見もの・読みもの日記

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驚きの洗練と多様性/縄文(東京国立博物館)

2018-08-23 23:30:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『縄文-1万年の美の鼓動』(2018年7月3日~9月2日)

 「縄文の美」をテーマに、縄文時代草創期から晩期まで、日本列島の多様な地域で育まれた優品を一堂に集め、その形に込められた人びとの技や思いに迫り、約1万年にわたる美の移り変わりを紹介する展覧会。「みどころ」を読むと、とにかく「美」という言葉が繰り返し使われていて、考古資料としてではなく美術品として眺める態度を強く求められている気がした。

 最初の部屋「暮らしの美」は大混雑で、壁際の展示ケースは人の頭越しにしか見られなかった。本展は、縄文時代を前1万1000年から前400年までの約1万年と定義する(図録所載の年表による)。草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6区分は、先日読んだ山田康弘『つくられた縄文時代』と一致していた。最も古い草創期につくられた土器のひとつ(青森県出土)は、隆起線文といって、口縁に平行な細い縞模様が、上から下まで土器の側面にきれいに並んでいた。縄文ポシェット(中期・青森県)は、樹皮を網代編みに編んでつくったも意外な出土品で面白かった。透かし彫りの耳飾(晩期・群馬県)は精緻で洗練された造形で、縄文時代のイメージを完全に裏切られた。

 次室「美のうねり」には多数の土器。露出展示で壇上に並んだ火焰型土器・王冠型土器の数々(計12点・新潟県)は抜群の迫力。2017年の国学院大学博物館『火焔型土器のデザインと機能』で覚えたことを思い出しながら見た。火焰型土器より少しシンプルだが、流水のように変幻自在な線文で飾られた大型の深鉢形土器も見応えあり(山梨・安道寺遺跡出土、山梨・殿林遺跡出土、群馬・道訓前遺跡出土など)。幾何学文のパッチワークを嵌めたような長筒形の深鉢(長野・藤内遺跡)もカッコよかった。これらは「縄文」は全く使われていないか、目立たない地文として使われている程度である。一方、素朴で細かな「縄文」を全体にまとった片口付深鉢形土器(埼玉・上福岡貝塚、前期)は、赤みがかった土の色も華やかで、愛らしかった。

 また、このセクションには、後期・晩期の東日本で発掘された土器をまとめた展示ケースがあった。人の手になじむくらいの小ぶりな器が多く、土瓶や香炉や高坏などを思わせる多様な形をとり、飽きの来ない、ほどよい装飾が施されている。なんと完成度の高い美意識か。次室は、中国、パキスタン、イラク、エジプトなど、世界各地の古代文明の土器。ここまでが前半。

 後半の最初の部屋は「縄文美の最たるもの」と題して、国宝6件を一括展示。火焔型土器1件と土偶5件である。国宝土偶5件は、昨年、京博の『国宝』展で初めて見て、かなり衝撃を受けた。今回は、あらためて前後左右からじっくり眺める。土が違うのか焼きが違うのか、それぞれ個性的な色合いなのが面白い。私は火焔型土器のビスケットのような土色が好き。この部屋はかなり広くて圧迫感がなく、ありがたかった。日本人は横一列の展示ケースだと順番を守ろうとして滞留しがちなので、こういう単立ケースの展示を増やしてほしい。

 説明パネルの出土年を確認して、5件の国宝土偶を頭の中で並べてみると、中空土偶(北海道函館市、1975年)→縄文のビーナス(長野、1986年)→合掌土偶(青森、1989年)→縄文の女神(山形、1992年)→仮面の女神(長野、2000年)となった。私が小学生のときに発見されていたものはひとつもないことを確認して、ちょっと感慨深かった。歴史像は変わるものだなあ。

 そういえば、私が土偶と聞いて最初に思い浮かべる遮光器土偶(青森)がない?と思ったら、次室にあった。これは国宝指定を受けていないのだ。そして、発掘年が1886年(明治19年)というのに驚いた。これはまた古い…。そのほか、実に多種多様な土偶、人面付土器、人形装飾付土器、動物形の土製品が全国から集結していて面白かった。土偶は中期・後期・晩期のものが圧倒的に多い。

 本展では各展示品のキャプションパネルに、出土した都道府県のかたちが付いており(文字よりも遠目でパッと分かるのでたいへんよかった)、地域性を意識しながら見ていたが、九州が少ない気がした。あとでリストを確認したら、沖縄1件(石板)、鹿児島1件(土器)、福岡1件(装身具)のみ。たまたま、この展覧会がそうなのか、それとも九州地方に縄文土偶の発掘例はない(少ない)のだろうか? 逆に、こういう日本の歴史に関連する展覧会ではいつも影の薄い北海道に存在感があってうれしかった。

 最後に縄文土器を愛した人々として「民藝」の柳宗悦や濱田庄司、川端康成、岡本太郎などが紹介されていた。あと、もうひとつ記録しておきたいのは、後半の会場にさりげなく置かれた、縄文人の小さなフィギュアの数々。「1089ブログ」で紹介されているが、長野県北相木村教育委員会・学芸員の藤森英二さんの作だそうだ。

※おみやげは「遮光器土偶」飴(バニラ味)


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