○玉木俊明『ヨーロッパ覇権史』(ちくま新書) 筑摩書房 2015.10
著者に寄れば、ヨーロッパ中心主義は19世紀に生まれた。今日の世界はアメリカの影響力が強いと思われているが、アメリカはヨーロッパから派生した地域と考えられる。したがって、われわれは今なお「ヨーロッパ化」が進行する世界に生きている。本書は、古典古代のヨーロッパからルネサンスをざっと概観したのち、16世紀後半の「軍事革命」から近代国家の成立、ヨーロッパの対外拡張を主に経済史の観点から扱ったものである。
軍事革命とは、火器の導入により大幅に戦術が変わり、軍隊の大規模化・近代化が行われたことを言う。ヨーロッパの火器は、まず「新世界の征服」に絶大な貢献をした。そして、火器を効率的に使用するための身体動作が編み出され、軍隊の規律が重視されるようになった。このことは、日本の例(長篠の合戦、あるいは鳥羽伏見の戦い)を考えても納得がいく。戦争を効率的に遂行しようという努力は、ヨーロッパが合理的な社会になってゆくことに貢献した。さらに「人権」という思想も「人間がしばしば戦争で殺されるからこそ、一人一人の権利を守るべきだという意識」から生まれたと著者は説く。うーん、軍事技術がそこまでの社会変化をもたらすものか迷う一方で、あるかもしれないなあ、とも思う。
重要なことは、軍事革命によって戦争が巨大化すると、国家の財政規模が膨らみ、財務・経済システムの刷新を促した。これによって、15世紀末から16世紀初頭にかけて「近代世界システム」が成立する。これは、工業国(ヨーロッパ)が原材料供給国を支配・収奪することによって、持続的な経済成長を実現するシステムである。17世紀に最初の「ヘゲモニー(覇権)国家」となったのはオランダだった。オランダは貿易によって繁栄したといわれるが、正確には、海運業によって繁栄を謳歌した。自国の生産物を外国に輸出して儲けたのではなく、「商品を運搬すること」によって利益を上げたのである。なるほど。日本とオランダの貿易も、別にオランダ商品ばかりがもたらされたのではなく、中国や東南アジアの物産が運ばれてきていたことを思い出す。オランダは地方分権制を基本とし、さらにオランダの商人たちは、他国に散らばることで、商業情報を各地に伝え、均質的な商業世界をヨーロッパ全域に広げた。
オランダに先立って、ヨーロッパの外に乗り出した国にポルトガルとスペインがあった。彼らが目指したのは大西洋貿易と南北アメリカ大陸の植民地獲得であり、オランダ、フランス、イギリスもこれに続いた。そして、史上最大の帝国となったのは、18世紀のイギリスである。著者はその背景に、財政金融システムの中央集権化、綿業の発展、海運業の発展をあげる。オランダ商人はさまざまなノウハウをもって移動しながら、それを自国の富の形成に活かさなかった。一方、イギリス商人は現地に同化せず、イギリスに富を持ち帰った。この差は面白い。しろうとの直感では、オランダ商人の行動のほうが「ヨーロッパ的」に感じられる。
19世紀になると、ヨーロッパは本格的にアジアに進出する。ここで著者は、ウォーラースティンの近代世界システム論もマルクス経済学者も「輸送(商品連鎖)コスト」を問題にしていないことを指摘する。どんなに素晴らしい商品を製造したところで、販売できなければ企業は倒産する。少なくとも近世においては、輸送手段を握っている地域は、それを握られている地域を従属させることができた。これも面白い指摘である。19世紀には、アジア~ヨーロッパ間の航海日数は短縮され(中間での地域商人の活動は締め出され)、そのほとんどをイギリス商人が担うようになって、イギリス海洋帝国の支配が完了する。最後に、今日の世界は近代世界システムの終焉(非ヨーロッパ化)に向かっているが、新しい姿はまだ見えないと結ばれている。
経済の観点からヨーロッパ史を見るというのは、知らないことが多くて面白かった。税制とかね~。イギリスには17世紀から消費税(間接税)があったのか。しかし生活必需品は無税だったので、貧民の負担は軽く、社会の安定化につながった、という記述を読むと、日本の「近代化」にはまだまだ時間がかかるのかなあ、と慨嘆する。国によって政策や文化の違いがあるのも面白い。覇権を握った国の政策が正解、あるいは勝者というのは皮相な見方で、多様性の存在こそがヨーロッパなのだと思う。
