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見もの・読みもの日記

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すべては命と健康のために/過労自殺(川人博)

2014-08-07 23:31:41 | 読んだもの(書籍)
○川人博『過労自殺』(岩波新書) 岩波書店 2014.7 第二版

 ブログの中では趣味に徹しているが、私は現実世界では、けっこう多人数の厚生労務管理に責任を負う立場にある。それで、つらつら自分の職場の状況などを思い合わせながら、本書を読んでみた。

 第1章には、著者が直接かかわった裁判等をもとに8つの事例が報告されている。うち6例は、今日、特に深刻とされている青年労働者(20~30代)の例である。第2章は、統計や各種の文献をもとに、日本の過労労働の原因・背景・歴史を分析する。大正時代、諏訪湖畔の製糸工場では、女工たちの疾病・精神疾患の発生や自殺が頻発し、「湖水に飛び込む工女の亡骸で諏訪湖が浅くなった」と言われた時期もあるそうだ。諏訪湖って、そんな怖いところだったのか…。第3章は労災補償に関するQ&Aで、ここだけ独立して読むこともできる。最後に、第4章は、過労自殺をなくすための著者からの提言。

 本書は、1998年に出版された初版の改訂版である。1998年は、日本の自殺者数が初めて3万人を超えた年だ。長時間労働が引き起こす「過労死」が問題化したのもこの頃だったように思う。30代後半だった私も、人生でいちばん長時間労働に巻き込まれていた時期だ。1日12時間で終わればマシなほうとか、土日も出勤しないと仕事が片付かないので、20日間以上休みなしとか、まあそんな感じ。しかし「過労死」というのは、40~50代の、正直、少しガタが来始めた人たちの災厄だと思っていた。まだ当時の20~30代には、不満を言いながらも、自分たちが「生産性の低い40~50代に代わって、しょうがないから働いてやっている」「会社(組織)を支えてやっている」という自負(言い訳みたいなものだが)を持つことが許されていたように思う。

 それが、第1章の事例(第二版で全て書き換えられた)を読むと、今日の資本主義(市場主義)の激烈さと、抗するすべを持たない若年労働者のいのちの弱さが身に迫ってくる。20世紀初頭、富国強兵と殖産興業政策の影で多発していた製糸工場の女工たちの過労自殺は、決して他人事ではない。著者は「強暴な資本主義への逆戻り」という表現を使っている。私たちの世代は、まず「我々だって長時間労働に耐えてきたんだから、お前も頑張れ」的な物言いを絶対に慎むことから始めなければならない。

 それにしても、なぜ彼ら若年労働者はこんなに弱くて、こんなに無抵抗なんだろう。箱に詰められたウサギみたいではないか。38日間連続勤務とか、33時間連続勤務とか、2年半で休日が27日とか、数字以上に、とにかく非人間的な扱いを受けていても「自分がふがいない」「迷惑かけてすみません」と言い残して、命を絶っていく。

 過労自殺の前段階に「うつ病」がある。従来、うつ病は、性格類型としてメランコリー親和型の人がなりやすいと言われてきた。その特徴は、責任感が強く、几帳面で勤勉で、権威や序列を尊重し、道徳心が強い傾向が挙げられる。告白しておくと、私はむかし、自分にはこれらの特徴があてはまると思っていた。しかし、久しぶりに読んだら、全然あてはまる気がしないので、苦笑してしまった。いやー私、几帳面でも勤勉でもないし、権威や序列を尊重しないし、道徳心も強くないな…。こういう割り切りができるようになると、社会の荒波に揉まれても生き残れるのである。

 より問題なのは、第2章に引用されている精神科医・加藤敏氏の分析だ。現代では、多くの職場が、就労者の間違いを許さない完全主義を徹底し、加えて「消費者、利用者、お客さんに不都合・落ち度がないよう細やかな配慮を徹底する他者配慮性を前面に出している」。つまり「職場のメランコリー親和型化」である。ただし、職場の他者配慮性は、心から共感的に相手を思いやるのではなく「企業競争を勝ち抜くための意図的戦略の色彩が強い」。したがって、厳密には「職場の偽性メランコリー親和型化」と呼ぶべきだろう、という。

 この「職場の偽性メランコリー親和型化」(すべてはお客様のために)は本当に曲者で、社会的経験が少ないと、なかなか抵抗しにくいと思う。しかし、著者が第4章で述べているように、すべてを労働者の「がんばり」に期待する職場は間違いである。たとえ義理を欠いても、迷惑をかけても、「人間のいのちと健康」こそ守られるべきものなのだ。この点、私は著者に全面的に同意する。

 そして、使用者は労働者に対し、労働者が生命、身体等の安全を確保しつつ労働できるよう配慮する義務があることを肝に銘じよう(疲労や心理的な負荷が蓄積して、労働者の心身の健康を損なわないような配慮を含む)。そもそも、こういう労働法の精神を教えないで、かたちだけの管理職育成やリーダーシップ論がまかり通っている状況がおかしいのだけど。

 追記。先日、報じられた理研の笹井芳樹氏の自殺も、統計においては「勤務問題」による自殺の1例として数えられるのだろうな。原因のサブカテゴリーは「仕事の失敗」なんだろうか、とぼんやり考えた。
コメント
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