見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2021年11月関西旅行:伊東忠太の足跡

2021-11-21 23:29:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

 土日を使って、今月2回目(3週間ぶり)の関西旅行に行ってきた。どうしても前回の2泊3日では見たいものが見切れなかったのである。しかし、もう1回行こうと予定を立てたあとで、行きたいところが増えた結果、涙を呑んで諦めた展覧会(和歌山!比叡山!)もある。フルタイム就労時代に比べると、ずいぶんヒマになったはずなのに、肝心なところで時間が自由にならない。

 今回、とても楽しかったのは、京都市京セラ美術館の展覧会『モダン建築の京都』の連携企画として、通常非公開の建築物を公開する『京都 秋の特別公開』(2021年11月18日~12月7日)の開催である。土曜に展覧会を参観し、今日は2つの建築を見学してきた。

本願寺伝道院(下京区油小路正面)

 龍谷ミュージアムの裏手に位置する。明治45年(1912)真宗信徒生命保険株式会社本館として、大谷光瑞の依頼を受けた伊東忠太が設計し、竹中工務店の施行により建造されたもの。現在は浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用されている。

 私は伊東忠太マニアなので、この建物の存在は知っていたが、中に入るのは初めて。ヘンな怪物がいるのではないかと期待して入ったが、わりとアッサリして瀟洒な空間だった。建物の北側と西側を囲む石柱には、ずんぐりした石彫の怪物がのっかっている。

 特別公開の看板の裏にも一匹w(ちょっとかわいそう)

 なお、1階では『宗門寺院と戦争・平和展』(2021年11月20日~12月8日)が開催されており、このエリアは無料。浄土真宗本願寺派が各地の寺院に対して実施した調査の結果を紹介するもので、学童疎開や金属供出などの写真・記録が興味深かった。龍谷大学でも学徒出陣式が行われていたのだな。

大雲院祇園閣(東山区四条通大和大路東入)

 伝道院が伊東忠太建築としてはやや物足りなかったので、予定に入れていなかった祇園閣も見ていくことにした。ここは以前来たことがあるはずだが、ほとんど記憶が残っていない。

 はじめに本堂で説明を聞いた。大雲院は、織田信長・信忠父子の菩提を弔うため、正親町天皇の勅命により、烏丸御池(今のマンガミュージアムのあたり)に建てられた。信長の法名に由来する総見院は、すでに大徳寺内に建立されていたので、信忠の法名・大雲院を用いたのではないか。その後、秀吉の命で四条寺町に移り、昭和47年(1972)大倉喜八郎旧邸を買得して再移転した。喜八郎旧邸の一部である書院(これも伊東忠太設計、登録有形文化財)には、大雲院の現住職がお住まいとのこと。本堂には通肩の阿弥陀如来坐像が安置されており、その内部には、大雲院創建時の本尊であった阿弥陀如来立像が収められているそうだ。

 いよいよ祇園閣へ。入口は観音開きの銅(?)扉で、二羽の鶴が向き合うデザインである。祇園閣内部及び眺望の撮影は禁止なので、苦労して横から撮った。

 大倉喜八郎は幼名は鶴吉、のちに鶴彦や鶴翁とも名乗った。祇園閣の頂上にも、天に向かって羽ばたくような鶴が立っている。

 祇園閣の低層の壁・天井は、敦煌莫高窟の壁画の模写で埋め尽くされている。昭和60年(1985)に葛新民氏(経歴)によって描かれたもの。さまざまな石窟の有名モチーフを集めたもので、これ知ってる!これは現地で見た!というものもあり、堪能した。

 そして最上階から見下ろす秋の京都は、紅葉の赤や銀杏の黄色が美しく、まさに絶景だった。祇園閣は、昭和の御大典と大倉喜八郎の卒寿を記念して、昭和3年(1928)に建造されたというが、喜八郎(1837-1928)がその年に没していることを知ると、いろいろ感慨深い。

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