○黒田日出男『豊国祭礼図を読む』(角川選書) KADOKAWA 2013.11
面白かった! 面白すぎて、感想を書こうとして、ハタと困っている。本書の面白さは、謎解きミステリーの趣きなのだ。私は、本書の結論がどこに向かうのか、全く予備知識なしに読み始め、一つ目の謎が解かれ、二つ目が解かれ、最後の三つ目の謎解きを読んだときは呆然、いやむしろ陶然となった。著者の掌で転がされる快感を味わいたい人は、こんな中途半端なネタばれ記事を読むのはやめて、即刻、本書を読み始めたほうがいい。
という注意書を掲げた上での読後レポートである。「豊国祭礼図(ほうこくさいれいず)」または「豊国祭礼図屏風」とは、慶長9年(1604)8月、豊臣秀吉の七回忌に行われた臨時祭礼を描いた作品。本書は、まず絵画作品成立の背景として、秀吉がどうして死後すぐ神になったか(天下人の人神信仰)、秀吉の死と箝口令、豊臣氏滅亡に至る政治史のプロセス、臨時祭礼の挙行の記録について論ずる。秀吉の死に関し、イエズス会宣教師の報告が大量に引用されていて、非常に興味深い。
次に本書は「豊国祭礼図屏風」諸本の研究史を紹介し、注目すべきは、豊国神社本、徳川美術館本、妙法院模本の三本であると結論する。制作年代順には、(1)豊国神社本。狩野内膳が制作し、慶長11年8月の豊国大明神臨時祭礼に際して「下陣立置、諸人見物」(舜旧記)の後、片桐且元から豊国神社に奉納された。昨年、東博の『国宝 大神社展』に出陳されていたから、記憶している人も多いのではないかと思う。祭礼の主人公は高台院(秀吉の妻おね=北政所)であるはずだが、桟敷には御簾が下ろされていて、高台院の姿は見えない。しかし、画中には、目立つところに身分の高そうな「老尼」の姿が描き込まれている。著者は、この「老尼」こそ高台院であり、「皺だらけの怖い顔」に描かせたのは、陰の注文者である淀殿・秀頼の意図であったと考える。これが第一の謎解き。
続いて(2)妙法院模本は、天明期の写本だが、慶長後半期にさかのぼる原本があったと推測されている。本書はこれを慶長17年4月「新調」(舜旧記)の記録に当てる。この作品にも、桟敷の御簾の内側をはじめ、数ヶ所に高台院らしき尼姿が見られるが、いずれも穏やかな面貌をしている。先行する豊国神社本で、皺くちゃな怖い顔に描かれてしまった高台院とその周辺の人々にとって、その「描き直し」は宿願であったろう。これが第二の謎解き。
第三の謎解きは、いよいよ、岩佐又兵衛の初期作品と目される(3)徳川美術館本。制作時期は、慶長19年から元和4年頃と推定されている。よく知られた作品だが、私は、2010年の徳川美術館『尾張徳川家の名宝』展が唯一の遭遇体験。作者にも注文者にも伝来にも、いろいろ謎が深いのだが、本書が注目するのは、右隻第五扇・第六扇に描かれた「かぶき者」の喧嘩の図である。もろ肌脱ぎの男の腰の朱鞘には「いきすき(生過)たりや廿三、八まん(幡)ひけはとるまい」と金泥で記されている。
これについては、慶長17年(1612)江戸で処刑されたかぶき者、大鳥逸兵衛も刀の茎(なかご)に同様の文句を刻んでいた(→Wiki「かぶき者」「大鳥逸平」参照)ことが、従来、美術史家によっても指摘されてきた。
しかし、著者は「廿三」という年齢に着目することによって、この「かぶき者」が、明瞭にある人物の「見立て」であることを解き明かす。それによって、喧嘩の相手の男たちも、間に入る僧侶も、横転する手輿の中の高貴な女性も、飛び退く老後家尼も、単に描かれたままの姿ではない「見立て」の役割を振り当てられる(※やっぱり、これ以上のネタバレは言えない)。
さらに喧嘩図の上方に見える橋と、橋を渡った先にある別世界。著者はそれを、喧嘩=戦の後にやってきた「うき世」と見なしている。中世的な「憂き世」ではなく「浮き世」(性愛の世界)の幕開けなわけね。この「うき世」を又兵衛がどんなふうに描いているのか、確認したいのだが、詳細図版が手元にない(ネット上にもない)のが残念。
ざっくりまとめてしまったが、本書の記述は、もっとずっと精緻で、史料論の再検討や、絵画史(美術史)と絵画史料論がお互いから学ぶべきことなど、示唆に富む指摘がたくさんあった。なお、冷静に考えてみると、こういう「見立て」は、幕末の浮世絵や錦絵では珍しくない、と思い当たったことも付け加えておこう。それから、著者の仮説以外に、画家や注文者の周辺に「廿三」の年齢に該当する人物はいなかったか、という傍証も欲しいところだが、これは読者が勝手に調べてみればいいことだろうな。
著者は、引き続き、出光美術館所蔵『江戸名所図屏風』、東博の舟木本『洛中洛外図屏風』の読解に挑戦し、「近世初期風俗画に歴史を読む」シリーズを毎年1冊ペースで書き下ろしていく予定だという。楽しみだ~! そして、ぜひこの成果(異論があってもよいと思う)に基づく展覧会を、どこかの美術館が企画してくれないものだろうか。
