見もの・読みもの日記

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読解力は身を助ける/AI vs. 教科書が読めない子どもたち(新井紀子)

2018-08-15 20:12:22 | 読んだもの(書籍)
〇新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 東洋経済 2018.2

 国立情報学研究所の新井紀子教授によるAI本。はじめに、AIとAI技術は全く別物という重要な論点が提起される。AI(人工知能)と言うからには、人間の一般的な知能と同等レベルの能力がなければならない。そうした「真の意味でのAI」はまだ存在しておらず、近未来にも誕生しないだろう。しかし、AIを実現するための技術(=AI技術)(音声認識、自然言語処理、画像処理など)は格段に進歩し、すでに私たちの日常生活のパートナーとなっている。そのため、人々はAIへの過剰な期待と不安を抱いている。この説明は、とても明快で分かりやすく、納得できた。

 次にAI(正確にはAI技術)の進化の過程を、著者が主宰する「ロボットは東大に入れるか」(東ロボくん)プロジェクトの歩みを踏まえて具体的に解説する。YOLO(You Only Look One)と名付けられたリアルタイム物体検出システムや、クイズ王を打倒したワトソンというAIの登場。その達成は確かに素晴らしいけれど、動いている「仕組み」(からくり)を読むと、ちょっと拍子抜けする。ワトソンは、問題文からキーワードを選んで検索することで答え(らしきもの)を見つけているだけだという。

 一方、東ロボプロジェクトのセンター模試チャレンジは2013年から始まった。世界史、数学、英語など、科目によって攻略方法が異なるのが面白かった。数学は簡単に満点が取れそうだが、問題文を正しく理解することが意外なハードルになっていた。たとえば列車の「上り方向」と「下り方向」の意味を数学的に理解できるかどうか。英語では、人間なら普通に理解できる会話の「常識」がAIには理解できない。「今日は暑いね」と言えば、答えに「うん、寒いね」はないこと。「さっきは結んであった」と言えば「ほどけた」状態であること、など。あらためて、人間の頭の働き方の不思議さに感心した。

 コンピューターには意味が理解できない。この事実を私は少し忘れかけていた。何しろ最近のAIは「意味が分かっているかのように振舞う」ことが、かなり巧みだからである。AIが武器とするのは統計と確率である。質問応答ツールのSiriに「この近くの美味しいイタリア料理の店は?」と聞くと、あたかも質問の意味が分かったかのような答えを返してくれる。しかし「この近くのまずいイタリア料理の店は?」とか「この近くのイタリア料理以外の店は?」という問いに答えることはできない(ただし著者がこの問題を広めすぎたため、最近は改善されているらしい)。私はこれを、ジャーナリストの江川紹子さんが新井先生に対して行ったインタビュー記事で読んで、非常に面白く思った。

※Yahoo!ニュース:大事なのは「読む」力だ!~4万人の読解力テストで判明した問題を新井紀子・国立情報学研究所教授に聞く(2017/2/11)

 さらに興味深いのは、著者が最近の研究テーマとしているリーディングスキルテストの分析である。著者は、AIに読解力をつけさせるための研究蓄積を用いて、人間の基礎的読解力を判定するためのテストを開発し、累計2万5000人の小中高校生のデータを収集した。詳細は省くが、すでにAIの正答率も高い「係り受け」「照応」、まだAIには難しい「同義文判定」、AIには全く歯が立たない「推論」「イメージ同定」「具体的同定」の6つの分野からなる。単語も構文も扱われているテーマも、決して難しい問題ではないのだが、正答率は驚くほど低い。この結果から著者は、中高生の多くが「以外」や「のうち」を理解できないか読み飛ばしている、つまり「イタリア料理以外の店」を理解できないSiriと同じ読み方をしているのではないかと推定する。これは怖いけれど興味深い。読解力のある子どもは、好きなだけ部活に明け暮れても、教科書や問題集を「読めば分かる」のだから、短期間で成績を上げることができる。社会に出てからもマニュアルや仕様書を読んで、新しい分野で活躍することができる。しかし、読解力のない子どもにはその可能性がない。AIが人間の強力なライバルになる近未来を「AI並み」かそれ以下の読解力しかない彼らは生き抜いていけるのだろうか。

 我が身を振り返ると、私は読解力には自信がある。日本語の文章が読める能力なんて、外国語やITスキル、スポーツ・芸術方面の才能に比べたら、何の自慢にもならないと思ってきたが、さまざまな組織と仕事を渡り歩きつつも何とかやってこれたのは、読解力のおかげかもしれない。なお、私は小さい頃から読書好きだったが、著者によれば、どうすれば読解力が身につくかは分かっていない。読書習慣も学習習慣も、決定的な因子とは言えない。ただ、貧困が読解力にマイナスの影響を与えることだけは言えるそうである。

 私が、こうして何年も、本を読んでは文章を書く習慣を続けていることは、少なくとも読解力の維持に役立っているのではないかと思う。しかし、その一方、仕事で読む(読まされる)文章の質は年々下がり続けているので、筋を追い、意味を考えながら読むことを放棄し、「AI読み」で済ませることが増えている。この横着が悪影響を及ぼさなければいいのだけれど。
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