見もの・読みもの日記

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文豪の快楽/谷崎潤一郎マゾヒズム小説集

2010-09-29 22:49:26 | 読んだもの(書籍)
○『谷崎潤一郎 マゾヒズム小説集』(集英社文庫) 集英社 2010.9

 なるほど。こんな直球タイトルのアンソロジーも有りか。かわいい、しかし、よく見ると、かなりイケナイ表紙絵の文庫本を見つけて、にやにやと笑ってしまった。収録作品は「少年」(明治44)「幇間」(明治44)「麒麟」(明治43)「魔術師」(大正6)「一と房の髪」(大正15)「日本に於けるクリップン事件」(昭和2)の6編。老年まで旺盛な創作活動を続けた谷崎にとっては、いずれも初期の短編と言えるだろう。

 確実に読んだ記憶があったのは「魔術師」。エレガントな挿絵の収録された中公文庫『人魚の嘆き・魔術師』は、私のお気に入りだった。物語は全く無国籍なファンタジーふうである。著者は浅草六区を念頭に描いているらしいが、初めて読んだとき、浅草=古い下町情緒という先入観が濃厚で、大正年間のモダン浅草を知らなかった私は、かなり戸惑った。「麒麟」は『論語』に取材した短編。聖人孔子と、美貌で淫蕩な妻・南子の間で揺れ動く衛の霊公を描き、デカダンな雰囲気が漂う。この2編は、虚構の世界をたっぷり愉しませてくれる。

 ほか4編は、同時代の日本を舞台にした、比較的、写実的な小説。「少年」の、かれこれ20年ばかり前、水天宮裏の小学校に通っていた頃、という書き出しは、谷崎自身の少年時代を思わせる。「ようやく十くらい」の少年たちと、少し年上の少女(十三、四歳)が、他愛ない遊びに興じるうち、次第に快楽に目覚めていく様子を描く。オオカミになった坊ちゃんに「動いちゃいけないよ」と命じられ、着物の裾をまくられ、「ぺろぺろと食われ」ながら、湧き上がる喜びに震える主人公の心理描写に、こちらも手に汗にぎる感じがする。「分かる」と言えない、言ってはいけないはずなのに、自分の心の奥にも、主人公の喜びに微かに共鳴する部分があるのだ。ただ、最後は、少女に「燭台の代りにおなり」と命じられて、額に蝋燭を載せられ、蝋の熱さに恍惚となった…という描写までくると、さすがに理解できなくて、吹き出したくなってしまったが。

 「幇間」は、生来の幇間気質で、とうとう、そのとおりの職業を持つに至った男が主人公。「先天的に人から一種温かい軽蔑の心を以て、もしくは憐憫の情を以て、親しまれ可愛がられる性分」と説明されている。この「温かい軽蔑の心」で遇されることが嬉しくてたまらない卑しさも谷崎の一面であり、そういう自分を突き放して描くことのできる冷徹さも別の一面なのだろう。最後の「Professionalな卑しさ」って、そういうことだと思う。

 「一と房の髪」「日本に於けるクリップン事件」はセンセーショナルな題材で、一読するには面白いが、胸の琴線に触れるゾクゾク感はない。巻末に「鑑賞」を書いているみうらじゅんも、やっぱり「少年」「幇間」に反応している。

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