面白かった! 面白すぎて、感想を書こうとして、ハタと困っている。本書の面白さは、謎解きミステリーの趣きなのだ。私は、本書の結論がどこに向かうのか、全く予備知識なしに読み始め、一つ目の謎が解かれ、二つ目が解かれ、最後の三つ目の謎解きを読んだときは呆然、いやむしろ陶然となった。著者の掌で転がされる快感を味わいたい人は、こんな中途半端なネタばれ記事を読むのはやめて、即刻、本書を読み始めたほうがいい。
という注意書を掲げた上での読後レポートである。「豊国祭礼図(ほうこくさいれいず)」または「豊国祭礼図屏風」とは、慶長9年(1604)8月、豊臣秀吉の七回忌に行われた臨時祭礼を描いた作品。本書は、まず絵画作品成立の背景として、秀吉がどうして死後すぐ神になったか(天下人の人神信仰)、秀吉の死と箝口令、豊臣氏滅亡に至る政治史のプロセス、臨時祭礼の挙行の記録について論ずる。秀吉の死に関し、イエズス会宣教師の報告が大量に引用されていて、非常に興味深い。
次に本書は「豊国祭礼図屏風」諸本の研究史を紹介し、注目すべきは、豊国神社本、徳川美術館本、妙法院模本の三本であると結論する。制作年代順には、(1)豊国神社本。狩野内膳が制作し、慶長11年8月の豊国大明神臨時祭礼に際して「下陣立置、諸人見物」(舜旧記)の後、片桐且元から豊国神社に奉納された。昨年、東博の『国宝 大神社展』に出陳されていたから、記憶している人も多いのではないかと思う。祭礼の主人公は高台院(秀吉の妻おね=北政所)であるはずだが、桟敷には御簾が下ろされていて、高台院の姿は見えない。しかし、画中には、目立つところに身分の高そうな「老尼」の姿が描き込まれている。著者は、この「老尼」こそ高台院であり、「皺だらけの怖い顔」に描かせたのは、陰の注文者である淀殿・秀頼の意図であったと考える。これが第一の謎解き。
続いて(2)妙法院模本は、天明期の写本だが、慶長後半期にさかのぼる原本があったと推測されている。本書はこれを慶長17年4月「新調」(舜旧記)の記録に当てる。この作品にも、桟敷の御簾の内側をはじめ、数ヶ所に高台院らしき尼姿が見られるが、いずれも穏やかな面貌をしている。先行する豊国神社本で、皺くちゃな怖い顔に描かれてしまった高台院とその周辺の人々にとって、その「描き直し」は宿願であったろう。これが第二の謎解き。
第三の謎解きは、いよいよ、岩佐又兵衛の初期作品と目される(3)徳川美術館本。制作時期は、慶長19年から元和4年頃と推定されている。よく知られた作品だが、私は、2010年の徳川美術館『尾張徳川家の名宝』展が唯一の遭遇体験。作者にも注文者にも伝来にも、いろいろ謎が深いのだが、本書が注目するのは、右隻第五扇・第六扇に描かれた「かぶき者」の喧嘩の図である。もろ肌脱ぎの男の腰の朱鞘には「いきすき(生過)たりや廿三、八まん(幡)ひけはとるまい」と金泥で記されている。
これについては、慶長17年(1612)江戸で処刑されたかぶき者、大鳥逸兵衛も刀の茎(なかご)に同様の文句を刻んでいた(→Wiki「かぶき者」「大鳥逸平」参照)ことが、従来、美術史家によっても指摘されてきた。
しかし、著者は「廿三」という年齢に着目することによって、この「かぶき者」が、明瞭にある人物の「見立て」であることを解き明かす。それによって、喧嘩の相手の男たちも、間に入る僧侶も、横転する手輿の中の高貴な女性も、飛び退く老後家尼も、単に描かれたままの姿ではない「見立て」の役割を振り当てられる(※やっぱり、これ以上のネタバレは言えない)。
さらに喧嘩図の上方に見える橋と、橋を渡った先にある別世界。著者はそれを、喧嘩=戦の後にやってきた「うき世」と見なしている。中世的な「憂き世」ではなく「浮き世」(性愛の世界)の幕開けなわけね。この「うき世」を又兵衛がどんなふうに描いているのか、確認したいのだが、詳細図版が手元にない(ネット上にもない)のが残念。
ざっくりまとめてしまったが、本書の記述は、もっとずっと精緻で、史料論の再検討や、絵画史(美術史)と絵画史料論がお互いから学ぶべきことなど、示唆に富む指摘がたくさんあった。なお、冷静に考えてみると、こういう「見立て」は、幕末の浮世絵や錦絵では珍しくない、と思い当たったことも付け加えておこう。それから、著者の仮説以外に、画家や注文者の周辺に「廿三」の年齢に該当する人物はいなかったか、という傍証も欲しいところだが、これは読者が勝手に調べてみればいいことだろうな。
著者は、引き続き、出光美術館所蔵『江戸名所図屏風』、東博の舟木本『洛中洛外図屏風』の読解に挑戦し、「近世初期風俗画に歴史を読む」シリーズを毎年1冊ペースで書き下ろしていく予定だという。楽しみだ~! そして、ぜひこの成果(異論があってもよいと思う)に基づく展覧会を、どこかの美術館が企画してくれないものだろうか。