○桐竹勘十郎、吉田玉女『文楽へようこそ』 小学館 2014.4
人形浄瑠璃文楽について、初心者から長いキャリアを持つ愛好家まで、誰でも手に取りたくなるような素敵な本が出た。軽くて薄いソフトカバーで(紙質はいい)1,500円という定価も懐にやさしいが、斬新な内容がぎっしり詰まっている。
私は今から30年くらい前、学生時代に文楽にハマった。そのとき、手元に置いた参考書は、カラー写真を満載した、文庫シリーズの1冊だった。厚手の光沢紙がサイズのわりに重かったこと、ざらざらした手触りの透明カバーがついていたことなどを記憶しており、1970~80年代くらいまで書店や図書館で見かけたと記憶するのだが、いま検索しても、それらしい写真がヒットしないのが悔しい。
さて本書だが、いま人形遣いとして最も注目される桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんを前面に押し出した編集になっている。おふたりが「私の好きな演目ベスト10」を選び、それぞれの立場から、経験を踏まえて解説をされているのはとても楽しい。演劇評論家や研究者の解説とは、やっぱり、ひと味もふた味も違う。「この作品の初演の評価は…」みたいな学術的解説ではなく、「ここがカッコいい」「ここが難しい」という感じで、一般観客の肺腑にストンと落ちる見どころ指南である。
演目解説は、重複がないよう配慮されているので、全部で20。どれも有名作品ばかりだが、私が見たことがない(見たという確実な記憶がない)のは「加賀見山旧錦絵」「伊賀越道中双六」「嬢景清八嶋日記」。ううむ、まだまだだ。解説に添えられた写真は、当たり前だが、全ておふたりが遣っていらっしゃる人形の写真で統一されている。こういう編集は、今までなかったので、地味にすごいと思った。
おふたりの解説の文中には、玉男師匠が遣うと…、蓑助師匠の場合は…という具合に、先輩師匠の芸に触れている部分もある。それから「伝説の至芸」と題して、吉田玉男の徳兵衛と吉田蓑助のお初による「曾根崎心中」の一場面と、二世桐竹勘十郎の「夏祭浪花鑑」の団七の写真が掲載されているが、これがまた、1カットの写真なのに、至芸が伝わってくるいい写真である。特に蓑助さんのお初の、凛とした美しさに見とれる。
桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんの対談(聞き手:小佐田定雄氏)も、たいへん興味深く読んだ。おふたりが同じ昭和28年(1953)生まれ(学年は早生まれの勘十郎さんが1つ上)だとは全然存じ上げなかった。昭和41年(1966)、中学生だったふたりは、文楽公演(朝日座)のアルバイトに駆り出されて、知り合う。中学卒業後、それぞれの師匠に入門し、以来50年にわたって研鑽を重ね、文楽の世界に生きて来た。印象的だったのは、ふたりとも「勉強が嫌い」で高校進学にあまり魅力を感じていなかったということ。当時は、こういう中学生に、いろいろな人生の選択肢があったのだなあ。高校進学率が97%超で、どんな子供も「高校くらい出ておかないと」と言われるいまの日本社会って、幸せの度合は増したんだろうか?
それから人形も床も伝説の名人揃いだった当時(昭和40年代)、お客は少なくて「お客様の数よりも出演者の数のほうが多かったくらい」で、「今、大阪市の補助金問題で観客数が取り沙汰されていますが、あの頃に比べたらずっと右肩上がりです」というのに笑った。
大夫の豊竹呂勢大夫、三味線の鶴澤燕三さんのインタビューも収録。呂勢大夫さん(昭和40年生まれ)は、NHKの人形劇『新八犬伝』を夢中になって見ていたら、親が国立劇場の文楽公演に連れて行ってくれたのがきっかけで、小学生にして「浄瑠璃オタク」になったという。ああ、同じテレビっ子世代だなあ、と嬉しくなってしまった。
本書は、大阪の国立文楽劇場に行ってみたいと思う人には、特に楽しい手引き書になっている。ひとつは劇場近くの「文楽ゆかりの地」案内。それから「黒門市場」のグルメ案内。私は主に東京で文楽を見てきたので、大阪まで遠征するようになったのは、近年のことだ。劇場近くに適当な食べ物屋さんがないなあと思っていたが、ごく最近「黒門市場」に迷い込んで、その存在を知ったばかり。今後はランチやお土産買いに利用させてもらおうと思っている。
特別付録として、豊竹咲寿大夫さん作・絵のコミック「おさんぽ」も収録。文楽の技芸員さんって、器用な人が多いなあ。勘十郎さんも若い頃からずっとイラストを描いていらしたはず。なお、『人間・人形 映写展』(2013年、東京・表参道)や『人間浄瑠璃写真展第1回 文楽至宝尽の段』(2014年、東京・御茶ノ水)を開催した渡辺肇さん撮影の、桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんの写真(カラー)が掲載されているのも何気に贅沢。芸道に生きる人間の強さ、深さなどが1枚に凝縮した肖像写真である。
