見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

日本と中国の七宝の謎/光彩の巧み(五島美術館)

2017-12-03 23:48:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
五島美術館 特別展『光彩の巧み-瑠璃・玻璃・七宝-』(2017年10月21日~12月3日)

 最終日に参観。まあ見逃してもいいんだけど、くらいの気持ちで行ったら、予想外に面白かった。日本・東洋の七宝を中心に、(見た目では)その類似の技法である貴石・ガラス象嵌もあわせて約100点の名品でたどる。

 はじめに「瑠璃と玻璃のかざり」、すなわち貴石・ガラス象嵌を取り上げる。「瑠璃」も「玻璃」も大まかには貴石やガラスを表す。冒頭の『金銀玻璃象嵌大壺』(中国・戦国時代、前5-前3世紀)にびっくりした。丸い銅に短い首のついた、何の変哲もない形の壺だが、表面全体を斜め格子文で覆い、金の鋲や青・白のガラス珠をびっしり嵌め込んで(溶着して)いる。つくられた当時は、クリスマスツリーみたいに華やかだったことだろう。永青文庫所蔵。

 漢時代の『玻璃握豚』は濁った乳白色だがガラス製だという。MIHOミュージアムの『鳳凰型装飾』(戦国~漢時代)には青緑色のガラスが象嵌されている。ガラスは漢代に「玻璃」の名で定着し、実質的な発展が始まった。紀元前の古代中国を舞台にした古装ドラマで、ガラス製品が出てきたら、ないないと笑ってしまうところだが、あったのかーと驚く。泉屋博古館の『嵌玉一角獣形鎮子』『鍍金双獣形鎮子』には、多様な色彩の貴石が使われている。精彩あふれる動物の表情も見どころ。

 続いて「七宝」。明日香村の牽牛子塚古墳から出土した『花文入亀甲型金具』は、連続する亀甲文の中に撫子のような六弁花が銅線で描かれている。日本最古の七宝作品であるが、渡来品か渡来した工人の作と考えられている。被葬者は斉明天皇である可能性が高く、7世紀後半の古墳である。また、正倉院宝物の『黄金瑠璃鈿背十二稜鏡』の模造品(1999年製作)が出ていた。背面ほぼ全体が金線(?)で抽象的な葉か花弁を表現した七宝かざりになっている。使われている釉薬は、唐三彩のような黄褐色・濃緑色(黒に近い)・淡緑色の三色。原品は「未展示」だそうで、劣化していて出せないのかと思ったが、図録の写真を見るとそうでもない。そして、かなり原品の風格そのままの復元であることが分かった。

 だいたい展示室の壁面のケースに沿って見ていったのだが、このあとすぐ「茶の湯と七宝」のセクションが始まる。え?いきなり古代から明代?と戸惑ったが、唐~宋代の七宝はほとんど遺品が残っていないそうだ。元代にイスラム圏の技術が流入し、その刺激によって元~明の華やかな七宝が開花する。図録の解説にいうとおり、技術の流れは一本道ではない。だから文化や技術の「古さ」や「起源」を誇るのは、たいがいにしておいたほうがよいのだ。

 さて、以下は多様な「七宝かざり」が日本各地から大集合! 美術館や博物館だけでなく、寺院や個人蔵の作品も多数出ていた。 有線七宝は文様の色やかたちが単純化されるので、なんとなく童心を感じさせ、愛らしいものが多い。静嘉堂文庫の『花文七宝舟形釣花入』(日本製?)とか彦根城伝来の『荒磯花文七宝水指』とか、素晴らしく可愛い。細見美術館の『唐花文七宝手付四方盆』と京都国立博物館の『唐花七宝手付八角盆』は、どちらも18-19世紀の日本で製作されたものだが、青色をベースにエキゾチックな文様が美しい。東洋の七宝といえば、この少し明るめの青色のイメージだなあ、私は。明清時代には、七宝を用いた孔雀形の香炉が多く作られた(類例に鶏形、鳳凰形も)。個人蔵の作品が多く出ていたけど、これ欲しい。清時代の『七宝孔雀形香炉』は表情がもの思わしげで素敵。

 展示室中央列のケースは「身にまとう」をテーマに、刀の鍔、印籠、簪、鼻煙壺などの小物類が陳列されていた。あと、少ないと思った古代の貴石・ガラス象嵌の例として、帯鉤(たいこう)が出ていた。白鶴美術館所蔵が5件と久保惣記念美術館所蔵が1件。よく各地から集めてきたなあと感心する。

