○野口武彦『幕府歩兵隊:幕末を駆けぬけた兵士集団 』(中公新書) 中央公論新社 2002.11
野口武彦さんの本、4冊目。近著の『長州戦争』でも活躍する幕府歩兵隊の誕生(文久2年=1862)から崩壊(明治元年=1868)まで、7年間を追ったルポルタージュである。百年以上も前の事件をルポルタージュ(現地報告)と呼ぶのはおかしいけれど、敢えてそう呼びたいくらい、迫真の描写で綴られている。
歩兵隊は、幕末の軍事制度の大改革によって作られた。はじめ、幕府は旗本・御家人のための武術講習所を開き、軍備の近代化を図ろうと考えたが、なかなか埒が開かない。そこで文久2年、徴集された農民と、江戸で直接雇い入れた無頼の徒によって、歩兵組が編成された。長州戦争や鳥羽伏見の戦いに駆り出されたが、戦果はゼロに等しかった。しかし、慶応4年(明治元年)、江戸開城にともない、多くの歩兵が脱走。ここから彼らは実戦経験を積むにつれて、どんどん強くなる。北関東・奥羽・箱館で官軍と戦い、敵を苦しめたが、最後は五稜郭の落城とともに、歴史の表舞台から姿を消した。
いろいろ面白い点があるのだが、私は、当時の歩兵の銃の撃ち方に目を見張った。これは薩摩兵の例であるけれど、4列縦隊の密集隊形では、第1列は初弾を発射した後、膝打ちの構えで銃剣の槍ぶすまを作る。射撃するのは第2列だけ。第3列は空銃を左手で受け取って第4列に渡し、装填済みの銃を右手で前に渡す。第4列が弾込めをする。すごい。茶道のお作法も真っ青ではないか。これだけのことが、脱落者なく整然とできなければ「近代歩兵隊」には、なれないのだ! 映画(あまり見ないが)の戦闘シーンでは、ただ喊声をあげて突撃する兵士しか記憶にないけれど。
また、長州戦争の見聞録で、朝から翌朝まで30発も撃って銃身が熱してしまうと、前線を交代して岩陰でぐうぐう眠り、また銃が冷めると撃ち続けたというのも、ウソのようだが本当なのだろう。
北越戦争では、弾薬が欠乏してくると、休戦して補充と休養の時間を取る。すると両軍兵士は塹壕の上に出てきて、互いの給与の状態(!)などを語り合ったという。そう、歩兵は「職業」なのだ。
著者は本書を「幕府歩兵隊へのファン・レター」であると言ってはばからないが、その「ファン心理」は、以下の一文に尽きると思う。「天皇」とか「将軍」とかパーソナルな忠誠対象がなくても、兵士はけっこういい戦争をする――「いい戦争をする」ね。物騒な言い方だが、著者の言いたいことはよく分かる。ここに描き出されているのは、その後の日本軍が目指した「天皇の軍隊」とは全く対極の、「職業としての兵士」なのである。
ところで、幕府歩兵隊は「日の丸」を掲げ、官軍は「菊の紋章」を染め抜いた旗を掲げた。戊辰戦争とは「日の丸」と「菊花旗」が交戦した戦争であったという。「この一事だけでも後世に語り残しておかなければ」と著者は言うけれど、実にさまざまなことが考えられて、面白いと思う。
野口武彦さんの本、4冊目。近著の『長州戦争』でも活躍する幕府歩兵隊の誕生(文久2年=1862)から崩壊(明治元年=1868)まで、7年間を追ったルポルタージュである。百年以上も前の事件をルポルタージュ(現地報告)と呼ぶのはおかしいけれど、敢えてそう呼びたいくらい、迫真の描写で綴られている。
歩兵隊は、幕末の軍事制度の大改革によって作られた。はじめ、幕府は旗本・御家人のための武術講習所を開き、軍備の近代化を図ろうと考えたが、なかなか埒が開かない。そこで文久2年、徴集された農民と、江戸で直接雇い入れた無頼の徒によって、歩兵組が編成された。長州戦争や鳥羽伏見の戦いに駆り出されたが、戦果はゼロに等しかった。しかし、慶応4年(明治元年)、江戸開城にともない、多くの歩兵が脱走。ここから彼らは実戦経験を積むにつれて、どんどん強くなる。北関東・奥羽・箱館で官軍と戦い、敵を苦しめたが、最後は五稜郭の落城とともに、歴史の表舞台から姿を消した。
いろいろ面白い点があるのだが、私は、当時の歩兵の銃の撃ち方に目を見張った。これは薩摩兵の例であるけれど、4列縦隊の密集隊形では、第1列は初弾を発射した後、膝打ちの構えで銃剣の槍ぶすまを作る。射撃するのは第2列だけ。第3列は空銃を左手で受け取って第4列に渡し、装填済みの銃を右手で前に渡す。第4列が弾込めをする。すごい。茶道のお作法も真っ青ではないか。これだけのことが、脱落者なく整然とできなければ「近代歩兵隊」には、なれないのだ! 映画(あまり見ないが)の戦闘シーンでは、ただ喊声をあげて突撃する兵士しか記憶にないけれど。
また、長州戦争の見聞録で、朝から翌朝まで30発も撃って銃身が熱してしまうと、前線を交代して岩陰でぐうぐう眠り、また銃が冷めると撃ち続けたというのも、ウソのようだが本当なのだろう。
北越戦争では、弾薬が欠乏してくると、休戦して補充と休養の時間を取る。すると両軍兵士は塹壕の上に出てきて、互いの給与の状態(!)などを語り合ったという。そう、歩兵は「職業」なのだ。
著者は本書を「幕府歩兵隊へのファン・レター」であると言ってはばからないが、その「ファン心理」は、以下の一文に尽きると思う。「天皇」とか「将軍」とかパーソナルな忠誠対象がなくても、兵士はけっこういい戦争をする――「いい戦争をする」ね。物騒な言い方だが、著者の言いたいことはよく分かる。ここに描き出されているのは、その後の日本軍が目指した「天皇の軍隊」とは全く対極の、「職業としての兵士」なのである。
ところで、幕府歩兵隊は「日の丸」を掲げ、官軍は「菊の紋章」を染め抜いた旗を掲げた。戊辰戦争とは「日の丸」と「菊花旗」が交戦した戦争であったという。「この一事だけでも後世に語り残しておかなければ」と著者は言うけれど、実にさまざまなことが考えられて、面白いと思う。
大昔に読んだ「銃剣」という短編小説思い出しました。戊辰戦争を生き延びた元”賊軍”の老人が、若い暴漢たちを木銃で打ち懲らす場面が痛快でしたよ。
でも実際には、戦闘において人は人に向かってなかなか発砲できないそうで、太平洋戦争時まで15~20パーセントの兵士しか敵に向かって発砲できなかったという研究を読んだことがあります。デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)