見もの・読みもの日記

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錨を降ろす/フューチャリスト宣言(梅田望夫、茂木健一郎)

2007-06-20 22:18:40 | 読んだもの(書籍)
○梅田望夫、茂木健一郎『フューチャリスト宣言』(ちくま新書)

 梅田望夫さんの本は、昨年の『ウェブ進化論』以来である。ノー天気なウェブ・テクノロジー礼讃論は大嫌いだ!とか不平不満を言いながら、また読んでしまった。それは、著者が決して「リアル」を軽く見ているのでないことが分かるからだ。

 梅田さんは、ネットとリアルは「行ったり来たりする」別の世界である、という。両者は対立するものではないし、どちらかだけあればいいものでもない。ネットの中に長い時間いると、逆に「将棋の盤や駒のいいものがすごく欲しくなる」そうだ。一方の茂木さんも「アインシュタインやニュートンがやったような古典的な知の世界をどこかで信じている」という。こういう本音を抱えるおふたりが語るインターネット論だからこそ、読み甲斐がある。

 梅田さんが興味深いことを述べている。彼のブログには(1日)8000くらいのアクセスがあるが、ネット上での人間関係は次第にパターン化してくる。ところが、本を書くと「もっと広い感じ」の反応がネットに返ってくる。不思議なことに、数十万部、数百万部出ている雑誌や新聞にインタビュー記事が載っても、それについての書込みはほぼゼロに等しい。これは「何か本質的なことを意味してはいないだろうか」。

 茂木さんが答えて、本というのは「ネットの海、情報の海に、空から降りてくるときに、錨をおろすリファレンス・ポイントになるんですね(雑誌は、そういうポイントにならない)」と述べている。錨(いかり)か――! このイメージ、自分がもやもやと感じていたことが、鮮烈に表現されていて感激した。 「本」は「古典的教養」と言い換えてもいいと思う。

 両氏は、インターネットとは「公共性」を学ぶ場であると考えているようだ。いまや膨大な数の日本人がブログを書いていることについて、茂木さんは「日本人がパブリック・ライティングの訓練をする、歴史的な教育機会」だと述べている。分かる。私がこうしてブログを書き続けるのも、自分の考えを”ある程度”公共のことばで語る、というレッスンが面白くてならないからだ。しかし、このレッスンは、時に非常に不愉快な体験を引き起こすこともある。

 新しいメディアは毒性も強い。しかし、それを乗り越え、毒を薬に変えていかなければならない。無茶なようだけど、毒を毒と認識していない楽観論や、危険は遠ざければいいという消極論よりも、建設的だと思う。大切なのは、各人が不特定多数の声にさらされる体験を通じて、自分の感情をコントロールする方法を学ぶこと。つまり、ネット時代のリテラシーは「感情の技術」だという。私は、リテラシーって「していいこと」と「悪いこと(=自分に不利益な結果が返ってくること)」を判別する、知的な能力だと思っていたから、「感情の技術」という表現はとても新鮮に感じた。

 政府のエライ人たちは、今の日本の若者が、自己中心的で公共精神に乏しいということを盛んに言いつのっている。道徳教育を復活することで軌道修正しようと躍起になっているらしい。だが、両氏は、日本でも、インターネットとともに育った若い世代からは、やがてウィキペディアのような「公共的なもの」が出てくるのではないかという。なぜなら、インターネットカルチャーの本質は「公共性」と「利他性」であるから。未来予測として、どちらが正しいと思うかと聞かれたら、やっぱり著者たちとともに「ネットの側に」賭けてみたい。
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