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「忠」は「恋」の気分/武士道とエロス(氏家幹人)

2008-04-22 21:58:53 | 読んだもの(書籍)
○氏家幹人『武士道とエロス』(講談社現代新書) 講談社 1995.2

 「忠」という感情は「恋」の気分と不可分だった。うまいことを言うものだ。戦国時代、男どうしの同性愛は、ありふれた習俗だった。例に挙げられているのは、宣教師フロイスの記録、武田信玄の誓文、越中神保氏が美童を送り込んで上杉謙信の暗殺を狙った話、蘆名盛隆と佐竹義重の”敵対する主将どうしの恋”(!)など。

 徳川の平和が到来すると、戦国の気風は急速に色褪せ、18世紀半ば(享保~元文)を境に男色は社会の表舞台から消えていく。文政期(19世紀初頭)、柳亭種彦は、若衆木偶(わかしゅにんぎょう=美少年フィギュア!)という骨董人形について、こういう人形は、かつては大人の愛玩物だった、と解説しているそうだ。

 明治初年、下火になっていた少年愛習俗が再加熱する。稲垣足穂は、この原因を、東京に集まった「旧藩の青年ら」がもたらしたものとと推察している。江戸中期以降も、一部の地域、たとえば尚武の気風を重んじた薩摩藩では、男色文化が保たれていたのだ。明治の実例として、里見と志賀直哉のプラトニックラブ(二人とも美少年だったらしい)をはじめ、森鴎外、徳富蘆花、大杉栄、和辻哲郎、久米正雄などの見聞と体験が示されている。けれども、大正年間には、男色熱は再び過去のものとなっていた。面白いなあ、この、繰り返す流行と衰退。

 本書で最も興味深いのは、徳川三百年の平和と繁栄の中で、男色が女色に変わられていく文化的意味を考察した段である。江戸人の証言によれば、元禄(17世紀末)以前は、20代後半になっても少年のように前髪を蓄えた大若衆(おおわかしゅ)が多かったが、文化年間(19世紀初)になると、できるだけ早く元服させて藩から扶持をいただこうとして、14歳前後で前髪を剃るようになってしまったという。美意識より経済、ということか。

 ちなみに、江戸の初めまでは、武士は30過ぎまで妻を娶らなかったそうだ(熊沢蕃山の証言)。男色が禁止されるようになると、親たちは、15、6歳の若者にも妾をあてがって、他人の妻女との間違いを防ごうとしたとか。これを読むと「むかしは成人が早かった」なんていうのは、事実の一面しか見ていないんだなあと思う。

 一方で、江戸時代には、男らしさの象徴であるヒゲも忌避された。「過剰な武闘性」と「両性具有的な美しさ」を二つながら剥奪された男性は、ひたすら地味に「灰色化」していく。人間行動学者のアイベスフェルトは、この傾向が、近代化に向かうすべての文明に共通して見られることを指摘している。また、心理学者の渡辺恒夫氏は、近代化とは「かつて両性に属していた《美》という性質が、女性へと《専門化》してゆく過程である」と説いているそうだ。しかし、私は、現代の多くの女性もまた、男性的近代化=「灰色化」の道を選んでいるように思う。

 灰色化に抗して《美》と《エロス》を身にまとうこと。それは、近代以前の社会では、女性的でも男性的でもなく、人間的な行為だったのではないか、と本書を読んで思った。その実践された姿は、本文を飾る多数の挿絵、とりわけ出光美術館が所蔵する華麗な風俗図屏風の数々に見ることができて、興味深い。

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