○御厨貴『知の格闘:掟破りの政治学講義』(ちくま新書) 筑摩書房 2014.1
御厨貴さんのことはよく知らなかった。お名前の字面の美しさに惑わされて、勝手に少女マンガの貴公子キャラみたいな容貌を思い描いていたので、本書の著者近影を見て、えっと驚いてしまった(すみませんw)。テレビを見ないもので、TBS「時事放談」の司会者をされているということも初めて知った。
本書は、2012年3月、著者が東京大学先端科学技術センターを退職するにあたり、2011年9月から月1回、全6回のシリーズで行った「最終講義」をもとにしている、各回のテーマは以下のとおり。「政治学」の幅に収まらない多様なテーマが選ばれていることや、比較的若手の研究者がゲストに招かれているのが面白いと思った。
第1講「オーラル・ヒストリー」×牧原出
第2講「公共政策」×飯尾潤
第3講「政治史」×五百旗頭薫
第4講「建築と政治」×隈研吾
第5講「書評と時評」×苅部直
第6講「メディアと政治」×池内恵
「オーラルヒストリー」「公共政策」には、政界の著名人たちの逸話が次々に飛び出す。「黄金期の自民党には幅があった」「イデオロギーの幅ではなく、人間の幅です」というのは、この数年、いやこの数日の日本の政治を見ていても、しみじみ沁みる言葉だ。宮澤喜一は、必ず英字新聞、または「タイム」誌を片手に丸めて持って「いらっしゃい」と出てくる嫌味な人だったとか、小泉純一郎は、やったことを次々忘れる人だから、五年間も総理の職にいられたのだ、とか面白い。
ゲストの飯尾潤氏がいう「一人の良い頭でつくった政策は通用しなくて、頭が悪そうに見えようが、いろいろな意見を一応は全部こなしきって何かを含んだり対応したりしていることが、世の中に対して有効性のある政策になる必須の条件である」というのは、強く共感できた。そこが理論や哲学の「政治学」と、最近、多くの大学に設置されるようになった「公共政策」学部の違いなのだな。
「建築と政治」はかなり意外なテーマだったが、今の首相官邸は「総理を引きこもらせる」建築らしい。旧官邸は狭いので、やたらと新聞記者がいて「ほとんど雑踏の中のような感じ」だった。これに対して、広くなり、部屋も増えた今の官邸では、総理は執務室で孤独でいることが多くなり、逆に情報を遮断された状態だという。本書では、当時の野田佳彦首相が、国民の感情を肌で受け取っていた感覚を急速に失っていると批判されているが、いまの安倍首相もそうなんじゃないだろうか。
むかしの政治家が広い庭のある邸宅に住んでいたのは、丹精込めて育てたバラを贈り合う習慣があったから、というのは初耳。日本の政治家にも、そんな殊勝な心掛けが行き渡っていた時代があったのか。池田勇人の逸話で、松永耳庵から「総理大臣になったら茶室のひとつくらい持たないといけない」と言われてつくったけれど、一度も使わなかった、というのは悲しいなあ。この頃から、日本の政治家の文化程度が急激に落ち込むんだなあ。
著者は90年代からゼロ年代にかけて、複数の新聞紙上で「書評」に携わったが、「時代とのずれ」を感じて、書評の筆を折る。この話は、日本の出版状況・活字文化の変化を伝えていて、興味深い。90年代は担当記者によって、ある程度の選定が行われており、どれを書評対象にしてもよいという安心感があった。逆にいえば、それが可能な出版点数だった。ところが、10年後は、出版点数が圧倒的に増えたことが「記者たちの選抜する努力を失わせしめている」って、うーむ、そうかもしれない。昨今の安くつくって安く売る新書の洪水。
最後の「メディアと政治」は主に映像メディアを扱っているのだが、萩市で「山形有朋が馬にまたがった銅像」を、戦後、土に埋めた(明治百年の年に掘り出した)という話には驚いた。直前に木下直之先生の『銅像時代』を読んだばかりだったので。兵庫の知事をつとめた伊藤博文は、明石の海岸に銅像が建てられたが、日比谷焼打ち事件の際、暴徒が「そもそも伊藤博文が悪い」といって海に投げ捨てられたという。こういう幾重にも曲がりくねった毀誉褒貶を経て、いまの「歴史像」はあるのだな。

