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見もの・読みもの日記

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明治の文士たち/思い出す人々(内田魯庵)

2008-07-28 23:59:09 | 読んだもの(書籍)
○内田魯庵『思い出す人々』(岩波文庫) 岩波書店 1994.2

 内田魯庵の文章は、品があって、博識で、江戸っ子らしくさばさばしていて、私の性に合う。けれども、もっと読みたいのに、なかなか手頃な本がない。と思っていたら、「2008年夏 岩波文庫/一括重版」というオビつきで、平積みになっていた本書を見つけた。

 本書は、大正5年(1916)刊行の『きのふけふ』を、大正14年(1925)に再編集・改題して刊行したもので、昭和4年(1929)に死去した魯庵の「最後の大仕事」だった。その内容は、著者と親交のあった人々(いずれも著者より先に死んでしまった)を回想によって描いた人物スケッチ集である。硯友社同人をはじめ、鴎外、漱石など文学者が多いが、政治家の島田沼南、アナーキストの大杉栄(著者の近所に住んでいた)など意外な人物も登場する。どの人物も、小説以上に(?!)生き生きと自由に動き回っていて、読み物として面白い。紅野敏郎氏の「リテラリ・ポートレイト」というのは、巧い表現である。

 冒頭の二葉亭四迷については、筑摩書房の『明治の文学』と重なるので略すと、まず印象的なのは、言文一致体の先駆者として知られる山田美妙。著者は、美妙の早熟と多才を賞賛しつつも、「一事の完成に全力を注がなかった」側面を断罪する。その結果、一時はもてはやされた新文体も、やがて世間に飽きられてしまった。臨終の枕頭に残された「黴の生えたシュークリーム」は、千万言よりも雄弁に、落魄の境涯を物語る。「こういう悲惨な運命を速(まね)いたのは畢竟美妙自身の罪であったが(略)日本の新文体の創始者に対して天才の一失を寛容しなかった社会は実に残忍である」という著者の結びは、作家・美妙と世間に対して、等分に批判的である。

 一方、印象が大きく好転したのは、尾崎紅葉。『金色夜叉』『二人比丘尼色懺悔』『多情多恨』など作品のイメージから、脂ぎった中年のオジサンをイメージしていたのだが、本書に描かれた紅葉は、若々しく、さばけた勉強家である(紅葉って35歳で亡くなっているのか!)。 胃癌を病み、余命三ヶ月と診断された紅葉が、丸善にあらわれて、著者(丸善の顧問だった)に「『ブリタニカ』を予約に来たんだが、品物がないっていうから『センチェリー』にした」と告げる場面がある。欲しいと思うものは頭のハッキリしているうちに見ておきたい、そうでないと「字引に執念が残ってお化けに出るなんぞは男が廃らァナ!」と笑う。死期の迫るのを知ってなお大辞典を買おうという知識欲、あるいは作家としての向上心。紅葉は「決してただの才人ではなかった」と著者は結ぶ。

 もうひとつ、書き留めておきたいのは、伊井公侯(伊藤博文公爵・井上馨侯爵)が主導した、明治の欧化政策に対する批評。「欧化熱と山田美妙」の冒頭は、鹿鳴館時代の欧化熱の滑稽を、余すところなく愉快に描いている。けれども、著者は、「上滑りの文明開化」をわけ知りに冷笑したりしない。欧化の大洪水があってこそ、不毛の瘠せ土に文明の苗木が成長することができたのだ。欧化熱の喜劇は「極めて尊い滑稽であった」という。この「尊い滑稽」という言葉、明治という時代を考えるうえで、的確な表現ではないかと、しみじみ思った。

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