○濱口桂一郎『働く女子の運命』(文春新書) 文藝春秋 2015.12
2015年8月に「女性活躍推進法」が成立した。こんな無様な(と私は思う)法律が必要なほど、なぜ日本の女性は活躍できていないのか。著者はその要因を日本型雇用システムに求める。欧米社会では、企業の中の労働を「職務(ジョブ)」として切り出し、その職務を遂行できる人をはめこむ。そして、ジョブのスキルに応じた賃金が払われる。欧米にも、かつては男の職域に女が進出してくることを嫌う男たちがいた。しかし、採用や昇進の判断基準が、ジョブを遂行するスキル以外にないために、スキルのある女性が男の職域に進出することが(比較的容易に)できた。
一方、日本のような「メンバーシップ型社会」では、目の前の仕事をきちんとこなせるかではなく、数十年にわたって企業に忠誠心を持ち続けられるかという「能力」と、どんな長時間労働でも遠方への転勤でも喜んで受け入れる「態度」を査定される。笑った。いや、笑い事じゃないが、そのとおりだという実感がある。そして、1970年代から80年代、世界的に男女平等が進められ、日本もその流れに乗って男女均等法をつくったのだが、ジョブ型社会を前提とした欧米社会の男女平等法制を、日本型のメンバーシップ社会に導入したため、無理や変形が生じてしまったと解説する。
本書は、まず戦前にさかのぼり、日本型雇用システムの由来を説き起こす。20世紀初頭の日本では年功的な賃金制度は存在せず、基本的に技能評価に基づく職種別賃金だった。日清戦争と第一次世界大戦後、大企業では長期勤続を奨励するための定期昇給制が導入される。しかし多くの中小企業は依然として年功的ではなかった。1922年、呉海軍工廠の伍堂卓雄氏が、はじめて「生活給思想」(賃金は労働者の生活を保障すべき)を提唱する。「昇給は本人の技能の上達及び物価騰貴に全然関係なきものにして単に生活費の増加に応ずるものなり」って、理論としては抵抗を感じるが、実はいまでもこの思想が生き延びているのだ。
これが戦時期には「皇国勤労観」に成長する。「勤労は皇国民の国家に対する責任であるから、賃金の如き労務の提供に対する対価の概念は全然認められない」って、開いた口がふさがらない。でも「其の反面皇国民の生活を維持すべきは国家の責任なのである」と明言しているのは、今の政府より信頼できる。「賃金」でなく「給与」という表現も、皇国勤労観の名残りなのかもしれない。そして「給与制は、勤労者及び其の扶養家族の生活保障を目的とするものでなければならぬ」。ここから、年齢と家族構成によって決まる賃金が制度化され、戦後、多くの組合にも受け入れられた。GHQや世界労連から批判を受けても、(家族を養うことが想定されない)女性の低賃金が改まることはなかった。
高度経済成長期に至っても、「男性が妻子を食わせる生活給」思想は根強く、年功賃金を守るため、さまざまな屁理屈が生み出された。中小企業と異なり、大企業で賃金が上がり続けるのは、大企業の機械設備が複雑で「知的熟練」を身につける必要があるからだ、という原因と結果の倒錯した推理に呆れるし、「同一価値労働同一賃金の考え方とは、将来的な人材活用の要素も考慮して、企業に同一の付加価値をもたらすことが期待できる労働であれば、同じ処遇とするというものである」にも笑うしかない。
そんな中、赤松良子氏ら女性官僚の努力が実って、1985年「男女雇用機会均等法」が成立する。ちなみに、私が本格的に社会に出るほんの少し前のことだ。ここから先、「一般職」と「総合職」というコース別雇用管理の登場、均等法世代から育休世代、少子化ショック、マミートラック問題などは、比較的なじみのテーマだった。
後半の「間接差別」の問題で、日本の雇用契約の無限定性、とりわけ場所的な無限定性については、自分の職場環境を顧みて、考えるところが多かった。私は転居をともなう職場の変更を何度か経験し、それを気軽に受け入れてきた。いまは後輩にそうした異動を勧告する立場だが、「欧米のジョブ型社会では勤務場所は契約の重要な要素」であるという指摘は心にとどめておきたい。