本書は、2012年3月、著者が東京大学先端科学技術センターを退職するにあたり、2011年9月から月1回、全6回のシリーズで行った「最終講義」をもとにしている、各回のテーマは以下のとおり。「政治学」の幅に収まらない多様なテーマが選ばれていることや、比較的若手の研究者がゲストに招かれているのが面白いと思った。
第1講「オーラル・ヒストリー」×牧原出
第2講「公共政策」×飯尾潤
第3講「政治史」×五百旗頭薫
第4講「建築と政治」×隈研吾
第5講「書評と時評」×苅部直
第6講「メディアと政治」×池内恵
「オーラルヒストリー」「公共政策」には、政界の著名人たちの逸話が次々に飛び出す。「黄金期の自民党には幅があった」「イデオロギーの幅ではなく、人間の幅です」というのは、この数年、いやこの数日の日本の政治を見ていても、しみじみ沁みる言葉だ。宮澤喜一は、必ず英字新聞、または「タイム」誌を片手に丸めて持って「いらっしゃい」と出てくる嫌味な人だったとか、小泉純一郎は、やったことを次々忘れる人だから、五年間も総理の職にいられたのだ、とか面白い。
ゲストの飯尾潤氏がいう「一人の良い頭でつくった政策は通用しなくて、頭が悪そうに見えようが、いろいろな意見を一応は全部こなしきって何かを含んだり対応したりしていることが、世の中に対して有効性のある政策になる必須の条件である」というのは、強く共感できた。そこが理論や哲学の「政治学」と、最近、多くの大学に設置されるようになった「公共政策」学部の違いなのだな。
「建築と政治」はかなり意外なテーマだったが、今の首相官邸は「総理を引きこもらせる」建築らしい。旧官邸は狭いので、やたらと新聞記者がいて「ほとんど雑踏の中のような感じ」だった。これに対して、広くなり、部屋も増えた今の官邸では、総理は執務室で孤独でいることが多くなり、逆に情報を遮断された状態だという。本書では、当時の野田佳彦首相が、国民の感情を肌で受け取っていた感覚を急速に失っていると批判されているが、いまの安倍首相もそうなんじゃないだろうか。
むかしの政治家が広い庭のある邸宅に住んでいたのは、丹精込めて育てたバラを贈り合う習慣があったから、というのは初耳。日本の政治家にも、そんな殊勝な心掛けが行き渡っていた時代があったのか。池田勇人の逸話で、松永耳庵から「総理大臣になったら茶室のひとつくらい持たないといけない」と言われてつくったけれど、一度も使わなかった、というのは悲しいなあ。この頃から、日本の政治家の文化程度が急激に落ち込むんだなあ。
著者は90年代からゼロ年代にかけて、複数の新聞紙上で「書評」に携わったが、「時代とのずれ」を感じて、書評の筆を折る。この話は、日本の出版状況・活字文化の変化を伝えていて、興味深い。90年代は担当記者によって、ある程度の選定が行われており、どれを書評対象にしてもよいという安心感があった。逆にいえば、それが可能な出版点数だった。ところが、10年後は、出版点数が圧倒的に増えたことが「記者たちの選抜する努力を失わせしめている」って、うーむ、そうかもしれない。昨今の安くつくって安く売る新書の洪水。
最後の「メディアと政治」は主に映像メディアを扱っているのだが、萩市で「山形有朋が馬にまたがった銅像」を、戦後、土に埋めた(明治百年の年に掘り出した)という話には驚いた。直前に木下直之先生の『銅像時代』を読んだばかりだったので。兵庫の知事をつとめた伊藤博文は、明石の海岸に銅像が建てられたが、日比谷焼打ち事件の際、暴徒が「そもそも伊藤博文が悪い」といって海に投げ捨てられたという。こういう幾重にも曲がりくねった毀誉褒貶を経て、いまの「歴史像」はあるのだな。