見もの・読みもの日記

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闇に向き合う/日本主義的教養の時代(竹内洋、佐藤卓己)

2006-02-17 23:34:49 | 読んだもの(書籍)
○竹内洋、佐藤卓己編『日本主義的教養の時代:大学批判の古層』(パルマケイア叢書21) 柏書房 2006.2

 2004年の『言論統制』(中公新書)、2005年の『八月十五日の神話』(ちくま新書)と、活躍の続く佐藤卓己さんの新刊である。メディア史の専門家という認識だったので、”大学批判”というのは、ちょっとこれまでの著作とは異質かもしれないなあ、と思いながら手に取った。すると、意外な名前が目に飛び込んできた。

 ――蓑田胸喜(みのだむねき)。昭和前期、美濃部達吉の天皇機関説の糾弾者として悪名高い日本主義者である。私が、この奇矯な名前に出会ったのは、昨年12月に発売された立花隆の『天皇と東大』(文藝春秋社)でのことだ。立花の本は、2006年2月の現在も、新刊書の棚に平積みになっているのを見かける。そこそこ売れ続けているだろう。しかし、私は立花の本にあまり感心しなかった。直後の読後感に書いたように、問答無用で国家主義者を悪と決めつける態度に、なんとなく受け入れ難いものを感じたのだ。その最たるものが、蓑田胸喜という人物の扱い方だった。

 確かに、立花の本に引用されている蓑田の論文を見ると(論旨よりも、強調のための傍点で満艦飾状態の外貌に対して)、こりゃあ、付き合い切れない人物だな、という印象を持つ。しかし、付き合い切れないからと言って、切って棄てるように狂人扱いしていいものか。私は、立花が蓑田を扱う冷笑的な態度に、砂利を噛まされたような後味の悪さを感じてしまった。

 あれから2ヶ月、こんなに早く、再び蓑田の名前に出会おうとは思ってもいなかった。本書は、竹内洋氏の「はじめに」によれば、「戦時中の忌まわしい記憶を象徴するものとして、批判もされずに葬り去られてきた」(by 松本健一)蓑田胸喜という人物を中心に、彼が主宰した雑誌『原理日本』と、その周辺の人々を、彼らの思想と生涯に寄り添いながら、丹念に追った労作である。実は、本書の執筆者の多くは、『蓑田胸喜全集』全七巻(柏書房 2004)の編纂にかかわり、各巻の解題を執筆した人々であるという。びっくりした。2002年、蓑田胸喜のご子息へのインタビューに始まる、調査と共同研究の経緯は、佐藤卓己氏の「あとがき」に垣間見ることができる。

 本書の執筆者は、精神的にタフな人たちだと思う。研究者として当たり前のことだが、自分の主義主張あるいは嗜好と相容れないもの・忌まわしいものにフタをしてしまうのではなくて、それと向き合うこと。初めに結論ありきではなく、地道な資料調査を通して問題を発展させていくこと。やっぱり、本当の学問というのは、こうでなくては、と思った。

 本書は、日本主義(国粋主義)を、「近代日本の急速な欧化(洋才による洋魂化)によって浮遊するナショナル・アイデンティティ(和魂)をなんとか係留しようとする格闘のなかから生まれた」ものと考える。この説明は、昭和初期に適用されるばかりでなく、いまの若い世代に瀰漫している、ナショナリズムとの親和的傾向を考える上でも示唆的である。

 それから、比較的、若手の多い執筆者陣の中で、プロデューサーの役割を果たしているのは、たぶん竹内洋氏(1942-)なのだろう。どこかで見た名前だと思ったら、最近出た中公新書『丸山眞男の時代-大学・知識人・ジャーナリズム』(2005.11)の著者である。読もうかどうか、迷っていたのだ。全く知らなかったが、ちょっと調べてみたら、このひと、面白そうな本をいっぱい書いている! 獲物を見つけた猟犬の気分。どれから読んでみるかな。

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