最終章で著者は、男性型「活躍」モデルを前提に、その「活躍」を女性も同じようにやるんだ、という考え方はやめようと述べている。これには心から同意する。それにしても、むかしの常識はいまの非常識だということを、しみじみ考えさせられた。

一方、日本のような「メンバーシップ型社会」では、目の前の仕事をきちんとこなせるかではなく、数十年にわたって企業に忠誠心を持ち続けられるかという「能力」と、どんな長時間労働でも遠方への転勤でも喜んで受け入れる「態度」を査定される。笑った。いや、笑い事じゃないが、そのとおりだという実感がある。そして、1970年代から80年代、世界的に男女平等が進められ、日本もその流れに乗って男女均等法をつくったのだが、ジョブ型社会を前提とした欧米社会の男女平等法制を、日本型のメンバーシップ社会に導入したため、無理や変形が生じてしまったと解説する。
本書は、まず戦前にさかのぼり、日本型雇用システムの由来を説き起こす。20世紀初頭の日本では年功的な賃金制度は存在せず、基本的に技能評価に基づく職種別賃金だった。日清戦争と第一次世界大戦後、大企業では長期勤続を奨励するための定期昇給制が導入される。しかし多くの中小企業は依然として年功的ではなかった。1922年、呉海軍工廠の伍堂卓雄氏が、はじめて「生活給思想」(賃金は労働者の生活を保障すべき)を提唱する。「昇給は本人の技能の上達及び物価騰貴に全然関係なきものにして単に生活費の増加に応ずるものなり」って、理論としては抵抗を感じるが、実はいまでもこの思想が生き延びているのだ。
これが戦時期には「皇国勤労観」に成長する。「勤労は皇国民の国家に対する責任であるから、賃金の如き労務の提供に対する対価の概念は全然認められない」って、開いた口がふさがらない。でも「其の反面皇国民の生活を維持すべきは国家の責任なのである」と明言しているのは、今の政府より信頼できる。「賃金」でなく「給与」という表現も、皇国勤労観の名残りなのかもしれない。そして「給与制は、勤労者及び其の扶養家族の生活保障を目的とするものでなければならぬ」。ここから、年齢と家族構成によって決まる賃金が制度化され、戦後、多くの組合にも受け入れられた。GHQや世界労連から批判を受けても、(家族を養うことが想定されない)女性の低賃金が改まることはなかった。
高度経済成長期に至っても、「男性が妻子を食わせる生活給」思想は根強く、年功賃金を守るため、さまざまな屁理屈が生み出された。中小企業と異なり、大企業で賃金が上がり続けるのは、大企業の機械設備が複雑で「知的熟練」を身につける必要があるからだ、という原因と結果の倒錯した推理に呆れるし、「同一価値労働同一賃金の考え方とは、将来的な人材活用の要素も考慮して、企業に同一の付加価値をもたらすことが期待できる労働であれば、同じ処遇とするというものである」にも笑うしかない。
そんな中、赤松良子氏ら女性官僚の努力が実って、1985年「男女雇用機会均等法」が成立する。ちなみに、私が本格的に社会に出るほんの少し前のことだ。ここから先、「一般職」と「総合職」というコース別雇用管理の登場、均等法世代から育休世代、少子化ショック、マミートラック問題などは、比較的なじみのテーマだった。
後半の「間接差別」の問題で、日本の雇用契約の無限定性、とりわけ場所的な無限定性については、自分の職場環境を顧みて、考えるところが多かった。私は転居をともなう職場の変更を何度か経験し、それを気軽に受け入れてきた。いまは後輩にそうした異動を勧告する立場だが、「欧米のジョブ型社会では勤務場所は契約の重要な要素」であるという指摘は心にとどめておきたい。
最終章で著者は、男性型「活躍」モデルを前提に、その「活躍」を女性も同じようにやるんだ、という考え方はやめようと述べている。これには心から同意する。それにしても、むかしの常識はいまの非常識だということを、しみじみ考えさせられた。