〇出光美術館 『水墨の風-長谷川等伯と雪舟』(2017年6月10日~7月17日)
始まってすぐ前期のうちに見に行ったので、展示品が少し入れ替わっているのだが、感想を書いておく。いい展覧会だった。「水墨」という、中国を発祥とする斬新な絵画表現は、日本に伝播し、室町時代を経て独自の表現美を獲得することとなった。本展は「風(かぜ、ふう)」をキーワードに、この東洋独自の絵画表現である水墨画の魅力に迫る。
はじめに雪舟が学んだ中国の水墨画の名品から『破墨山水図』への道をたどる。玉澗の『山市晴嵐図』は面白くて大好き。偶然の染みのような墨の濃淡の間に、小さな人の姿や屋根を描き入れることで山水図が見えてしまう。雪村の『布袋・山水図』(所蔵者表記なし)は、大きな袋の上で愛嬌のある布袋さんが団扇をふるう中幅。左右は玉澗作品と同様、抽象画ギリギリみたいな山水図である。そして雪舟の大胆不敵な『破墨山水図』。
謹厳な線の中国絵画もいろいろ。『牛車渡渉図』(南宋)はあまり記憶になかったもの。牛車をとりまく人々の描写が緻密で面白い。現品が暗いので図版のほうが見やすい。戴進の『夏景山水図』や王諤の『雪嶺風高図』もいいなあ。ともに明代(浙派)。大胆な黒い墨のかたまり、力強い岩肌の表現などは、なるほど雪舟に受け継がれている。
次は等伯の章と思ったら、最初の展示作品は能阿弥の『四季花鳥図屏風』だった。え?どういうこと?と思って解説を読む。等伯の養祖父の無文は、むかし七条道場(金光寺)に「能(能阿弥)ガ鳴鶴」の襖絵があり、足利義政が大いに称賛したと等伯に語った記録がある。能阿弥は中国絵画に造詣が深く、『四季花鳥図屏風』も牧谿画からの画像の転用で成り立っている。したがって「鳴鶴」図も、おそらく牧谿様の作品と思われる。そして登場する『竹鶴図屏風』は、もと襖絵であり、七条道場の「鳴鶴」図襖をイメージして制作されたのではないかという。純粋に作品を鑑賞するのもいいけど、こういう推理も面白くて大好き。
さらに室町から近世へ。一之という作者の観音図(室町時代)は、巧くないのに印象に残る。狩野尚信の『酔舞・猿曳図屏風』は、とんがり帽子の猿曳きの姿に見覚えがあった。筑波大学が所蔵する狩野探幽筆『野外奏楽・猿曳図』屏風と、子ザルのポーズまでそっくりなのである。まあ探幽と尚信は兄弟だし、何か種本があるのだろうか。浦上玉堂、池大雅、岸駒・呉春など、それぞれにいいなあと思った。
驚いて足が止まったのは、岩佐又兵衛筆『瀟湘八景図巻』が出ていたこと。冒頭から、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、洞庭秋月、江天暮雪、山市晴嵐の5つの場面が開いていて、ゆっくり独り占めして眺めることができた。賛を記した陳元贇(げんぴん、1587-1671)は、明末の混乱を避けて来日し、名古屋で没したことが分かっている。そして陳の記した漢詩は、白話小説『二刻拍案驚奇』(1632年刊、中国文学史で習った記憶あり)中の記述を典拠とするのだそうだ。すごい! そんなことまで分かっているのか。これ、美術史の知識だけでは読み解けないよなあ。異分野の英知を集めるって大事だ。最後に、展示図録のつくりがおしゃれで、軽めにできていて嬉しかった。
始まってすぐ前期のうちに見に行ったので、展示品が少し入れ替わっているのだが、感想を書いておく。いい展覧会だった。「水墨」という、中国を発祥とする斬新な絵画表現は、日本に伝播し、室町時代を経て独自の表現美を獲得することとなった。本展は「風(かぜ、ふう)」をキーワードに、この東洋独自の絵画表現である水墨画の魅力に迫る。
はじめに雪舟が学んだ中国の水墨画の名品から『破墨山水図』への道をたどる。玉澗の『山市晴嵐図』は面白くて大好き。偶然の染みのような墨の濃淡の間に、小さな人の姿や屋根を描き入れることで山水図が見えてしまう。雪村の『布袋・山水図』(所蔵者表記なし)は、大きな袋の上で愛嬌のある布袋さんが団扇をふるう中幅。左右は玉澗作品と同様、抽象画ギリギリみたいな山水図である。そして雪舟の大胆不敵な『破墨山水図』。
謹厳な線の中国絵画もいろいろ。『牛車渡渉図』(南宋)はあまり記憶になかったもの。牛車をとりまく人々の描写が緻密で面白い。現品が暗いので図版のほうが見やすい。戴進の『夏景山水図』や王諤の『雪嶺風高図』もいいなあ。ともに明代(浙派)。大胆な黒い墨のかたまり、力強い岩肌の表現などは、なるほど雪舟に受け継がれている。
次は等伯の章と思ったら、最初の展示作品は能阿弥の『四季花鳥図屏風』だった。え?どういうこと?と思って解説を読む。等伯の養祖父の無文は、むかし七条道場(金光寺)に「能(能阿弥)ガ鳴鶴」の襖絵があり、足利義政が大いに称賛したと等伯に語った記録がある。能阿弥は中国絵画に造詣が深く、『四季花鳥図屏風』も牧谿画からの画像の転用で成り立っている。したがって「鳴鶴」図も、おそらく牧谿様の作品と思われる。そして登場する『竹鶴図屏風』は、もと襖絵であり、七条道場の「鳴鶴」図襖をイメージして制作されたのではないかという。純粋に作品を鑑賞するのもいいけど、こういう推理も面白くて大好き。
さらに室町から近世へ。一之という作者の観音図(室町時代)は、巧くないのに印象に残る。狩野尚信の『酔舞・猿曳図屏風』は、とんがり帽子の猿曳きの姿に見覚えがあった。筑波大学が所蔵する狩野探幽筆『野外奏楽・猿曳図』屏風と、子ザルのポーズまでそっくりなのである。まあ探幽と尚信は兄弟だし、何か種本があるのだろうか。浦上玉堂、池大雅、岸駒・呉春など、それぞれにいいなあと思った。
驚いて足が止まったのは、岩佐又兵衛筆『瀟湘八景図巻』が出ていたこと。冒頭から、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、洞庭秋月、江天暮雪、山市晴嵐の5つの場面が開いていて、ゆっくり独り占めして眺めることができた。賛を記した陳元贇(げんぴん、1587-1671)は、明末の混乱を避けて来日し、名古屋で没したことが分かっている。そして陳の記した漢詩は、白話小説『二刻拍案驚奇』(1632年刊、中国文学史で習った記憶あり)中の記述を典拠とするのだそうだ。すごい! そんなことまで分かっているのか。これ、美術史の知識だけでは読み解けないよなあ。異分野の英知を集めるって大事だ。最後に、展示図録のつくりがおしゃれで、軽めにできていて嬉しかった。