見もの・読みもの日記

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ミュージアムの存在意義/芸術の生まれる場(木下直之)

2010-02-20 23:28:44 | 読んだもの(書籍)
○木下直之編『芸術の生まれる場』(未来を拓く人文・社会科学16) 東信堂 2009.3

 画家がアトリエで絵を描き上げても、それは「芸術」にはならない。芸術の誕生には、それに立ち会う人が必要である、と著者は考える。制作者には、少々納得のいかない定義かもしれない。主に鑑賞者である私は、なるほど、と思う。ミュージアムは、不特定多数の人々に開かれ、見ることに特化した展示施設であるという点で、特徴的な「芸術の生まれる場」である。

 本書には、ミュージアム論を中心に、文化ホールや劇場、文化政策論を交えながら、多数の書き手による、比較的短い文章(10ページくらい)が並んでいる。もっと短いコラムも数編。何かのプロジェクトの研究成果らしいが、何だか分らなかった。書店が付けてくれたカバーをぺろっと剥いでみて、帯の上に「日本学術振興会 人社プロジェクトの成果」という文字を見つけた。平成15年度から20年度まで行われた「人文・社会科学振興プロジェクト研究事業」のことであるそうだ。

 面白いと思った小ネタをいくつか挙げよう。西洋には「ミュージアム」という基礎概念があって、その一部に「ミュージアム・オブ・アート/アート・ミュージアム=美術館」がある。ただし、西洋でいう「アート」とは彼らの(ヨーロッパ諸国の)美術のことであり、非西洋圏の「アート」は博物館標本と境を接している。だから、日本や東洋美術の所蔵を主とする東京国立博物館は「アート・ミュージアム」を名乗らない(名乗れない)のか? それはちょっと、西洋人の顔色をうかがいすぎじゃない? 日本は、明治5年(1872)に国立博物館をつくっておきながら、最初の国立劇場の開館が昭和41年(1966)と極端に遅い。この美術偏重>演劇軽視の傾向は、去年の「事業仕分け」にも影響していなかったかなあ。

 最も興味深かったのは、金子啓明氏、小林真理氏、木下直之氏による鼎談。2008年11月21日、東大の文化資源学研究室にてとあるから、非公開で行われたものだろうか。同年の春から夏にかけて、東博に79万6千人を集めた『国宝 薬師寺展』が話題となっている。当初の入場者予想は40万人だったそうだ。「最初は、NHKの事業局から薬師寺の展覧会についての相談がありました」という金子啓明氏の証言を丹念に読んでいくと、特別展の企画って(一例だろうけど)こんなふうに決まっていくのか、ということが、"プロジェクトX"みたいに分かって面白い。

 「(仏像には)いろいろな見方があってよいのだと思いますよ」「博物館で一生懸命お像を見た人は、いずれもみんな御像と関係が結ばれた」「博物館にはそういう役割があってよいのだと思います」というのは金子氏の言葉。木下直之氏は「私はへそ曲がりですから、薬師寺展会場でこれこそ日本を代表するすばらしい彫刻だと示されると、逆にこの場でお経の一つぐらいは上げて、この仏像を伝えてきた人たちとつながりたいなと思い」、その体験をきっかけに般若心経を覚え、いまは毎朝写経をされているそうだ。この鼎談の半年後、『国宝 阿修羅展』の入場者数(東京会場)が94万人を超えるわけだが…木下先生は阿修羅像の前で般若心経をを唱えられたのだろうか。

 国立博物館が独立行政法人化して以来の「試行錯誤」も率直に語られていて、非常に興味深い。一時期「営業開発部」を置いたが、また戻したとか、「衛視(ガードマン)」が「お客様サービス係」という名称になったとか。なりふり構わない奮闘ぶりは、いさぎよくて見事だと思う。そもそも博物館は、民間でも経営できる可能性がある(80万人も集めちゃうんだし)。しかし、だから民間に任せるという発想ではなくて「国の方針として、国民生活に国立博物館・美術館が必要であるという政策判断をするのが(文部科学大臣として)先決ではないでしょうか」という金子氏の言葉に全面的に賛成したい。

 各章末の読書案内も読み得感あり。
コメント
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