goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
【はてなブログサービスへ移行準備中】

未来が複数形だった頃/グローバル化の遠近法(姜尚中、吉見俊哉)

2013-12-26 00:39:29 | 読んだもの(書籍)
○姜尚中、吉見俊哉『グローバル化の遠近法:新しい公共空間を求めて』(岩波人文書セレクション) 岩波書店 2013.10

 おや、姜先生と吉見先生が新しい本を出されたのか、と思った。奥付には「2013年10月」発行とあるし、その隣りの吉見俊哉氏のあとがきにも「2013年9月」とある。以前にも似たようなタイトルの共著を出されたことがある筈だから、その続編と思って読めばいいのかな、と思った。

 ところが、読み始めたら、どうもおかしい。正確にいうと、最初の1章は、全く違和感なく読んでしまった。「政治経済」「文化政治」という二つの局面から「グローバル化」を捉えた問題意識は明晰で、ゆらぎや衒いがなく、水が浸みとおるように気持ちよく頭に入ってくる。だが、注意してみると、具体的な参照事例が「インターネット」「石原都政」「ハンチントン」など90年代末のキーワードで止まっている。それより新しい現象が全く出てこない。

 え?これは、と思って、巻末をめくってみたら「岩波人文書セレクションに寄せて」という二人の著者の短文の前に「2001年2月」付けの共著の「あとがき」があるのを発見し、本書の内容が雑誌『世界』に1999年から2000年にかけて連載されたものであることを確認した。なんだー。2001年、岩波書店刊行の旧著かよーと思って、一瞬、がっかりした。

 しかし、1章が面白かったので、そのまま読み進んだ。あらゆる面の変化が加速し、昨日の規範(スタンダード)が今日は打ち棄てられるような現代なのに、12年前の本が、なぜ今でも感銘を与えるのか。ひとつは、本書が、ある程度の「歴史の幅」を視野に入れて、目の前の現象を見ているからだと思う。大きくは、第一次大戦後に誕生し、冷戦期に完成する「20世紀システム」の視点。現在、われわれが目撃しつつあるグローバル化と「ナショナリズムの逆流」は、決して冷戦の終わりとともに突如として浮上してきたものではなく、両大戦の戦間期までさかのぼる、と本書はいう。特に、消費文化の広がり、階級やジェンダー、エスニシティのハイブリッドな状況について、そう言える。

 日本について考えるときは、1979年が重要になる。当時の大平政権は、戦後体制に幕を引き、「ポスト戦後」の国家思想を、官民協同ブレーンによる9つの『報告書』に残した。80年代以降の「改革」「変革」ラッシュは、この『報告書』に基づくものだという。ううむ、そうだったのか…。たとえば、今日の福祉政策の矮小化=政府の「公的扶助」は、民間の相互扶助に対して補助的役割を負うにすぎないという「日本型福祉社会」も、この『報告書』に示されたヴィジョンである。

 80年代の中曽根政権が牽引した「国際化されたナショナリズム」(日本文化とその国民性は世界に向けて発信されなければならないという、アクティブなナショナリズム)も同様である。その末流に石原慎太郎の東京都政が誕生する。

 本書は、「国際化/国粋化」の同時進行に危惧の念を示しながら、一方で「グローバル化」がもたらすかもしれない、新しい公共空間を、希望を込めて描き出してもいる。「反基地」「反開発」を掲げる沖縄のボーダーレスなネットワークを象徴として。

 21世紀初めの「グローバル化」には、天国にも地獄にも通じる、両義的な可能性がまだ残っていた。今の閉塞した状況を見ると、私たちは、どこかで最悪の選択をしてしまったのだろうか。2013年9月付けのあとがきで、姜尚中氏は、同様のことを語りながら「それでも、世界はひとつではなく、それだけが現実でないことを知ってもらうために、本書は今でも一読の価値があると信じている」と結んでいる。

 かつて、私が子供だった頃、「世界はひとつ」というのは、明るい未来を信じる合言葉だった。グローバル化の進行が人々を追いつめる現在、「世界はひとつではない」ことに希望を託さなければならないのが、なんとも皮肉である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 弘前・プチ旅行(買ったもの... | トップ | 愛すべき出版人/岩波茂雄(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読んだもの(書籍)」カテゴリの最新記事