見もの・読みもの日記

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三種聴き比べ/声明を楽しむ(国立劇場)

2015-06-10 21:05:01 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 第3回伝統芸能の魅力・声明を楽しむ(6月6日、11:00~)

 なんとなく気になるけれど敷居の高い伝統芸能について、解説つきで比較的短時間・安価なプログラムを提供するシリーズ。いい試みだと思う。幕が開くと、舞台上には10人ほどの僧侶が横一列に並んでいて、短めの一曲を唱える。あとで浄土宗縁山流の皆さんだと分かった。続いて、講師の茂手木潔子先生が登場し、声明について解説する。仏様に捧げる声の音楽には、宗派によっていろいろな呼び名があるが、国立劇場では設立以来「声明(しょうみょう)」で統一しているとのこと。声明は、西洋音楽のように絶対的な音階に基づくのではなく、はじめに声を出す人の音が基準になるので、演じるたびに微妙に旋律が変わるという(※音楽用語は不正確です)。日本の僧侶がヨーロッパの教会で声明を演じた際、石造の建物は、音の反響が木造と全く違うので苦労した、という話も面白かった。

 続いて今日の主役である浄土宗縁山流の僧侶三人が登場し、同派の特徴的な節回しを実演してみせる。縁山流は徳川将軍家の菩提寺である増上寺に伝わるもので、はじめは天台宗の僧侶を京都から連れてきて、法会で声明を演じさせていたが(そのための声明長屋なる宿泊施設?もあった)、やがて「江戸」独自の声明が、1650年頃に成立した。家康の文化的野心が見えて面白い。増上寺には文化センターの役割があったのかな。絵画では狩野家との結びつきも強かったはず。聞かせてもらった旋律は、非常に技巧的で、長唄や小唄など、江戸の世俗的な音曲のもとになったというのも分かる気がした。

 さらに舞台には三人ずつ二組の僧侶が登場した。スツール(背もたれのない丸椅子)に腰を下ろした、と書こうと思ったが、あれは平安時代の節会等で使われた「草とん(そうとん)」かも知れない。向かって左、天台宗の僧侶は、明るい薄茶色の衣に同色の袈裟。中央、浄土宗縁山流の僧侶は黒紗の衣に濃茶一色の袈裟。右、真言宗豊山派の僧侶は、黒の衣に格子のはっきりした袈裟。袈裟のつけ方もそれぞれ微妙に違っていて面白い。

 そして「四智梵語讃」という同じ曲を、各宗派の旋律で聞きくらべる。天台宗は、いかにも平安時代の貴族の好みを思わせ、音の起伏が少なく、急がず慌てず、ゆったりと音を引っ張る。「公演では30分もすると、ほとんどのお客さんが寝てます」と嘆いて(?)笑いを誘っていたが、確かに私も天台宗の声明公演では眠気に勝てなかった経験あり。それに比べると、縁山流は江戸文化だなあ。なんというか、せわしない。真言宗豊山派は、縁山流ほど短気ではないが、装飾音をちりばめて、キラキラと華やか。個人的に、いちばん好きなのは真言宗かな。

 三組とも後ろの二人は鳴り物を抱えていた。シンバルみたいな「鈸(はち)」と、銅鑼みたいな「鐃(にょう)」。これも宗派によって、形や鳴らし方が少しずつ違う。鐃(にょう)は、響かせ過ぎないという点は一致していて、本体を身体に密着させ、撥は押し付けるように叩く(弾ませない)。縁山流は、袈裟の紐の一部が胸の前に垂れているのを利用し、その上から叩くという念の入れよう。鈸(はち)は、楽器の縁を擦り合わせるようにして音を出す。真言宗では左手の鈸(はち)を動かさず、右手だけ円を描くように動かす。

 最後に客席も声を出して、縁山流の節回しをうたってみるワークショップもあって、面白かった。阿弥陀様に聞こえるように、とにかく大きな声を出すのが修行です、とおっしゃっていたな。

 休憩後の第二部。縁山流のお坊さんが華やかな法衣と袈裟に着替えて再登場。「四智梵語讃」「散華」「伽陀」「開経偈」「歎仏頌」「笏念仏」「唱礼」「讃嘆」「同称十年」を唱える。笙、篳篥と龍笛も混じって、楽しかった。短かったこともあるが、旋律に変化があるので、確かに天台声明ほど眠くならない。なお、舞台の奥には、増上寺から持ってきていただいたという山越しの来迎阿弥陀図が掛けてあった。
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