○根津美術館 特別展『国宝 -光琳 元禄の偉才-』
http://www.nezu-muse.or.jp/
根津美術館のサイトに行くと、誇らしげにTOPページに飾られている、光琳の『燕子花図』。しかし、本物は2001年以来、見ることができなかった。このたび、4年半にわたる保存修復を終えて、ようやく戻ってきたことを祝う特別展である。
と、聞いていたので、会場に入ると、まっすぐ、『燕子花図』の前に駆けつけてしまった。うーん、きれいだ。どの色も明るい。と言ったって、金と緑と濃い青・薄い青を使っているだけなんだけど。カキツバタの花って、紫ではなくて、ブルーなんだな。ぽってりした青が作る、群舞する蝶のようなリズムと、細長く伸びた葉の緑が、大きな円弧を描きながら繰り返す、波のようなリズムが、言葉の要らない音楽のように、ダイレクトに体の中に入ってくる。あ~幸せ、幸せ。湯船に浸かっているような気分。
しばらく、カキツバタ図の”癒し”の力を満喫してから、さて、と周りを振り返った。あとは琳派の末流の作品でも並んでいるのだろう、と思っていたのだ。そうしたら、左手にズラリと並んだ小品の掛軸が、なかなかいい。『八ツ橋』『武蔵野』『立田山』、その間に混じった『不二山』も、どうやら全て伊勢物語に題材を採ったものである。解説を見ると、全て「光琳筆」とあるではないか。びっくりした。東博、MOA、五島美術館など、さまざまな美術館の所蔵品を集めてきたところに、企画者の苦労と気概がしのばれた。
驚くべきことに、その隣にも、まだ光琳が続く。狼狽しながら、もう一度、会場内を見渡すと、屏風、絵巻、焼き物、蒔絵、装束、香包まで、この展覧会、”光琳作品でないものはない”という状態だったのだ。いや~脱帽である。『燕子花図』だけを見るつもりで来た私は、気合負けで、呆然としてしまった。
面白かったのは、まず、『八橋図』。3人の男たちの視線の方向が、画面に描かれていない八ツ橋の存在を暗示している。「八ツ橋」の一語を以って、「くもでに物思ふ(=思い乱れる)」を想起させるという、『伊勢』の文学的手法と重なり合うように思った。3人の輪の中央に置かれた、山盛りの白いごはんがやけに目立ち、あっ、「かれいひ(乾し飯)のうへに涙おとしてほとびにけり」だな、と、古文の授業を思い出して、おかしかった。
琳派の人々って(または江戸人一般って)『伊勢物語』が好きなんだよなあ。私も好きなので、うれしいけど、現代の観客は、どのくらい、これらの場面を見て、物語が分かるのだろう。
それから、鯉に乗って波間に飛び上がる『琴高仙人図』も好きだ。雪村の同図もポップで好きなんだけど、もう少し上品である。大作の『菊図』は、金地屏風にグレーがかった白の円菊を描いたもの。色彩も構図も実験的で、成功しているとはいいがたいが、印象に残る。小品では秋海棠をデザインした香包。無条件で、欲しい・・・
第二室で、『白楽天図』を見つけたときは、また、びっくりして、腰砕けになった。この作品、根津美術館の所蔵品だったか~。しゃちほこのように、極端に高く船尾を上げた小舟に、白楽天が座っている。その船尾には、舵取りの男。左隣の舟に、もうひとりの漁夫。3人の配置の”アンバランスなバランス”が、自分でも好きなんだか、嫌いなんだか分からないのに、いつまでも胸にひっかかる作品なのである。
展示替えがあるので、また後期に行っちゃおうかと思っている。
http://www.nezu-muse.or.jp/
根津美術館のサイトに行くと、誇らしげにTOPページに飾られている、光琳の『燕子花図』。しかし、本物は2001年以来、見ることができなかった。このたび、4年半にわたる保存修復を終えて、ようやく戻ってきたことを祝う特別展である。
と、聞いていたので、会場に入ると、まっすぐ、『燕子花図』の前に駆けつけてしまった。うーん、きれいだ。どの色も明るい。と言ったって、金と緑と濃い青・薄い青を使っているだけなんだけど。カキツバタの花って、紫ではなくて、ブルーなんだな。ぽってりした青が作る、群舞する蝶のようなリズムと、細長く伸びた葉の緑が、大きな円弧を描きながら繰り返す、波のようなリズムが、言葉の要らない音楽のように、ダイレクトに体の中に入ってくる。あ~幸せ、幸せ。湯船に浸かっているような気分。
しばらく、カキツバタ図の”癒し”の力を満喫してから、さて、と周りを振り返った。あとは琳派の末流の作品でも並んでいるのだろう、と思っていたのだ。そうしたら、左手にズラリと並んだ小品の掛軸が、なかなかいい。『八ツ橋』『武蔵野』『立田山』、その間に混じった『不二山』も、どうやら全て伊勢物語に題材を採ったものである。解説を見ると、全て「光琳筆」とあるではないか。びっくりした。東博、MOA、五島美術館など、さまざまな美術館の所蔵品を集めてきたところに、企画者の苦労と気概がしのばれた。
驚くべきことに、その隣にも、まだ光琳が続く。狼狽しながら、もう一度、会場内を見渡すと、屏風、絵巻、焼き物、蒔絵、装束、香包まで、この展覧会、”光琳作品でないものはない”という状態だったのだ。いや~脱帽である。『燕子花図』だけを見るつもりで来た私は、気合負けで、呆然としてしまった。
面白かったのは、まず、『八橋図』。3人の男たちの視線の方向が、画面に描かれていない八ツ橋の存在を暗示している。「八ツ橋」の一語を以って、「くもでに物思ふ(=思い乱れる)」を想起させるという、『伊勢』の文学的手法と重なり合うように思った。3人の輪の中央に置かれた、山盛りの白いごはんがやけに目立ち、あっ、「かれいひ(乾し飯)のうへに涙おとしてほとびにけり」だな、と、古文の授業を思い出して、おかしかった。
琳派の人々って(または江戸人一般って)『伊勢物語』が好きなんだよなあ。私も好きなので、うれしいけど、現代の観客は、どのくらい、これらの場面を見て、物語が分かるのだろう。
それから、鯉に乗って波間に飛び上がる『琴高仙人図』も好きだ。雪村の同図もポップで好きなんだけど、もう少し上品である。大作の『菊図』は、金地屏風にグレーがかった白の円菊を描いたもの。色彩も構図も実験的で、成功しているとはいいがたいが、印象に残る。小品では秋海棠をデザインした香包。無条件で、欲しい・・・
第二室で、『白楽天図』を見つけたときは、また、びっくりして、腰砕けになった。この作品、根津美術館の所蔵品だったか~。しゃちほこのように、極端に高く船尾を上げた小舟に、白楽天が座っている。その船尾には、舵取りの男。左隣の舟に、もうひとりの漁夫。3人の配置の”アンバランスなバランス”が、自分でも好きなんだか、嫌いなんだか分からないのに、いつまでも胸にひっかかる作品なのである。
展示替えがあるので、また後期に行っちゃおうかと思っている。