〇神奈川県立金沢文庫 運慶800年遠忌記念特別展『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』(2022年10月7日~11月27日)
7~9月に横須賀美術館で行われていた展覧会の巡回展である。全36件(+特別出品・参考出品あり)のうち仏像は20件くらい。金沢文庫だけで展示される仏像も7~8件(数え方による)ので見に行ったが、いちばん見たかった源実朝坐像(甲斐善光寺)が後期(10/25-)展示なのは失敗した。まあ、いいか。
1階の入口を入ってすぐの展示ケースは、個人蔵の勢至菩薩坐像(平安~鎌倉時代)が展示されていた。宋風に髪を高く結い上げているが、大和座り。短い上衣の裾から膝小僧が見えているように見える。いや、生足ではなく裙(くん)を付けているのだろうけど。これは「特別出品」のため、図録に写真は掲載されていなかった。
同じく1階には、小さな四天王立像(大仏様)のセットも。甲冑の隙間にのぞく朱色がよく目立っている。「個人蔵」だが、図録を見ると「金沢文庫寄託」の注記があった。画軸『源頼朝像』(江戸時代)は、白面に赤い唇が目立つ。神護寺像を思わせる風貌だが、解説には「むしろ大英博物館が所蔵する源頼朝像と近い」とあった。また、瀬戸神社所蔵の舞楽面2件(抜頭と陵王)は、何度か見たことのあるものだが、社伝では、源頼朝または実朝の所用で、北条政子が寄進したという解説を読んで、ふーむと唸ってしまった。抜頭面は、運慶銘を持つ。
2階は、大きな仏像がところ狭しと並んでいて壮観だった。特に浄楽寺の不動明王・毘沙門天のケース越しに、奥の展示室に据えられた満願寺の不動・観音・地蔵・地蔵・毘沙門(右から)を眺める構図は素晴らしかった。
手前の展示室には、まず「運慶以前」と題して、大善寺の天王立像。沈鬱な表情で、踊るように両袖を翻す。清雲寺の毘沙門天像は猪首で童子のように無垢な表情をしている。どちらも横須賀の展示で印象深かったものだ。曹源寺の十二神将立像は、ここでも想定に基づく当初の像名で並べられていた。浄楽寺の不動明王・毘沙門天は、ケースに入ってるおかげで、ぎりぎりまで近づいて見ることができるのが、かえってありがたかった。背面が鑑賞できるのもありがたく、毘沙門天の頭髪(巻き髪)の後頭部を興味深く観察した。
初めて拝見したのは、横須賀市・無量寺の聖観音菩薩坐像(鎌倉時代)。図録では「横須賀のみ」になっており、私が8月に参観したときは、展示期間が終わっていて見逃したものだ。何らかの調整で、金沢文庫にも出展いただけることになったのだろう。嬉しい。頭髪は高く尖がり、ほぼ裸で厚みのない上半身、腰が細くしぼられたプロポーションは、ちょっと東南アジアの仏像を思わせた。また、山北町・常実坊は、明治年間に町田久成の尽力で創建された寺院で、不動明王像及び両脇侍立像(鎌倉時代)は、町田らの関与で運び込まれたものと見られているそうだ。
「静岡県指定文化財」の阿弥陀如来・両脇侍(観音・地蔵)・毘沙門天像のセット(所蔵:吉田区)も「特別出品」なので図録に掲載されていないが、ふだん上原仏教美術館が預かっている吉田寺(きちでんじ)伝来の仏像のようだ。横須賀の満願寺は、現在、観音・地蔵の巨大な二尊が伝わる(地蔵・毘沙門は後の追加)が、かつては阿弥陀・観音・地蔵の三尊形式(吉田寺と同じ)だったらしい。称名寺聖教の「氏名未詳書状」(室町時代)の紙背に満願寺の本尊が「阿弥陀如来」であったことを示す文字があるのだ。よく見つけたなあ!
秦野・金剛寺の観音菩薩・勢至菩薩立像(鎌倉時代)は、あまり仏像らしくない、そして理想化も美化もされていない、リアルな人間の表情をしていておもしろかった。このお寺、源実朝の首を埋葬して創建されたという伝承があるそうだ。そうか、首を取られてしまうんだっけ…。南無阿弥陀仏。