見もの・読みもの日記

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魅惑と破壊の「鉄の馬」/トラクターの世界史(藤原辰史)

2017-10-24 00:47:31 | 読んだもの(書籍)
〇藤原辰史『トラクターの世界史:人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中公新書) 中央公論新社 2017.9

 はあ?トラクター?と思いながら、おそるおそる読んでみたらとても面白かった。情報豊富で、歴史の新しい視点を手に入れたような気がする。私は完全な都会育ちなので、トラクターが実際に働いているところを見たことがほとんどない。「トラクト」とは「物を牽引する」ことだ。牛や馬に代わって、犂(すき)をはじめ、さまざまな農具を牽引するものとしてトラクターは開発された。

 19世紀半ばにはイギリスで蒸気機関を用いた自走式トラクターが発明されたが、安全性に問題があり、普及には至らなかった。19世紀末、アメリカで内燃機関で動くトラクターが生まれ、20世紀初頭に実用化され、いくつかの段階を踏んで、飛躍的に普及していく。トラクターの大量生産に成功したのは「自動車王」ヘンリー・フォードだったが、フォード社は農機具メーカーでないため、別メーカーの作業機を連結しなければならず、事故が多かった。これに対し、農機具メーカーであるIH社は機能性と安定性を高めて攻勢をかける。一方、フォード社は、作業機との連結部を安定させる「三点リンク」構造を開発し、盛り返す。こういう地味な技術革新が、企業間の競争と素朴にリンクしている時代の歴史は面白い。

 そしてトラクターは世界各地へ広がっていく。まずソ連。資本主義社会アメリカで誕生し、進化したトラクターは、社会主義ソ連において農業集団化のシンボルとなる。著者は、多くの映画や小説を参照して、人々にとって「トラクターとは何だったか」の解明を試みている。ロシアの農民たちが、農業の性急な集団化に戸惑いと反感を持ち、トラクターを「反キリストが乗って来る鉄の馬」と見なしていたというのは、非常に興味深い。さらにドイツ、イギリス。

 20世紀後半、アメリカではトラクター保有台数がピークに達し、その生産は停滞していく。一方、ソ連、ポーランド、東ドイツ、ヴェトナムなど東側諸国では浸透が進む。ソ連製のトラクターは、アジアやアフリカの社会主義国に輸出され、農業集団化と農業の社会主義化の先導役を務めていく。

 中国では、早くは清の末期に外国製トラクターを導入した記録があるが、新中国になって国産トラクターが登場する。ちなみに私は、1980年頃、大学生協主催の中国ツアーで洛陽のトラクター工場の見学に連れていかれたことがある。つまらない経験だと思っていたが、本書を読みながら、20世紀の歴史に触れる貴重な経験だったとしみじみ得心した。

 イタリア、ガーナ、イラン。最後に満を侍して、日本のトラクター史が語られる。日本は、20世紀前半はトラクター後進国であったが、20世紀後半にはトラクター先進国へと劇的な変貌を遂げる。最初期の導入事例は岩手の小岩井農場、北海道斜里町の三井農場、札幌の谷口農場などだ。なるほど、当時は先進的な私営の大規模農場が各地にあったのだな(今もあるのかもしれないがよく知らない)。国産トラクターの先鞭をつけたのは小松製作所である。トラクターは満州国へ人々をひきつけるプロパガンダとしても利用されたが、乗用型トラクターの普及は進まなかった。一方、岡山の藤井康弘、島根の米原清男は、農作業の経験を活かし、苦難の末に日本の農業に適した歩行型トラクターを開発した。

 戦後は国産乗用型トラクターの開発も進む。クボタ、ヤンマー、イセキ、三菱農機。本物のトラクターを知らない都会っ子の私も、テレビで「ヤン坊マー坊天気予報」「燃える男の赤いトラクター」になじんで育った世代である。

 ここには詳しいことは書かなかったが、トラクターは自動車と相似形と言ってもいいくらい、20世紀の人々の夢と憧れを掻き立てた。アメリカの著名な野球選手やロックスターがトラクターのコレクターであるというのも初めて知った。アメリカでもソ連・中国でも、トラクターが女性の社会進出を演出する道具であったことも興味深い。一方で、農業の機械化、特に慣れ親しんだ役畜を手放すことへの強い反発があったこと、けれども時にはトラクター自体が、家畜と同様の親愛の視線で見られていることなど、複雑で多層的な「トラクターの世界史」が描き出されている。

 ただ、解決されていない問題として、「トラクターと化学肥料のパッケージ」の普及による砂漠化(ダストボウル=砂塵の器化)が、アメリカはじめ各地で起きていることは記しておこう。土壌は繊細なバランスの上に保たれている生命空間であり、一見、単純素朴に見えるトラクターという機械も十分に反自然的なのである。

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