 また、刀の鍔や印籠には、非常に繊細で緻密な七宝を、全面でなくアクセントに用いたものがあった。これらは、安土桃山から江戸時代前期にかけて活躍した七宝師・平田道仁(ひらた どうにん)の作で、一門の作品を「平田七宝」と呼ぶ。透明感のある釉が持ち味である。平田春寛作の『雪華文七宝鍔』の愛らしさは、何を考えているのか謎なくらい。中国製の鼻煙壺にも雪華文ふうの六角文を散らしたものがあった。あと大阪市立美術館には、七宝製の十字架があるのだな。禁教令以前の日本で制作されたとは考えにくく、仮に中国製としたが、位置づけの難しい作品であるとのこと。

 第2展示室は、引手、釘隠などの七宝調度品。細見美術館の所蔵品が多かった。参考として、七宝の制作工程を示す見本が並んでいたのも興味深かった。また、ロビーには龍を描いた巨大な七宝の壺(と思ったら、一対の巨大香炉だった)が展示されていて、写真撮影もできるようになっていた。いい試みだと思う。でもこれ、図録写真を見ると底部の図柄(虎・麒麟・鳳凰も勢ぞろい)がいちばん面白いなあ。明治工芸としての七宝は、最近、ときどき特集されることがあるが、古代から近世まで、しかも中国と日本を俯瞰的に扱った展示を見たのは初めてで、学ぶことが多かった。見に来てよかった!
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鎌倉散歩・永福寺跡を訪ねる

2017-12-02 23:55:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
鎌倉歴史文化交流館 企画展『甦る永福寺-史跡永福寺跡整備記念-』(2017年10月19日~12月9日)

 久しぶりに鎌倉に行って、気になっていた場所を訪ねてきた。ひとつは、今年5月に開館した鎌倉歴史文化交流館である。扇ガ谷1丁目と聞いて、どこだかよく分からなかったが、実際に歩いてみて、やっと分かった。鎌倉駅西口の入り組んだ住宅街の中にある。鎌倉は、隣りの逗子に住んでいたときに、かなり歩き回ったが、ここは一度も来たことがない場所かもしれない。長いアプローチを進むと、白亜の館が徐々に見えてくる。



 館内はかなり自由に写真が撮れる。これは常設展エリアにあった「永福寺(ようふくじ)」の軒丸瓦。



 これは何度か鎌倉国宝館の展示で見た。茄子に見えたり電球に見えたりする、変わった文様なので、よく覚えている。
 


 企画展は、源頼朝が建立した永福寺(ようふくじ)の発掘調査の進展について紹介。文書と出土品から明らかになった建築と庭園の姿を復元CGで分かりやすく提示する。平等院や毛越寺の浄土庭園を思わせるが、堂宇の左右の翼廊が釣殿ふうに池の上に張り出していたり、中央の釈迦堂(二階堂)の正面の池には橋が掛けられていたり、かなりダイナミックなデザインである。金属製の繊細な荘厳具や、小さな仏像の断片(化仏や雲中供養菩薩か?)も出土しているのだな。

 常設展示には「相州伝」の刀剣も出ていた。そして、交流館からまっすぐ東に下ってきてJRの線路を渡ると、刀匠正宗の後裔である正宗工芸美術製作所がある。



 この日は、ついでに永福寺跡も訪ねた。10年ぶりくらいだろうか? 逗子に住んでいた頃は、天園ハイキングコースが好きで、明月院もしくは建長寺から入って、獅子舞か瑞泉寺の横に出て、右手に永福寺跡を眺めながら駅に戻るのが定番だった。当時の永福寺跡は、フェンスに囲われた広い草地で、秋になるとススキが白い穂をそよがせていた。それが、すっかり様変わりした航空写真を『芸術新潮』の運慶特集号で見つけ、半信半疑で見にきたら、本当に見事な「史跡公園」になっていた!



 池が灌漑中だったのは残念。水があるほうが往時の景観を想像しやすく、さらに市民や観光客の憩いの場にもなるだろう(ただ、管理が大変だろうなあ)。※なお、壮麗な大伽藍が蘇る『AR永福寺』というスマートフォンアプリが提供されているそうだ。素敵!(参考:楽しい鎌倉



 あまりに風景が変わり過ぎていて戸惑ったけど、外側の道には既視感があった。



鎌倉国宝館 特別展『鎌倉公方 足利基氏-新たなる東国の王とゆかりの寺社-』(2017年10月21日~12月3日)

 国宝館にも立ち寄り。文書中心の地味な展示であるが、最近、『観応の擾乱』を読んだので、足利尊氏、直義に親近感が感じられた。常盤山文庫所蔵の『足利尊氏願文』は、尊氏が後生の安穏を願うとともに、今生の果報を弟直義に与えてほしいと祈願したもので、尊氏が直義に政務の実権を移譲しようとした心情を伝える自筆文書として有名なもの。しかし、その願いの結末を知った上で眺めると、感慨深い。
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