○井波律子『中国人物伝VI. 変革と激動の時代:明・清・近現代』 岩波書店 2014.12
『中国人物伝』全4巻は、去年の9月から毎月1冊ずつ刊行されていたらしい。年末に東京に帰省して、あ!こんなの出てる!と気づいた。買うのをガマンして札幌に戻ったら、最新刊の4巻だけ、ひっそり書棚に置かれていた。東京の大型書店では、4冊並んでいたから、すぐ目についたんだな。
読むなら「明・清・近現代」からと決めていたので、ちょうどよかった。むかしは中国史というと古代がお気に入りだったけれど、最近は近世・近代史が大好きになってきた。しかし「明・清・近現代」で1冊って、無謀なんじゃない? それぞれの王朝(時代区分)で「語るに足る」人物を挙げていったら、3倍、5倍のボリュームが必要だろうに、と思った。
ちなみに「明」は16編、「清」は9編、「近現代」は4編を収録。1編の長さはまちまちで、ひとりの人物に焦点をあてたものもあるし、家系や交友関係、あるいは設定したテーマによって、数名をまとめて論じたものもある。基本的に、著者がこれまで書いてきた文章を編み直したアンソロジー(新稿もあり)なので、人物を見る視点や文章のトーンは不統一だ。しかしその、次に何が出てくるか分からないごった煮感が、中国史らしくて好ましい。
一般の歴史書と比べてユニークなのは、文化人の比重が高いこと。たとえば明代。始祖・洪武帝から永楽帝までの「本紀」、南海遠征に名を残す鄭和、国を傾けた魏忠賢あたりは穏当として、画家の徐渭、文学者の馮夢龍、さらに寧波の書庫「天一閣」を創設した范氏一族の物語も取り上げられている。馮夢龍(1574-1646)は妓女の口ずさむ小唄を集めた『桂枝児』や民歌集『山歌』を出版しているのだな。日本の『閑吟集』や『隆達小歌』みたいだ。『李卓吾評忠義水滸全伝』の編集・校訂に打ち込み、同書を書種堂から刊行したのも馮夢龍だが、どこにも名前は記されていないという。
名前は知っていたけど、詳しい生涯を初めて知ったのは、女文人の柳如是(1618-1664)。日本だったら文句なく「大河ドラマ」の主人公になれる激動の生涯を送った。妓女にして女文人。40歳も年上の大学者・銭謙益の妻となり、男装して剣術も学んだ。明が滅亡すると、夫の反清運動を支え、単身で鄭成功に接触もしている。すごい行動力! 2012年に中国で映画が作られているようだ。
張献忠も嫌いじゃない。明末の農民反乱を率いたリーダーのひとりだが、清代の野史が、稀代の殺人鬼に仕立てあげてしまった。憎いから殺すだけでなく、可愛くても殺した。愛妾、友人、一人息子まで。友人たちの生首を長持に入れて運搬させ、陣中で寂しいと、生首を並べて酒を楽しんだという。ここまで「尋常」を踏み越えてしまうと、恐ろしいのを通り越して滑稽である。中国史上の大悪人って、これだから好き。
「清」でも、大好きな画家の八大山人、詩人の袁枚が取り上げられていて、嬉しかった。袁枚はバイセクシュアルだったのか。「好色」を肯定し、玄人の女性を次々と側室に迎え入れる一方で、女性の知性や才能をこだわりなく評価した。こういう明清の自由な空気が、もっと日本でも知られるといいのに。
「近現代」の初期を飾る西太后、梁啓超、譚嗣同、みんな大好きだ。清滅亡の元凶とされる西太后であるが、宴会や芝居見物でどんなに夜更かしをしても、翌朝は必ず五時に起床し政務を執ったという。70歳過ぎまで! 満州族って、基本的に勤勉なのかなあ。とても真似できない。魯迅を「憎悪に満ちた論争家(ポレミック)」、毛沢東を「稀代の修辞家(レトリシアン)」という側面でとらえた巻末の2編もとても面白かった。やっぱり、文は人である。
