○松本品子編『高畠華宵:大正・昭和・レトロビューティー』 河出書房新社 2011.12新装版
最近、弥生美術館に『日本の妖美 橘小夢展』を見に行ったとき、久しぶりに常設展もゆっくり見た。隣接の竹久夢二美術館もよかったが、高畠華宵が妙に面白くて、参考資料を2冊も買ってしまった。これはその1冊。
高畠華宵(1888-1966)はWikiでは「大正から昭和初期に活躍した、日本の画家」ということになっている。竹久夢二(1884-1934)と生年は近いが、ずっと長生きした。夢二のほうが芸術家(画家・詩人)として高く評価されており、知名度も高いと思う。華宵は通俗雑誌の挿し絵や商品広告など、商業美術で人気を博した画家のイメージが強い(私の場合)。しかし、その「人気」の度合が並大抵のものでなかったということを、弥生美術館の展示で、あらためて認識した。
華宵の描く女性像は、戦後の少女マンガの直系の先祖ではないかと思う。特徴的な三白眼は、目を大きく印象的に見せる描き方だ。小さく結ばれたおちょぼ口は喜怒哀楽の表情を隠し、見る者の気持ちを騒がせる。それから、女性らしいやわらかな肉づきを感じさせる曲線美。神経のゆきとどいた手先のポーズ。これらは、70年代から90年代くらいまでの少女マンガの定番的な絵柄にとてもよく似ている。
華宵は美少年も描いている。それも本書に収録されているのは、腹掛けにふんどしで、後ろから見るとほぼ裸体だったり、危ない嗜好の持ち主だったんじゃないか、と思うもの多し。やはり三白眼とおちょぼ口の超美少年で、エロい。そういうところも、ある種の少女マンガ的である。
華宵先生、とにかく大変な人気だったらしい。本書には「華宵便箋」とか「華宵浴衣」の当時の広告がそのまま収録されていて興味深い。それ以上に目をむいたのは、華宵御殿と呼ばれた自宅(鎌倉の稲村ヶ崎にあった)でくつろぐご本人の写真である。前髪がいくぶん後退した普通のおじさんが、どてら(?)姿で座り、膝の上の手紙を読んでいる。花頭窓みたいな入口の奥は寝室らしく、レースつきのカーテンが左右に垂れている。ほかにも、スーツ姿で机に向かい(卓上にはアールデコ風のランプ)(額に手を当てて、アンニュイな雰囲気)で「仕事中」の華宵など、「やらせ」感が強くて、笑いがこみあげてくる。まあ、姉さん被りで仮装している写真もあるくらいだから、「やらせ」というより、本人が「演技」したがったんだろうけど。面白いなあ、このひと。
戦後は絵本や児童書の挿絵を描いているが、戦前とはずいぶん絵柄が違う。エロティシズムが影をひそめ、生真面目で硬質な感じ。世相の変化についていくのに苦労をしたんだろうな。当時の児童書はわりあい長く読み継がれていて、私はこの頃の華宵の絵本を、それとは知らずに読んで育った記憶がある。やがて仕事はほとんどなくなり、失意のうちに渡米するが、生活は困窮し、自殺を考えるほど追いつめられた。それでも晩年には再評価の機運が高まり、弥生美術館の開館も見届けて逝去したというから、少し安堵する。
本書にはゆかりの二氏のインタビューが収められている。ひとりは門下生の森武彦氏。十二歳で家出して神戸から華宵に会いに来たというから、行動力がある。「現在、弥生美術館副館長」という注記を見て、エエエと驚いた。もうひとりは古賀三枝子氏。生涯独身だった華宵が、唯一アトリエに入ることを許した女性だという。こちらは「現在、弥生美術館館長」と知って、さらに驚いた。周囲の人たちを含めて、ほんとに面白いなあ。
最近、弥生美術館に『日本の妖美 橘小夢展』を見に行ったとき、久しぶりに常設展もゆっくり見た。隣接の竹久夢二美術館もよかったが、高畠華宵が妙に面白くて、参考資料を2冊も買ってしまった。これはその1冊。
高畠華宵(1888-1966)はWikiでは「大正から昭和初期に活躍した、日本の画家」ということになっている。竹久夢二(1884-1934)と生年は近いが、ずっと長生きした。夢二のほうが芸術家(画家・詩人)として高く評価されており、知名度も高いと思う。華宵は通俗雑誌の挿し絵や商品広告など、商業美術で人気を博した画家のイメージが強い(私の場合)。しかし、その「人気」の度合が並大抵のものでなかったということを、弥生美術館の展示で、あらためて認識した。
華宵の描く女性像は、戦後の少女マンガの直系の先祖ではないかと思う。特徴的な三白眼は、目を大きく印象的に見せる描き方だ。小さく結ばれたおちょぼ口は喜怒哀楽の表情を隠し、見る者の気持ちを騒がせる。それから、女性らしいやわらかな肉づきを感じさせる曲線美。神経のゆきとどいた手先のポーズ。これらは、70年代から90年代くらいまでの少女マンガの定番的な絵柄にとてもよく似ている。
華宵は美少年も描いている。それも本書に収録されているのは、腹掛けにふんどしで、後ろから見るとほぼ裸体だったり、危ない嗜好の持ち主だったんじゃないか、と思うもの多し。やはり三白眼とおちょぼ口の超美少年で、エロい。そういうところも、ある種の少女マンガ的である。
華宵先生、とにかく大変な人気だったらしい。本書には「華宵便箋」とか「華宵浴衣」の当時の広告がそのまま収録されていて興味深い。それ以上に目をむいたのは、華宵御殿と呼ばれた自宅(鎌倉の稲村ヶ崎にあった)でくつろぐご本人の写真である。前髪がいくぶん後退した普通のおじさんが、どてら(?)姿で座り、膝の上の手紙を読んでいる。花頭窓みたいな入口の奥は寝室らしく、レースつきのカーテンが左右に垂れている。ほかにも、スーツ姿で机に向かい(卓上にはアールデコ風のランプ)(額に手を当てて、アンニュイな雰囲気)で「仕事中」の華宵など、「やらせ」感が強くて、笑いがこみあげてくる。まあ、姉さん被りで仮装している写真もあるくらいだから、「やらせ」というより、本人が「演技」したがったんだろうけど。面白いなあ、このひと。
戦後は絵本や児童書の挿絵を描いているが、戦前とはずいぶん絵柄が違う。エロティシズムが影をひそめ、生真面目で硬質な感じ。世相の変化についていくのに苦労をしたんだろうな。当時の児童書はわりあい長く読み継がれていて、私はこの頃の華宵の絵本を、それとは知らずに読んで育った記憶がある。やがて仕事はほとんどなくなり、失意のうちに渡米するが、生活は困窮し、自殺を考えるほど追いつめられた。それでも晩年には再評価の機運が高まり、弥生美術館の開館も見届けて逝去したというから、少し安堵する。
本書にはゆかりの二氏のインタビューが収められている。ひとりは門下生の森武彦氏。十二歳で家出して神戸から華宵に会いに来たというから、行動力がある。「現在、弥生美術館副館長」という注記を見て、エエエと驚いた。もうひとりは古賀三枝子氏。生涯独身だった華宵が、唯一アトリエに入ることを許した女性だという。こちらは「現在、弥生美術館館長」と知って、さらに驚いた。周囲の人たちを含めて、ほんとに面白いなあ。