○世田谷美術館 開館20周年記念企画展『ルソーの見た夢、ルソーに見る夢~アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち』
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
私もむかしは普通の美術ファンで、「泰西名画」の展覧会には欠かさず通っていた。15世紀の初期ルネサンスから20世紀の抽象画まで、西洋絵画は、常に私の親しい友だった。ところが、30歳を過ぎた頃から、東洋美術というフロンティアにのめり込み、西洋美術に足を向ける機会は、すっかり減ってしまった。2年半に渡るこのブログでも、西洋美術に関する記事は、ほとんどないはずである。
そんな私の関心を久しぶりに掻き立てたのが、このアンリ・ルソー展である。もっとも、ルソーは「西洋絵画」の王道を歩んだ画家ではない。40歳で画家になった彼は、批評家や画壇から無視され侮辱され、絵具代にも事欠く困窮のうちに没した。しかし、私はルソーの絵が好きだ。カラリと晴れた青空のような無邪気さ、明るい静謐ににじむ抒情は、神のわざにも似ている。
最初の部屋に入って、ルソーの作品に対したとき、ああ、やっぱり、亜欧堂田善に似ている、と思った。幕末の銅版画家・田善も、47歳のとき、画家として異様に遅いスタートを切り、見よう見真似で洋風画を描いた。周りの評価を気にせず、ただ色彩と戯れ、描くことに喜びを見出すような純真さが、似ているのかも知れない。それにしても、ルソーの作品は、「西洋」の王道を拒否して、その結果、どこか「東洋」に近接しているところがあると思う。たとえば『サン=ニコラ河岸から見たサン=ルイ島』の冴えた白い月、『牛のいる風景』の大きな賢者のような牛に、私は禅画の趣きを感じてしまう。
実はこの展覧会、ルソー当人の作品は、23点しか出ていない。そのあとに続くのは、まず、同じ「素朴派(パントル・ナイーフ)」と呼ばれた画家たちの作品である。知らない画家ばかりだったが、興味深かった。いちばん気に入ったのはカミーユ・ボンボアである。肉付きのいい太ももを惜しげもなくさらした、健康的な女性たちをユーモラスに描いた。その一方、公園や街路樹を描いた風景画には、抒情豊かな生命力があふれている。
後半は「日本人作家たちとルソー」と題して、ルソーの影響を受けた画家たちを特集する。藤田嗣治、岡鹿之助、小出楢重、松本竣介、ルソーを「我が師父」と呼んだ川上澄生など、さまざまな作品が並ぶ。中でも、岡鹿之助は「ルソーおよび素朴派を日本に紹介するに最も功績のあった画家であり、生涯ルソーに愛着を持ちつづけ」たという。確かに、岡の作品は、構図や色彩だけでなくて、ルソーの「本質」に学ぼうとしているように思える。
私は、2004年、神奈川県立近代美術館・葉山館の『近代日本絵画に見る「自然と人生」』で、岡の『雪の発電所』という作品に出会った。タイトルどおり”雪の発電所”を描いた、何の変哲もない作品なのに、なぜか惹かれてならなかった。今年の春、ブリジストン美術館で、再びこの作品にめぐり会ったときも、とても懐かしく嬉しかった。ルソーの面影をだぶらせてみると、私が岡の作品に惹かれる理由が分かる気がする。
ルソーの影響は、洋画だけに留まらない。日本画、写真、そして現代アートにも、さまざまなかたちのルソーへのオマージュを見ることができる。吉岡堅ニの『奈良の鹿』は、「ルソー風を華麗な大和絵にくるんだ」と評されているそうだ。残念ながら、この作品は11/21以降、展示(売店の図録と絵葉書で確認することはできる)。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
私もむかしは普通の美術ファンで、「泰西名画」の展覧会には欠かさず通っていた。15世紀の初期ルネサンスから20世紀の抽象画まで、西洋絵画は、常に私の親しい友だった。ところが、30歳を過ぎた頃から、東洋美術というフロンティアにのめり込み、西洋美術に足を向ける機会は、すっかり減ってしまった。2年半に渡るこのブログでも、西洋美術に関する記事は、ほとんどないはずである。
そんな私の関心を久しぶりに掻き立てたのが、このアンリ・ルソー展である。もっとも、ルソーは「西洋絵画」の王道を歩んだ画家ではない。40歳で画家になった彼は、批評家や画壇から無視され侮辱され、絵具代にも事欠く困窮のうちに没した。しかし、私はルソーの絵が好きだ。カラリと晴れた青空のような無邪気さ、明るい静謐ににじむ抒情は、神のわざにも似ている。
最初の部屋に入って、ルソーの作品に対したとき、ああ、やっぱり、亜欧堂田善に似ている、と思った。幕末の銅版画家・田善も、47歳のとき、画家として異様に遅いスタートを切り、見よう見真似で洋風画を描いた。周りの評価を気にせず、ただ色彩と戯れ、描くことに喜びを見出すような純真さが、似ているのかも知れない。それにしても、ルソーの作品は、「西洋」の王道を拒否して、その結果、どこか「東洋」に近接しているところがあると思う。たとえば『サン=ニコラ河岸から見たサン=ルイ島』の冴えた白い月、『牛のいる風景』の大きな賢者のような牛に、私は禅画の趣きを感じてしまう。
実はこの展覧会、ルソー当人の作品は、23点しか出ていない。そのあとに続くのは、まず、同じ「素朴派(パントル・ナイーフ)」と呼ばれた画家たちの作品である。知らない画家ばかりだったが、興味深かった。いちばん気に入ったのはカミーユ・ボンボアである。肉付きのいい太ももを惜しげもなくさらした、健康的な女性たちをユーモラスに描いた。その一方、公園や街路樹を描いた風景画には、抒情豊かな生命力があふれている。
後半は「日本人作家たちとルソー」と題して、ルソーの影響を受けた画家たちを特集する。藤田嗣治、岡鹿之助、小出楢重、松本竣介、ルソーを「我が師父」と呼んだ川上澄生など、さまざまな作品が並ぶ。中でも、岡鹿之助は「ルソーおよび素朴派を日本に紹介するに最も功績のあった画家であり、生涯ルソーに愛着を持ちつづけ」たという。確かに、岡の作品は、構図や色彩だけでなくて、ルソーの「本質」に学ぼうとしているように思える。
私は、2004年、神奈川県立近代美術館・葉山館の『近代日本絵画に見る「自然と人生」』で、岡の『雪の発電所』という作品に出会った。タイトルどおり”雪の発電所”を描いた、何の変哲もない作品なのに、なぜか惹かれてならなかった。今年の春、ブリジストン美術館で、再びこの作品にめぐり会ったときも、とても懐かしく嬉しかった。ルソーの面影をだぶらせてみると、私が岡の作品に惹かれる理由が分かる気がする。
ルソーの影響は、洋画だけに留まらない。日本画、写真、そして現代アートにも、さまざまなかたちのルソーへのオマージュを見ることができる。吉岡堅ニの『奈良の鹿』は、「ルソー風を華麗な大和絵にくるんだ」と評されているそうだ。残念ながら、この作品は11/21以降、展示(売店の図録と絵葉書で確認することはできる)。