人形浄瑠璃文楽について、初心者から長いキャリアを持つ愛好家まで、誰でも手に取りたくなるような素敵な本が出た。軽くて薄いソフトカバーで(紙質はいい)1,500円という定価も懐にやさしいが、斬新な内容がぎっしり詰まっている。
私は今から30年くらい前、学生時代に文楽にハマった。そのとき、手元に置いた参考書は、カラー写真を満載した、文庫シリーズの1冊だった。厚手の光沢紙がサイズのわりに重かったこと、ざらざらした手触りの透明カバーがついていたことなどを記憶しており、1970~80年代くらいまで書店や図書館で見かけたと記憶するのだが、いま検索しても、それらしい写真がヒットしないのが悔しい。
さて本書だが、いま人形遣いとして最も注目される桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんを前面に押し出した編集になっている。おふたりが「私の好きな演目ベスト10」を選び、それぞれの立場から、経験を踏まえて解説をされているのはとても楽しい。演劇評論家や研究者の解説とは、やっぱり、ひと味もふた味も違う。「この作品の初演の評価は…」みたいな学術的解説ではなく、「ここがカッコいい」「ここが難しい」という感じで、一般観客の肺腑にストンと落ちる見どころ指南である。
演目解説は、重複がないよう配慮されているので、全部で20。どれも有名作品ばかりだが、私が見たことがない(見たという確実な記憶がない)のは「加賀見山旧錦絵」「伊賀越道中双六」「嬢景清八嶋日記」。ううむ、まだまだだ。解説に添えられた写真は、当たり前だが、全ておふたりが遣っていらっしゃる人形の写真で統一されている。こういう編集は、今までなかったので、地味にすごいと思った。
おふたりの解説の文中には、玉男師匠が遣うと…、蓑助師匠の場合は…という具合に、先輩師匠の芸に触れている部分もある。それから「伝説の至芸」と題して、吉田玉男の徳兵衛と吉田蓑助のお初による「曾根崎心中」の一場面と、二世桐竹勘十郎の「夏祭浪花鑑」の団七の写真が掲載されているが、これがまた、1カットの写真なのに、至芸が伝わってくるいい写真である。特に蓑助さんのお初の、凛とした美しさに見とれる。
桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんの対談(聞き手:小佐田定雄氏)も、たいへん興味深く読んだ。おふたりが同じ昭和28年(1953)生まれ(学年は早生まれの勘十郎さんが1つ上)だとは全然存じ上げなかった。昭和41年(1966)、中学生だったふたりは、文楽公演(朝日座)のアルバイトに駆り出されて、知り合う。中学卒業後、それぞれの師匠に入門し、以来50年にわたって研鑽を重ね、文楽の世界に生きて来た。印象的だったのは、ふたりとも「勉強が嫌い」で高校進学にあまり魅力を感じていなかったということ。当時は、こういう中学生に、いろいろな人生の選択肢があったのだなあ。高校進学率が97%超で、どんな子供も「高校くらい出ておかないと」と言われるいまの日本社会って、幸せの度合は増したんだろうか?
それから人形も床も伝説の名人揃いだった当時(昭和40年代)、お客は少なくて「お客様の数よりも出演者の数のほうが多かったくらい」で、「今、大阪市の補助金問題で観客数が取り沙汰されていますが、あの頃に比べたらずっと右肩上がりです」というのに笑った。
大夫の豊竹呂勢大夫、三味線の鶴澤燕三さんのインタビューも収録。呂勢大夫さん(昭和40年生まれ)は、NHKの人形劇『新八犬伝』を夢中になって見ていたら、親が国立劇場の文楽公演に連れて行ってくれたのがきっかけで、小学生にして「浄瑠璃オタク」になったという。ああ、同じテレビっ子世代だなあ、と嬉しくなってしまった。
本書は、大阪の国立文楽劇場に行ってみたいと思う人には、特に楽しい手引き書になっている。ひとつは劇場近くの「文楽ゆかりの地」案内。それから「黒門市場」のグルメ案内。私は主に東京で文楽を見てきたので、大阪まで遠征するようになったのは、近年のことだ。劇場近くに適当な食べ物屋さんがないなあと思っていたが、ごく最近「黒門市場」に迷い込んで、その存在を知ったばかり。今後はランチやお土産買いに利用させてもらおうと思っている。
特別付録として、豊竹咲寿大夫さん作・絵のコミック「おさんぽ」も収録。文楽の技芸員さんって、器用な人が多いなあ。勘十郎さんも若い頃からずっとイラストを描いていらしたはず。なお、『人間・人形 映写展』(2013年、東京・表参道)や『人間浄瑠璃写真展第1回 文楽至宝尽の段』(2014年、東京・御茶ノ水)を開催した渡辺肇さん撮影の、桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんの写真(カラー)が掲載されているのも何気に贅沢。芸道に生きる人間の強さ、深さなどが1枚に凝縮した肖像写真である。