ほかの巻も、少しずつ読んでいこう。
『中国人物伝』全4巻は、去年の9月から毎月1冊ずつ刊行されていたらしい。年末に東京に帰省して、あ!こんなの出てる!と気づいた。買うのをガマンして札幌に戻ったら、最新刊の4巻だけ、ひっそり書棚に置かれていた。東京の大型書店では、4冊並んでいたから、すぐ目についたんだな。
読むなら「明・清・近現代」からと決めていたので、ちょうどよかった。むかしは中国史というと古代がお気に入りだったけれど、最近は近世・近代史が大好きになってきた。しかし「明・清・近現代」で1冊って、無謀なんじゃない? それぞれの王朝(時代区分)で「語るに足る」人物を挙げていったら、3倍、5倍のボリュームが必要だろうに、と思った。
ちなみに「明」は16編、「清」は9編、「近現代」は4編を収録。1編の長さはまちまちで、ひとりの人物に焦点をあてたものもあるし、家系や交友関係、あるいは設定したテーマによって、数名をまとめて論じたものもある。基本的に、著者がこれまで書いてきた文章を編み直したアンソロジー(新稿もあり)なので、人物を見る視点や文章のトーンは不統一だ。しかしその、次に何が出てくるか分からないごった煮感が、中国史らしくて好ましい。
一般の歴史書と比べてユニークなのは、文化人の比重が高いこと。たとえば明代。始祖・洪武帝から永楽帝までの「本紀」、南海遠征に名を残す鄭和、国を傾けた魏忠賢あたりは穏当として、画家の徐渭、文学者の馮夢龍、さらに寧波の書庫「天一閣」を創設した范氏一族の物語も取り上げられている。馮夢龍(1574-1646)は妓女の口ずさむ小唄を集めた『桂枝児』や民歌集『山歌』を出版しているのだな。日本の『閑吟集』や『隆達小歌』みたいだ。『李卓吾評忠義水滸全伝』の編集・校訂に打ち込み、同書を書種堂から刊行したのも馮夢龍だが、どこにも名前は記されていないという。
名前は知っていたけど、詳しい生涯を初めて知ったのは、女文人の柳如是(1618-1664)。日本だったら文句なく「大河ドラマ」の主人公になれる激動の生涯を送った。妓女にして女文人。40歳も年上の大学者・銭謙益の妻となり、男装して剣術も学んだ。明が滅亡すると、夫の反清運動を支え、単身で鄭成功に接触もしている。すごい行動力! 2012年に中国で映画が作られているようだ。
張献忠も嫌いじゃない。明末の農民反乱を率いたリーダーのひとりだが、清代の野史が、稀代の殺人鬼に仕立てあげてしまった。憎いから殺すだけでなく、可愛くても殺した。愛妾、友人、一人息子まで。友人たちの生首を長持に入れて運搬させ、陣中で寂しいと、生首を並べて酒を楽しんだという。ここまで「尋常」を踏み越えてしまうと、恐ろしいのを通り越して滑稽である。中国史上の大悪人って、これだから好き。
「清」でも、大好きな画家の八大山人、詩人の袁枚が取り上げられていて、嬉しかった。袁枚はバイセクシュアルだったのか。「好色」を肯定し、玄人の女性を次々と側室に迎え入れる一方で、女性の知性や才能をこだわりなく評価した。こういう明清の自由な空気が、もっと日本でも知られるといいのに。
「近現代」の初期を飾る西太后、梁啓超、譚嗣同、みんな大好きだ。清滅亡の元凶とされる西太后であるが、宴会や芝居見物でどんなに夜更かしをしても、翌朝は必ず五時に起床し政務を執ったという。70歳過ぎまで! 満州族って、基本的に勤勉なのかなあ。とても真似できない。魯迅を「憎悪に満ちた論争家(ポレミック)」、毛沢東を「稀代の修辞家(レトリシアン)」という側面でとらえた巻末の2編もとても面白かった。やっぱり、文は人である。
ほかの巻も、少しずつ読んでいこう。