見もの・読みもの日記

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織田長好の魅力/織田有楽斎(サントリー美術館)

2024-02-06 23:45:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 四百年遠忌特別展『大名茶人 織田有楽斎』(2024年1月31日~3月24日)

 有楽斎(織田長益/おだ ながます、如庵、1547-1622)は織田信秀の子、織田信長の弟として生まれ、武将として活躍し、秀吉、家康にも仕えた。2021年に400年遠忌を迎えた織田有楽斎という人物を、いま一度総合的に捉えることを試みる。私は有楽斎のことは、名前くらいしか知らなかったので、軽い気持ちで見に行ったら、意外とお客さんの姿が多く、みんな地味な古文書を熱心に眺めていたので感心した。

 有楽斎の風貌を伝えるのは、僧形の坐像(江戸時代)。温和だが意志の強そうな四角い顔である。有楽斎が再興したことで知られる正伝院の流れを汲む建仁寺塔頭・正伝永源院に伝わった。同寺院からは、ほかにもたくさん書状や文書、ゆかりの品が出陳されていた。

 茶道具類は、正伝永源院に伝わったものもあれば、別の所有者に渡ったものもある。『唐物文琳茶入 銘:玉垣』(玉垣文琳)は、有楽斎から豊臣秀頼に献上されたことで知られる。大阪夏の陣で破壊されてしまうが、本多正純が焼け跡から破片を拾い集めさせ、9つの茶入を復元させた。このうち『付藻茄子』『松本茄子』は、現在、静嘉堂美術館が所蔵し、『玉垣文琳』は遠山美術館が所蔵している(参考:遠山記念館だより 第50号/PDF)。また『唐物茄子茶入 銘:宗伍茄子』は、有楽斎の孫・三五郎が所蔵していたもので、現在は五島美術館が所蔵している。

 この三五郎(織田長好/おだ ながよし、1617-1651)のことは、有楽斎以上に何も知らなかったが、遺書(丁寧な現代語訳つき)を読んで、その人柄に触れ、とても好きになってしまった。祖父の茶の湯・有楽流を継承し、茶人として名を成したが、妻子のない独り身で35歳で早世した。遺書の中では家来の奉仕に深く感謝し、『遺品分配目録』では、家来とその娘にも金子小判を分配している。『遺品分配目録』の冒頭に挙げられているのが『京極茄子』で「公方様」に割り当てられたが、取消線(?)で消されている。別の文書では、京極茄子が三五郎の借金(金千両)の質となっており、紆余曲折を経て正伝院の什物になったという解説が添えられていた。

 有楽斎ゆかりの茶道具には『青磁輪花茶碗 銘:鎹(かすがい)』(マスプロ美術館)もあった。東博の馬蝗絆に似ているが、やや浅めだという。永青文庫の『呼継茶碗』は、茶色い土の古瀬茶碗の欠けたところに、南京染付の欠片を継いだもの。なんともおしゃれ!

 なお、有楽斎が正伝院に建てた茶室・如庵は、愛知県犬山市の有楽苑に移築されている(京都・正伝永源院にも復元されたものが建っている)。一度も行ったことがないのに、なじみがある気がするのはなぜだろう?と考えたら、三井記念美術館の展示ケース内に如庵の一部が再現されているのだった。Wikiによると、明治から昭和40年代までは三井家が所有しており、一時期は大磯に移築されていたのだそうだ。茶室って、案外、移動できるのだな。

 展示の後半は、正伝永源院の寺宝を紹介。狩野山楽の作品が目立った。16図に及ぶ『蓮鷺図襖』は金地にうっそうと茂る緑の蓮の葉、その間を彩る白蓮と小さな鳥たちの姿が夢のよう。あと室町時代の『蛸足香炉』がとても珍しく、かわいかったのでここにメモしておく。正伝養源院、近いうちに行ってみたい。どちらかというと三五郎長好の足跡を訪ねて。


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