〇山下裕二『商業美術家の逆襲:もうひとつの日本美術史』(NHK出版新書) NHK出版 2021.12
店頭でパラパラ中をめくってみたら、近年、気になった展覧会の画家・作品が多数取り上げられているので買ってしまった。渡辺省亭、小村雪岱、歌川国芳、河鍋暁斎、鰭崎英明、川瀬巴水、吉田博、橋口五葉、杉浦非水など。彼らをつなぐ接点は「商業美術」である。かつて2000年に京都国立博物館で開催された伊藤若冲展以降、江戸絵画の人気は飛躍的に高まった。2000年が「江戸時代絵画の再評価元年」だとすれば、2021年は「商業美術再評価元年」ではないかと著者はいう。
いわゆる「ファイン・アート」に比べて、商業美術を下に見る色眼鏡のルーツは、中国・明代の董其昌が展開した「尚南貶北論」にあるという。教養ある高位高官が余技として描く文人画(南宗)こそが素晴らしく、職業画家の作品(北宗)はレベルが低いという絵画論で、これが江戸時代の日本に決定的な影響を及ぼした。しかし実は、中国からもたらされた画技画風をもとに絵画のニューモードを切り開いた日本の南画家たち(池大雅、与謝蕪村、浦上玉堂など)は絵を売って生計を立てていたし、狩野派も琳派も、浮世絵の絵師たちも、基本的には商業美術家だった。
明治維新後、日本の画壇は「近代化」の名のもとに権威主義化していく。生臭い画壇のゴタゴタに背を向けた画家たちは、挿絵・口絵、工芸品のデザインなど、商業美術に活躍の場を見出すことになる。その筆頭に挙げられているのが渡辺省亭。印象派の画家や欧米の有名美術館にも評価された実力の持ち主であるにもかかわらず、忘れられてきたが、ようやく再評価が本格化しつつある。昨年の展覧会『渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画』もよかったが、本書で興味深く読んだのは、若冲への敬意と対抗意識。省亭には『雪中鴛鴦之図』はじめ、若冲の『動植綵絵』に着想を得たと思しき作品がいくつかある。『動植綵絵』は明治22年に相国寺から宮内省に献上され、帝国博物館がその管理にあたっていたので、省亭は実作品を見る機会があったのかもしれない。
省亭作品に深い影響を受けたのが鏑木清方で、世代は違っても、清方が高く評価していたのが小村雪岱。ともに泉鏡花作品の装幀を手掛けている。「尊い」トライアングルである。その後、雪岱が「知る人ぞ知る存在」になってしまったのは、開戦直前に亡くなり、戦時色に搔き消された時期の悪さもあったのではないかという。
浮世絵界では、幕末の歌川国芳が多くの弟子を育てた。「国芳に連なる絵師の系譜」(121頁)は、どこかの展覧会で同様の図を見た記憶があるが、すごいのだ。月岡芳年を経て、水野年方、鏑木清方にもつながり、北野恒富や島成園もいるし、五姓田芳柳、義松もいるのである。河鍋暁斎は、少年時代に短期間、国芳に学んだあと、狩野派にも学んだ。著者がこれを譬えて「東京藝術大学を卒業しながら、じつは高校時代からマンガ家としても売れっ子だったようなもの」と書いているのが面白い。もちろん、浮世絵は現代のマンガである(なお、私はこの比喩で山口晃さんを思い浮かべた)。
1980年代、暁斎を研究したくて来日したアメリカ人留学生に対して、東大美術史学科の教員はひどく冷淡だったという。たぶん著者の実見談だろう。その留学生は、1993年に大英博物館で暁斎の回顧展を企画したティモシー・クラーク氏である(2013年には春画展を企画した人物だ)。暁斎はあまりにもレパートリーが広く、代表作を決めがたいので、かえって評価が遅れたという推論も興味深かった。
そして挿絵文化!太田記念美術館で『鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵』を見たのも昨年、2021年だったか。すごい鉱脈に当たった手応えを感じたが、まだまだ知らないことが多い。本書に掲載されている伊藤彦造の『角兵衛獅子』挿絵の凄さよ。著者が「いつの日か伊藤彦造の本格的な展覧会を企画したい」と言ってくれているのを、ここに書き留めておく。
さらに大正期の新版画、グラフィック・デザイン、戦後の商業美術も論じられている。将来、マンガの原画が国の重要文化財や国宝に指定されるときが来たら、その筆頭候補がつげ義春であるというのは、全く異論がない。しかし、谷岡ヤスジの流麗闊達なペン描きのタッチが、平安絵巻に通じるというのは気づかなかった。言われてみればなるほど。自分の「眼」で作品を見ることの大事さをあらためて思った。