著者に寄れば、ヨーロッパ中心主義は19世紀に生まれた。今日の世界はアメリカの影響力が強いと思われているが、アメリカはヨーロッパから派生した地域と考えられる。したがって、われわれは今なお「ヨーロッパ化」が進行する世界に生きている。本書は、古典古代のヨーロッパからルネサンスをざっと概観したのち、16世紀後半の「軍事革命」から近代国家の成立、ヨーロッパの対外拡張を主に経済史の観点から扱ったものである。
軍事革命とは、火器の導入により大幅に戦術が変わり、軍隊の大規模化・近代化が行われたことを言う。ヨーロッパの火器は、まず「新世界の征服」に絶大な貢献をした。そして、火器を効率的に使用するための身体動作が編み出され、軍隊の規律が重視されるようになった。このことは、日本の例(長篠の合戦、あるいは鳥羽伏見の戦い)を考えても納得がいく。戦争を効率的に遂行しようという努力は、ヨーロッパが合理的な社会になってゆくことに貢献した。さらに「人権」という思想も「人間がしばしば戦争で殺されるからこそ、一人一人の権利を守るべきだという意識」から生まれたと著者は説く。うーん、軍事技術がそこまでの社会変化をもたらすものか迷う一方で、あるかもしれないなあ、とも思う。
重要なことは、軍事革命によって戦争が巨大化すると、国家の財政規模が膨らみ、財務・経済システムの刷新を促した。これによって、15世紀末から16世紀初頭にかけて「近代世界システム」が成立する。これは、工業国(ヨーロッパ)が原材料供給国を支配・収奪することによって、持続的な経済成長を実現するシステムである。17世紀に最初の「ヘゲモニー(覇権)国家」となったのはオランダだった。オランダは貿易によって繁栄したといわれるが、正確には、海運業によって繁栄を謳歌した。自国の生産物を外国に輸出して儲けたのではなく、「商品を運搬すること」によって利益を上げたのである。なるほど。日本とオランダの貿易も、別にオランダ商品ばかりがもたらされたのではなく、中国や東南アジアの物産が運ばれてきていたことを思い出す。オランダは地方分権制を基本とし、さらにオランダの商人たちは、他国に散らばることで、商業情報を各地に伝え、均質的な商業世界をヨーロッパ全域に広げた。
オランダに先立って、ヨーロッパの外に乗り出した国にポルトガルとスペインがあった。彼らが目指したのは大西洋貿易と南北アメリカ大陸の植民地獲得であり、オランダ、フランス、イギリスもこれに続いた。そして、史上最大の帝国となったのは、18世紀のイギリスである。著者はその背景に、財政金融システムの中央集権化、綿業の発展、海運業の発展をあげる。オランダ商人はさまざまなノウハウをもって移動しながら、それを自国の富の形成に活かさなかった。一方、イギリス商人は現地に同化せず、イギリスに富を持ち帰った。この差は面白い。しろうとの直感では、オランダ商人の行動のほうが「ヨーロッパ的」に感じられる。
19世紀になると、ヨーロッパは本格的にアジアに進出する。ここで著者は、ウォーラースティンの近代世界システム論もマルクス経済学者も「輸送(商品連鎖)コスト」を問題にしていないことを指摘する。どんなに素晴らしい商品を製造したところで、販売できなければ企業は倒産する。少なくとも近世においては、輸送手段を握っている地域は、それを握られている地域を従属させることができた。これも面白い指摘である。19世紀には、アジア~ヨーロッパ間の航海日数は短縮され(中間での地域商人の活動は締め出され)、そのほとんどをイギリス商人が担うようになって、イギリス海洋帝国の支配が完了する。最後に、今日の世界は近代世界システムの終焉(非ヨーロッパ化)に向かっているが、新しい姿はまだ見えないと結ばれている。
経済の観点からヨーロッパ史を見るというのは、知らないことが多くて面白かった。税制とかね~。イギリスには17世紀から消費税(間接税)があったのか。しかし生活必需品は無税だったので、貧民の負担は軽く、社会の安定化につながった、という記述を読むと、日本の「近代化」にはまだまだ時間がかかるのかなあ、と慨嘆する。国によって政策や文化の違いがあるのも面白い。覇権を握った国の政策が正解、あるいは勝者というのは皮相な見方で、多様性の存在こそがヨーロッパなのだと思う。