見もの・読みもの日記

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江戸と中国の視座から/史論の復権(與那覇潤対論集)

2013-12-16 23:55:00 | 読んだもの(書籍)
○與那覇潤対論集『史論の復権』(新潮新書) 新潮社 2013.11

 與那覇潤氏が7人の論客とおこなった対論(対談)集。ホストの與那覇氏が著書『中国化する日本』で話題の歴史学者であることは承知している。だが『中国化する日本』は、手に取ってパラパラめくってみたものの、あまり気持ちが動かなくて、読んでいない。ゲストの7人(中野剛志、中谷巌、原武史、大塚英志、片山杜秀、春日太一、屋敷陽太郎)のほうに、ファンだったり、好きじゃないけど気になるメンツが入っていたので、読んでみることにした。

 幸い、與那覇氏は、中野剛氏との対談の冒頭で「中国化」の意味するところを概説してくれている。與那覇氏のいう「中国化」とは、約一千年前に宋朝の中国で始まった「元祖グローバル化」であり、その特徴は「経済のみの自由化と政治の不自由化」である。こうした宋の特徴(←詳細略)は、以降の(中国の)王朝にも原則として受け継がれており、それは現代のグローバル社会と驚くほど似ている、という。

 う~ん。ここでちょっと首をかしげた。私は宋代の政治社会史には、そんなに詳しくない。諸説あって、明確な像が結べないのだ。しかし、以後、元・明・清と続く諸王朝を「(宋の国体が)原則として受け継がれ」というのは、ずいぶん大雑把なつかみだなあと思った。「経済のみの自由化と政治の不自由化」というのは、逆にいまの中国の特徴を前提にして、中国史を見るから、あたかもそこに連続する「国体」があるように見えるんじゃないかと思う。

 中谷巌氏との対論では、グローバル化を「アメリカ化」と呼んでしまうと「アメリカは先進国だし、日本の同盟国だし、自由と民主主義の国なんだから、そでいいじゃないかとなってしまう」。「むしろ、『グローバル化の正体は、実はアメリカ化ではなく中国化です』と言われた方が、グローバル化の孕む問題に気づくかもしれない、そういう趣旨での命名ですから」とも語っているが、トリッキーすぎないかなあ。私はむしろこの命名は、今日のグローバリゼーションの本質を糊塗する結果につながるように思う。

 今日のアメリカの政治的、文化的、軍事的影響力は「帝国」とも呼ばれるほどだ。われわれの生活を脅かすグローバル企業は、この帝国の庇護のもとで成長してきた。一方の宋は、いちおう統一王朝に数えられているとはいえ、領土の北半分を異民族に奪われ、南方に逼塞してなんとか延命した王朝である。契丹・金・西夏・大理・モンゴルなどの諸国が並び立ち、唯一無二の存在である「中華皇帝」という虚構が綻びた時代ではないかと思っている(このイメージは主に中国の武侠ドラマに学んだので、根本的に間違っていたらすみません)。

 與那覇氏は「中国化」の対比概念に「江戸化」(地産地消、安定した生活基盤)を措くのだが、宋代って、中国史の中では、比較的日本の江戸時代に近いのではないだろうか。

 「中国化」の話が長くなってしまったが、本書では、後半のメディア文化に関連する対論が面白かった。片山杜秀氏との小津安二郎論。「小津=日本的」という見方をひっくり返して、小津の「作為」「ブルジョア趣味」「モダニズム」を論ずる。

 映画史研究家の春日太一氏とは時代劇を語る。與那覇氏は、東宝は「江戸的」で、東映は「中国的」という見立てを提示するが、春日氏は「おっしゃる意味は分かります」と受け流しつつ、人と人のつながりが濃厚な東映のほうが「江戸的」で、合理的・個人主義的な東宝は「アメリカ的」という、全く異なる見解を示す。これって要するに「江戸的/中国的」という見立て理論の浅さを露呈しているのではないかな。春日氏が、文化庁の映画政策を批判して、補助金は「個人」に与えるのではなく、撮影所など「場」や「集団」にこそ出すべき、と提言しているのは、たいへん興味深かった。「安定をなくさないとチャレンジする人が出てこない」というのは嘘で、最低限の生活の保障があってこそ、スタッフは新しいことを先輩から学び、冒険することができる。映画に限らず、ものづくりの現場を見て来た人なら、たぶん同じことを言うだろうと思った。

 最後は、NHKの屋敷陽太郎氏と大河ドラマを語る。このひとは『篤姫』『江』など、私の好みと相容れない作品を作っている方なので、どこが合わないんだろう?と興味津々だったが、結局、よく分からなくて、何も残らない対論だった。むしろ、前述の春日太一氏が、エンターテインメントには「絶対悪」が必要だ、と書いているのは、同意できないけど、面白かった。大河ドラマ『平清盛』が失敗した理由の一つもこれで、「登場人物を数多く出して、そのほとんど全てに内面のドラマを用意」したことにより、「視聴者は何を、誰を見たらいいのか分からなく」なってしまったという。確かに納得。でも2時間ドラマや1クールドラマならともかく、1年間の大河ドラマに「絶対悪」の存在って、どうなのかなあ、という疑問も感ずる。少年期から、「悪」にも理由があるというアニメやマンガで育った世代としては。

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