見もの・読みもの日記

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理想に飲み込まれない/いまを生きるための政治学(山口二郎)

2013-09-12 23:18:47 | 読んだもの(書籍)
○山口二郎『いまを生きるための政治学』(岩波現代全書) 岩波書店 2013.8

 最近、同じ著者の『若者のための政治マニュアル』(講談社現代新書、2008.11)を読んで、納得できるところが多かった半面、どこか虚しさが残った。2008年と言えば、福田→麻生政権の年である。あれから5年間の日本国民の経験(政権交代とその反動、および震災と原発事故)を、政治学はどう評価・総括するのだろう、という興味で、引き続き、本書を読んでみた。

 著者の基本的な立ち位置は、2008年の『若者のための政治マニュアル』から変わっていないと感じた。政治が追求する最大の価値は生命であるとか、政策課題の選別をめぐって権力が働くとか、権利(right)と特権(privilege)の区別とか、市民の主体的な行動によって支えられる民主主義とかは、前著にも書かれていたことだ。こうした正統的な政治学は、とりあえず1980年代くらいまでは、現実に機能していたのだと思う。私が、かつて中学・高校の「公民」だったか「政経」だったかで学んだのも、いわば正統的な政治学だった。

 ところが、1990年以降、「冷戦崩壊にともなう世界全体の市場化」と「IT革命にともなう情報に関する落差の消滅」という大変化が起こる。要するに、グローバル化である。その結果、古い政治システムでは機能していた、いくつかのバランサーや安全弁が失われてしまった。そのことを、本書はきわめて丁寧に記述している。

 たとえば、グローバル金融資本主義の展開によって中間層が崩壊し、1%の富裕層と99%の貧困層と言われる今日、その比率は、必ずしも政治の多数決に反映されない。「官と民」「生産者と消費者」「高齢者と若年層」など、同じような生活をしている人たちを分断する言説から何かを選んで、人々は自分の所属集団を決める。だから99%の人々をひとつの政治的主張にまとめることは困難である、という分析に同感した。

 それから、産業構造が変化する中で、労働組合、業界団体などの中間的な社会集団は、既得権にしがみつく守旧派というイメージで見られるようになり、すっかり衰退してしまった。しかし、しっかりした社会集団は、市民に対する政治教育の機能を持っている。人間は、中間団体で交際、議論することによって相互性(他者の立場を思いやる能力を学ぶ)とトクヴィルも説いている。最近、大学教育の現場で言われる「コミュニケーション能力」って、本当はここまで到達しなければいけないんじゃないかな。なんか就職先に適応する能力みたいに矮小化されているけど。ともあれ、民主主義を衆愚政治に陥らせないためには、中間団体の再生が急務である。

 また、官僚主義の弊害を取り除くには、民間手法や市場主義の導入がいちばんよいという神話の「嘘」についても、詳しく論じられている。官僚制の病理は「目標の転移」(目標の意味を問うことなく、擬似的な目標に到達するために頑張ることが善となる)にあるが、市場原理や競争原理は、全く同じ現象を引き起こしやすいのである。本書には官僚制の強み(専門性、継続性)についても、きちんと記述されていて、むしろ今の官僚集団は、こうした強みを取り戻さないといけないのではないかと思った。

 結びにいう、2009年の政権交代から民主党政権の自壊を通して「日本人が政治について理想を語ることを諦める気分に陥ったという点で、民主党の罪はきわめて大きい」という総括は、自分の経験にも思い当たるだけに辛い。でも私は、そんなに大きなショックを受けなかったのは、もともと「ゆるい」人間だからだろう。「地上で理想を実現することが不可能であることは、すでに繰り返し述べてきたとおりである」という著者の発言に驚かず、「漸進的な政策の改良を生ぬるいと否定していては、何の前進も起こらない。ある程度前向きの変化が起こったところで、大満足とはいかなくても、ほどほどの満足を得るべき」という主張に黙ってうなずくのが、大人の腹の太さというものだ。

 巻末の「文献一覧」と「読書・映画案内」が、著者の思想の基盤を示していて、なかなか素敵。
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