仕組み。出発前、中国人はもう現金を使わない、という話を聞いて戦々恐々としていたが、さすがにそこまでではなく、スーパーでは現金で買い物ができたし、現金を使う現地の人も見た。しかしスマホ決済は着実に浸透中。



 なんとなく楽しい日本語【食卓の掃除から逃れられます】。



 その2【みなさまのお墨付き】。

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厦門(アモイ)2018【3日日】胡里山砲台、コロンス島

2018-05-02 00:55:58 | ■中国・台湾旅行
 朝は厦門島の西南部の胡里山砲台へ。アヘン戦争を機に作られた砲台だが、日中戦争、国民党と共産党の戦争にも使われており、歴史の重層性を感じさせる。



 厦門一の繁華街「中山路」を散策し、外資系スーパー「カルフール」でお買い物。コロニアルな洋風建築と中華風の牌坊や寺廟が隣り合っていて独特の雰囲気。



 昼食後はフェリーでコロンス島へ渡る。労働節の休暇は終わったはずだが、まだ観光客が多く、船内の座席は争奪戦になる。島内では、50元の電気自動車を利用し、瀟洒な別荘の立ち並ぶ海岸線を遊覧する。砂浜の広がる西部は、フルーツやアイスクリーム、貝殻細工を売る露店もあって、江ノ島みたいな雰囲気。

 それから電気自動車を下りて、島でいちばん高い日光寺岩へ徒歩で登る。中国の観光地らしく階段が整備されているので、危ない道ではないが、暑さに閉口した。途方もなく巨大な岩が積み重なった様子に広島の宮島を思い出した。



 島の中心部(比較的高いところ)には古い洋風建築が集まっており、じっくり見て歩くと楽しい。「インスタ映え」スポットで結婚写真を撮るため、ウェディングドレス姿で島内を歩き回るカップルとカメラマンの一行を何組も見かけた。↓旧日本領事館の建物は閉まっていて、民俗博物館に改装しているところらしかった。


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厦門(アモイ)2018【2日日】客家土楼、ナイトクルーズ

2018-05-01 23:55:25 | ■中国・台湾旅行
 2日目は客家土楼見学。厦門島から大陸に渡り、漳州市華安県に向かう。以前は4時間かかったそうだが、高速道路ができたおかげで、休みなしの2時間30分ほどで到着。漳州と聞くと、焼きもの好きとしては呉須赤絵を思い出すが、ガイドさんから窯業の説明はなかった。

 目的地には、徒歩圏内に二つの円楼と一つの方楼が残っていて、観光しやすい「土楼公園」のようになっている。福建省で最大といわれる二宜楼は、周囲238m、直径約73m、4階建て。蒋氏一族の住居として建てられた。



 基壇は石組み。壁面も最下層は石組みで日本の城郭を思い出させる。その上は日干しレンガ積みになる。



 中央の広場では、土楼の住人が土産屋のテントを立てて商売をしている。ガイドさんが、顔見知りのおじさんに話をつけてくれて、10元で土楼の建物の中に入れることになった。3階に上がって、廊下を一周する。最後は、そのおじさんの店でお茶をごちそうになり、茶葉や絵葉書などのお土産を買った。



 続いて、少し歩いたところにある東陽楼。方形の土楼(土楼)なのだが、言われなければ全く気付かなかった。



 その隣りの南陽楼。二宜楼よりも少し小型の円楼。二宜楼に比べると、壁面がかなり修復されてしまっている。



 土楼のまわりは茶畑が広がっていた。ちょうど昼時で、大きな袋を積んで茶畑からスクーターで戻ってくる農民を何度も見かけた。大きな袋には、摘み取ったばかりの茶葉がずっしり入っているようだ。福建省といえばお茶の産地だなあと、かつての武夷山旅行を思い出す。しかし、ガイドさんの話では、最近はお茶が売れないのでコーヒーを作っているとのこと。確かに帰りに寄ったドライブインでは「土楼珈琲」なるブランド産品を見た。



 厦門島に戻って夕食後、オプショナルツアーのナイトクルーズに参加。島の東部、大陸の海岸やコロンス島の間を遊覧する。



 点滅する夜景が想像以上にきれいでテンションが上がった。日本の夜景クルーズもこんなに楽しいんだろうか。



 ↓うまく写真が撮れなかったが、コロンス島の南端には巨大な鄭成功像(高さ15.7m)が立っており、ライトアップされていた。



 翌日、コロンス島に渡って、電気自動車で海岸線を一周したとき、どこかで見えるだろうと思っていたのだが、見つけられなかった。実は巨大な岩の上に立っているので、真下を通っても気づかなかったのである。なお、鄭成功は長崎県の平戸に生まれ、明の滅亡後も亡命政権を支持し、厦門に拠点をおいて清と戦い、さらに台湾からオランダ人を追い出して台南に拠点を移した。これで私は、平戸、台南、厦門と、鄭成功ゆかりの主要な土地を全て訪ねたことになる。うれしい。



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