見もの・読みもの日記

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民権運動という触媒/客分と国民のあいだ(牧原憲夫)

2010-11-08 02:07:37 | 読んだもの(書籍)
○牧原憲夫『客分と国民のあいだ:近代民衆の政治意識』(ニューヒストリー近代日本 1) 吉川弘文館 1998.7

 誰が政権を握ろうとも、安穏に生活できればそれでいい。近世以来、「客分」意識の濃厚だった日本の民衆が、近代国家に適合した「国民」に変容できたのはなぜか。本書は、1880~90年代、国民意識の創出過程を描き出す。

 読み始める前、私の頭の中には2つの「倫理的」な歴史観があった。ひとつは、客分意識は遅れた民衆の姿であり、主体的に政治に参画する近代国民こそ正しいという啓蒙主義的な立場。もうひとつは、全く逆に、民衆を国民に仕立て上げた近代国家権力の暴力性を批判する立場。ところが、本書は、これらの「倫理的」な歴史理解が、いかにステレオタイプかを教えてくれる。

 まず、客分意識は単なる政治的無関心ではなく、ひとつの政治意識であったと著者は規定する。近世の民衆は身分制支配を廃棄しようとはしなかったし、自ら治者になろうとはしなかった。しかし、治者あるいは富者が私利私欲を優先し、領民の保護をないがしろにしたときは、彼らは、一揆や放火という手段に訴えて、その不正を糾弾した。ここに描かれる近世民衆の堂々とした姿! 江戸期には「仁政は武家のつとめ、年貢は百姓のつとめ」という対句が唱えられていたそうだ。

 ところが、近代国家における「自由放任」の論理は、治者と富者を、強者としての責務から解放する(昨今の新自由主義の話を聞いてるみたいだが、あくまで明治初年の話である)。伝統的な「仁政」を求める民衆にとって、御新政は理不尽なものにしか見えなかった。ここに「仁政」と「客分」を脱却し、一身独立による自力更生の道を探る人々が登場し、自由民権運動へと育っていく。著者は、この淵源に開化論者と国学者の2つがあることを、注意深く指摘している。

 民衆と民権家の政治意識は全く別の方向を向いていた。けれども民権家が、露骨な悪口で官吏や巡査を罵り、「演劇的興奮」をつくり出せば、民衆は熱狂した。このあたりも、まさに2000年以降の日本を見ているようだ。当時の巡査(いちばん身近な官吏だった)の嫌われぶりは、いまの公務員にそっくりである。そして、根本的なすれちがいに目をつぶったまま、民権運動は、民衆の反政府的エネルギーを利用することで、明治政府に多大なインパクトを与えることができた。これも昨年の政権交代が思い合わされるところである。

 著者は、民権運動との共振が民衆の政治意識に変化をもたらしたのではないかという。つまり「民衆が国民になっていくための〈回路〉を民権運動は結局のところ切り拓いたのではないか」と。民権運動は、政府に反対しながら、国家を自分たちの側に取り込んでいく。国家を愛するからこそ政府と闘う、というのが彼らの論理だった。民権運動会(!)における軍隊をまねた隊列行進、”国旗”日の丸の掲揚、「天皇万歳」「帝国万歳」の唱和。政府が任命した教導職が、いくら天子様のありがたさを説教しても効果のなかった1880年代に、自由民権運動こそが、天皇・軍隊・国旗等を民衆の身体に浸透させていったのだという。これは知らなかったなあ…。「国民化」は明治政府でなく、むしろ反政府運動たる民権運動の側から来ていたのか。

 さらに民衆の国民化を加速させたのは外交問題だった。1884年の甲申事件(朝鮮クーデター)で仁川の日本人が暴行・殺害されたことが、一挙に民衆の愛国心を沸き立たせる。殺されたのは”われわれ日本人”だ、”われわれ”が仇をうたねばならない――。うーむ。尖閣ビデオ流出問題の渦中で、私は、何か恐ろしい偶然を感じながら、本書を読んでいた。いま目の前で起きていることの解釈が、本書に述べつくされているように思いながら。

 このあと、本書は、政府主導の「祝祭」が、客分意識のままの民衆を国民化していく回路を語る。この点は、既に別の研究もあって、前半ほどの新味は感じなかった。また、国家の周縁に追いやられつつも、祝祭による国民化に満足せず、より主体的に国民になろうとする人々は、青年団運動や女性運動を通じて、かえって熱烈な国民になろうとした。これは重要な指摘で、今後、著者によるさらに詳しい解明を期待したいと思った。

 本書は1998年の刊行だが、今こそ読まれるべき内容を豊富に含んでいる。にもかかわらず、実は「歴史書懇話会 共同復刊フェア」という棚で見つけたもの。いや、2010年に復刊されたのは喜ばしいけど、それまで、近年ずっと入手困難だったのか…と思うと、ちょっと情けない気がした。
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