見もの・読みもの日記

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南島から来た人間/西郷隆盛紀行(橋川文三)

2015-01-28 23:42:03 | 読んだもの(書籍)
○橋川文三『西郷隆盛紀行』(文春学藝ライブラリー) 文藝春秋 2014.10

 何度か書いているが、私は西郷隆盛という人物の魅力がよく分からない。ほうっておけばよさそうなものだが、時々、思わぬ人が西郷を礼賛しているので、どうしても気になる。たとえば、内村鑑三は「明治の維新は西郷の維新であった」と言い切り、「聖人哲人」「クロムウェル的の偉大」「日本人のうちにて、もっとも幅広きもっとも進歩的なる人」と口をきわめて褒めている。内村鑑三というのも、ちょっとアヤシイところのある人で(←ホメている)この記述を含む『代表的日本人』を、読みたい読みたいと思って探している。

 中江兆民も西郷に高い評価をおく。著者いわく、兆民は、名誉や社会的地位に目もくれず、貧乏を恐れない。そのかわり、正義と信じるものには絶対に従う、そのあたりが西郷と似た性格なのではないか。それから、福沢諭吉。これは意外な気がした。西南戦争直後に西郷弁護論を書いているが、反響を考慮して晩年まで発表を控えたという。福沢は、単純な進歩主義者タイプとはいえない、という分析が興味深い。北一輝は、非常に複雑な表現で西郷を評価している。西郷軍の反動性を指摘し、倒されたのは必然としながら、西郷の死によって維新の精神が失われたことを惜しむ。それから鶴岡育ちの大川周明。庄内藩は戊辰戦争で寛大な処遇を受けたことから、西郷への敬愛の念が強いのだそうだ。

 さらに意外なことに、中国文学者の竹内好が登場する。竹内は西郷論は書いていないが、関心をもっていたに違いない、と著者は推測する。そして、竹内好の研究対象だった魯迅も西郷に関心があったらしい。まあ近代中国の「志士」たちが明治維新に学んでいたことはたくさん傍証があるし。

 それから、これは仮定であるが、もし西郷が遣韓大使として朝鮮に渡り、大院君(高宗の父)に会っていたら、意気投合していたのではないか(安宇植氏談)という見解も興味深く読んだ。私は閔妃事件の関係で、どちらかというと悪役イメージで見ていたが、勝海舟も大院君に会って、面白い人物だと評しているという。時代や国境を越えた西郷隆盛シンパが、芋づる式に現れるので、たいへん面白かった。

 その一方、西郷は政治的実務能力を全く欠いていたとか、封建的な地方主義を脱却していなかったとか、近代的合理性の立場からの批判がある。木戸孝允とか大隈重信の弁。また、敗戦後は、西郷の「征韓論」が軍国主義や右翼のシンボルのように扱われた。しかし著者は、西郷の「征韓論」は前近代の大陸膨張論であり、その後の帝国主義的な膨張論(アジア侵略)とは区別すべき点があるのではないかと考える。歯切れは悪いけど、言いたいことは分かる。

 そして、それゆえ、著者は西郷隆盛論を書こうと思って、いろいろ調べていく。ゆかりの地を訪ねたり、対談をしたり、講演をしたり、その構想ノートが本書なのだ。いちばん面白かったのは、「西郷隆盛と南の島々」と題された島尾敏雄氏との対談。作家の島尾敏雄さんって、奄美大島で図書館長(分館長)をされていたのか。知らなかった。西郷が「島暮らし」で得たものをめぐって、倭(ヤマト)の辺境である南島と東北の親近性に話が及ぶ。島尾さんの「薩摩は南島とものすごく似ています」とか、北九州はヤマトの中心であって辺境ではない、などの指摘が、いちいち刺激的だった。西郷は、ヤマトの政治に絶望して、何か違うもの(日本を超えたもの?)を求めていたのではないか、というのが著者のたどりついた推論である。

 「征韓論」について、日本が朝鮮とぶつかり、清国と戦うことになれば、日本の士族層は滅び、その後の日本に新しい体制ができるかもしれない。そこらへんまでは西郷さんも考えていたのではないか、と著者は1976年の講演で述べている。これは、著者が意識していたかどうか分からないけど、中江兆民『三酔人経綸問答』に登場する豪傑君の主張そのものであると思って、はっとした。なお、ネタバレだけど、最終的に著者の西郷隆盛論は完成せずに終わっている。

 鹿児島、それから奄美大島も行ってみたくなってきたなあ。あと、この「文春学藝ライブラリー」、文藝春秋社のHP(本の話WEB)に「名著、良書の復刊」を目指します、とうたっているが、選択眼が非常によい。息切れしないよう、今後とも期待!
コメント (1)
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