〇板橋区立美術館 『エド・イン・ブラック:黒からみる江戸絵画』(2025年3月8日~4月13日)
本展は、黒に焦点を当て、江戸絵画にみる黒の表現とともに、当時の文化や価値観なども紹介する。江戸時代の人々は「黒」に対して何を見出し、何を感じていたのか、様々なテーマから江戸絵画における「黒」を探究し、その魅力に迫る。江戸絵画展らしからぬ展覧会タイトルは、やっぱり「メン・イン・ブラック」のもじりですかね。
はじめに、月や影、夜の暗闇などを描いた絵画を集める。これは「黒」の使い方としては、比較的分かりやすいものだ。大好きな蘆雪の「月」を描いた墨画が2件、『月夜山水図』(兵庫県立美術館)は、前景に黒々と浮かび上がる崖の上の松、そして大きな満月を背景に、中空にぼんやり松の木のシルエットが浮かんでいる。これは靄か霧に映る影なんだろうか。幻想的で不思議な光景。『月竹図』は細長い巻物状の料紙を縦に使って、まっすぐな笹竹と背景の月光を描く。墨江武禅『月下山水図』も好きな作品。白くアイシング(砂糖衣がけ)したお菓子のような岩や土坡が画面の奥まで並んでいて、雪景色にも見えるのだが、「月光による輝きを表しているのだろうか」という解説に納得した。
蕪村『闇夜漁舟図』(逸翁美術館)は、夜の水辺に舟を浮かべて漁をする漁師と童子。風景をほぼ墨一色で描き、篝火に照らされた光の部分にだけ淡彩を使っているのが巧い。狩野了承『二十六夜待図』は薄墨を引いた画面の左上に小さなご来光、右下にはさらに小さな夜明けを待つ人々のシルエットが描かれる。森一鳳『星図』は、右に柄杓形の六星、左に台形の四星を描く。丸い金色の星は細い線でつながれいる。シンプルで美しいが制作意図が明らかでない不思議な作品だという。これ、斗宿(南斗六星)と箕宿かなあ。向きが違うようにも思うんだけど…。塩川文麟『夏夜花火図』は、火鉢(?)に線香花火を何本も立てて、一斉に火をつけて楽しんでいる。こんな楽しみ方もありなのか。小さく小さく枝分かれして飛び散る白っぽい金色の火花、硫黄の匂いがよみがえってくるような気がした。
亜欧堂田善の銅版画『品川月夜図』は、海上に小さな月が昇っていて、波間に道を描くような月の光は、ムンクを思わせる。月岡芳年『牛若丸弁慶図』は酔って一気に描いたらしい席画。黒く塗られた部分はほとんどないのだが「月夜」だと理解できるのが面白い。
後半では、夜や闇以外に黒が意味するものを考える。その答えのひとつが「中国趣味」。中国から、黒に白抜きの法帖(書の手本となる拓本)や版画が流入し、江戸時代中頃から、法帖ふうの版本や画譜が日本でも制作されるようになった。若冲の『乗興舟』や『玄圃瑤華』の存在はもちろん知っていたけど、そうか、あれは江戸の法帖ブームに由来するのか。鳥居清長には、法帖ふうの黒塗り&白抜き文字の背景に、敢えて日本の風景を彩色で描いた作品もある。
浮世絵では、天明~寛政年間に「紅嫌い」(版画)「墨彩色」(肉筆画)と呼ばれる作風が流行した。「紅嫌い」は太田記念美術館の展示で覚えた用語である。完全な墨一色ではなく、淡い指し色を効果的に使っているところに魅力を感じる。「聖なるもの」や「この世ならぬもの」を墨一色で描く手法も面白いと思う。また、黒の化粧に着目し、浮世絵に描かれたモードだけでなく、結髪雛形やお歯黒道具の一式が展示されていたのも面白かった。
最後は薄暗がりの展示室には、金地に繊細な秋草を描いた狩野了承『秋草図屏風』(六曲一双)がしつらえてあった。屏風の前の椅子に座ると、卓上にスイッチが置いてあって、照明の明るさと揺らぎの大小(?)を調整して、印象の変化を楽しむことができる。展示室を出たあとで壁のパネルの谷崎潤一郎『陰影礼讃』の一節を読むと、なるほどと納得した気持ちになった。
あと、谷文晁『異国船図』は、例の法帖ふうの作りで、外国船の絵に長々と和文の賛を付けているのは松平定信で「この船の来ることを、夜夢を見ている間にも忘れないことが世の宝である」という内容が書かれているという。定信の時代には、そろそろ対外関係が騒がしくなっていたんだっけ?と思って、定信のwikiを読んでみたら、このひと、いろいろ面白いなあ。近年、定信の寛政の改革は田沼政権との連続面があったと見られていることも初めて知った。墓所は清澄白河の霊巌寺。近所なので、そのうち墓参に行ってこよう。